IS-アンチテーゼ- 作:アンチテーゼ
今回、また長めです。
◇
灰と緑の入り混じった山々が遠くで流れていく。
街へと向かう車の中で、
「どうしました。行きと違ってずいぶんとおとなしいですね」
ハンドルを握る
「……ちょっと、考え事をしてたのであります」
そう答える
――もう少しゆっくりさせてあげた方がよかったでしょうか
バックミラー越しに
結局、普段なら一週間ほど道場に泊まっていくところ、今回
同い年の子と比べても
――いえ、だからと言って甘やかすわけにはいきません。いつ襲撃があるかもわからない状況で、まともな防衛設備のない道場にとどまるのはリスクが高すぎます。
無意識のうちに吐き出されたそれは、もしかしたら、あまりに事務的に候補生たちに接する自身へ向けられたものなのかもしれなかった。
再びバックミラーで後部座席をうかがう
すると外を眺めていた
「
「なんですか、
「……昨日、師父となにを話していたのでありますか?」
「なぜそんなことを?」
動揺を押し殺し、いつもの事務的な口調で返す。
今、自分たちが隠していることを
「自分が出ていった後、しばらくして、師父の……師父の殺気を感じたであります」
目を伏せ、不安げに言う
「師父があんな冷たい殺気を出すとは思えなかったであります。師父はとってもやさしくて、あったかくって。でもあれは間違いなく師父の気で……」
「……」
「だから、なにがあったのか知りたいのであります……」
「……なんでもありませんよ。私が不用意な発言をして怒らせてしまった。それだけのことです。あなたが気にすることではありません」
これで
「……そうでありますか」
案の定、
優しさにつけこむようなずるい逃げ方。だが
言えるはずもない。
だから隠し通さなければならない。たとえそれがどんな罪になるとしても。
と、その時。
「!?」
前方に見えた障害物に
急停止した車の前方約5m、大きな木が倒れて道をふさいでいた。
「なぜ木が……」
もちろん、行きにはこんなものは無かった。昨日はとくに風が強かったわけでもない。天気も良かったし、雷が落ちたなんてこともないはずだった。
「
「いえ」
もちろん、ISを使えばこの程度の倒木は簡単に動かすことができるだろう。だが、緊急時以外でISの展開を許可できる権限を、
――なんにせよ、上に連絡しなければ
もうひとつ大きなため息をついて携帯電話を取り出した時――
「
「っ!?」
突然、
茂みに隠れて今まで見えなかったのだ。倒れている木の根元、その
――これはっ、人為的な妨害……!
だとすれば考えられることはひとつ。
――敵襲!
車の陰に飛び込む
一本の長い三つ編みにまとめられた髪の先、黄金色の髪飾りが輝いた。そして0.5秒にも満たない発光の後、
ほぼ同時に、目の前の倒木が砲撃によって砕け散った。
◇
「よーしよし、ここまでは順調だ」
「とりあえずISを展開してもらわないと、始まらないからなぁ」
奇襲をかけつつも相手にISを展開させなければならない。これが今回の作戦のもっとも面倒なところであった。
◇
さかのぼること12時間前、北京市内のホテルの一室。
「まず言っておくけど、おそらく僕らが中国に来てることはもうバレてる」
「……なんで?」
こともなげに言う砕次郎に、エリスは
だが、砕次郎はそんな視線をとくに気にすることもなく話を続ける。
「ティターニアのシステム内に、勝手に信号を送るプログラムが潜り込ませてあった。オフの時はまず見つからないような深部だから気づかなかったよ。他国領海内への侵入がトリガーになってドイツに信号を送る仕掛けだった」
「それで?」
「すぐに処理はしたけど、後の祭りってやつ。すでにドイツへの発信が3回。中国へも警告が来てると考えて間違いないだろうね」
理解不能だった。襲撃がバレているにも関わらず、なぜ砕次郎が中国にとどまり、変わらず
そんなエリスの様子を、砕次郎はおもしろがるように笑う。
「だけどそれはそれで都合がいいのさ」
砕次郎らしい、回りくどい言い方だ。だがすでにエリスは考えることをやめていた。
どうせ考えてもわからない。ならば考えない。自分にとって重要なのは、どうすればISを破壊できるのか、それだけだ。
砕次郎もそれを察したのか、からかうような表情をやめて具体的な説明を始める。
「昼に話したように基本は『シンデレラグレイ』での奇襲だ。だけど生身でいるところに砲弾を撃ち込んだって意味がない。所有者が爆散するだけで、十中八九、ISは無傷だろう」
エリスはこくり、とうなずく。
ISが待機状態ならば所有者に絶対防御ははたらかない。部分展開でもしていれば話は別だが、そうでないのなら生身と同じだ。鉛玉一発で命を落とすのである。
それに対して、ISそのものには常に絶対防御と自己修復がはたらいている。これを通常兵器で打ち破るのは極めて難しい。
「いまさら言わなくてもわかってるだろうけど、フェアリア・カタストロフィがコアを壊すには『二つの条件』を満たさないといけない。一つは『対象のシールドエネルギーが0であること』。もうひとつは――」
「『ISが展開状態であること』」
「そう! だから面倒くさいんだ。奇襲をかけたいのに相手が臨戦態勢になるのを待たなくちゃいけない」
「でも砕次郎は解決策を考えついてるんでしょ?」
エリスの言葉に砕次郎の口元がニイッとゆがむ。
「もちろん。めちゃくちゃ簡単な作戦だよ。まず足止めと同時にあらかじめ設置しておいた
要するに
ISのハイパーセンサーは優秀である。飛来する砲弾があれば最優先で警告を出すだろうが、当然、背後からの攻撃を感知できないわけではない。
だが使用するのはあくまで人間なのだ。こちらを狙う脅威を認識すれば、いやがおうにも意識はそちらに引っ張られる。
ましてや相手はISに関しては素人。相応の訓練を積んでいるとは言え、ハイパーセンサーの全方位視野をフルに活用できるわけがないのだ。それができるのは世界でもほんの一握り、
「この作戦は相手が警戒しているほど有効だ。襲撃を予測していれば、それだけ攻撃に注意を向けざるをえない」
なるほど、とエリスがうなずく。
先ほどの「都合がいい」発言にも納得のいく解説だ。
「ただ、世の中そう都合よくことが運ぶのも
砕次郎は再びうなずくエリスを見て満足そうに微笑むと、「あ、あとひとつ」と付け足す。
「ターゲットは車で移動してるから運転手がいるはずだ。攻撃の時、できるだけ巻き込まないようにしてやってくれ」
「わかった。……でも保証はできない」
「もちろん、できるだけでいい。不殺の覚悟なんて貫いてたらテロリストなんてやってらんないよ。ただ――」
砕次郎がエリスの頭にポンと手を置く。
「それでも残していたい良心ってもんがあるのさ」
エリスが見上げた砕次郎の表情は、普段よりも少し優しく見えた。
◇
「とりあえずISを展開してもらわないと、始まらないからな」
「今だ」
砕次郎がキーを叩く。信号が
計画通りのはずだった。だが――
にもかかわらず、
すなわち、
「ウソだろ、気づかれたっ!? エリス!!」
『どうする砕次郎』
「どうするもなにも撤退だ! すぐに『スノウホワイト』で離脱しろ!」
エリスに指示を出すのとほぼ同時に、モニター内の
瞬間移動と見まごう加速。間違いない、
――まずい!
慌てて車を飛び出し、エリスのいるあたりに双眼鏡を向ける砕次郎。
次の瞬間、轟音とともに木々がはじけ飛び、山の中から二機のISが空へと飛び出した。
◇
砕次郎の指示を受け、すぐさま離脱しようと体勢を整えるエリス。
だが、そこに驚異的な速度で
「
雄叫びとともに拳を構え、突進してくる
後退しようにも、フェアリア・カタストロフィの加速ではおそらく間に合わない。迎撃も
「……チッ」
エリスは舌打ちをすると、用意していた高性能爆薬のかたまりを数個、目の前に放り投げた。そしてすかさず右手に呼び出した
装填した弾は
その結果――
ミサイルが直撃したかのような大爆発が起こった。
周辺の木々は吹き飛ばされ、地面が大きくえぐれる。舞い上がる土砂と木片に紛れて、エリスはなんとか空へと逃げた。
太陽の光を反射して、純白のボディが煌めく。
だが、やはり装甲のあちこちに小さな亀裂が入っている。爆発の衝撃を利用して
しかし、
――向こうのダメージは……?
ふと頭に浮かんだ疑問だったが、エリス自身うすうすわかっていた。
フェアリア・カタストロフィと
ならば当然、
その結論を裏付けるように、土煙の中から
「逃がさないでありますよ! いったい何者でありますか!?」
「……」
「……なるほど、良いでありましょう。ISを叩き潰してからゆっくり聞くであります!!」
目の前の
「っ!」
――どこから……!?
エリスの脳裏に練習試合の映像がよぎった。とっさに真上に向け『
次の瞬間――
「
頭上から先の爆発など比にならないレベルの衝撃がフェアリア・カタストロフィを襲った。構えていたシルドランが一瞬で砕け散り、衝撃波でフェアリア・カタストロフィは真下に吹き飛ばされる。
予想通り、右脚での踏み下ろしだった。
「ぐっ……う……」
エリスは落下しながら、右腕に『
「無駄であります!」
「……チッ」
ある程度距離が離れたところで無理矢理に体勢を整える。
左腕にびりびりと残っている痛みに、エリスは改めて目の前のISの脅威を実感した。
「とっさに震脚を防ぐとは、なかなかやるでありますな」
もちろんそう長くは休ませてはくれないだろう。向こうも
「……なんで隠れてた場所がわかったの?」
「へ?」
少しでも時間を稼げるならば、とエリスが口を開いた。
このままでは
そうすれば、きっと……
「見間違いじゃなかったら、あなたは
「ふむ、あれで隠れているつもりだったとは驚きであります」
「……どういうこと?」
「『殺気』であります。あんな風に殺気だだ漏れでこちらを狙っていては、少しばかり修練を積んだ人間にはバレバレでありますよ」
「……」
エリスは昨日の料理屋で店主に言われたことを思い出した。
同時に、この国の人間は人の気を読み取るのが普通なのか、という疑問が頭に浮かんだが、とりあえず今考えることじゃないと結論を出した。
と、エリスが考え込んでいると、なぜか
「あ、あの、えっと! 落ち込む必要はないでありますよ!」
「…………?」
「自分も言い方が悪かったであります! けしてバカにして言ったわけではなく、ただ、アドバイスというか……」
どうやら黙り込んでいるエリスを見て、自分の言葉で傷つけてしまったものと勘違いしてしまったらしい。
もちろん、仮にそうだったとしても、いきなり砲弾を撃ち込んでくるような相手に気を使う時点でそうとう変な話ではあるが。
「自分の気をコントロールするのは難しいでありますからな。自分も師父によく注意されるであります。あ、まずは瞑想からはじめるといいでありますよ! 自分も最初は……」
「……」
――時間稼ぎはできてるから……いい?
聞いてもいないアドバイスをしてくる相手に、エリスは困惑していた。
いや、もしかすると相手も何かを待っていて時間を稼いでいるのか、とも考える。しかし目の前の少女を見るに、どうもそんな計算高い様子でもないのだ。
――今なら逃げられる?
そんな考えすら浮かんだ、その時だった。
『
突然、耳をつんざく怒鳴り声が通信に割り込んできた。
「や、
なにがなにやらよくわからないが、とりあえずエリスはいつでも逃げられるように準備して、様子を見ることにした。
『
すでに怒鳴り声ではなかったが、明らかに怒っている。
他人の感情に
「あの、じ、自分、『何があっても他人をはずかしめるようなことがあってはならない』、と師父から教えられていたのでありますが、その、先ほどこの方に恥をかかせるような発言をしてしまいまして――」
『今はそんなことを気にしている場合ですか? 緊急時、しかも相手はテロリストなのですが……?』
「え、あ、そ、そうでありますね。師父にも『その時々で自分のやるべきことを常に考えなさい』、と――」
『わかっているのなら早く戦いなさいっ……!!』
「ハ、
割り込んでいた人物の通信がブツリと切れた。
そろそろ本気で逃げようと思っていたエリスだったが、相手が再び集中し始めたのを見て、自身も臨戦態勢をとる。
再度おとずれる緊迫した空気。
「ひとつ提案でありますが、降伏してはもらえないでありますか?」
「……まだふざけてる?」
「とんでもない。自分はいつでも大真面目であります。これは善意からの警告でありますよ。自分が本気で戦えば、大怪我ではすまないと思うでありますから」
「降伏はしない……絶対に」
「そうでありますか。でしたら、もはや言葉は不要でありますな」
「先に言っておくでありますが! 自分、踏込みができない空中戦はあまり得意ではないであります。ですがそれでも、せんえつながらこの
「近接戦闘では最強であると自負しているであります」
接近戦ではまだ勝てない。おそらく自分は負ける。だが、それでも――
「あなたのISはわたしが壊す」
エリスは静かにそうつぶやき、右手に『グラスコフィン』を展開した。
冷たい殺気がそのまま形をなしたような、透き通る氷に覆われた白銀の大剣が煌めく。
「いくであります!」
「……どこからでも」
互いの言葉を引き金にして、二機のISがぶつかり合う。
グラスコフィンの剣閃と
『やめなさい
「!?」
その声に反応して
対してフェアリア・カタストロフィの剣は紙一重でかわされていた。振りぬかれたグラスコフィンは
「くっ……!」
エリスは一瞬動きが止まった
その横顔を冷や汗がつたう。あのまま拳が止まっていなかったら、間違いなくやられていた。
「戦えと言ったりやめろと言ったり、どっちでありますか
『上層部から指示がありました。アンチテーゼに撤退の意思がある場合、こちらから手出しはするな、との通達です』
「な、なんででありますか!?」
『あなたが知る必要はないことです。……聞こえていますね、そちらの方。現在、あなたの目的は交戦ですか? 撤退ですか?』
投げられた質問にエリスは思い出した。
砕次郎からの指示、それはすみやかな退却だ。
「……撤退する。とりあえず、今は」
『わかりました。ではこちらも退くことにします。
「ほ、ほんとに逃がしていいのでありますか?」
『戻りなさい。これは命令です』
「う……了解であります」
通信を終えた
「ま、まあ、よかったであります。自分、やはり人を傷つけるのは嫌いでありますから」
はにかみながらそう言う少女に、エリスは静かに背を向けた。そして振り返ることなく問いかける。
「……なら、どうしてあなたはISを使っているの。それは人を傷つけるものなのに」
「え……」
エリスは答えを聞こうともせず、通信を切断して飛び去った。
「……」
残された
◇
『なんとか逃げられたな。ひやひやしたね、まったく』
プライベート・チャンネルで砕次郎から通信が入る。
「ごめん、砕次郎。また命令を無視して戦おうとしてた」
『いや、あの場合はしょうがないさ。もとより今回は甘い作戦を立てた僕に非がある。もっと怒ってると思ったよ。危うくやられるとこだったから』
「うん。あれと格闘戦をやるのは、まだちょっと無理」
『すまないエリス』
「だいじょうぶ。砕次郎なら、きっと助けてくれると思ってた」
エリスの言葉に通信の向こうで砕次郎がフッと笑った。
『なんとかギリギリで間に合ってよかったよ。次はもっとうまくやろう。標的は変えなくても大丈夫かい?』
「うん。このままでいい」
『わかった。エリスは先にホテルに帰っててくれ。4時間もすれば僕も帰りつくよ』
「了解。……砕次郎」
「ん? どうした?」
「……ううん。なにかおみやげ買ってきて」
『ああ、わかったよ』
通信が切れる。
――そうだ。次はもっとうまくやろう。わたしと砕次郎ならだいじょうぶ。きっと、あのISもちゃんと壊せる
エリスは顔を覆うフルフェイスの仮面を解除した。この高度なら誰かに見られることもないだろう。
仮面をつけていても、ハイパーセンサーと直結した内部スクリーンで視界の確保はできている。だから仮面を着けようが外そうが見える景色は変わらない。
だが、エリスはそれでも自分の目で見渡す広い世界が好きだった。
音速に近い速度の中、頬を風が優しくなでた気がした。
エリスは自分でも気づかないうちに、ほんの少しだけ、微笑んでいた。
◇
「だまされてた、でありますか!?」
「はい。
「じゃ、じゃあいったい誰なんでありますか?」
「決まっています。敵の、アンチテーゼの誰かです。おそらく最初の通信で私の音声データを手に入れたのでしょう」
「ならなんでそう言ってくれなかったんでありますか!」
「さっき説明したはずです。遠隔で通信コードを乗っ取られ、回線から締め出されていたと」
「うぅ……」
つまり
「とにかく、今は施設に帰って急ぎ報告をしなければなりません」
――またお説教でありましょうか……?
おそるおそる
おまけにまとっている雰囲気まで常に不機嫌なものだから、気を読める
「なにをしているのですか。はやく車に乗ってください」
「は、はい」
後部座席に
2回のエンストの後、ボロボロのロールスロイスは道路に開いたクレーターを大きく迂回して、再び走り出した。その運転は心なしか、荒っぽくなったように見えた。
◇
車の中で、
『……なら、どうしてあなたはISを使っているの。それは人を傷つけるものなのに』
なぜISに乗るのか。自分の力はなんのためにあるのか。
施設に到着しても、結局その答えはでなかった。
次回「