IS-アンチテーゼ- 作:アンチテーゼ
(詳しくは1/24活動報告にて)
◇
「え……どういうことでありますか……?」
ボロボロの診療所の狭い診察室。
レントゲン写真をながめるチョビ髭の医者に、
「ん、医者はなんて?」
横にいた砕次郎が
砕次郎も基礎的な中国語の会話はできる。だが、この医者の中国語は
「それが、手術の必要はないって……」
「いや……そんなはずはないだろう……」
それはどう考えてもありえない結論だった。砕次郎の見立てでは、腕がつながっていること自体が奇跡のような重症だったのだ。
それが、手術の必要はない、とはどういうことなのか。
砕次郎は「適当なこと言ってない?」という疑惑の目で医者を見る。
すると医者は「なんだその目は。なら自分で見てみろ!」と言わんばかりに、レントゲン写真を砕次郎に突き出した。
「おいおい……」
受け取った写真を見て砕次郎は言葉を失った。
戦いの直後、砕次郎が
しかし、手にしたレントゲンにはまったく違う事実が写し出されていた。骨折こそしているものの、固定さえすれば完治する程度の、極めて軽度な骨折だったのだ。
困惑する砕次郎に医者がなにやら話しかける。
「
「えっと、触った感じだと靭帯や筋肉にもそれほど大きな損傷は見られない。MRIにかけてみてもいいが、たぶん言っていたような大怪我ではない、と言ってるであります」
「ああ……これを見る限りだと、僕も同意見だ」
砕次郎は横顔の冷や汗をそっとぬぐう。
一瞬、医者が間違えて別の写真を持ってきたのではないか、とも疑った。が、すぐにその可能性は頭の中から消える。
そんなミスをする医者ではないはずなのだ。
確かに医者の姿はお世辞にも立派とは言えない。着ている白衣は、もはや
だが、外装に反して整った設備と、医者との会話を経て、砕次郎はここはアタリだと確信したのである。
――それに、あのおじさんの紹介だ
おじさんとはあの料理店の主人のことだ。
店を出た後、いつのまに仕込んだのか、砕次郎のシャツのポケットの中にメモが入っていたのだ。ここの住所と、ご丁寧に「けがしたらここでみてもらうといいね。ひみつはまもってくれるよ」というメッセージを添えて。
となれば、この古びた診療所が裏社会
「わかった。それじゃ、骨折の治療だけお願いするよ」
砕次郎の言葉を
「自分ではどういう感じなんだい?」
二人になった診察室で、砕次郎は
「痛みや感覚は? 今朝と比べて変化はあるかい?」
「痛いは痛いのでありますが……たしかに、今朝みたいにまったく動かない感じではないであります。動かそうとすると痛む、というか」
「ふん……」
あごに手をあてて考え込む砕次郎。そしてひとつの仮説をたてる。
「もっと単純に考えるべきかもしれないな」
「どういうことでありますか?」
「
平然と言う砕次郎に、
「な、治ったって! まだ7、8時間しか経ってないでありますよ!?」
「そう。その7、8時間で治ったんだ。
ちぎれた筋肉がつながって、裂けた靭帯が治癒して、粉々だった骨が復元された。だから手術はいらない。単純で合理的な仮説だろ?」
「ぜんぜん合理的じゃないでありますよ! そんなこと普通――」
言いかけて
そう、普通ではないのだ。人工的に造られたその体は、どんな特異な性質を持っていても不思議ではない。
「……でも、今まではこんなことなかったであります。たしかに、人よりはケガの治りは早かったでありますが」
「おそらく、イメージインターフェイスの暴走による、生体ナノマシンの超活性だ」
「へ?」
突然出てきた聞きなれない単語に、
「資料によると、キミの体の中には無数の医療用ナノマシンが移植されている。普段はそれこそ、ケガの治りを少し早める程度の働きしかしない。けど、昨夜の戦いでそのナノマシンが異常なほど活性化した」
「……? ……?」
砕次郎は虚空を見つめながら、自分の仮説を検証するかのように言葉を続けていく。
「引き金は
操縦者の意識と直結した
ま、それがあらかじめプログラムされたものだったのか、それともまったくの偶然の産物だったのかはわかんないけど……」
と、ここまで解説して砕次郎は思い出したように隣を見た。そして
「キミは難しく考えない方がいいかもね。やる気を出したらケガが早く治る、くらいの認識でいいさ」
「は、はあ……」
うなずきはしたものの、
その様子を横目に見ながら、再び砕次郎は深く考え込んだ。
――にしても……クローン技術だけじゃなく、ここまで高度なナノマシン移植となると、さすがに中国単体での開発と考えるのは無理があるかな? ナノマシン系の技術で抜きんでてるのはロシアだけど……
砕次郎の目つきが鋭くなる。
――デザイナーベビーと生体移植。このキーワードからすれば、妥当なのは……
「やっぱドイツ……か」
そうつぶやいた砕次郎の脳裏を、ふと、いやな予感がよぎった。
◇
「私がここに来た理由は……おわかりですね?」
その顔を見て、
「昨夜、
「なるほど。それで私のところへ来たのではないか。そうおっしゃりたいのですね」
「それだけではありません。
正直に答えてください。
あなたは奴らと何を話したのですか? 奴らは、いまどこに……!?」
「わかっているでしょう、管理官。私がその質問に答えることはありません」
「なぜですか! アンチテーゼは世界を敵に回したテロリストなのですよ!? 今ならまだ間に合います! このまま、
思わず声を荒げる
だが、
「あの子は、
だが、
「あなたが
その瞬間、目にもとまらぬ速さで
「っ……」
たったそれだけの動作だった。殺気を放ったわけでも、にらみつけたわけでもない。
だが、
「国を揺るがしかねない事態。あなたがたにとっては確かにそうでしょう。しかし私たちにとっては、これは道を定めたひとりの少女の問題でしかないんですよ」
「そんな、勝手な理屈が……」
以前、殺気にあてられた時と同じ、いやあの時以上に体が重い。
もちろん、本当に危害を加えられることはないだろう。だが頭ではそう理解していても、
「勝手なことを言っているのはわかっています。しかし、これは自業自得でもあるのではないですか? あなたがたが心配しているのはISよりも、むしろ
「……どういう意味ですか」
「たしか、『
「そこまで……知って……」
「安心してください。この情報をなにかに利用しようなどとは考えていません。もとより、私にそんな資格はありません」
「そういう問題ではっ……! もし、そこまで知っていてなおテロリストに加担していると
そこまで言って
――っしまった。
とっさに口をつぐみ、不用意な言葉を吐いたことを後悔した。
だが、もう遅かった。
「おやおや……まさか私を脅しているつもりなのですか?」
椅子をきしませる音すらたてずに、
表情はおだやかなまま。しかし、まとう空気はもはや人間とは思えないほどの冷たさで
焦りによって彼女が触れてしまったのは、間違いなく
「言ったはずです。あの子の自由を邪魔するのであれば、私は持てる力のすべてを使って敵になると。そちらがその気なら容赦はしませんよ」
今、その目はまばたくこともせず
「まさかお忘れではないでしょうね? 私が過去に、誰の命令で何をしてきたのか。何ができる人間なのか。
もはや屈する以外の選択肢はなかった。国ですら絶対に敵に回してはいけない怪物、それが
「……し、失言でした」
全身を硬直させたまま、
「ツケがまわってきたんですよ。人の立ち入っていい領域を超え、あまつさえ命を道具として扱おうとした、そのツケが」
「……」
「あなただけを責めるつもりはありません。誰が悪いわけでもない。これは皆で背負うべき十字架です。もちろん、事実から目をそらしてきた私も含めてね」
なにも反論することはできなかった。しようとも思わなかった。
だから何も言えなかった。
「これ以上、お話しすることもないでしょう。お引き取りください」
時間にして10分ほど。ただそこに座っていただけだったが、
――上層部に、どう報告をしたものでしょうか……
ふらつく足取りで部屋を出ようとしたときだった。
胸ポケットの
「な……」
その顔が再び青ざめていく。
「っ……わかりました……」
1分に満たない通話を終え、
「たった今、上層部から通達がありました。中国政府は……この件から完全に手を引きます」
「どういう……ことですか」
言葉だけを見れば、
だが、最高機密のかたまりのような存在である
すなわち、その決定が意味するのは――
「まさか、後始末を他国にやらせるつもりなのですか……!? 身内の恥をさらすリスクを負って、いったいどこに……」
「推測ですが、介入してくるのはドイツです」
「その根拠は?」
「もともと
「しかし、それでもドイツに借りを作ることに変わりはないでしょう。自国の立場を危うくしてまで、いったいなぜ……?」
目線を落とし考え込んでいた
「おそらく……
「私……?」
「上層部がもっとも
「先手を打ってドイツに丸投げしたということですか。私が脅威たりえない
「してやられました。上層部の目的は最初から、
「すでにアンチテーゼ討伐の全権がドイツに移った以上、私たちには……なにもできません」
その言葉通り、もはや打つ手はなかった。
上層部にとって
最後の手段として要人の暗殺をほのめかしてもいい。本気の
だが他国が相手ならば止められない。
できることがあるとするなら――
「それでも私は信じています」
「……え?」
「あの子の目は未来を見ていました。こんなところで終わるはずがない。いや、きっと終わらせない。彼なら……」
アンチテーゼを、砕次郎を信じることだけだった。
◇
ロシア上空を覆う真っ白な雲海。その上を、巨大な翼を広げた黒い影が高速で飛行していた。
『もうすぐ着く頃かしら? 何か変わったことは無い?』
どこかおっとりとした声の通信に、影は淡々と答える。
「特に異常はありません。現在、イルクーツク上空、高度1万フィートをマッハ1.2で飛行中。目的地到着は1時間16分後です」
『はーい。機体の調子も良さそうで安心したわ。こちらも順調ですよ。ついさっき、上から正式な許可が出ました。
それでは……んっん、こほん。現時刻をもって作戦内容を変更。中国政府の緊急要請を
現空域での長距離間高速巡航訓練を中止し、ただちに指定のポイントへと向かってください。なお、以後の詳細な判断は貴官に一任します。
……ってことだから、しっかりね、フラン』
「任務変更を了解。フランツィスカ・リッター、シュヴァルツェア・メーヴェ・フェアヴェッセルング――」
「――強襲します!」
次回「