IS-アンチテーゼ- 作:アンチテーゼ
◇
モニタールームではいまだアラートが鳴り続けていた。
事態を把握するためのクラリッサの怒号が飛ぶ。
「各位! 再度、状況を報告!」
『A班、異常ありません!』
『B班、異常ありません!』
『こちらC班、第三ブロックにて高速で飛行する所属不明のISを視認! 第四ブロック及びアリーナ方面へ向かったもよう! 攻撃は間に合わず!』
『D班、第四、第五ブロックではISを確認していません! 』
『こちらE班、第二整備場にてジンメル中尉を発見! 大怪我ですが命に別状なし!』
『こちらF班、高速で向かってくるISを探知! まちがいありません、アリーナに――キャアアッ!』
突如F班のリーダー、ファルケの通信が乱れる。
「ファルケッ!?」
『す、すみません! ISを視認、ですが抜けられました!』
「くっ……!」
クラリッサが拳をギリギリと握りしめた。
「第二整備場で異常事態発生」のアラートを受け、すぐさまE班を向かわせたが時すでに遅く、ジンメル中尉を襲った正体不明のISはすでに整備場にはいなかった。
――なぜだ! なぜ今の今まで警備システムが作動しなかった!?
だがその答えもすぐに明らかとなった。
「うわあっ、なんだこれ!?」
システムチェックを行っていたユリアンが悲鳴をあげる。
「なんだ、どうした!」
「第一から第三ブロックまでのセキュリティがぜんぶ止まってます! そ、それだけじゃない! システムそのものが外部からすごい速さで浸食されてる! このままじゃ……」
「競技場が……まるごと敵の手に落ちちまう……」
「馬鹿野郎があ! そうならないためにおれ達がいるんだろうが!! どけユリアン! おれがやるっ!」
エーベルトはユリアンをむりやり押しのけるとコンソールにかじりつく。
「無理だおやっさん! もう第四層までやられてる! 俺らにどうにかできるレベルじゃねえよ!」
「やかましい! おれの縄張りで好き勝手されてたまるか! ユリアン、ぼさっとしてねえで復旧と末端の掃除をやれ!
「り、了解!」
「大尉殿、こっちは任せろ! あんたは敵のほうを頼む!」
エーベルトの言葉にクラリッサは強くうなずくと、ブルーノに指示を出す。
「ブルーノ、隔壁はまだこちらで制御できるな? アリーナの入り口をふさげ!」
「了解です大尉殿!」
クラリッサは再び無線に指示を飛ばしはじめた。
「ファルケ、私もツヴァイクでそちらに向かう。敵はアリーナの隔壁で足止めを食らうはずだ。私が行くまでなんとか持たせろ!」
『了解!』
「A班からD班は警戒を維持! E班、整備室と中尉の詳細な状況を。なにか敵ISの痕跡はないか?」
『こちらE班、整備室の室温が異常に低くところどころ凍り付いています。中尉も全身打撲と骨折のほかに凍傷にかかっており、敵ISは冷却系の装備または能力を持っていると思われます』
その言葉にクラリッサの顔色が変わった。
「極低温攻撃……たしかここの隔壁は!」
「高温には強いですが、耐低温仕様じゃありません! -150度以下になると極端に強度が落ちちまいます!」
「くっ、ファルケ! 足止めは期待できない、下がれ!」
急ぎ撤退を命令するクラリッサ。だが無線からの応答はない。
「ファルケ! F班、だれか答えろ!」
その瞬間、アリーナにガラスの砕ける音を重く凝縮したような鈍い破壊音が響く。
そして粉々になった隔壁の奥からゆっくりと真っ白なISが姿を現した。
予想外の出来事に会場は水を打ったように静まり返っていた。
モニターに映し出されたその光景はクラリッサにとって最悪と言っていいものだった。
「なんてことだっ……やすやすとアリーナへの侵入を許すとは!」
ありえない失態。握りしめた手がわなわなと震える。
だが、そんなクラリッサに追い打ちをかけるように――
「くそっ!」
エーベルトがコンソールに拳を叩きつける。
システムの奪還に失敗したのは誰が見ても明らかだった。
「おやっさん……」
最悪の事態だった。競技場の全システムを乗っ取られたということは、敵はいつでもアリーナの遮断シールドを解除できるということだ。そして敵のISはすでにアリーナ内に侵入している。
それはつまり、アリーナの全観客97000人が人質となったことを示していた。
◇
「なんだ、こいつは……」
フランツィスカは目の前に現れたISの異様さに呑まれていた。
透き通るような純白の装甲、ISらしからぬ薄い
白いISは身じろぐこともせず、ただ静かにフランツィスカと向き合っている。
――人間じゃないのか?
たしかに数例だけだが、無人のISが確認された、という報告もある。だがフランツィスカは敵はやはり相手は人間であると判断した。
なぜならば、
――こいつは明確な殺気をもって私を見ている。……いや違う? こいつは
フランツィスカは考える。
カンデアで目撃された白いISはこいつでまず間違いない。目的は何か?
必死で頭をまわすフランツィスカ。その横顔を冷や汗がつたう。
――先に仕掛けるべきか? ダメだ。ここで戦いを始めればまず間違いなく観客はパニックになる。
10万人近い人間がパニックを起こせば確実に死傷者が出る。そのことをフランツィスカは理解していた。当然、それは警備主任の大尉もわかっているはずである。
と、ここでフランツィスカの中である仮説が浮かんだ。
――敵も同じなのではないか?
敵が待機しているのもパニックで余計な被害を出さないためだとしたら。
どちらにせよ、すぐに動くわけにはいかない状況だった。
と、その時、アリーナに実況の声が響いた。
『みなさま大変失礼いたしました。アリーナ隔壁にトラブルが発生いたしておりましたが、ここで! 驚くべきかあきれるべきか! 開かない扉をぶち破っての豪快な登場! シュヴァルツェア・メーヴェと対戦する第二世代IS、オブディシアアアンクロオオオーネエエ!! なんと今回は新型に対抗するような純白のカラーリングで登場だあああ!』
フランツィスカがフッと笑う。なるほどいい手である。この異常事態をあくまで出し物としてごまかすつもりのようだ。少々無理のある設定だが仕方がないだろう。避難誘導の準備が整うまでの数分を稼げればいいのだ。
――となれば、私もうまく合わせないとな
フランツィスカは黒色の大剣『シュルトケスナー』を右手に展開すると、ガシャリ、と切っ先を白いISに向ける。
その大げさな振る舞いに観客たちはなんとか事態を飲み込んだのか、再び大きな歓声がアリーナを包んだ。
◇
「とりあえずはおさまったか……」
クラリッサは額の汗をぬぐうと、軽く深呼吸をした。
アリーナにISが侵入したのを確認した瞬間、クラリッサはすぐさま実況席に連絡し、演出として事態をごまかすよう指示を出した。同時に観客席の部下たちにスムーズに観客の避難が行えるよう誘導を指示。負傷したファルケの班はすでに別の班に保護させてある。
――だが一時しのぎにしかならない
以前、事態は好転していない。まだ敵に動きはないが、いつシールドを解除しての虐殺が始まらないとも限らないのだ。
敵の気まぐれにすがるしかない無力さ、そして自分のふがいなさを激しく責める。民間人を危険にさらし、部下も負傷させた。
――守ると約束したものを……何一つ守れていないではないかっ!
と、
「お、おやっさん! あれ!」
ブルーノがメインモニターのひとつを指さす。
そこには「メッセージ」と書かれた手紙のイラストが映っていた。
と、手紙が消え、モニターに別のイラストが浮かぶ。否、それはただのイラストではない。
「これは……
クラリッサがつぶやく。
上下さかさまに描かれた真っ白な妖精、そこに重なる『ANTITHESE』の紅い文字。
「アンチテーゼだと……ふざけやがって!」
『ふざけてなどいないさ』
エーベルトの悪態にモニタールームのスピーカーから男の声が答える。
セキュリティシステムを外部から掌握するような敵だ。会場の通信に割り込むなど造作もないことだろう。
『はじめまして、クラリッサ・ハルフォーフ大尉。キミが警備の責任者で間違いないね?』
「ああ、その通りだ、アンチテーゼとやら。それで、10万人の人質をとった目的はなんだ?」
敵からの接触にクラリッサは頭を切り替え冷静に対応する。
『たいしたことは望まない。ただ少し話をして、そのあとフェアリ―が無事に脱出できればそれで十分だ』
「フェアリ―? あのISのことか」
『というより、正確にはあのISを操縦している人間のコードネームだけどね。とにかく僕らの目的はそれだけ。お話と脱出だ』
「白々しいな……目的はそれだけではないだろう? いや、本来の目的はすでに果たしたと言ったほうがいいか。オブディシアン・クローネを奪うのがメインだったのではないか?」
『すばらしい、噂通りキミは優秀だ。だけど少しだけ不正解だ。目的は奪取じゃない、破壊だよ』
「なに?」
いま男は「破壊」と言った。
ISの破壊は容易ではない。これまで確認されたISの破壊例はいずれも自己修復不能なレベルのコアの損壊のみだ。
しかし生半可な攻撃ではそんなことは不可能である。シールドエネルギーが尽きたとしても絶対防御ははたらく。コア自体の絶対防御と高速の自己修復を突破できるだけの火力はそう存在しない。
事実、過去には絶対防御を貫通した攻撃が操縦者に傷を追わせたがコアの損傷は皆無だった、という事例もあった。
防御において他の兵器の
つまり、あの白いISにはそれだけの力があるということ。
――ハッタリではない
クラリッサは確信した。彼女は有事に備え、一通りネゴシエーション技術も会得している。故に下手なハッタリや嘘は声を聴いただけである程度看破できる。だがこの声の主には話し方、態度、どれをとっても緊張らしい緊張が見られない。自分の優位性を確信している者の話し方だ。
『さて、人質をとっておいてなんだが、我々としても関係のない人々が無為に命を落とすのはあまり気持ちのいいものではなくってね。そのへんの話をしたいんだがかまわないかな?』
「いいだろう。解放の条件はなんだ」
『条件もなにも、一般市民の解放に関しちゃ無条件だ。順次避難を進めてくれてかまわない。キミのことだ、もう準備はできてるだろう? くれぐれもパニックにならないよう気をつけてくれ。ただし、スイートと報道スペースの人間はまだダメだ。彼らには我々の存在をきちんと知り、言葉を聞いてもらわないといけない』
スイートとはいわゆるVIP席のことだ。IS関係者、軍事関係者などが観戦を行っている個室のエリアである。
クラリッサもこの条件は予想していた。言わずもがな人質としての価値が高い人間だ。
だが報道関係者も残すということは――
「貴様……世界大戦でも引き起こしたいのか……っ」
そう、マスコミの前でその存在を明かすということは、ISを持つテロリストの存在を世界に公表することになるのだ。そんなことは許されない。許していいはずがない。
『ハッハァ、そのあたりのことはおいおい話すよ。とりあえず今は避難を急いでくれ』
「ま、まて! 貴様――」
一方的に通信が切れ、モニタールームに静寂が訪れる。
「なにも……できないのか……」
絞り出すようなクラリッサの悲痛な声。
その肩にエーベルトがそっと手を置く。
「あんたは10万人の命を救うんだ。今はそれだけ考えてりゃいい……」
クラリッサはこれまで他人の前で弱みを見せたことはなかった。だが――
その頬をたった一筋だけ、涙がつたう。
しかし、彼女はすぐさま指揮官としての顔に戻り、再び無線を握りしめた。
◇
アリーナは数分前までの熱狂が嘘のように静まり返っている。会場内に残っているのは報道関係者、スイートのIS・軍事関係者、そして一般客席で警戒を続ける十数名の軍人のみだ。静寂の中、その全員が事態が動くのを
アリーナ中央、白と黒の二機のISはどちらも動かない。フランツィスカにも「一般人の安全が確認できるまでは動くな」とクラリッサから通達があったためだ。
そしてついにその静寂が破られた。
『あー、あー、マイクテストだ。日本語で問題ないね? 一応メインディスプレイに英語とドイツ語の字幕も流すから参考にしてくれ』
唐突にはじまったアナウンス。その声は言うまでもなく、モニタールームに通信してきた男の声である。
『さて……はじめまして、みなさん。僕らは「アンチテーゼ」。ISを認めるこの世界を認めないテロリストだ。僕らの目的はただ一つ、
正気の沙汰ではない。誰もがそう思った。
存在理由そのものに矛盾を抱えながら世界を相手に戦争をしかけるなど。
『この世界が間違っているなどとは思わない。そもそも世界に正しい在り方など存在しないのだから。ISを認めるこの世界もただのひとつの選択の結果だ。だけど僕らは認めない。間違った世界でないとしても、勝手に、一方的に、自己中心的に世界を否定する。表から塗り固められたハリボテの
「何を勝手なことを! ISを使って脅しをかけながらISを否定するだと!
声をあげたのはフランツィスカだった。シュヴァルツェア・メーヴェのチャンネルを使えば大声を出す必要はない。だがそれでもなお、彼女は憤り、敵に対し怒号をあげた。
『情熱的な叫びだね。そういう熱さは好きだよ、フランツィスカ・リッター少尉。だがこの状況では少々、感情的すぎやしないかい?』
「ああ軽率だったとも。この場で貴様と話をすべきなのが私などでないことはわかっている。だが貴様の勝手な演説を黙って見ていられるほど、私は人間ができてはいない!」
『熱いねぇ、やけどしそうだよ。キミの怒りはもっともだ。自分たちもISを使っておいて何を勝手なと、それは紛うことなき正論だ。だけど残念ながら、その怒りも正論も僕らには届かない。僕らが欲しいのは共感でも理解でもないんだから。いいかいリッター少尉。互いの意思が平行線であるこの場においては、感情も論も意味をなさない。ではいったい、何が重要か?』
まるで謎かけでもしているかのような男の言葉。
だがフランツィスカには男の言わんとすることが理解出来ていた。
「……行動だ。互いの意思を通すための行動こそが意味をなす」
『すばらしい! では行動を始めよう! 世界への宣戦布告はすでにすませた。 フェアリ―、行動開始だ。シュヴァルツェア・メーヴェの追撃を封じ、全速で離脱しろ!』
その指示に、今まで微動だにしていなかった白いISが動いた。
「
『コアの破壊はできたらでかまわない。離脱を最優先に戦ってくれ』
「了解……」
鈴の音のような透き通る声。
それが目の前のISを操る敵の声だとわかり、フランツィスカは一瞬だけ動揺した。まだ幼さの残るか細い声。おそらく自分より3つか4つは年下であろう。いったい何があって、こんな狂事に染まっているのか。
だが、フランツィスカはすぐさま雑念を振り捨てた。
――集中しろ! 経緯はわからないがこいつはジンメル中尉を倒している。迷えば自分もやられかねない。
そう自分に言い聞かせ、彼女はシュルトケスナーを構えなおす。
「逃がしはしない! お前たちは世界の災厄だ! ここで食い止める!!」
『世界の災厄、まさにその通りだ。あらためて紹介しよう、リッター少尉――』
フェアリ―の右手にシュルトケスナーとほぼ同じサイズの大剣が展開された。周囲の温度が一気に下がり、凍りついた大気中の水分がガラスのような氷となって銀色の刃を覆っていく。
『フェアリア・カタストロフィ――それが僕らのISの名だ』
そのセリフが合図であったかのように、アリーナの中央で白と黒の剣がぶつかった。
次回「