IS-アンチテーゼ-   作:アンチテーゼ

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ドイツ編
第一話 世界の敵(アンチテーゼ)


 ◇

 

 

 

 それはひときわ月の明るい夜のことだった。

 

 ドイツ某所、カンデア軍港基地。夜の海が月を映し輝く、そんな光景を(さえぎ)るように湾にはひとつの巨大な建造物が横たわっていた。

 ドイツ軍最新鋭特殊大型潜水空母『オルトリンデ』。真黒な剣を思わせるその潜水艦は、ただ静かに満月に照らされている。

 その巨体を見上げながら巡回中のボリス・ドナートは大きくあくびをした。兵士にあるまじき気の抜け方だが無理もない。そもそもこの施設においては巡回自体ほとんど形だけのものになっているのだ。それに加え、交代の時間は過ぎているはずなのだがいっこうに代わりが来る気配がない。

 どうせまたガットの馬鹿がもたついているんだろう、無線で催促してやろうか、とボリスが鼻を鳴らした時だった。

 

「いやあ、いい月夜ですなぁ」

 

 突然、背後からかけられた声にボリスはすぐさま小銃を向け警戒態勢をとる。

 そこにいたのはひとりの若い男だった。薄手のコートを潮風に揺らしながら、男はまるで散歩の途中だとでも言うように笑っている。

 

 ――ふざけるなよ、おい! ここまでいくつセキュリティがあったと思ってやがるッ!

 

「何者だ! どうやって入り込んだ!」

 

「大事なのはそこじゃない。真にたずねるべきは『正体』じゃあなく『目的』だ。いったいなーにをしているのか。そうだろう?」

 

 銃を向けられているというのに男はまったく身構えることなく話しかけてくる。まるで旧知の友人をからかうかのような口ぶりだ。

 男の飄々(ひょうひょう)とした態度にイラつきながらも、ボリスは銃口を向けたままゆっくりと近づいていく。

 

「目的なんざ決まってるだろうが! ここまで侵入してくるような(やから)の目的が、この潜水艦以外にあるのか、ええ!?」

 

「優秀だね兵隊さん。安心したよ。実はちょっと心配になってたところだったんだ。極秘開発の潜水空母があると聞いてたのに見回りは君一人だろう? もう少し厳重に警備したほうがいいんじゃないかってね。まあでもキミみたいな勘のいい人間が警備しているのなら十分なのかもしれないね」

 

「……くっそが!」

 

 言うまでもなくここの警備が薄いなどということはありえない。

 人間による巡回が半ば形骸化(けいがいか)しているのは、それを補って余りある無数のセキュリティシステムが存在するからだ。いくつものシステムが独立稼働し、数えきれないほどのセンサーやカメラが施設だけでなく海と空をも過剰な密度で監視している。

 それらをすべてくぐりぬけ、この男はそこに立っていた。

 

 ――幽霊(ゲシュペンスト)かこいつはっ

 

 ボリスは幼い頃に読んだ幽霊の絵本を思い出す。誰にも気づかれず背後に忍び寄る幽霊(ゲシュペンスト)。ボリスはその薄気味悪さがたまらなく怖かった。

 その恐怖を振り払おうとかぶりを振った時、ボリスは違和感を覚えた。

 

 ――そこまでしてなぜこの男はこんなことをしている? 

 

 ここに侵入してきたことではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 理由はひとつしかない。

 

「時間稼ぎっ……!」

 

 男がにたりと笑う。

 

「そう、それが『目的』だ。やっぱりキミは優秀だね」

 

 次の瞬間、ボリスの目の前に真っ白な何かが現れた。ボリスは反射的に小銃の引き金を引いたが、それは弾丸などまったく意に介さず再び消え去った。そこにいたあの男とともに。

 辺りを見回してもすでに侵入者は影も形もなく、ただ夜の海原が月を映し広がっているだけだった。

 一瞬のことで確認はできなかったが間違いない。あれは――

 

「IS…」

 

 ハッと我に返ったボリスは無線でこの異常事態を知らせようとする。が、その時ボリスは最大の異常に気が付いた。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 そこにあったはずの潜水空母オルトリンデは跡形もなく消えていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 三日後 

 ドイツ ドルトムント

 

 この日、ヴェストファーレン国立IS競技場は大きく賑わっていた。

 それもそのはず、今日行われる第三次イグニッションプランの公開コンペティションは、レーゲンシリーズの最新型がお披露目されるとあって、ここ最近注目の的だったのだ。新型ISを目当てにヨーロッパだけでなく世界中からISファンが押し寄せていた。

 もちろん純粋なファンだけでなく各国のIS関係者も軒並み新型の品定めにきているのだが。

 競技場の周辺には多数のキッチンカーや屋台が並び朝からお祭り騒ぎが続いている。いつまにか大道芸のステージまでできており、命知らずなピエロがハリボテのISにコテンパンにされては子供たちから笑われていた。

 

 その喧騒から少し離れた場所に一台の小さなキッチンカーが停まっていた。車体にはカラフルな文字で大きく『Fantasy Ice Pop』と書かれており、色とりどりのアイスキャンディーのイラストが車を一層ハデにしている。

 その車の中で、ひとり口笛を吹きながらノートパソコンのキーを叩く若い男の姿があった。

 よれよれの青いシャツに楕円形のハーフリム眼鏡。背中まで伸びた濃い茶髪を後ろで一本にまとめているのだが、その髪は束ねられてなお好き勝手にハネ散らかっている。ともすれば無精にも見えるその髪型が、端整な男の顔立ちになぜか妙に似合っていた。

 男は口笛に合わせ軽快なリズムでキーボードを叩いていく。よく見るとノートパソコンからは何本ものコードが伸び、その先では荷台に積まれた通信装置や大型のコンピューターらしき機械、いくつもの巨大なバッテリーなどがごちゃごちゃとつながっている。

 

 と、なにかがコッコッと運転席の窓ガラスを叩いた。見ると幼い少年が木の枝を持って外に立っている。

 男がドアを開けると、少年は数枚の硬貨を差し出しつつ、木の枝で赤いアイスの絵を指した。

 

「ん、あ~ごめんなぁボク」

 

 男は車に立てかけている『schließt(閉店)』の看板を指さすと、そのままドアを閉め作業に戻った。

 しかしまたすぐにコッコッと枝が窓を叩く。

 

「えっと……」

 

 無言で再び硬貨を突き出す少年に、男は深いため息をつく。

 

「わかったよボク。その熱意には負けた。一度の失敗でへこたれないのはいいことだ」

 

 男は小銭を受け取ると窓を開けたままシートの後ろからクーラーボックスを引っ張り出し、中から赤いアイスキャンディーを取り出して少年に渡した。

 

 枝を振り回しながら走り去っていく少年を見送り、男は再び作業に戻る。

 

「やれやれ、アイス屋にしたのは失敗だったかな」

 

 言葉とは裏腹に男はどこか楽しそうに見えた。そのまま鼻歌交じりに全ての作業を終えた男は、自分もアイスを一本くわえる。

 

「ひゃーへと、ほろほろヒャッフフひゃんにへんらふひまふかね」

 

 口いっぱいにアイスをほおばったまま、ポケットから携帯を取り出し電話をかけ始める男。

 きっちり2回のコール音の後、甲高いエフェクトのかかった声が電話に出た。

 男は口のアイスをごくりと飲み込む。

 

『はいはい。こちらシャックス』

 

「あー、僕だよ。準備は……ああえええあったああ!」

 

『どうしたの? アイスクリーム頭痛でも起こしたみたいな声出して』

 

「……なんでもないよ。それより、準備は完了だ。あとはコンペの開始を待つだけだな」

 

『それはそれは。わざわざ連絡ありがとね』

 

「なーに当然。いろいろと協力感謝してるよシャックスさ――」

 

 コッコッ

 

 男の言葉をさえぎるように軽い音が車内に響く。聞き覚えのある音にふり向くと、見覚えのある木の枝が窓を叩いていた。

 

「ああー、ちょっと失礼」

 

 男は携帯を置くと、ドアを開けそこにいるであろう少年に声をかける。

 

「ねえボク、一日に二本も食べたら頭痛くなっちゃ――」

 

 男がフリーズした。()()()()()のだ。例の少年を筆頭に五人の子供たちが、いっせいに硬貨を握りしめた手を突き出す。

 

「うん、まあ……相手の隙を逃さず利用するのはいいことだよ……」

 

 男は(ほほ)をひくつかせながら、アイス五本分の代金を受け取るのだった。

 

 

 

『盛況だね。本格的にアイス屋さん始めてみたら?』

 

「ハッハハァ、 それもいいかもね。資金不足になったらアイスで稼ごうか」

 

『ふん、意地悪言わないでよ。そうならないように援助するのが私の役目でしょ」

 

「意地の悪いのはお互い様だろうに。少なくとも『アイス屋さん始めたら?』なんてセリフ普通は言わないよ。――これから世界を敵に回そうとしてるヤツにさ」

 

 男が口の端を歪め、自嘲気味に笑う。

 

「ようやく始まる。始められる。キミのおかげだ。あらためて、感謝してるよシャックスさん」

 

『それはこっちのセリフだよ。君と彼女のおかげで、世界はきっと変わってくれる。じゃ、そろそろ切るね。回線ごまかすのも限界だから。彼女にもよろしくと伝えておいて。私はのんびりテレビでも見ながら緊急速報を待ってるよ。幸運を(グッドラァック)

 

「ああ、朗報を期待していてくれ」

 

 電話を切り、男は静かに息を吐きだす。次の一手で自分たちは世界の敵となる。その事実を男はゆっくりと咀嚼(そしゃく)していた。

 

 コン、コン

 

 三度目となる窓を叩く音(ノック)に男の集中がブチリと音をたてて切れる。

 

「あのねえ、ボク! 物事には限度ってもんが――」

 

 だが勢いよくドアを開けた先にいたのは幼い少年ではなく、白いワンピースを着た16、7の少女だった。

 少女は濃い藍色の瞳で男を見つめながら首をかしげる。(つや)やかなセミロングの黒髪が動きに合わせて揺れた。

 

「……なんだエリスか」

 

 肩透かしをくらい男はばつが悪そうにつぶやく。

 

「ボク、ってなに? 砕次郎」

 

 エリスと呼ばれた少女は怪訝(けげん)そうな声で尋ねた。男――砕次郎は車から降りると、なんでもないと返す。

 

「それよりそろそろ本番だけど、腹ごしらえはすんだかい、エリス? なんか美味しいものあった?」

 

「うん。それなりに食べた。ソーセージの種類が違うホットドッグが5つもあって、美味しかった」

 

 エリスはまったく表情を変えずに淡々と話す。その様子は、はしゃぐ小さな子供のセリフを、大人の女性が寂しそうに語っているようで、見ている者にどこか不安定さを感じさせるものだった。

 

「そりゃよかった。で、僕のお昼ご飯は?」

 

「……」

 

「うん……まあ手ぶらなのは見りゃわかってたけどさ」

 

「……忘れてた。もう一回、何か買ってくる」

 

「いや、自分で行くよ。こっちの作業は終わってるから。エリスはそろそろ会場に行ったほうがいい」

 

「ん……わかった」

 

 エリスがちょこんとうなずく。

 

「終わったら昨日確認した場所で合流だからな」

 

「砕次郎……」

 

「うん?」

 

「ありがとう。行ってくる」

 

 まるで子供を学校に送り出す親子のような軽い会話。誰も今から世界に喧嘩を売ろうとしている人間の会話だとは思わないだろう。

 遠ざかるエリスの後姿を見ながら砕次郎は笑みを浮かべた。

 

 ――ありがとうはこっちのセリフだ。キミがいなきゃ、僕はなにもできない思想家だった。けれどキミがいてくれたから、僕はようやく革命家になれる

 

 砕次郎はつぶやく。小さく、けれども大仰に。

 

「さあ、はじめようか小さな妖精(フェアリ―)。僕らがこの世界への『アンチテーゼ』になるとしよう!」

 

 

 

 エリスと砕次郎――

世界の敵(アンチテーゼ)』はたった二人のテロリストであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「災禍の妖精(フェアリア・カタストロフィ) 前編」

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