黄前久美子、最後の夏   作:ろっくLWK

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プロローグ

「続きまして、結果発表に移ります」

 その言葉に場内のざわめきは収まり、ぴんと張り詰めた静寂が降りる。

「では一番、」

 一つ一つ、学校の名と賞とが読み上げられ、その度に歓声やため息があちこちから漏れた。

 久美子(くみこ)はその間ずっと両手を握り顔を伏せ、ただひたすらに祈り続けている。

 何に祈っているのか、それは久美子にもわかっていない。

 何を祈っているのか、それだけは明確だった。どうか金賞を獲れますように。ただそれだけを念じ続けていた。

 隣で同じ姿勢を取りながら震える息遣いをしているのは、麗奈(れいな)だ。彼女もまた一心に何かを念じ続けている。

「十二番」

 その言葉に、久美子達の周りの空気が一瞬にしてぞわりと固まる。

「神様っ」

 小さく呟いたのはきっと葉月(はづき)だろう。久美子の心臓は今にも張り裂けそうなほどぎゅうぎゅうと締め付けられていた。もうすぐ結果が出る。出てしまう。『北宇治高等学校』と読み上げられるその言葉が、やけに遅く響いて感じられる。

 どうか、金賞を、金賞を。

 久美子の、いや北宇治吹奏楽部全員のその願いは、

「銀賞」

 スピーカーから響いたそのたった一言で、呆気なく打ち砕かれてしまった。

 

 

 

 

 

 コンクールの会場である名古屋のホール前広場には既に、北宇治の一同が整列していた。

 そのどこにも笑顔は無い。みな目元を泣き腫らし、あるいは悔しさを滲ませ、しかし視線は毅然として部長である彼女のその一身に注いでいた。

「ええと、まず、今日までみんな本当にお疲れさまでした」

 そう言って、部長である(よし)(かわ)(ゆう)()は軽く一礼をした。

「今年こそは全国金賞を獲ろうと部員全員が一丸になって一生懸命頑張ってきましたが、結果は銀賞でした。正直とても悔しいです。もう一度コンクールがあるなら、やり直したいと思うくらい」

 優子の目元にもまだ乾ききらない涙が滲んでいる。それを見つけた久美子はやり場の無い思いに唇を固く結んだ。

「でも、後悔はしていません」

 優子はそうはっきりと口にすると、部員全員の顔を見渡した。

「皆この日のために全力でやり切ったと思います。そして未熟な私を始め三年生について来てくれて、全国の大舞台で自分達の出来る最高の演奏が出来ました。結果は銀賞だったけれど、私が北宇治に入ってからの三年間で一番、部全体が一つにまとまれた年だったと思っています」

「何それ、自画自賛ってやつ?」

 横から口を挟んだのは副部長の(なか)(がわ)(なつ)()だ。

「ああもう、せっかく最後の締めはキッチリやろうと思ってるんだから、あんたはしゃしゃり出て来ないでよ!」

 さっきまでの凛とした姿勢はどこへやら。優子がいつもの調子で声を荒げると、一様に暗い顔をしていた部員達からも僅かな苦笑が漏れてくる。

「とにかく、結果は銀賞でも今年は最高の一年だったと思っています。私からは以上ってことで、次は副部長。あんたも何か一言くらい言いなさいよ」

 水を向けられた夏紀は「げ」とあからさまに面倒臭そうな顔をした。そのまま優子に引っ張り出されるようにして部員達の前に立つと、

「えーっと、まあ、私は相変わらずこういう時に喋るのは向きじゃないけど」

 夏紀はばつが悪そうに頭をぼりぼりと掻き、それから部員たちへ真っすぐに向き直った。

「正直を言えば、悔しいって思いは私も部長と同じです。そしてそれはここにいる皆も感じてることだと思う。他の人からは全国来れただけでもすごいって言われるかも知れないけど、今年の私達は全国金賞を目標にここまでやって来たわけなんで、それが実現できなかったのはやっぱり悔しいです」

 そんな夏紀の真摯な面持ちに、久美子は昨年の彼女の姿を思い返す。

 一年前の春、まるでやる気のある素振りを見せなかった夏紀は、秋のコンクール終了と同時に副部長に就任してから目を見張るほど練習熱心になっていた。朝練から居残り練習までこなし、時には傘木希美や鎧塚みぞれとも一緒に特訓をし続け、自分の後輩である久美子にまで上達のコツを聞きに来ることもしばしばあった。その甲斐もあって見る見るうちに上達し、今年の春になる頃には立派に三年生として恥ずかしくない演奏ができるまでになり、オーディションでは遂に久美子と共にコンクールメンバーの座を勝ち取り、二人並んで全国大会までを戦い抜いてきたのだった。

 そこまでの姿を見て来た久美子だからこそ解る。夏紀の『悔しい』という言葉が、痛いくらい本気の言葉なのだということを。その悔しさは久美子にとっても我が身の事のように感じられた。

「けど、もうコンクールは終わってしまったので、この悔しさは晴らせません。だからこれからの事は新体制で動く二年生に任せます。プレッシャーかけるみたいで悪いけど、来年は必ず全国で金を獲って下さい」

「はい!」

 久美子達は夏紀に力強い返事をする。それを見て夏紀は「よし」と唇を緩ませ、

「それでは私からは以上ですが、最後に今ここで、新部長・副部長の指名をします」

 と高らかに宣言した。

「ええっ!?」

 部員達に動揺が走る。それについては部長の私から、と優子が前に出てきた。

「本来、北宇治の部長・副部長指名は三年生の仮引退が終わってから、新三年の会議で発表されるのが伝統でした。でも私と中川とで話し合って、今年はコンクールが終わったこの場で次のリーダーを指名しておこうという事になりました」

 部長指名。その一言を久美子はぼんやりと心の中で反芻していた。

 例年、部長指名を受けるのは概ね一年生の時に学年代表を務めた人になる。自分達の代でそれに該当するのは(つか)(もと)(しゅう)(いち)だ。正直、秀一はあまり部活のリーダーという人柄ではない気がするけれど、それなりに演奏技術も上昇志向もあるし周囲とのコミュニケーション能力もある。勉強に関しては中の上、いや中の中くらいなのだが、何より既に学年代表を一年間務め上げた実績があるのだから、ここは秀一が指名される事は間違いないだろう。

 では副部長は? 秀一がトロンボーンで金管だから、木管の(たき)(がわ)君あたりが選ばれるだろうか。いやでも、今年のように部長・副部長が両方とも金管から選出される例もある。そうなるともしかして麗奈? いやいや麗奈は演奏の腕や学力はともかく、部内で人をまとめる立場はちょっと難しいものがあるかも知れない。まして秀一とは水と油みたいなものだ。流石にこの線は無さそうである。

 逆に、周りをぐいぐい引っ張っていくのに向いていそうなのは葉月あたりか。いやちょっと待て、幾らなんでも秀一と彼女を組ませるのは流石に不味い。大体、二人の間の事情を知っている夏紀先輩がそんな指名をするとは思えない。すると緑輝(さふぁいあ)? いや彼女は確かにパワフルではあれど、正直言って大所帯の吹奏楽部をまとめていくのは合ってない気がする。と言うより、勢いで部員達を引っ張っていくというか果てしなく大暴走してしまいかねない。そんな人選を果たして優子先輩がするだろうか? じゃあ一体誰が副部長に……。

 そんな事を考えているうちに、夏紀の声が聞こえてきた。

「それでは発表します」

 優子と夏紀は珍しく顔を合わせて意味深な笑みを浮かべると、その視線を久美子へ向けた。

「えっ」

「次の新しい部長は、黄前久美子さんです!」


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