IS-アンチテーゼ-   作:アンチテーゼ

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第九話 のんきな作戦会議(ランチタイムミーティング)

 ◇

 

 

 

「ハイ、北京ダック(ペイチンカオヤー)おまたせねー」

 

「「おおーーー」」

 

 目の前に運ばれた迫力満点のアヒルの丸焼きに、エリスと砕次郎はのんきな歓声をあげた。

 歓声と言っても、エリスのほうはいつも通り抑揚(よくよう)(とぼ)しい声なのだが、それでもやはり興奮気味ではあるようだ。

 この興奮には理由がある。もちろん、本場で食べる北京ダックには誰しも心がおどるだろうが、なにより二人は空腹だったのだ。

 それはもう『飛ぶものは飛行機以外、泳ぐものは潜水艦以外、足のあるものは机とイス以外、なんでも食べてしまいそうな』ほどに。

 

「美味しそうじゃないか! ホラ、やっぱりこういう店が当たりだったりするんだって」

 

「……」

 

 はしゃぎながらナプキンをつける砕次郎を、エリスがジトッとした目でにらむ。

 現在、時刻は午後3時を過ぎたころ。昼食をとるにはいささか遅すぎる時間だ。

 なにをかくそう、昼食がこんな時間になったのは砕次郎の思いつきが原因だった。

 さかのぼること4時間前。昼食に何が食べたいかと聞かれて、エリスは「せっかくだから本場の北京ダックが食べたい」と答えた。すると砕次郎はこう言ったのである。

 

『せっかく本場に来たんだから。観光客向けの店じゃなくて、もっと地元民に愛される、裏路地にひっそりとたたずんでるような店で食べよう! 案外そういうとこのほうが安くて美味しいもんだよ』

 

 この時からエリスにはなんとなくいやな予感があった。だが自信満々の砕次郎を見て口出しはやめようと思ったのだ。『砕次郎が考え、エリスが行動する』。それが自分たち『アンチテーゼ』なのだから。

 しかし、そこには大きな誤算があった。それはたった一つのシンプルな答え。この時、砕次郎は()()()()()()()()()()のだ。

 けっきょく、いやな予感はそのまま現実のものとなり、砕次郎の思いつきから約3時間、二人はへろへろになりながら勝手のわからない中国の裏路地をさまよい歩くことになったのである。

 そしてなんとかたどり着いた、いや流れ着いたのが今二人のいる店だった。

 ボロボロのアパートにはさみ込まれるような店構え。こじんまりした薄暗い店内。すすけた壁とやたら滑る床。昼食時を過ぎているとはいえ、客はエリスと砕次郎だけ。

 これでもかというほどマイナス点が詰め込まれた店だったが、汚れた壁に張られた『有北京烤鴨(北京ダックあります)』の張り紙を見て、二人は無言でうなずきあったのだった。

 そして今、二人の目の前には香ばしく焼けたアヒルの丸焼きが置かれている。

 

「お客さん、日本語話してるけど観光の人?」

 

 目を輝かして北京ダックを見つめる二人に、やや肥満気味の店主があきれ顔で話しかけてきた。注文を取りに来たのも皿を運んできたのもこの店主だったので、おそらく今の時間は一人で店をやっているのだろう。

 

「よくまあこんな、裏路地の裏の、そのまた裏の店まで来たもんだねー」

 

 店主は喋りながら手慣れた様子で北京ダックの解体を始めた。

 丸焼きはみるみる骨と肉、そして皮に分けられていく。店の雰囲気は最悪だが意外と腕はいいようだ。

 

「いやあ、ハッハァ。まあいろいろあってね」

 

「それにしても変なお客さんだよ。ウチはどっちかっていうと大衆料理のお店だからねー。ウチに来て北京ダック頼む人珍しいよ? ま、ワタシは自信あるものしか出さないから、味は保証するけど」

 

「へ、へえ、そう……」

 

 砕次郎は苦笑いをしながら隣のエリスを横目に見る。

 案の定、エリスは「話が違う」と言わんばかりの視線を向けていた。その視線に耐えきれず、砕次郎は急いで話題を変える。

 

「それにしても、おじさん日本語上手だね。向こうに住んでたの?」

 

「ワタシじゃなくて友達がちょっと前まで日本に住んでたよ。その時に日本語すごい教えてもらったね」

 

「へえ、日本に友達がねえ。今は中国に帰って来てるのかい?」

 

「そうらしいんだけど。奥さんと離婚したらしくてねー。落ち込んでたなァ。

 いや、あれは娘と離れるのが嫌だったのかな。ワタシと同じ料理人だったけど、もう店はやらないって言ってたよ。

 残念ねー。(ファン)酢豚(クウラオロウ)、絶品だったのに……」

 

 世間話の間に北京ダックをバラし終わった店主は、飴色に焼けた皮を一口大にカットして皿に盛った。そして小麦粉で焼いた薄餅(バオビン)と細切りのネギが乗った皿と一緒に、二人の前に差し出した。

 

「ハイどうぞー。美味しいよー」

 

 脂の焼けた、甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐる。二人はまったく同じタイミングで、ごくりとつばを飲み込んだ。

 

「じゃ、肉は炒めて持ってくるから。も少し待っててねー」

 

 店主は肉と骨が乗った皿を抱えて厨房に消えていく。だが空腹が絶頂の二人の目には、もう皿の上の料理しか映っていない。

 

「エリス、食べ方わかる?」

 

「そのまま食べちゃダメなの?」

 

「ダメってことはないんだろうけどさ。ここまで待ったんだし、どうせならより美味しく食べたいだろ」

 

 砕次郎は薄餅(バオビン)を手に取り、ダックの皮とネギ、たれを乗せてくるりと巻いた。そして得意顔でエリスのほうへ振り返る。

 

「こうやって食べ――」

 

「いただきます」

 

 砕次郎が振り向くより速く、エリスは彼の持つ『ごちそう』にかぶりついていた。

 

 1.2秒後、指ごとかじられているのに気づいた砕次郎が悲鳴をあげた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「それで、なんで金虎(ジンフー)なの?」

 

 14個目の薄餅(バオビン)を巻きながらエリスがたずねる。

 

「経験値稼ぎって言う割にはかなり強い相手」

 

「ま、そうだね。格闘戦に限っちゃ間違いなく最強レベルのISだ。けどあくまで格闘戦ができれば、の話なんだよ」

 

「どういう意味?」

 

「そのままの意味さ。なにも真正面から、しかも相手の得意分野で戦ってやることもないだろう。もっと小ずるく、小賢(こざか)しくいこう」

 

 砕次郎は、エリスの持っていた薄餅(バオビン)をヒョイと奪って自分の口に放り込んだ。

 

「あ……」

 

 抗議の目を向けるエリスを尻目に、砕次郎はゆうゆうと北京ダックを飲み込んで口もとをナプキンでぬぐう。

 

「『堂々と』、『真正面から』、『名乗りをあげて』、僕らはそんな正義の味方じゃない。インパクトが必要なのは最初の宣戦布告だけ。あとはもう、敵が多い、というかほとんど敵しかいないんだし、効率的にやらなきゃね。今回はその効率的な襲撃の練習。そういう意味の『経験値稼ぎ』だよ」

 

「で……具体的にどうするの?」

 

「順番に説明してくよ。金虎(ジンフー)の主な弱点は二つ。一つは稼働時間の短さだ。持久戦になりえないってのは大きいね。エリスもそっちのほうがやりやすいだろ?」

 

 エリスがこくん、とうなずく。

 

「で、もう一つの弱点。金虎(ジンフー)は格闘戦しかできない」

 

「……知ってる」

 

「まあこの前話したからね。けどこれはかなりのアドバンテージだ」

 

「でも射撃も虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)で防がれる。鸞翼(ルァンイー)みたいに」

 

「そう。なまはんかな射撃は全部弾かれる。その間に急接近されて一撃、終了だ。でも逆に考えれば攻略は実に簡単。()()()()()()()()()射撃を()()()()()()()()行えばいい。」

 

「……じゃあ『シンデレラ』?」

 

「正解だ。今回の襲撃作戦には『スノウホワイト』より『シンデレラグレイ』のほうが向いてる。そんじゃ、もうちょい具体的に――」

 

 と、唐突に砕次郎が言葉を切った。

 

「砕次郎?」

 

 エリスが首をかしげたのとほぼ同時に

 

「ハイ、おまたせねー。お肉もってきたよ」

 

 奥から店主が皿を3つ持って戻ってきた。

 話はまた後で、と砕次郎が目くばせする。エリスは無言で小さくうなずいた。

 

「こっちはナッツと一緒に甘ぁく炒めた腰果鴨丁(ヤオグォヤ―ディン)。こっちは香味野菜とアヒルの串焼きね。それからこれ、ワタシの得意料理、八宝菜(パーパオツァイ)。わざわざ来てくれたからサービスだよ。お客さんいい食べっぷりだからうれしいねー」

 

 最初の皿がほとんど空なのを見て気を良くしたのだろう。店主はにこにこ顔で料理の説明をしながら新しい皿を並べていく。

 だがそんな店主とは対照的に、砕次郎の顔は微妙に青ざめていた。

 どの皿も盛りが()()()()のだ。とくに最後の八宝菜など山盛りで、たとえ空腹時でもとうてい二人で食べきれる量とは思えない。

 

「あ、ありがたいけど食べきれるかな……」

 

「あー、いいのいいの無理に全部食べなくても。これはもうワタシの歓迎の気持ちだからねー。中国じゃ食べきれない料理は特別な歓迎の気持ち。残さず食べられると足りなかったかと心配になるね」

 

「ああ、そういうことなら安心だ。そこそこお腹もふくれてきたとこだったし」

 

 砕次郎はほっとした様子で串焼きに手を伸ばす。向かいのエリスはというとすでに八宝菜を自分の器によそっている最中だった。

 そんなエリスを見ながら、店主がぽつりとつぶやいた。

 

「これもねー、親切心で言うんだけど。お客さん、もうちょっとじょうずに()()()()()()()()()()()()()()

 

 その瞬間――

 

 エリスが椅子を蹴り倒し、目にもとまらぬ速さで串をその首めがけ突き出した。

 

「エリス!!」

 

 一拍遅れて砕次郎が制止の声をかけた。直後に倒れたイスが床を打つ音が響く。

 

 ――手遅れか!?

 

 だが、串は店主の首に届いてはいなかった。エリスが止めたのではない。突き出された串を、店主が()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 いっきに張りつめた店内の空気。

 一呼吸おいて、砕次郎が冷や汗を浮かべながら静かに口を開いた。

 

「確認だけど、おじさんは今、僕らの敵かい? 声は抑えてたつもりだったけど、僕らの会話聞こえてた?」

 

 その言葉に店主はため息をつく。

 

「敵でもないし、会話も聞いてないね。さっきも言ったけど親切心だよ。お客さんが何なのか知らないけど、敵ならとっくに殺すか仲間呼ぶかしてるね」

 

 店主をじっと見つめる砕次郎。その間もエリスは串に込める力をゆるめない。

 

「……オッケー、ほんとっぽいな。エリス座って」

 

「でも砕次郎」

 

「嘘ならわかる。大丈夫だ。ほら座って」

 

 砕次郎の方をちらりと見た後、エリスはゆっくりと串を下げた。そして倒れていた椅子を起こして座りなおす。だがその鋭い視線を店主から外そうとはしない。

 まだ緊張はあるものの、なんとか場がおさまったことに安堵(あんど)して、砕次郎は深く息をついた。

 

「はぁ、まったくびっくりさせないでくれ。心臓に悪いって」

 

「びっくりしたのこっちね! そりゃ誤解させたのは謝るけど、ちょっと手が早すぎるよ。あれ、ワタシじゃなかったら致命傷だったかもよ」

 

「僕もやりすぎかと思うけど、しょうがないだろ。こっちもけっこう綱渡りなんだ。……で? おじさん何者なの」

 

「何者もなにも、ただの料理人だよ」

 

 あっけらかんと言う店主をエリスがにらみつける。さっきの動きはどう考えてもただの料理屋のものではなかった。

 突き刺さる視線に店主が肩をすくめる。

 

「そんな怖い顔しないでよ。多少は心得があるってだけね。それなりの腕っぷしがないとこんなところで店なんかできないよ」

 

「嘘じゃなさそうだ。それじゃ、次の質問。僕らが一般人じゃないってなんでわかったの?」

 

「そっちのお嬢さんね。殺気がすごいのよ。なに話してたかはわかんないけど、ときどき厨房でもわかるくらいにピリピリしてたよ。こんな裏の裏で商売してると、そういうのすごく敏感になるね」

 

 それを聞いて砕次郎は大きなため息をついた。

 

 ――まいったなあ。エリスの悪いクセだ。わかる人にはバレバレってことか

 

「わかったよ。ご忠告ありがとう。それとさっきは悪かったね」

 

 敵意なしと判断して肩の力を抜く砕次郎。それを見てエリスもようやく警戒を解く。

 

「いいのいいの。ワタシもごめんよ。……で、こんな空気になっちゃったけど、どうする? 食事つづける? もう帰る?」

 

「エリス次第かな。どうする?」

 

「食べてく。……これおいしそうだから」

 

 さっきの緊張からは考えられないのんきな発言に、砕次郎はくくっと笑いをこぼした。

 

「だそうで。八宝菜ごちそうになるよ」

 

「そりゃいいねー。せっかく作ったのに食べてもらえないかと心配だったよ」

 

「念のため聞くけど、変な薬入ってないよね?」

 

「当たり前ね! 料理は人を幸せにするものだから。ワタシのプライドだよ!」

 

 嘘ではない。それを確認して、砕次郎は「ごめん」と笑うのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「言わなくてもわかってくれてるだろうけど、僕らのことは他言無用で頼むよ」

 

「心配しなくても大丈夫ね。お客のことぺらぺら言いふらすような店はここじゃやってけないよ」

 

 料金を払いながら釘を刺す砕次郎に、店主は笑いながら答えた。

 場所が場所だけに、やはり裏社会の客も多いのだろう。そしておそらく、『やってけない』というのは『長生きできない』と同義なのだろう。

 

「そういうことなら安心だ。この店を選んだのはやっぱり正解だったな。エリスもなんだかんだ喜んでたし」

 

 砕次郎は微笑みながら、店の外で満足そうに伸びをするエリスに目をやる。

 だが店主の方はあきれ顔だった。

 

「あのお嬢さんすごいねー。まさか完食されるとは思わなかったよ……」

 

「ハッハァ、ほんとにあの細身のどこに入っていくんだろ。毎度毎度おどろかされるよ」

 

 けっきょくあの後、砕次郎は味見程度にしか料理を食べなかった。すなわちほとんどの料理はエリスが一人で食べたのである。

 13個の北京ダック包みも含めれば、おそらく5、6人前は食べているだろう。

 最後の一口の後、平然と「ごちそうさま」と言い放ったエリスを見て、店主もおもわず拍手をしてしまったほどだ。その光景を思い出し、砕次郎は苦笑いする。

 

「それじゃ、失礼するよ」

 

「ありがとねー。またの来店お待ちしてるよ」

 

「ああ、機会があればまた寄らせてもらうよ。エリス、行こう」

 

「ん……さよなら」

 

 腹ごしらえと作戦会議を終え、二人は店を後にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――おもしろい客だったな

 

 去っていく二人を見ながら、店主は笑っていた。

 と、そんな彼にいきなり後ろから声がかかる。

 

「このへんじゃ見慣れねえ二人組だな。なにもんだ?」

 

 振り返った先にいたのは初老の男だった。

 黒いスーツにソフトハットをかぶり、丸型のサングラスで目元を隠している。後ろにいる屈強な二人はボディーガードだろう。

 いかにも『裏』の、それも高い地位の男だ。

 

「おや懐かしい顔だな。どうしたんだ、急に訪ねてきて」

 

「けっ、飯屋に来るのに理由が必要かよ。久々におめえの八宝菜が食いたくなったんだ。で、あいつらは?」

 

「ただの観光客だよ。うまい店を探してて迷い込んだらしい」

 

「ああん? 命知らずなやつだな。だがまあ運はいい。よりによっておめえの店にたどり着くんだからな。外見は最悪だが味は最高だ」

 

「お褒めの言葉どうも。入りなよ。飯食いに来たんだろ」

 

 店主は扉を開け客を招き入れる。そして二人の去っていった方を見ながらつぶやくのだった。

 

「じゃあね、お二人さん。願わくば、その険しい道に幸多からんことを」

 

 二人のテロリストとただの料理人との、他愛ない、昼下がりの出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「殺気(サイン)

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