IS-アンチテーゼ-   作:アンチテーゼ

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前話ラストと前回の次回予告を修正しています。
(詳しくは1/24活動報告にて)


第十五話 (アコンプリス)

 ◇

 

 

 

「え……どういうことでありますか……?」

 

 ボロボロの診療所の狭い診察室。

 レントゲン写真をながめるチョビ髭の医者に、美煌(メイファン)は、理解できない、といった顔を向けた。

 

「ん、医者はなんて?」

 

 横にいた砕次郎が美煌(メイファン)にたずねる。

 砕次郎も基礎的な中国語の会話はできる。だが、この医者の中国語は()()()が強く、やたら早口で聞き取りにくいので、美煌(メイファン)に通訳になってもらっていた。

 

「それが、手術の必要はないって……」

 

「いや……そんなはずはないだろう……」

 

 それはどう考えてもありえない結論だった。砕次郎の見立てでは、腕がつながっていること自体が奇跡のような重症だったのだ。

 それが、手術の必要はない、とはどういうことなのか。

 砕次郎は「適当なこと言ってない?」という疑惑の目で医者を見る。

 すると医者は「なんだその目は。なら自分で見てみろ!」と言わんばかりに、レントゲン写真を砕次郎に突き出した。

 

「おいおい……」

 

 受け取った写真を見て砕次郎は言葉を失った。

 戦いの直後、砕次郎が美煌(メイファン)腕を()た時には、確かに即手術レベルの重傷だった。骨だけでも粉砕骨折は確実だっただろう。

 しかし、手にしたレントゲンにはまったく違う事実が写し出されていた。骨折こそしているものの、固定さえすれば完治する程度の、極めて軽度な骨折だったのだ。

 困惑する砕次郎に医者がなにやら話しかける。

 

美煌(メイファン)、なんて言ってる?」

 

「えっと、触った感じだと靭帯や筋肉にもそれほど大きな損傷は見られない。MRIにかけてみてもいいが、たぶん言っていたような大怪我ではない、と言ってるであります」

 

「ああ……これを見る限りだと、僕も同意見だ」

 

 砕次郎は横顔の冷や汗をそっとぬぐう。

 一瞬、医者が間違えて別の写真を持ってきたのではないか、とも疑った。が、すぐにその可能性は頭の中から消える。

 そんなミスをする医者ではないはずなのだ。

 確かに医者の姿はお世辞にも立派とは言えない。着ている白衣は、もはや()()と呼んだ方がいいほど黄ばんでいる。ぼさぼさの髪と胡散(うさん)臭さ満点のチョビ髭も、診療所を訪れた砕次郎と美煌(メイファン)をおおいに不安にさせた。

 だが、外装に反して整った設備と、医者との会話を経て、砕次郎はここはアタリだと確信したのである。

 

 ――それに、あのおじさんの紹介だ

 

 おじさんとはあの料理店の主人のことだ。

 店を出た後、いつのまに仕込んだのか、砕次郎のシャツのポケットの中にメモが入っていたのだ。ここの住所と、ご丁寧に「けがしたらここでみてもらうといいね。ひみつはまもってくれるよ」というメッセージを添えて。

 となれば、この古びた診療所が裏社会御用達(ごようたし)であることは簡単に想像できる。それはすなわち、誤診で死ぬのは()()()()()()()()、ということだ。

 

「わかった。それじゃ、骨折の治療だけお願いするよ」

 

 砕次郎の言葉を美煌(メイファン)が医者に伝える。医者はうなずくと、治療の準備をしに奥へと消えていった。

 

「自分ではどういう感じなんだい?」

 

 二人になった診察室で、砕次郎は美煌(メイファン)にたずねた。

 

「痛みや感覚は? 今朝と比べて変化はあるかい?」

 

「痛いは痛いのでありますが……たしかに、今朝みたいにまったく動かない感じではないであります。動かそうとすると痛む、というか」

 

「ふん……」

 

 あごに手をあてて考え込む砕次郎。そしてひとつの仮説をたてる。

 

「もっと単純に考えるべきかもしれないな」

 

「どういうことでありますか?」

 

()()()()()()

 

 平然と言う砕次郎に、美煌(メイファン)は驚いた。

 

「な、治ったって! まだ7、8時間しか経ってないでありますよ!?」

 

「そう。その7、8時間で治ったんだ。

 ちぎれた筋肉がつながって、裂けた靭帯が治癒して、粉々だった骨が復元された。だから手術はいらない。単純で合理的な仮説だろ?」

 

「ぜんぜん合理的じゃないでありますよ! そんなこと普通――」

 

 言いかけて美煌(メイファン)がハッとなる。

 そう、普通ではないのだ。人工的に造られたその体は、どんな特異な性質を持っていても不思議ではない。

 

「……でも、今まではこんなことなかったであります。たしかに、人よりはケガの治りは早かったでありますが」

 

「おそらく、イメージインターフェイスの暴走による、生体ナノマシンの超活性だ」

 

「へ?」

 

 突然出てきた聞きなれない単語に、美煌(メイファン)が軽いパニックを起こす。

 

「資料によると、キミの体の中には無数の医療用ナノマシンが移植されている。普段はそれこそ、ケガの治りを少し早める程度の働きしかしない。けど、昨夜の戦いでそのナノマシンが異常なほど活性化した」

 

「……? ……?」

 

 砕次郎は虚空を見つめながら、自分の仮説を検証するかのように言葉を続けていく。

 

「引き金は断链(ドゥァンリェン)の発動かな。

 操縦者の意識と直結した金虎(ジンフー)のイメージインターフェイスが、断链(ドゥァンリェン)の発動時、感情の爆発によって軽く暴走した。そして本能的な生存欲求を命令として受け取ったことで、体内のナノマシンを強引に同調制御(シンクコントロール)し、治癒速度を数千倍まで高めた、ってとこか。

 ま、それがあらかじめプログラムされたものだったのか、それともまったくの偶然の産物だったのかはわかんないけど……」

 

 と、ここまで解説して砕次郎は思い出したように隣を見た。そして美煌(メイファン)が頭から煙が出そうなほど混乱しているのに気づき、苦笑した。

 

「キミは難しく考えない方がいいかもね。やる気を出したらケガが早く治る、くらいの認識でいいさ」

 

「は、はあ……」

 

 うなずきはしたものの、美煌(メイファン)はまだ目をまわしている。

 その様子を横目に見ながら、再び砕次郎は深く考え込んだ。

 

 ――にしても……クローン技術だけじゃなく、ここまで高度なナノマシン移植となると、さすがに中国単体での開発と考えるのは無理があるかな? ナノマシン系の技術で抜きんでてるのはロシアだけど……

 

 砕次郎の目つきが鋭くなる。

 

 ――デザイナーベビーと生体移植。このキーワードからすれば、妥当なのは……

 

「やっぱドイツ……か」

 

 そうつぶやいた砕次郎の脳裏を、ふと、いやな予感がよぎった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「私がここに来た理由は……おわかりですね?」

 

 (ヤン)は談話室に入ってきた(リュウ)に鋭い視線を向けた。

 その顔を見て、(ヤン)は確信した。間違いなく、(リュウ)美煌(メイファン)の居場所を知っている。

 

「昨夜、(シォン)候補生が金虎(ジンフー)と共に研究施設から逃亡しました。現在もその行方は不明です」

 

「なるほど。それで私のところへ来たのではないか。そうおっしゃりたいのですね」

 

「それだけではありません。

 (シォン)候補生は昨夜、アンチテーゼと接触したという情報があります。そして今しがた、不審な男があなたを訪ねていたことも聞いています。

 正直に答えてください。(シォン)候補生は、今アンチテーゼと共にいるのではないですか? 

 あなたは奴らと何を話したのですか? 奴らは、いまどこに……!?」

 

 (リュウ)は椅子にもたれかかり、静かに息を吐いた。

 

「わかっているでしょう、管理官。私がその質問に答えることはありません」

 

「なぜですか! アンチテーゼは世界を敵に回したテロリストなのですよ!? 今ならまだ間に合います! このまま、(シォン)候補生も討伐の対象になってしまってもいいのですか!?」

 

 思わず声を荒げる(ヤン)

 だが、(リュウ)はいっさい動じることなく、静かに答える。

 

「あの子は、美煌(メイファン)は自分の道を選択したんです。私はその選択を信じると決めた。たとえ、あの子が世界を敵に回すとしてもね」

 

 (リュウ)の決意は固かった。もはや何を言おうとも、その意思を変えることはないだろう。

 だが、(ヤン)もまた、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

 

「あなたが(シォン)候補生を信じているのは知っています。ですが、これはもはやあなたと彼女だけの問題ではありません。彼女がISを持ったままテロリストに(くみ)したとなれば、それはこの国そのものを揺るがしかねない事態なのです!」

 

 (ヤン)は乱暴にテーブルを叩いた。その反動でテーブルの上の湯飲みがガシャンと音をたてて傾く。

 その瞬間、目にもとまらぬ速さで(リュウ)の手が動き、倒れる湯飲みをつかみあげた。そして何事もなかったかのように一口茶を飲み、テーブルの上へと静かに戻した。

 

「っ……」

 

 たったそれだけの動作だった。殺気を放ったわけでも、にらみつけたわけでもない。

 だが、(ヤン)は明確にイメージしてしまった。自身の命の危機を。

 (リュウ)の手がつかんだのが湯飲みではなく、もし自分の首だったなら。そう思わずにはいられなかった。

 

「国を揺るがしかねない事態。あなたがたにとっては確かにそうでしょう。しかし私たちにとっては、これは道を定めたひとりの少女の問題でしかないんですよ」

 

「そんな、勝手な理屈が……」

 

 (ヤン)はなんとか声をしぼり出す。

 以前、殺気にあてられた時と同じ、いやあの時以上に体が重い。

 もちろん、本当に危害を加えられることはないだろう。だが頭ではそう理解していても、(リュウ)の静かなプレッシャーは本能に直接襲いかかってくる。

 

「勝手なことを言っているのはわかっています。しかし、これは自業自得でもあるのではないですか? あなたがたが心配しているのはISよりも、むしろ美煌(メイファン)の離反そのものでしょう」

 

「……どういう意味ですか」

 

「たしか、『人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)』という名でしたね。あなたがたが世間に隠したがっているものは」

 

 (ヤン)が青ざめる。

 

「そこまで……知って……」

 

「安心してください。この情報をなにかに利用しようなどとは考えていません。もとより、私にそんな資格はありません」

 

「そういう問題ではっ……! もし、そこまで知っていてなおテロリストに加担していると上層部(うえ)に判断されれば、政府の敵になるはあなただけではありません! ここに住む全員、下手をすればその家族まで……」

 

 そこまで言って(ヤン)は我に返った。

 

 ――っしまった。

 

 とっさに口をつぐみ、不用意な言葉を吐いたことを後悔した。

 だが、もう遅かった。

 

「おやおや……まさか私を脅しているつもりなのですか?」

 

 椅子をきしませる音すらたてずに、(リュウ)がゆらりと立ち上がった。

 表情はおだやかなまま。しかし、まとう空気はもはや人間とは思えないほどの冷たさで(ヤン)にからみついてくる。

 焦りによって彼女が触れてしまったのは、間違いなく(リュウ)の、いや、『睚眦(ヤアズ)』の逆鱗だった。

 

「言ったはずです。あの子の自由を邪魔するのであれば、私は持てる力のすべてを使って敵になると。そちらがその気なら容赦はしませんよ」

 

 (ヤン)の前にいるのは、もはや温厚な武術家ではなかった。何人もの血を浴びてきた魔眼の化け物だ。

 今、その目はまばたくこともせず(ヤン)を見下ろしている。

 

「まさかお忘れではないでしょうね? 私が過去に、誰の命令で何をしてきたのか。何ができる人間なのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もはや屈する以外の選択肢はなかった。国ですら絶対に敵に回してはいけない怪物、それが劉 瑛樵(リュウ エイショウ)という男なのだから。

 

「……し、失言でした」

 

 全身を硬直させたまま、(ヤン)が謝罪する。

 (リュウ)(ヤン)を見下ろしたまま、静かに言った。

 

「ツケがまわってきたんですよ。人の立ち入っていい領域を超え、あまつさえ命を道具として扱おうとした、そのツケが」

 

「……」

 

「あなただけを責めるつもりはありません。誰が悪いわけでもない。これは皆で背負うべき十字架です。もちろん、事実から目をそらしてきた私も含めてね」

 

 なにも反論することはできなかった。しようとも思わなかった。

 (ヤン)自身、計画を快くは思っていなかった。だが(リュウ)の言う通り、それに目をつぶった時点で、(ヤン)もまた共犯者でしかないのだ。

 だから何も言えなかった。

 

「これ以上、お話しすることもないでしょう。お引き取りください」

 

 (リュウ)にうながされ、よろめくように立ち上がる。

 時間にして10分ほど。ただそこに座っていただけだったが、(ヤン)は信じられないほど疲弊(ひへい)していた。

 

 ――上層部に、どう報告をしたものでしょうか……

 

 ふらつく足取りで部屋を出ようとしたときだった。

 胸ポケットの小型端末(デバイス)が振動し、着信を知らせた。

 (リュウ)に断りをいれ、電話に出る(ヤン)

 

「な……」

 

 その顔が再び青ざめていく。

 

「っ……わかりました……」

 

 1分に満たない通話を終え、(ヤン)が振り返る。

 

「たった今、上層部から通達がありました。中国政府は……この件から完全に手を引きます」

 

「どういう……ことですか」

 

 言葉だけを見れば、美煌(メイファン)の離反を見逃すということだろう。

 だが、最高機密のかたまりのような存在である美煌(メイファン)の自由を、政府が認めるはずはない。

 すなわち、その決定が意味するのは――

 

「まさか、後始末を他国にやらせるつもりなのですか……!? 身内の恥をさらすリスクを負って、いったいどこに……」

 

「推測ですが、介入してくるのはドイツです」

 

「その根拠は?」

 

「もともと人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)は、ドイツの強化人間計画(フェアシュテルケンスプラン)から技術提供を受けたものです。それゆえに、少なくとも計画自体を弱みとして握られることはありません」

 

「しかし、それでもドイツに借りを作ることに変わりはないでしょう。自国の立場を危うくしてまで、いったいなぜ……?」

 

 目線を落とし考え込んでいた(ヤン)が顔をあげる。

 

「おそらく……(リュウ)さん、あなたの存在です」

 

「私……?」

 

「上層部がもっとも懸念(けねん)していたのは、政府の暗部を知るあなたを敵に回すことです。中国政府が直接に手を下そうとすれば、あなたが最大の壁になることは明白。ですから……」

 

「先手を打ってドイツに丸投げしたということですか。私が脅威たりえない他国(ドイツ)に……」

 

「してやられました。上層部の目的は最初から、(シォン)候補生の拘束ではなく、確実な処分……!」

 

 (ヤン)が拳を握りしめる。

 

「すでにアンチテーゼ討伐の全権がドイツに移った以上、私たちには……なにもできません」

 

 その言葉通り、もはや打つ手はなかった。

 上層部にとって(リュウ)の存在はアキレス(けん)そのものだ。ゆえに中国政府に対してならばいくらでも脅しが効く。

 最後の手段として要人の暗殺をほのめかしてもいい。本気の(リュウ)を止められる人間は、この国にはいないのだから。

 だが他国が相手ならば止められない。美煌(メイファン)を守るために、(リュウ)ができることは何ひとつない。

 できることがあるとするなら――

 

「それでも私は信じています」

 

「……え?」

 

「あの子の目は未来を見ていました。こんなところで終わるはずがない。いや、きっと終わらせない。彼なら……」

 

 アンチテーゼを、砕次郎を信じることだけだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ロシア上空を覆う真っ白な雲海。その上を、巨大な翼を広げた黒い影が高速で飛行していた。

 

『もうすぐ着く頃かしら? 何か変わったことは無い?』

 

 どこかおっとりとした声の通信に、影は淡々と答える。

 

「特に異常はありません。現在、イルクーツク上空、高度1万フィートをマッハ1.2で飛行中。目的地到着は1時間16分後です」

 

『はーい。機体の調子も良さそうで安心したわ。こちらも順調ですよ。ついさっき、上から正式な許可が出ました。

 それでは……んっん、こほん。現時刻をもって作戦内容を変更。中国政府の緊急要請を受諾(じゅだく)し、同国内における目標ISおよび敵勢力の殲滅(せんめつ)を目的とした武力介入を、貴官の新たな任務とします。

 現空域での長距離間高速巡航訓練を中止し、ただちに指定のポイントへと向かってください。なお、以後の詳細な判断は貴官に一任します。

 ……ってことだから、しっかりね、フラン』

 

「任務変更を了解。フランツィスカ・リッター、シュヴァルツェア・メーヴェ・フェアヴェッセルング――」

 

 

 

「――強襲します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「黒、強襲(ナイトレイド)

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