IS-アンチテーゼ-   作:アンチテーゼ

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ちょっぴり重苦しい話になってきます。



第十一話 自分の生まれた日(バースデイ)

 ◇

 

 

 

 北京市郊外、ひとつの研究施設が存在した。

 灰色の箱を無造作に並べたような、なんとも味気ない建築様式。まるで建物自身が「ここはただ目的を果たすためだけの施設だ」と主張しているようだった。

 施設の名は『第十八号IS研究所』。政府によって、()()()()()()()()()()()()()()()()造られた研究施設である。

 施設内部のとある個室。8畳ほどの部屋に置かれた家具たちは、機能性重視のシンプルなデザインのものばかりだ。だが壁際の大きなぬいぐるみによって、かろうじてそこが無骨な男のでなく少女の部屋なのだとわかる。

 それが『第十八号IS研究所』在籍のIS操縦者――熊 美煌(シォン メイファン)の部屋だった。

 

 予定していた新装備の調整は思ったよりも早く終わった。システムはすでに虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)に組み込まれ、実戦で使えるようになっている。

 調整実験の後、とくにすることもなくなった美煌(メイファン)にはとりあえず部屋で待機、と指示が出た。

 シャワーを浴びて、いつもの短パンと黒のタンクトップというラフな格好に着替えた美煌(メイファン)は、かれこれ1時間近く、暗い表情でベッドに寝転がっていた。

 

 窓の外では空がゆっくりと茜色から藍色へと変わっていく。

 半日が過ぎてなお、美煌(メイファン)は答えを出せずにいた。

 見上げる真っ白な天井はあの白いISを思い起こさせ、最後の言葉が頭の中でぐるぐるとまわる。

 

 『どうしてあなたはISを使っているの』

 

「……そんなのわからないであります」

 

 何度目かわからないため息とともに、小さく声が漏れる。

 

 もちろんISに乗るのは嫌いではない。うまく動かすことができればみんなが喜んでくれる。研究所の人たちだけじゃない。試合を見た人たちからも、たくさんの応援の言葉が贈られる。誰かが喜んでくれることは、自分にとっても嬉しいことだった。

 それに生身ではできないことができるようになるのも楽しかった。空を飛んだり、一瞬で加速できたり。ISにしかできない動きを技に取り入れ、戦いの中で昇華させていく。自分が強くなっていくのがわかる。その高揚感はたまらない。

 だからこそ、あの言葉にショックを受けた。

 

 『それは人を傷つけるものなのに』

 

 そんなことは考えたこともなかった。

 ISの戦いは試合とかスポーツみたいなもので、楽しいもののはずだった。

 言うまでもなく、ISの危険性や兵器としての側面は教えられていた。だが『肯定』を底においた、どこか軽い警告に、自分の認識も甘くなっていたのではないだろうか。

 今朝の戦いで、美煌(メイファン)はそう感してしまったのだ。

 凍えるような気をまとって襲ってきた敵。殺気は自分ではなく、たしかに金虎(ジンフー)に向けられていた。

 ISにはそういう面もあるのだと、あれほどの憎しみを生み出す側面があるのだと、美煌(メイファン)は実感してしまった。

 

「……」

 

 思わず想像してしまう。自分が突き出す拳の先にいるのが、もし生身の人間だったら。全力でなくても、普段の10分の1ほどの力しかこめなかったとしても、簡単に命を奪えてしまうだろう。自分の力は()()()()()()だったのだ。

 それを実感すればするほど、疑問が重なっていく。どうして自分はISに乗っているのだろうか。それは間違ったことなのだろうか。この力をどう使えばいいのだろうか。

 

 考えすぎてぼやけてきた頭に、いつかの情景が浮かぶ。

 美煌(メイファン)にIS適性がある、と政府の人間が知らせに来た日のことだ。

 皆、口をそろえて「すごい」とほめてくれた。だが、(リュウ)だけは何も言わず、静かに美煌(メイファン)を見つめていた。

 

「師父は反対でありますか……?」

 

 不安に思いたずねた美煌(メイファン)の頭を、(リュウ)はそっと撫でてくれた。

 

「あなたが自分の意志で決めることです。どんな選択をしても、私はあなたの味方でいますよ」

 

 そう答えた師の表情が今でも忘れられない。やさしく、あたたかく、そしてほんの少しさびしそうな笑顔……

 

 ピリリリリリリ

 

「っ!?」

 

 鳴り響いた電子音に美煌(メイファン)がベッドから跳ね起きる。

 いつのまにか部屋の中は真っ暗だった。いろいろと考えながら眠ってしまっていたようだ。

 

「……あ」

 

 2、3秒ほど呆けた後、美煌(メイファン)は枕元においてあった小型端末(デバイス)に手を伸ばす。携帯電話を持っていない美煌(メイファン)に、連絡用にと研究所から支給されたものだ。

 鳴り続ける端末のディスプレイに表示されていたのは、「師父」の文字。

 

「し、師父っ!? もしもしでありますっ!」

 

『よかった。出てくれましたね。いま電話してもかまいませんでしたか?』

 

 あわてて電話に出た美煌(メイファン)を、(リュウ)のやわらかな声が迎える。

 

「もちろんであります! どうしたのでありますか?」

 

『どうしたって……。あなた達が移動中に襲われたっていうから、心配してかけたんじゃないですか』

 

「あっ、そうでありましたか。ごめんなさい、ご心配おかけしたであります」

 

『いえいえ無事だったんならいいんです。それにしても、私が連絡を受けたのはついさっきですよ。いくら機密レベルの話だからって、もう少しはやく連絡くれてもいいと思いませんか?』

 

「師父、それは自分ではなく(ヤン)さんに言ってほしいでありますよ」

 

『いやですよ。言ったって、『ルールですので』って怒られるに決まってます』

 

「ふふっ。たしかにそうでありますな」

 

 不思議だった。さっきまで不安に押しつぶされそうだったのに、(リュウ)の声を聴いていると心が休まる。

 

美煌(メイファン)、ほんとうに大丈夫ですか?』

 

「はい! とくにケガもなく、健康そのものであります」

 

『はは、そっちは心配していませんよ。あなたの丈夫さは私がいちばんよく知っていますから。そうではなくて、今なにか、悩んでいることがあるんじゃないですか?』

 

「え……」

 

 自分の不安を見透かした(リュウ)の質問に、美煌(メイファン)は素直に驚いた。

 

 ――すごいであります! なんでわかったんでありましょう!?

 

『今、なんでわかったんだろう、って思ったでしょう』

 

「はっ! わああ、師父はなんでもお見通しでありますな!」

 

『ふふふ。種明かしをしましょうか。(ヤン)さんから連絡があった時、彼女が言っていたんですよ。あなたにいつもの元気がない、なにか思い詰めているみたいだってね。もちろんもっとぶっきらぼうな言い方でしたけれど』

 

「そうでありましたか……(ヤン)さんが自分のことを」

 

『ええ、心配しているようでした。無骨ですが優しい人ですよ。彼女は』

 

 意外だった。美煌(メイファン)(ヤン)にあまり好かれていないと思っていたのだ。自分はいつも(ヤン)を怒らせるようなことを言ってしまっていた。だから自分のことは快く思っていないだろう、と。

 まさか彼女が自分を心配してくれていたなんて。

 

 ――迷惑かけないように気をつけないとでありますな

 

 嬉しく思いながらも少し反省する美煌(メイファン)だった。

 

美煌(メイファン)、あなたのまわりにはあなたを想うたくさんの人たちがいます。もちろん私もです。なにかあればいつでも頼ってくれていいんですよ』

 

「師父……」

 

 あたたかい言葉に心が軽くなっていく。そうだ。自分には支えてくれる人がいるのだ。いつかきっと見つかる。自分の持つ力の意味が。

 

「ありがとうであります、師父!」

 

『おや、声が明るくなりましたね。その調子なら大丈夫そうです』

 

「はい! 元気が出たであります!」

 

 美煌(メイファン)は部屋の明かりをつけると、腰かけていたベッドからピョンと立ち上がる。その顔にもう影はない。ピンと伸びた背中で三つ編みが揺れた。

 

『それはよかった。ついでにもう一つ、明るくなれそうな話がありますよ』

 

「なんでありますか?」

 

(ヤン)さんからお許しがでました。明後日は道場に帰ってきてもかまわないそうです』

 

「ほ、ほんとでありますか!?」

 

『ええ。今年も一緒にお祝いしましょう。あなたの15歳の誕生日を』

 

「やったあああー!!」

 

 歓喜の声をあげて美煌(メイファン)はジャンプする。全身のばねを使った驚異的な跳躍。

 0.4秒後、美煌(メイファン)はおもいっきり天井に頭をぶつけた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 通話を終えた後も美煌(メイファン)はずっとニヤニヤしていた。

 

 ――やったであります! 今年も師父にお祝いしてもらえるであります! 

 

 ISの訓練を始めてから三年ほど、美煌(メイファン)はこの施設で暮らしている。だが毎年7月の頭には、誕生日を(リュウ)とすごすために道場に帰省していた。それが新装備の開発やら、アンチテーゼの襲撃やらでダメになったので、今年は無理だろうと半分あきらめていたのだ。

 美煌(メイファン)は壁際に座らせていた巨大なぬいぐるみを抱えてくると、それを抱きしめたままベッドにダイブする。

 

 ――今年のプレゼントはなんでありましょうなあ

 

 去年のプレゼントはこのぬいぐるみだった。まんまるの卵のようなウサギのような、よくわからない生き物のぬいぐるみだ。なにかのアニメのキャラクターで子供に人気だったらしい。

 兄弟子たちは「小学生じゃないんだから」と(リュウ)を笑っていたが、美煌(メイファン)にとってはお気に入りのプレゼントのひとつだ。ふわふわのぬいぐるみを抱きしめていると、(リュウ)の優しいぬくもりに包まれているような気分になれた。

 ぬいぐるみに顔をうずめながら、美煌(メイファン)は初めての誕生日プレゼントを思い出す。

 

 美煌(メイファン)は誕生日を知らなかった。

 (リュウ)に会うまでのことはほとんど覚えていなかったし、まわりの大人たちも教えてはくれなかった。だから自分の誕生日を知らないだけでなく、誕生日を誰かに祝ってもらうことさえ知らなかったのだ。

 (リュウ)にあずけられて間もない頃、兄弟子のひとりがみんなからプレゼントをもらっているのを見て、美煌(メイファン)(リュウ)に理由をたずねた。(リュウ)は微笑みながら「今日は彼が生まれた日なんです」と答えた。

 

「うまれたひはとくべつなんですか? わたしのとくべつなひはいつですか?」

 

 首をかしげる美煌(メイファン)を見て、(リュウ)はハッとした表情になり、強く美煌(メイファン)を抱きしめて言った。

 

「あなたが私のところへ来てくれた日を私とあなたの特別な日にしましょう。約束します。あなたが私の娘になった日を、毎年必ず一緒にお祝いしましょう」

 

 それが美煌(メイファン)の誕生日だ。

 翌年、約束通りに二人はお祝いをした。ケーキを食べて、初めてのプレゼントをもらった。

 美煌(メイファン)の両手にそっと置かれたのは、金色の石がはめ込まれた銀細工のブローチだった。

 

「これはタイガーズアイという天然石です」

 

「たいがー……?」

 

「虎のことですよ。虎は強さの象徴です。美煌(メイファン)、強くなってください。誰かを傷つけるためでなく、自分の道を見失わないために」

 

 その時は(リュウ)の言葉の意味はわからなかった。

 けれど初めての特別なプレゼントが嬉しくて、美煌(メイファン)は小さな両手でブローチをぎゅっと抱きしめたのだった。

 

 あれから7年。今でもあのブローチは大事に持っている。さすがに銀の部分は少し黒ずんでいるが、それでも式典やパーティーなどに出席する時は必ず着けていく。

 美煌(メイファン)(リュウ)の大切な絆の象徴だ。

 自分の力に悩んだ今、ようやくあの時の言葉の意味をわかりかけているような、そんな気がしていた。

 

 ――師父。自分の道を見失わないために、自分には今なにができるでありますか……?

 

 (リュウ)が教えてくれたこと、話してくれたこと。大切な教えは美煌(メイファン)の心にしっかりと刻まれている。

 

『何があっても他人をはずかしめるようなことがあってはならない』

『その時々で自分のやるべきことを常に考えなさい』

 

 そして、そう。

 あれは以前、ケンカで相手にケガをさせてしまった弟子に、(リュウ)が言っていた言葉。

 

 ――『自分を知ることが、自分を制する一番の要になる』!!

 

 美煌(メイファン)は再びベッドから飛び起きた。

 

 ――そうでありますよ! 考えてみれば、自分は自分のことを全然知らないであります。 ISや金虎(ジンフー)のことだって、ちっとも知ろうとしてなかったであります!

 

 美煌(メイファン)は目を輝かせて、部屋に備え付けられているPCの電源を入れた。ちなみにこのPCの電源が入れられたのは実に三年ぶりである。

 

「ええっと確か、金虎(ジンフー)関連のふぁいる?はここを検索するんでありましたっけ?」

 

 はるか昔に教わったコンピューター知識をフル動員し、美煌(メイファン)は『第十八号IS研究所』の保管データにアクセスする。

 

「えっと、熊、美、煌、と……」

 

 検索欄に自分の名前を打ち込み、Enterキーを押すと――

 

「うへあ、こ、こんなにあるでありますか!?」

 

 表示されたファイル件数は1749件。

 おそらく読み飛ばす項目のほうが多いだろう。だがそれでも膨大な量だ。

 

「まあ、ひとつずつ見ていくしかないでありますなぁ……」

 

 美煌(メイファン)は徹夜を覚悟して、大きくため息をつくのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時を同じくして、北京のとあるホテルの一室。

 砕次郎は机の上のモニターをじっと見つめていた。

 その後ろではエリスが宮廷奶酪(ミルクプリン)を頬張りながら、ベッドにだらしなく寝そべっている。

 

「エリス、僕のぶんも残しといてくれよ」

 

 モニターから目を離さずに砕次郎が声をかけた。

 おみやげにと買ってきたプリンは20個ほどあったが、すでにほとんどがエリスのお腹の中だ。

 

「砕次郎も食べればいい」

 

「いま手も目も離せないんだよ。フタ開けてこっちに渡してくれない?」

 

「……さっきから何してるの?」

 

「んー、情報収集」

 

 差し出されたプリンを受け取りながら砕次郎が答える。

 

「今朝の失敗は、やっぱり相手をナメてかかったのがいけなかった。初心に返って相手を徹底的に調べてるとこだよ」

 

「なんにもしてないように見える」

 

「いやいや、これでもかなり集中が必要な状態なんだけど」

 

「ふーん……」

 

 エリスは後ろからモニターをのぞきこむ。だが、やはりなにかが進行中というふうには見えなかった。

 画面の中にはいくつかのウィンドウが開いているが、とくに動きや変化はない。

 どうにも気になる、といった様子でそわそわするエリスに、砕次郎はため息をついた。

 

「なんでキミは気にしなくていいとこにだけ食いつくのさ。いつもは人の説明ちっとも聞かないくせに……。いいかい、簡潔に話すよ?」

 

 エリスは新しいプリンのフタを開けながら、こくんとうなずく。 

 

金虎(ジンフー)とパイロットのデータを保管している研究所は当然ながらめちゃくちゃセキュリティが厳しい。

 だから外部からのアクセスで情報を得るのは時間的にもリスク的にも難しいのさ。下手すりゃこの場所を逆探知されるかもしれないしね。

 そしたら10分もしないうちに特殊部隊に包囲されちゃうよ。そうなったらホテルにも迷惑かかるからそれは避けたい。

 ここまではOK?」

 

「……だいたい」

 

「ん。だから逆に、向こうにデータを公開してもらう。

 もっと簡単に言うと、機密データにかかってる閲覧制限(ロック)を全部取っ払ってしまおうというわけさ。成功すりゃISのデータも個人のデータも見放題! 

 そのためのウィルスは今朝プライベート・チャンネル経由ですでに金虎(ジンフー)に仕込んである」

 

 得意げに話す砕次郎。そんな彼に、エリスは首をかしげながら素朴な疑問を口にする。

 

「そのウイルスで直接盗めばいいのに」

 

「それがそういうわけにもいかないんだな。それだとこっちの居場所がバレる危険性が高いんだよ。

 最近のファイアウォールは優秀だから。不正アクセスを感知したら即座にアクセス元にたどり着いて逆に攻撃をしかけてくる。

 それをさばきながらデータを盗みだすってのは僕の技術じゃおっつかない。

 もともと僕の専門はサイバーテクノロジーじゃないしね」

 

「でもドイツでは簡単にシステムに侵入してた」

 

「あれは内部に協力してくれる人がいたからだよ。それにセキュリティの度合いがけた違いだ」

 

「……ふーん」

 

 エリスは空になったプリンの容器をポイっと投げ捨て、小さくあくびをした。「なぜ動かない画面を見つめているのか」という疑問がいっこうに解消されないので、そろそろ退屈になってきたのだ。

 だが砕次郎はそんなエリスに気づかない。まだ自分の話を聴いてくれているものだと信じて解説を続ける。

 

「で、だ。話を元に戻すけど、いま僕がやろうとしてるのはそのファイアウォールへの対策なんだ。閲覧制限のデータが閲覧制限じゃなくなれば、僕からのアクセスは不正じゃなくなる。

 だからほんのわずかな手間で望みのデータが手に入る、って寸法さ」

 

「……へえ」

 

「ま、ロック解除の時にはある程度こっちからの操作が必要だけどね。それも対象のコンピューターがウィルスに感染してからきっかり26秒以内に。

 だからこうしてその時を待ってるんだよ。わかった?」

 

「……」

 

 返事はない。かわりに背後から聞こえてくるのは、かすかな寝息の音だった。

 

「……はぁ」

 

 砕次郎は大きくため息をつく。だがこのオチは砕次郎もある程度予想の内であった。

 

 ――ま、それでいいさ。エリスはエリスの、僕は僕の仕事をきっちりやればいい

 

 再び真剣な面持ちでモニターを見つめはじめる砕次郎。

 その時、ピン、という電子音とともにモニター上に新たなウィンドウが開いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 誰かが言った。

 世界に運命など無く、あるのはただ必然と偶然だけだと。

 ならばその夜に起こってしまったことは、ほんとうにただの偶然だったのだろうか?

 

 昼間の実験データを記録するため、一人の職員がメインコンピューターに実験場からアクセスした。砕次郎の仕込んだウィルスに金虎(ジンフー)経由で感染したまま。

 これは必然だった。

 

「かかった!」

 砕次郎が叫び、用意していたプログラムを起動させる。きっかり26秒後、活動を始めたウィルスによって閲覧制限の(かせ)は食い潰され、研究所の機密データは誰もが閲覧できる状態となってしまった。

 これも必然だった。

 

 ではその4秒後、美煌(メイファン)がEnterキーを押し、知らず知らずに機密データにアクセスしてしまったことは?

 ただの偶然だったのか、それとも運命だったのか――

 

人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)……『(シォン)タイプ-06号』……?」

 

 自身の写真とともにつづられた膨大な記録データ。

 それを読み進めるにしたがって、少女の瞳はゆっくりとその光を失っていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「雨……ですか。ずいぶんと急ですね」

 

 軒下(のきした)で中庭を眺めていた(リュウ)がつぶやく。

 突然に降り出した雨はどんどんと激しさを増していく。予兆もなく荒れ始めたその空が、まるでなにかを暗示しているようで、初夏だというのに(リュウ)はわずかな寒気を感じた。

 

 ――そろそろ中に戻りましょうか

 

 そう思い庭に背を向けた時。

 

「師父」

 

 背後からかけられた声に素早く振り返る(リュウ)

 そこにいたのは――

 

美煌(メイファン)……」

 

 土砂降りの中うつむいてたたずむ、ずぶ濡れの美煌(メイファン)だった。

 なにがあったのか。

 研究所にいたのではないのか。

 どうやって来たのか。

 聞きたいことは山ほどあった。だが何よりも先に(リュウ)の口からでた言葉は「はやく中へ」だった。

 

「風邪をひいてしまいます……! こっちへ……」

 

 靴を履くことも忘れ庭に飛び出した(リュウ)。白い道着のすそに泥が跳ねて汚れていく。だがそんなことにかまってはいられなかった。

 ただ、とにかく、目の前の少女に手を伸ばす。

 だがその手を美煌(メイファン)は振り払った。

 

「……美煌(メイファン)

 

 (リュウ)は呆然とその名を呼んだ。

 だが美煌(メイファン)(リュウ)を見ようとはしない。その表情を隠すようにうつむいたまま、小さな声で問いかける。

 

「師父は……どこまで知っていたのでありますか」

 

 その言葉で(リュウ)はすべてを理解した。

 

「知ってしまったんですね、美煌(メイファン)……」

 

 自分は間違っていた。隠すべきではなかった。もし最初からすべてを話していれば、もっと近くに寄り添えていれば、きっとこんなことにはならなかった。

 美煌(メイファン)を、こんなに傷つけることはなかった。

 

「教えてほしいであります……わかんないでありますよ……人造兵士とか、記憶の改ざんとか、実験体とか、成功例とか!! ……自分はなんなんでありますか!? 何のために生まれたんでありますか!? 戦うために、誰かを傷つけるために、こんな力を持っているのでありますか……?」

 

美煌(メイファン)……」

 

「ウソばっかりであります……! 師父も、(ヤン)さんも、ウソばっかりであります……!」

 

「……」

 

 何も言えなかった。何を言えというのだ。美煌(メイファン)の言う通りではないか。自分は嘘をついていた。事実を隠して、問題を先送りにして、目をそらし続けた。その結果がこれだ。

 今の美煌(メイファン)はもう、誰も信じられない。

 

「師父……、自分はようやく、自分の本当の誕生日を知ったでありますよ……」

 

 美煌(メイファン)がズボンのポケットから何かを取り出した。歯を食いしばり、じっと手の中のそれを見つめる。

 

「2月18日……13時ちょうどに、自分はガラス槽の中から生まれたであります……。実験体『(シォン)-06号』として……。それが……、それが自分の生まれた日でありますっ!!」

 

 吐き捨てるように叫んで、美煌(メイファン)が手の中のモノを投げつけた。(リュウ)の足元に叩きつけられたそれは、黄金色の石がはめ込まれた銀細工のブローチだった。ぬかるんだ地面に落ちたブローチは銀の部分が醜く折れ曲がっていた。

 

「もう、自分には……特別な日なんてないでありますよ……」

 

 そう言って顔をあげた美煌(メイファン)の表情は、涙でぐしゃぐしゃに歪んだ悲しい笑顔だった。

 

「……」

 

 何も言えないまま、バシャリ、と泥水の中に(リュウ)が一歩足を踏み出す。よろめくようなその一歩に一流の武術家の面影など微塵も感じられない。ただ、無力にさまよう死人のような、力のない一歩。

 

「来ないでほしいであります」

 

 だが美煌(メイファン)はそんな(リュウ)をも拒絶した。

 唇を噛みしめ、かつての師に、かつての父に背を向ける。

 

「さよならであります……」

 

 皮肉なほどにまぶしい光を放ち、美煌(メイファン)金虎(ジンフー)を展開する。

 そして彼女は一度も振り返ることなく、金色のISとともに雨雲の中へと飛び去った。

 

 残された(リュウ)は崩れ落ちるようにひざをついた。

 

「……私は……なんて……」

 

 泥のついた顔に涙を浮かべることもできず、(リュウ)は地面に転がるブローチを見つめる。

 美煌(メイファン)が最後に見せた、今までの自分自身を泣きながら嘲笑っているような、あの表情が目に焼き付いていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 誰かが言った。

 世界に運命など無く、あるのはただ必然と偶然だけだと。

 ならばこれから二人が出会うのも、きっとただの偶然なのだろう。

 

「……砕次郎、ちょっと雨にあたってくる」

 

 激しい雨音に目を覚ました少女は男にそう告げると、ひとり土砂降りの街へと出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「雨の夜、少女の声は涙すら枯れて(ウォークライング・イン・ザ・レイン)

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