IS-アンチテーゼ-   作:アンチテーゼ

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第五話 守ろうとした者(フェアレーター)

 

 

 

「まいったな、さすがは黒ウサギといったとこか。副隊長でこのレベルなのはホント恐怖でしかないな」

 

 三枚並んだ携帯型のディスプレイを眺めながら砕次郎がつぶやく。

 シュヴァルツェア・ツヴァイクの参戦は織り込み済みだったのだが、そのタイミングが予想よりはるかに早かったことに砕次郎は苦い表情を浮かべていた。

 

 ――やっぱり全部が全部、計画通りとはいかないか……

 

 もちろん砕次郎もただ見ていたわけはない。各部の隔壁だけでなく防火シャッター、果てはたいして意味もないだろうスプリンクラーまで総動員して妨害を行った。だがシャッターはたやすくぶち抜かれ、スプリンクラーも(当然のことだが)何の役にも立たなかった。

 結果として非常用の隔離防壁以外は足止めにもならず、クラリッサの早期の乱入を許してしまったのである。

 

「まあ、こうなってしまったもんはしょうがない。エリスがわがまま言わないうちに撤退だな」

 

 砕次郎はやれやれ、とヘッドセットの回線をフェアリア・カタストロフィのチャンネルに繋いだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「いや。まだ帰らない」

 

『ダーメーだ。言うこと聞きなさいっての!』

 

 デパートのおもちゃ売り場で玩具をねだって争う親子の会話ではない。世界に宣戦布告したテロリストが軍人との交戦中に、撤退するしないで揉めている会話だ。

 

 シュヴァルツェア・ツヴァイクのナハト・ナハト(レールカノン)が火を吹き、エリスはその砲弾をひらりとかわす。砲弾はそのまま後ろの遮断シールドで爆裂した。

 エリスは両手にナタリーCN9(アサルトライフル)K&Dデッドキャンディ(長射程ショットガン)を呼び出し、応戦する。

 

「砕次郎が追撃を防げって言った。ふたつとも壊すのが一番はやい」

 

『そりゃ高機動型(メーヴェ)が相手の時だろ! そっちはもう追っては来れないだろうし、ツヴァイクだけなら遮断シールドで足止めして逃げられる』

 

「……」

 

 納得できない、といった態度のエリスに砕次郎はため息をつく。

 

『エリス、あまり顔には出さないけれど、キミが負けず嫌いなのは知ってる。ここまで追いつめたISをあきらめたくない気持ちもわかる。だけどはっきり言おう。今のコンディションで全力のツヴァイクと戦うのは無理だ。ここは退くんだ、エリス』

 

 その通りだった。フェアリア・カタストロフィのダメージも小さくはない。ロミルダ戦で瞬時加速(イグニッションブースト)を多用したせいもあり、シールドエネルギーの残量も多くはない。

 その上、グラスコフィンの特性を知られた今、クラリッサはまともに接近戦をしはしないだろう。そうでなくてもシュヴァルツェア・ツヴァイクは中遠距離型の機体なのだ。クラリッサがダメージの大きいフランツィスカをかばうように立ち回っている今が逃げ時だった。

 

「……『シンデレラ』なら、2つまとめて吹き飛ばせる」

 

『ダメだ。あれを見せるのは早すぎる。そもそもシンデレラで戦うだけのエネルギーは残ってない』

 

 再びツヴァイクが砲弾を撃ち出す。

 エリスは今度は避けず、右手のナタリーCN9(アサルトライフル)と入れ替えるように呼び出したグラスコフィンで、忌々しそうに砲弾を両断した。一瞬で凍りついた砲弾は、霜に覆われながら真っ二つになって落ちていく。

 

『言うことを聞いてくれエリス。戦ってるキミにしかわからない攻め時(チャンス)があるだろうけど、指示を出してる僕にしかわからない逃げ時(チャンス)もある』

 

「……」

 

『僕らの目的はなんだいエリス?』

 

「……すべてのISを壊すこと」

 

『そうだ()()()()()()だ。ここで無理して負けちゃ本末転倒だよ』

 

 優しく叱るような砕次郎の言葉。ようやくエリスは折れた。

 

「……了解、離脱する」

 

『いい子だ。20秒後に遮断シールドを解除する』

 

 通信が切れると同時に、エリスは手榴弾をばらまいた。爆煙がカーテンのように広がり、フェアリア・カタストロフィとシュヴァルツェア・ツヴァイクを隔てる。

 

『さて皆さん、名残惜しいけれど僕らはこれで失礼するよ。IS所有者は覚悟して待っていてくれ。僕らは必ずISを破壊しに行く。一つたりとも残す気はない。世界を巡り、しらみつぶしに壊していく。この世界を変えるためにね』

 

 砕次郎の声がアリーナに響き、遮断シールドが解除される。その一瞬でフェアリア・カタストロフィはいっきに高度を上げた。シールドの外に出たエリスは見下ろしたアリーナに背を向ける。

 

 だがその瞬間――

 

 爆煙を突き破り何かが回転しながら飛んできた。

 この数分でなんど斬り結んだだろう、それはシュヴァルツェア・メーヴェの黒い大剣、シュルトケスナーだった。

 かわそうと思えばかわせた。だが、エリスはあえてグラスコフィンで斬りはらうことを選んだ。この戦いを締めくくるかのような鋭い衝撃音が鳴り響く。

 剣戟(けんげき)と白熱、そして度重なる冷気。その剣身は限界をむかえていたのだろう。弾かれたシュルトケスナーはバキン、と重い音をたてて中ほどから真っ二つに割れ、アリーナへと落ちていった。

 

「……」

 

 エリスはハイパーセンサー越しに、アリーナのフランツィスカを見つめる。彼女はまっすぐにエリスを見据えていた。己の正義をただ信じるひたすらにまっすぐな瞳。

 

「フェアリー! 貴様との決着は必ずつける! 貴様を倒し、必ずアンチテーゼに引導を渡す!」

 

「……たのしみにしてる。あなたのISを壊す日を」

 

 口をついた再戦の誓い。いったいどんな感情でその言葉を残したのか。それはエリス自身にもよくわからなかった。

 エリスは通信を切断するときびすを返し、澄んだ青空へと消え去った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「申し訳ありません。自分のせいで取り逃してしまいました」

 

「いや、すべての責任は私にある。かんたんに侵入を許し、助けに入るのも遅れた。少ない戦闘経験の中で、少尉は良くやってくれた」

 

 フランツィスカとクラリッサはゆっくりと地面に降りると、ISを待機状態に戻し歩き始める。たいした被害が出なかったとはいえ、ここまで大規模な事をしでかしたテロリストをみすみす取り逃がしたというのは、二人にとって大きな遺恨となっていた。

 

「それで、ジンメル中尉のISは……?」

 

 モニタールームにむかう廊下で、フランツィスカがたずねる。

 

「ああ、奴らの言う通りオブディシアン・クローネは完全に破壊されていた。だが少し奇妙でな」

 

「奇妙とは?」

 

「実は今までの破壊例と違って、コア自体にたいしたダメージが見つからないんだ。にも関わらずISは全機能が停止、ピクリとも反応しない。まるで……」

 

 言葉を濁すクラリッサ。その顔にはなにか不気味なものを見たような、嫌悪の表情が浮かんでいた。

 

「まるで『壊れている』というより『死んでいる』と言った方がいいような……」

 

「……なるほど。ISを殺すISですか……」

 

「なんだか気味が悪くなってきたな。我々はいったいなにを相手にしていたんだ」

 

 クラリッサの言葉にフランツィスカは黙り込む。そしてわずかな沈黙の後、再び口を開いた。

 

「実は自分もひとつ気になることが」

 

「なんだ?」

 

「奴の武装です。たしか剣の名前をグラスコフィン、と言っていましたが、どう考えても辻褄(つじつま)が合わないんです」

 

「ふむ、たしかにあの冷却能力は凄まじいが、あれがISであるということを考えればそこまで不思議ではないだろう。超常的な物理現象という点では、私の(ツヴァイク)や少尉のタンホイザーも似たようなものだ」

 

 その言葉にフランツィスカが足を止めた。なにか考え込むようなフランツィスカに、クラリッサは怪訝(けげん)な目を向ける。

 

「少尉?」

 

「だからこそおかしいのです」

 

「……何を言っているんだ?」

 

「使えるはずがないんです。あんな大量の武器を」

 

 その言葉にクラリッサはハッとする。

 タンホイザーと同レベルかそれ以上の武器。であれば、当然それ以上の容量を食うはずなのだ。

 ISの拡張領域(バススロット)には限界がある。そして基本装備(プリセット)後付武装(イコライザ)もその容量を超えて量子化させておくことは出来ない。実際に特殊な刀1本で拡張領域(バススロット)がすべて埋まっている機体も存在する。

にも関わらず、フェアリア・カタストロフィはくグラスコフィン以外にも武器を大量に量子変換(インストール)していた。

 

「なるほど、たしかに妙だ。ラファール・リヴァイブのような大容量の機体でも、量子変換(インストール)しているのは単純な火器や剣だけだ」

 

「ええ、並のISならグラスコフィンだけでいっぱいいっぱいのはずです」

 

 二人はフェアリーの使った武器を思い返す。グラスコフィン、TDGゾイガー、ハンドガン、アサルトライフルに長射程ショットガン、そして大型の手榴弾が十数個。

 

「……まったく、謎だらけだな」

 

 クラリッサの顔が険しくなる。

 

「おまけに指示を出していたあの男。あれもかなりの曲者だぞ」

 

「やはり隔壁はあの男の妨害でしょうか」

 

「そうだろう。しかも奴め、狡猾(こうかつ)にも……」

 

 語気を強め、目を閉じてわなわなと震えるクラリッサ。フランツィスカは、一体何があったのだろう、と身構えた。

 

「スプリンクラーを作動させたのだ!」

 

「……はぁ」

 

 予想外、というより意味がよくわからないセリフに、フランツィスカから間の抜けた相づちがこぼれる。

 

 ――スプリンクラー? あの水をまくやつのことではないのか……? なにかの隠語なのか?

 

 頭の中でクエスチョンマークが量産される。

 

「あの、大尉……。教えていただきたいのですが、スプリンクラー? ……はその、どういった脅威に?」

 

「うむ。少尉、これを見たまえ」

 

 クラリッサは自身の左目の眼帯を指さす。

 そこには黒ウサギ隊(シュヴァルツ・ハーゼ)のシンボルマーク、眼帯をしたウサギが描かれていた。のだが、よく見るとそのウサギがしている眼帯にも同じように眼帯ウサギが小さく描かれており、それがどんどん奥まで続いている。なんとも奇妙な、ありていに言えば趣味の悪い絵柄。

たしかに精緻(せいち)刺繍(ししゅう)の技術は相当なものだ。だがそのデザインはお世辞にも良いとは言えない。

 

 ――きっとこれをデザインした人間は、芸術とか感性とか、そういうものとは無縁の生活をしてきたのだろうな

 

 フランツィスカは内心「変な眼帯」と思っていたのだが、それをそのまま口に出すほど彼女は馬鹿ではない。

 

「なかなかオリジナリティあふれる逸品ですね」

 

 考えうる限りのオブラートに包んだ言葉。あきらかに過剰包装だが、いたしかたないだろう。

 

「そうだろう。そうだろう。これは江戸刺繍(ししゅう)というものらしい。日本にいる隊長がわざわざ私のためにデザインして職人に作ってもらったというのだ!」

 

 先ほどまでとはうって変わり、おもちゃを見せびらかす子供のように上機嫌なクラリッサ。フランツィスカは心の中で思いきり安堵の息を吐く。もし「変な」なんて言っていたらどうなっていた事やら。

 しかしまだ肝心なことが聞けていない。

 

「それで、その眼帯とスプリンクラーになにか関係が?」

 

「うむ。実はこの眼帯、刺繍(ししゅう)糸だけでなく布地も絹でできていてな。しかも新品だ」

 

 ――あー、なるほど……

 

 フランツィスカはだいたいの事情を把握する。絹布は水に弱いのだ。ちぢんでしまったり、輪染みができたりしてしまう。つまり――

 

「隊長からの贈り物、傷物になどしてたまるものか!」

 

「……」

 

 クラリッサは暗にこう言っているのだ。スプリンクラーの水滴が眼帯につかないよう()()()()()()()()隔壁を突破していた、と。

 フランツィスカは心の中で深くため息をついた。

 

 ――いや凄いことですが! もっと重要なことがあるのではないですか!?

 

 そう言いそうになったが、無駄なことだとあきらめる。

 

 ――IS適性のあるものは変人が多いと聞くが、この人もまた例外ではないのか……

 

 フランツィスカはガックリと肩を落とし、「絹も揮発(きはつ)加工すれば大丈夫です」とアドバイスした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 5時間後、同競技場。

 

 太陽が空を赤く染めながら沈んでいく。

 一度は静まり返っていた競技場だが、今は再び喧騒(けんそう)が覆っていた。といっても出店や観光客で、ではない。現場保持や検証のため駆けつけた軍人、警察、そしてマスコミと野次馬の喧騒(けんそう)だ。

 

 その中をクラリッサは静かに歩いていく。そして、競技場から少し離れた高台に立っている1人の男に声をかけた。

 

「大変な1日でしたね」

 

 振り返ったのは――

 

「ああ、大尉殿。まったく厄日でしたなぁ」

 

 技術班チーフ、エーベルトだった。

 

「おれになんか用ですかい?」

 

 夕陽に照らされたその顔には先刻までの覇気はなく、憂いと寂しさが(にじ)んでいる。そんなエーベルトにクラリッサは静かに言った。

 

「エーベルトチーフ、あなたですね」

 

 わずかな沈黙の後、エーベルトが口を開いた。

 

「……明日になったら自首しようと思ってた。このおれがアンチテーゼを手引きしたってな」

 

 メインコンピュータに取り付けられていた非正規の通信装置。それが外部からのクラッキングを可能にしていた。そしてその通信装置から、エーベルトの指紋が出たのだ。指紋を拭き取ることもせずそのままにしておいたのは、自分が犯人だという確実な証拠とするためだろう。

 

「あなたはメインコンピュータに装置を取り付けると、モニタールームでわざと私にくってかかり、騒ぎを起こして皆の注意をそらした。その間に奴らはシステムに侵入した。システムの奪還に失敗したのもすべて演技。気づけませんでしたよ、迫真の演技でした」

 

「ああ、その通りだ。これでも若いころは俳優を目指してたこともあってなあ」

 

「……ひとつ、教えていただけませんか」

 

 クラリッサは悲痛な面持ちでエーベルトに尋ねる。

 

「あの時、折れそうになる私を励ましたあの言葉は……あれも演技だったのですか」

 

 エーベルトは答えない。

 沈黙の後に、逆にエーベルトが尋ねた。

 

「……俺がなんでこんなことしたのか、大尉殿はおわかりですかい?」

 

 エーベルトはクラリッサに背を向けると、真っ赤な夕陽を目を細めて見つめる。

 

「言ったでしょう。『おれは家族のためなら何だってする』って」

 

 クラリッサはエーベルトとの会話を思い返す。

 

『ベルナったらまともに話もできねえし』

『危なっかしくて心配に』

『家族が得体の知れねぇ危険の中にいる』

『わかっちゃくれねぇか……あんたなら』

 

 何気ない言葉たちが、違った意味を持ってはんすうされる。そしてそれはひとつの答えを示唆(しさ)していた。

 

「まさかお孫さんが、ベルナさんが人質になっていたのですか」

 

 エーベルトは助けを求めていた。盗聴器でも付けられていたのだろうか、会話の端々(はしばし)で気づかれないようクラリッサに「孫娘(ベルナ)が危ない」と伝えていた。なぜもっと早く気づけなかったのか。クラリッサは後悔する。

 だがエーベルトの答えは意外なものだった。

 

「まあ、いちおうは正解だな」

 

「どういう……意味ですか?」

 

 しばしの静寂の後、エーベルトがポツリと言った。

 

「ベルナにIS適性があった。それもAらしい」

 

 背を向けたエーベルトの表情はクラリッサにはわからない。しかしその拳が震えているのはわかった。クラリッサは静かに目を閉じる。その沈黙にエーベルトは言葉を続けた。

 

「ベルナは喜んで、国家代表になれるかも、なんて言ってる。おれはそんなベルナを見てられなかった。おれたち技術屋は横のつながりが強い。だからいろんな噂が入ってくる。おれたちはバカじゃあねえ! あんたんとこの隊長や、イタリアの国家代表の事故のこと、知らねえわけじゃねえんだ! だがあんたらはそれを決して公表しねえ!」

 

 エーベルトが振り返り、クラリッサを睨みつける。

 

「隠して隠して隠して! ISは安全だと嘘をつく!」

 

 興奮したエーベルトはまたゼイゼイと荒い呼吸をしていた。

 クラリッサは何も言わない。ただ目の前の男の言葉を受け止める。

 

「そんな時、奴らから連絡があった。競技場の乗っ取りに協力しろとな。自分たちがISを認める世界を壊してみせる、とな」

 

「それで手を貸したのですね」

 

「ああ、二つ返事で承諾(しょうだく)したよ。奴らは逃げ道も用意してくれてた。ベルナが人質になっていたと言えば罪は軽くなる。実際にはベルナに何もなくったって、おれはその脅しを信じたってことにすりゃあいいってな」

 

「……なぜ、それを話す気に?」

 

 エーベルトは目を伏せる。

 

「おれも途中まではそうしようと思ってた。だからわざわざ助けを求めているフリをした。だが……あんたらが戦ってるのを見て気が変わっちまったのよ」

 

 静かな言葉。そこにさっきまでの怒りはない。

 

「おれはISを認めねぇ。だからなんにも喋る気はねぇ。だが、自分の罪はちゃんと償う。それがせめて、必死に戦ったあんたらへの報いだと思ったのさ。あの時、あんたにかけたあの言葉は……間違いなく俺の本心だったよ」

 

 長い沈黙。そしてクラリッサは静かに告げる。

 

「テロリストに協力した容疑で、あなたを拘束します」

 

 エーベルトは穏やかにうなずき、言った。

 

「なあ……最後にもう一度だけ、家族に会えねえか」

 

「……申し訳ありませんが、承認できません」

 

「言ってみただけだ。気にすんな大尉殿」

 

 長く伸びた二つの影がゆっくりと高台を去っていく。いつの間にか、夕焼けは黄昏(たそがれ)へと変わっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ドイツのとある海岸沿いに、派手なキッチンカーが停まっていた。言わずもがな、乗っているのは砕次郎とエリスである。

 

「どうだった? 初の実戦は。なかなか手強かっただろう?」

 

「……」

 

 エリスは答えない。ただ黙って月の映る海岸線を眺めている。

 

「そうむくれるなって。僕だって悔しいけど仕方ないだろう。僕は大人だし、キミを守る義務があるんだよ」

 

「……」

 

 砕次郎はバツが悪そうにラジオをつける。聞こえてきた臨時ニュースが、前代未聞のテロ事件の進展を告げていた。テロリストに協力した技術者が逮捕されたらしい。

 

「……」

 

「……砕次郎、どうしたの?」

 

 黙り込んだ砕次郎にエリスがたずねる。

 

「僕らに協力した人が捕まったってさ。まったく、つくづく卑劣な人間だな僕は」

 

「……」

 

「そんな気はしてたんだ。彼は全てを話して罪を償うだろうって。なのに僕は彼を利用した」

 

「でもそれはその人が選んだこと。砕次郎が気にすることじゃない」

 

 砕次郎は少し驚いてエリスを見つめた。まさかエリスが気を使ってくれるとは思わなかったのだ。

 

「そうだな。僕らはこんなことで止まれない。彼は大切なものを守ろうと行動した気高き裏切り者(フェアレーター)だ。彼のためにも、僕らがしっかり世界を変えないとね」

 

 砕次郎は自身に言い聞かせるようにそう言った。

 

「それでこれからどうするの?」

 

「そうだね、とりあえず経験値稼ぎだな」

 

「なら、行き先は……IS学園」

 

 エリスは日本を見据えるように海を見つめた。

 だが――

 

「いや行かないよ? IS学園なんてとんでもない。あんな敵の巣窟みたいなとこに行ってどうすんのさ。あとそっちにあるのはイギリスだからね」

 

 矢継ぎ早な砕次郎のツッコミに、エリスは少しムッとした顔をする。

 

「じゃあどこ行くの」

 

「とりあえず中国に行こうと思ってる。ま、そのへんの計画は任せといてくれ。役割分担、適材適所、餅は餅屋ってね」

 

 砕次郎は微笑むとエリスの頭にポンと手を置いた。

 

「そろそろ行こうか。陸路はあらかた封鎖されてるだろうから、いったん海に出よう」

 

「じゃあ、『ティターニア』出す?」

 

「ああ、頼むよ」

 

 エリスは車を降りると、フェアリア・カタストロフィを展開する。そして海上まで飛んでいくと、片手を海面にかざした。

 その手の先に光が輝き、粒子が収束していく。

 

「ティターニア……」

 

 その言葉をエリスが口にした瞬間――

 フェアリア・カタストロフィに()()()()()()()()()漆黒の潜水艦がそこにあらわれた。巨大な船体に押しのけられ、海面が大きく波立つ。エリスはその潜水艦の上にゆっくりと降り立った。

 

 その光景を砕次郎はやわらかな微笑みを浮かべ見ていた。

 と、ポケットの中の携帯が鳴った。取り出したそのディスプレイには「非通知」の文字が表示されている。砕次郎はにやりと笑うと、エリスに「少し待ってて」とサインを出し、電話に出る。

 

「やあ、はじめまして。そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 

『……ずいぶんとナメたことしてくれるよね』

 

 聞こえてきたのは不機嫌そうな女性の声。

 

「ご機嫌ナナメかい? キミはこういう趣向は好きそうだと思ったんだけどな」

 

『あんまり調子に乗らないほうがいいと思うけどね。君が喧嘩を売ったのは世界とか軍とか()()()()()()()じゃなくてこの私なんだよ』

 

「もちろんわかっているさ。ISの破壊を目論むテロリストにとってキミ以上の脅威はないだろう――篠ノ之束博士」

 

 篠ノ之束。その才能は天井なし。天才の中の天才。自称一日を三十五時間生きる女。そして、ISの開発者。

 間違いなく、アンチテーゼの一番の天敵だった。

 

『わかってるなら自重しろよ。私けっこうイラついてるよ。いますぐそこに核ミサイル撃ち込んだっていいんだけど?』

 

 小学生のような脅しだが、彼女にはそれが実行できてしまう。そしてその際の被害など稀代(きだい)の天才はかまいやしないだろう。

 だが砕次郎は気にもしてない様子で会話を続ける。

 

「ならなんでそうしなかったんだい? わざわざ警告してくれるなんて、キミはそんな優しい人間だっけ? そんなことすれば大好きな誰かに怒られるからかい? 大切な誰かに嫌われるからかい?」

 

『あのさあ……』

 

 束の声はあきらかにイラつきを増していた。だが砕次郎はなお挑発にも似た言葉を放ち続ける。

 

「それもあるだろうけど違うだろ。当ててあげようか、篠ノ之束。キミは()()()()だと思ってしまったのさ」

 

『……』

 

「キミにとって世界はつまらないだろう? だから退屈で退屈でたまらないこの世界を、大きくかき回しそうな僕らに興味を持った」

 

束は答えない。

 

「せっかくだからもうひとつ、キミが好きそうな宣言をしよう。わかってるだろうと思うけど、僕らがいくらISを壊してもキミがまた作ってしまえば意味がない。やるかどうかはさておいてできてしまうのが問題だ」

 

 砕次郎の口元が歪む。

 

「キミ個人への宣戦布告だ。僕は――キミを殺す」

 

 明確な殺害予告。だが電話の奥の天才はその言葉を嘲笑(あざわら)った。

 

『はーあ、聞いてあげて損したよ。この無駄な時間で新しいシステムが315個は構築できてたのに、もったいない。悪いけどあんなIS()()に殺されるほど、この私は脆弱(ぜいじゃく)じゃない』

 

「そりゃあそうだろう。僕だってISでキミを殺せるなんて思っちゃいないさ」

 

『はあ? 言ってることが違ってない? もしかして日本語不自由な人なの?』

 

「人の話はちゃんと聞くもんだ。キミを殺すのはあの子じゃない、この僕だ。生身の僕が、ISに勝てるキミを殺す。他の誰でもなく、()()()()()()()()()。これはゲームだよ篠ノ之博士。すべてのISを壊し、世界を変えるゲームだ。キミはさしずめラスボスってとこだな」

 

『ゲームねえ。そう言えば私が乗るとふんで選んだ言葉だろう』

 

「その通り。でもわかっていても乗るんだろう? キミにとっちゃいい暇つぶしになるはずだ」

 

 回線越しに張りつめる空気。

 それを壊したのは――

 

『……ぷっ、あっは、あはははははは! ふふう! うひゃひゃひゃひゃひゃ、あひゃひゃひゃ! くっふふひ、あはははははは!』 

 

 笑い声だった。さきほどの(あざけ)りの薄ら笑いではない。ほんとうにおかしそうな無邪気な笑い。

 ひとしきり笑い転げた束が砕次郎に言う。

 

『ふっふふ、いいね面白い』

 

 その口調にはさっきまでのイラつきはない。

 

『たしかにほんのちょっぴり興味が湧いたよ。どうやって私を殺しに来るか、楽しいゲームになりそうだ。いいよ、しばらくほっといてあげる。束さん上機嫌だから出血大サービスの特典もあげちゃおう。君らが死ぬか捕まるまでは、コアの追加は作らない。だからがんばって世界中のISを倒して回るといい。そしてラスボスはこの私、天才の束さんだ! このゲームに飽きる前にちゃんと殺しに来るんだよ? あっはは、()()()()悪役もいいもんだ』

 

 興奮気味に喋りまくる束の言葉を、砕次郎は笑いながら聞いている。

 

 ――そう、キミにとってはこれも退屈しのぎのゲームだろう。最高の大天才にして最低の大天災、世界はキミの箱庭だ。壊れたものなら作り直せばいい。惜しい命なんて元から無い。人としての何かが欠落した気まぐれな全知全能。まるで神様じゃないか

 

「ルールは決まった。ゲームスタートだ」

 

『いいよ、始めよう。勝つのは君か私か、とーっても楽しみだ』

 

 ブツリ、と電話が切れる。消えたディスプレイを見つめたまま、砕次郎はつぶやいた。

 

「人は神を殺して生き残る。篠ノ之束、僕は人の未来のためにキミを殺すと決めたんだ」

 

「それが砕次郎の戦い?」

 

 いつの間にか後ろに立っていたエリスが声をかけた。砕次郎はエリスに背を向けたまま静かに答える。

 

「そうだ。僕の戦いだ。僕はそのためにエリスを利用してる。篠ノ之束を殺すために、キミの憎しみを利用してる」

 

「わたしもだよ。わたしも復讐のために砕次郎を利用してる。すべてのISはわたしが壊す。そのために砕次郎が必要なの」

 

「ああ、そうだな、エリス。すべてを敵に回しても、僕らは歪んだ共依存で戦い続けるんだ。すべてのISと一人の天才を憎んで、世界そのものに憎まれて」

 

 ふり返った砕次郎の手をつかみ、エリスはふわりと浮き上がった。

 月が照らす海岸線。自嘲的な笑みを浮かべるひとりの男と、その手をとる純白の羽を持つひとりの少女。

 一枚の絵画のようなその光景は、どこまでも悲壮(ひそう)で、とても美しかった。

 

「行こう、砕次郎」

 

「ああ、エリス。僕らの戦いのはじまりだ」

 

 こうしてアンチテーゼは動き出した。

 この世界を変えるために――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)

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