「避けなさい・・・・・・っ!」
叫びながら、眼前へと迫る大蛇の咢を転がって避ける。
その際、隣で今にも気絶しそうなチンピラも一緒に引きずるのを忘れない。
間一髪の所で外れた大蛇の牙は、私達がいたすぐ後ろの鉄柱へと食い込み、次の瞬間、いとも容易く咬み千切った。
その光景に二人揃って顔を青くするが、止まる事をはぐれ悪魔は許さない。
大蛇に唖然としながらも、本体らしき上半身から注意を逸らさなかったおかげで、はぐれ悪魔の下半身となる大蜘蛛がこちらに向けて口を開いたのを見逃さなかった。
咄嗟に真後ろへと跳ぶ。
同時に、大蜘蛛の口から吐き出された紫色の液体が、遅れて地面についた。
じゅぅぅぅぅぅぅっ!!
そんな嫌な音と共に液体に触れた地面から紫色の煙が噴き出し、思わず鼻を押さえてしまう程の異臭が建物内に立ち込める。
煙が収まった後、その光景に悲鳴が上がりそうになった。
(と、溶けてる!? まさか、溶解液まで!?)
あの液に触れた自分を想像し、ごくりと生唾を飲み込む。
あれはダメだ。まともに浴びれば、いくら堕天使の体でも一撃で終わる。
大蛇の咬み付き攻撃もまずい。あの顎の力であっという間に私の体を抉ってしまうだろう。
蛇に蜘蛛。動いたのは蜘蛛の方だ。再び口が開く。
「こんなの、聞いてないっー!?」
悲鳴を上げて、チンピラの襟首を引っ張ってその場から離脱する。
「ぐえっ」と潰れた声が聞こえたが、気にしている余裕はない。
縦横無尽に工場内を駆け巡りながら、連続で吐き出される溶解液と、その液攻撃の合間を縫って襲ってくる蛇の牙から逃げまくる。
堕天使の身体能力を存分に高めながらも、避けるのが精一杯だ。
工場の外に出たいが、はぐれ悪魔の巧みな攻撃のせいで出来そうにない。
ついでに足手まといもいる。
やばい、ピンチだ!
「ルビー! ねえ、ちょっと聞こえてるんでしょ!? いい加減に出てきてよ!」
逃げる最中も声を張り上げるが、カバンの中のルビーは応答しない。
本当に何やってるの? まさかまた意地悪とかじゃないでしょうね!?
いっその事、いまだに妙な根性を出して私のバッグを離さないチンピラの手からもぎ取って、中にいる相棒を引きずり出したい衝動に駆られるが、はぐれ悪魔がその時間をくれない。
どこかに身を隠せる場所がないかと、視線を走らせる。
長らく使われてなかったであろう工場内の物は少ない。
何本か鉄柱がある他には、床に散らばった錆びた工具に廃棄された何かの機械が五台。いくばかの間隔を開けて置いてある。
その中でも中央に置いてある一台に、血だまりがあった。
私のでもなく、このチンピラのでもない。
おそらくここにいたはずの、チンピラの仲間達の血だろう。
はぐれ悪魔がこの場にいた時点で、彼らがどうなったのかなんて想像するまでもない。
ギリッ! と歯を噛み締め、天井からこちら見下ろすはぐれ悪魔を睨み付ける。
あの位置が厄介だ。
高い天井を陣取るはぐれ悪魔から見て、工場内はほぼ見渡せると考えた方がいい。
機械の影に隠れても、その上から溶解液が降って来る。
鉄柱を盾にしたところで、私達二人分が隠れるほどの幅はないし、大蛇が迂回するか咬み千切って突進してくる。
(・・・・・・だったら、まずはあいつを落とさないと!)
安全な場所で、文字通り高見の見物を決め込んでいる怪物に一矢報いる。
そのためには足手まといが邪魔だ。
タイミングを計る。
大蛇の突進を避け、続く鞭のようにしならせた長い胴の攻撃を掻い潜り、視線の先で大蜘蛛の口が再び開かれる。ここだ!
一気に駆ける。目指すは鉄柱。
細長い柱が私達とはぐれ悪魔の間に来るように飛び込み、私達を追って口先を移動させた大蜘蛛の口から溶解液が噴き出した。
液が、盛大に鉄柱を溶かす。
同時に紫煙が発生した。
煙の壁が、私達とはぐれ悪魔を遮る。
時間にしてほんの僅かだ。
煙が晴れるまでに出来た隙を使って、全速力で駆け抜ける。
選んだのは一番遠い廃棄された一台の機械。そこに滑り込み、チンピラを強引に床へと伏せさせた。
いくら高い天井にいるといっても、完全に工場内を俯瞰出来るわけではない。
例えば、鉄の柱の裏は見えないし、今私達がしてるように機械にぴったりと張り付いて床に伏せれば、角度的にも私達が見えなくなるはずだ。
もちろん、時間の問題だけど。
(ここに隠れてて。絶対に動かないで!)
(・・・・・・っ? ・・・・・・っ!?)
(声を出さないで。あいつに見つかったら、今度こそ死ぬわよ!)
(・・・・・・!)
いまだに混乱するチンピラに小声で言い聞かせる。
口を押えられて暴れそうになったチンピラだったが、死というキーワードに反応したのかピタリと動くのをやめた。
(あなたはここから動かないで。あいつをどうにかするから、それまで隠れてなさい。いいわね?)
(・・・・・・っ!)
こくこくっ、と激しく上下するのを確認してチンピラから手を放す。
騒いだら殴ってでも黙らせるつもりだったけど、チンピラは口を固く閉ざして身動きもしない。ちょっと残念。
息を整え、近くに転がっていたレンチを拾い上げる。
ここからが本番だ。
押し寄せる不安と恐怖をどうにか抑えて、生き残る手段のみを模索する。
怖いと思う。
逃げたいと足が竦む。
そんな弱気な自分に叱咤をかけ、震えそうになる自分を誤魔化す。
目を閉じて、開けて。
息を吸って、走り出した。
「見ツケたァ! ――あァ?」
私達を見失っていたらしいはぐれ悪魔が歓喜の声をあげる。が、すぐにこちらが一人になっている事に気付いたのだろう。
はぐれ悪魔の目が、つい先ほどまで隠れていた機械へと向かい――、
――させないっ!
持っていたレンチを振りかぶる。
狙いは僅かに外れて、レンチは奴の頭のすぐ傍を通って天井へ当たり、そのまま甲高い音を立てて落ちる。だが、意識は再び私へと戻った。
怖い。
逃げたい。
私は平和主義なんだ。争いとは無縁の生活を送りたいんだ。
でも。
この場でアレに立ち向かえるのは私だけだ。
人殺しの怪物に勝負を挑めるのは、私しかいないんだ。
だったら、仕方がないじゃん!
私がやらなきゃ、また誰かがあいつに殺される!
拳を握れ。
戦意を燃やせ。
仇敵を討取れ!
ばさり、と羽音が鳴る。
視界の端には闇夜の翼が三枚。私の背中から生える。
堕天使の象徴たる黒き翼。
ただし、一対二枚であるはずの翼は私の右側には存在しない。
『片翼の堕天使』。あんまり好きじゃない、私の称号。
「私が、相手だ!!」
「カカカカカカカカッ!!」
私の叫びに、はぐれ悪魔の甲高い笑いが響く。嬉しそうに狂気を宿して。
大蛇と大蜘蛛の攻撃が再開する。
今までは遊びだと、今からが本番だと言うように、さっきよりも速く激しく私に向って降り注いでくる。
だけど、それを言うなら私もだ。
翼を広げ、堕天使の本性を露わにした私は、さっきまでの私じゃない。
こっちも本気の本気モードだ。
駆け抜ける。さっきまでとは比べ物にならない速さで加速する。
はぐれ悪魔の攻撃を置き去りにして、一気に化け物の真下へと足を踏み入れた。
同時に、詠唱を開始する。
「――
――消費光力、抽出
呼び掛けに、光の力が身の内から湧き出る。
――基本形状、構成
選ぶは槍。長く鋭い武器の姿。
――光力密度、補強
手の中で溢れた光を、私が望む形へと凝縮させていく。
――基本形状、固定
武器を。武器を。化け物を貫く一撃をこの手に。
「――
詠唱が終わる。
私の願いに応えて、光の槍が私の手の中に顕現した。
長さは一メートルほどで、重さはない。
鋭く尖った槍先は、どんな物でも貫いてくれそうだ。
いつ見ても、綺麗な光だと自賛する。
人には決して生み出せない、聖なる光。
だが、悪魔にとっては猛毒となる光。
「・・・・・・そこから、」
踏み込んだ足に力を込める。
胸を突き出して後ろに反り返り、肩から光槍を持つ手先へと力を伝達させる。
一息で、振りかぶった。
「降りなさぁぁぁぁぁぁいっ!!」
ブンッ! という音と共に、空気を切り裂いて光槍が疾走する。
狙うは、下半身の大蜘蛛。
今までの一方的な攻勢で油断していたのか、反応が遅れたはぐれ悪魔が自分に向かって飛来する光槍に気付くが遅過ぎる。出来たのは目を見開くぐらいだけだ。
光槍が蜘蛛の足の付け根へと刺さった。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!?」
「よしっ!」
突然の痛みに耐えられなかったのだろう。はぐれ悪魔が絶叫を上げながらバランスを崩し、そのまま天井から落下した。
ズンッと工場を揺らす衝撃と共に、真下にあった機械を巻き込んで激突する。
上手くいった。
今なら落下ダメージもあって、すぐに動けないはずだ。
このまま畳みかける!
「――
「う、うわぁあああああああああああああっ!?」
「――んなっ!?」
再び光槍を創造しようとした時、突然声が上がった。
思わず詠唱を中断して、振り返るととんでもない光景が目に入ってきた。
隠れていたはずのチンピラが、半狂乱になりながら出口に向かって走っていたのだ。
叫びながらも必死に出口へと駆ける姿には、もう敬意すら湧いてきそうになるが、あまりにタイミングが悪過ぎる。
「動くなって言ったのに、あのバカッ!?」
視界の端に、動くものを捉えた。
それが何かを確認する前に、地面を蹴る。
僅差だった。
私の蹴りがチンピラの背中にぶち当たるのが、大口を開けて飛び掛かった大蛇よりも半秒早く、チンピラの命を救った。
悔しそうにこちらを睨み付ける大蛇を睨み返しながら、床に転がって尚も匍匐前進でシャッターをを潜り、外へ逃げてくチンピラを確認する。
安堵のため息が出た。
あれだけしぶとければ、どこだって生きていけるだろう。
「・・・・・・って、私のバッグは置いていきなさぁーい!?」
「ぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!?」
この期に及んでまだバッグを離さないなんて、どんな根性してるのよ!?
それと、ルビーのことまた忘れてた!
さっきとかバッグを取り返せたじゃん。そうすればルビーの力を使って、さっさとはぐれ悪魔なんか倒せたのに・・・・・・ッ! ああ、もう! 私のバカバカ! 焦りで周りが見えなくなってる証拠だよ!
遠ざかる背中を見ながら、間抜けな自分を呪う。
こうなったら私もと、襲い掛かってきた大蛇を避け、出口に向かって駆け――、
突然、すごい勢いでシャッターが降りてきた。
慌ててブレーキをかけ、ぎりぎりでシャッターに挟まれるという悲惨な未来は回避出来たけど、どういうわけか全力で持ち上げようとしても開かない。
振り返ると、ニタリと笑うはぐれ悪魔。
――閉じ込められた!?
工場内という閉ざされた空間。
上という有利を失っても、まだここははぐれ悪魔の巣だ。
ピンチな事には変わりない。と、再びはぐれ悪魔が動いた。
「カカッ、カカカッ! ウゥリィイイイイイイイイイイイイイイッ!!」
「・・・・・・は?」
突然耳障りな奇声を発しながら、はぐれ悪魔は自身の両手を上に向って突き出した。
その直後に起こった目を疑う光景に、私は思わず耳を塞ぐ事も忘れて呆けてしまう。
人型だったはぐれ悪魔の上半身が変異し、目は複眼へと、口からは無数の牙を生やし、両腕は巨大な鎌へと変貌を遂げる。
その姿は、昆虫のカマキリによく似ていた。
大蛇、大蜘蛛、そしてカマキリ。
更なる異形へと変化したはぐれ悪魔を見て、ぽつりとこぼす。
「・・・・・・もう、お家帰りたい」
「カカカカカカカカカカカカカカカカカカッ!!」
今度は三者一斉に向かってくるのを見て、涙目になって叫んだ。
「ああ、もうっ、最っ低! ――
―○●○―
Said一誠
おっす、俺は兵藤一誠。両親や学校の友達はみんな俺のことをイッセーって呼んでる。
つい最近、中学三年生になったばかりの、ごく普通の青春を謳歌する少年だ。
ごめん、ちょっと嘘ついた。
実は地元では結構有名人だったりする。悪い意味で。
いや、別に不良とか警察のお世話になってるっていう意味じゃなく、ほら、クラスに一人はいるだろ? 女子のスカートを捲ったり、着替えを覗こうとするようなエロい奴。
それが俺だ。
ついでに中学からの友人でもある松田と元浜の二人と合わせて、エロ三人組なんて呼ばれてる。
実に不名誉だ。
この渾名のせいで、二年の時の修学旅行で女子風呂を覗いた犯人だと迷わず捕まり、朝まで説教される事になったんだ。
まったく、俺は踏み台になってただけで、まだ覗いてなかったのに!
先に覗いてた二人が見つからなければ、次は俺の番だったのに!
・・・・・・ごめんなさい。覗こうとしてました。
おかげで、三年になってからも女子には冷たい目で見られてる。
学年が変わってクラスも変わったから、一応無視されるって事はなくなったけど、それでも女子と触れ合えないのは悲しい!
いつまでも男三人でつるむのは嫌だ! 彼女が欲しい!
そんな血涙を流す日々だったが、転機が訪れた。
なんと松田がそんな俺を見かねて、とんでもない情報をくれたんだ。
世界が変わるって、たぶんこういうことだって確信したね。
それくらい、すごい情報だった。
学生の俺には絶対に手が届かないと思ってた。
話には聞いていたけど、一度も見た事がないから都市伝説かもとまで思ってた。
数多の彼女のいない寂しい男共を魅了し、虜にしてきた夢のアイテム。
――そう、エロゲ―だ!!
18歳未満では、絶対にお店が売ってくれない。
そんな常識を覆すお店が、秋葉原にあるんだと!
夢のような話だった。
最初は俺をからかうための嘘だって、実際に松田の家にある実物を見るまで信じられなかった。
でも、今は違う。
俺にエロゲ―を売ってくれるお店が、秋葉原にはある!
そうわかった時、もう行動に移ってた。
最寄りの電気店で最新のパソコンを購入し、一応念のために変装用の道具と新しい服も買った。この時点で貯金が半分くらい無くなったけど必要経費だ。
作戦決行は、ゴールデンウィーク初日。
この日のために更に削った貯金でエロゲ―を二、三本・・・・・・いや、四本買ってやる! それで休みが終わるまで堪能しまくるんだ!
そう意気込んで秋葉原についた俺は、さっそく松田が書いてくれた地図を片手にお店に向った。
途中、変なチラシ配りの人から『あなたの願いを叶えます!』って魔法陣の描かれた怪しげなチラシを貰ったけど、そんなのすぐに捨てたね。
今俺が叶えたい願いは、エロゲ―なんだ!
夢はもうすぐそこまで来てるんだ!
走り出したい衝動に駆られたが、あまり目立ちたくないからやめる。
せっかく変装したのに、変な注目を集めたら嫌だからな。
万が一を考えて警察官や補導員の人がいないか、きょろきょろと周りを注意しながら進む。
だから、その光景を見つけたのは本当に偶然だった。
びっくりした。だって、すごい可愛い女の子がいたんだもん。
腰まである長い黒髪。整った幼い顔立ち。学校でも見かけないレベルの美少女だ。しかも、黒いチャイナ服を着てる!
思わず足を止めちゃったよ。
さすが秋葉原だ! と叫びそうになった。
その女の子は何やら困った様子だった。
女の子の近くには今にも泣きそうな幼女とお母さんだろう大人の女性がいて、二人して幼女をあやしているようだ。
と、いきなり幼女が泣き出した。
同時に、幼女が女の子のスカートを引っ張り出した!
「おおっ!」
つい歓声が出た。ぐっと手も握った。
だって、幼女がスカートを掴んだおかげで、彼女の穿いてるスカートが捲れそうになったのだから。
深いスリットが広がって、その中身を、白く綺麗な足から太ももまで露わになっている。あと少しで、パ、パンツが見えそうで・・・・・・っ!
がんばれ! がんばれ! 幼女ちゃん頑張れ! と心の中で声援を送る。
幼女万歳! チャイナ服万歳! アキバ万歳!
でも、残念ながらパンツは見えなかった。
ぎりぎりの所で幼女が泣き止んでしまったからだ。惜しい!
だが、まあ、満足だ。
これが、秋葉原か・・・・・・。嬉し涙が出た。
これは幸先が良い。
まさかこんなラッキースケベに遭遇するとは、何たる幸運。
素晴らしい光景を見せてくれた二人に、感謝したい。
そんな感動に打ち震えている時だった。
俺は、見た。
借り上げた髪を金髪に染めたチンピラ風の鼻ピアスの男が、速足で女の子の背後へと近づいてく。そして、彼女の足元に置いてあったバッグを取って走り出した。
まさか、泥棒? 嘘だろ?
何が起こったかわからなかった。女の子も不思議そうにしてる。
というか、バッグが無くなったのに気づいてない。
気づけば叫んでた。
「泥棒だああああああああああああああああああぁっ!!?」
みんな驚いた表情で俺を見る。あの子もだ。
犯人は反対の方向へ逃げてるのに、まだ気づかない。くそっ!
「ねえ、そこの君っ! そこの黒いチャイナ服の子っ!!」
「ひっ!?」
全力で走り寄って、声をかけると女の子は明らかに怯えた目で俺を見る。
ちょっと傷ついた。
でも、気にしてる時間はない。
「ば、バッグ。バッグ、盗られてるっ!!」
「ふぇ?」
何言ってるの? って顔をされた。
そんな顔も可愛いって、今はそんな場合じゃないんだって!
早く教えてあげないと!
だけど、俺よりも先に幼女が事実を告げてくれた。
「おねえちゃん、バッグなくなっちゃったよ?」
「え?」
「あのね、男の人がおねえちゃんのバッグを持ってちゃった」
「・・・・・・え?」
その言葉に、ようやく自分のカバンを盗まれた事に気づく。
ナイス幼女!
しかし、何故か女の子は動かない。
遠くに逃げる犯人を見て、呆然として動かない。
フ、フリーズしてるのか!?
慌ててまた声をかけようとして――、
「あ、あ・・・・・・、」
「は、早く追いかけ」
「わああああああああああああああああああああああああああああっ!!??」
突然叫び声に、度肝を抜かれた。
その間に、女の子が消えた。
いや、違う。走り出したのだ。しかも、めちゃくちゃ速い!
「・・・・・・ちょっ、待って! って速っ!?」
あっという間に遠ざかる背中に呼び掛けるも、聞こえてないようだ。
俺も遅れて二人を追いかける。
何で俺まで走ってるんだろう? なんて疑問が浮かんだが、走り出した足は止まらない。
ぐんぐんと距離を縮める彼女の姿に、すげぇと思ったけど、同時に不安も生まれた。
あの子が犯人に追い付いたら、どうなる? 犯人は素直にバッグを返してくれるのか?
思い出すのは犯人の姿。恐い顔つきで体も大きかった。喧嘩とかすごく強そうだ。やばい。
美少女が危ない!
そう思って、もう結構離れてしまった二人を懸命に追いかける。
でも追いつけない! しかも、なんか息苦しいって、マスク付けたままだった!
そんなバカな事をやっている内に、二人が街角を曲がった。
まずい、このままだと見失う!
必死に走った。それはもう、体育の時だってこんなに全力で走った事はないくらいに。
角を曲がって、居た。あの子だ! でも何で道の真ん中で蹲ってるんだ?
まさか、あいつに何かされたのか?
慌てて駆け寄って、気づく。
もしかして、泣いてる? やっぱり何かされたのか!?
「えっと、大丈夫か?」
あまり驚かさないように声をかける。
女の子が振り返った。目に涙を浮かべている。今にも泣き出しそうだ。
こ、こういう時はどうすればいいんだ? 女の子の泣き止ませ方なんてしらないぞ?
周りの人達は遠目に見てるだけで、助けてくれそうにない。むしろ関わり合いになりたくないと、目を背けている。
薄情なと思うが、仕方ない。
いい方法なんて思い浮かばないけど、と、とりあえず笑顔だ!
「怪我はないか? よかった。それなら、あー、立てるか? とりあえずここから動かないと。っていうか、あいつどこいった?」
なるべく安心させてあげたい。
でも、俺ってクラスの女子にだってまともに相手にされた事ないんだもん。
気の利いた事なんて一つも言えなかった。すげー悔しい。
案の定、女の子は泣き出してしまった。
周りの視線が集まる。なんか、俺が悪者にでもなった気分だ。
じろじろと見るな。っていうか手ぐらい貸せよ。愚痴りながら、女の子を連れて逃げるようにそこから離れる。
その際、女の子の手を握って引張って上げる事になったんだけど、あれだ。女の子の手って、すげー柔らかいんだな! いかん、ドキドキしてきた。
俺の煩悩が、恨めしいぜ。
それから女の子が泣き止むまでちょっとかかったんだけど、そのあと変な事になった。
気づけば、俺は女の子と近くのファミレスに入っていた。
何でこんなことになったのか、よくわからない。
初めは盗難被害を出そうと警察に行こうとしたんだけど、女の子が嫌がったんだ。
理由は話してくれなかったけど、まあいいや。
泣き止んでくれたし。
というか、それはどうでもいい。
今大事なのは、俺が、彼女居ない歴年齢のこの俺が! こんな可愛い女の子と二人で同じ席に着いてるって事だ!
不謹慎だけど、舞い上がったね。
だって、生まれて初めてだもん! 小学校の時だって女子共に拒否されて、給食の時間はいつも隣は男子だった。あの頃の苦渋は、きっと今日のためだったに違いない。
松田と元浜が聞いたら、血の涙を流すだろうな。
この時、俺は浮かれていた。
目の前には可愛い女の子がいて、ファミレスに入ってからも俯いて碌に目も合わせてくれなかった彼女が、段々俺と会話をしてくれて、心を開いてくれたようで嬉しかった。
それから、俺はもう絶好調。
調子に乗って、彼女のバッグ探しの手伝いを申し出た。
困ってる女の子がいたら、それもとびきりの美少女だったら、男ならカッコイイところを見せたくなるだろ? 彼女が自分より年下だったら尚更助けたいって思うはずだ。
俺に任せとけ!
そう口が勝手に動く動く。普段言わないような少年漫画の主人公のような台詞が出て、信じられない事に、俺は彼女の信頼を勝ち取ってしまったらしい。
出会ってから初めて、女の子が笑ってくれたんだ。
「――ありがとう」
その笑顔に、俺は目を奪われた。
だってめちゃくちゃ可愛かったんだ。嬉しそうに、安心したように笑う彼女が天使に見えた。
やばいって。今のは反則だって。
テンションが一気に上がった。でも、俺の内心を知られたら引かれるかもと思って、頑張って隠した。
なのに、まだご褒美があった。
衛宮・E・ミウナ。
それが彼女の名前だ。そうなんだよ。名前を教えてくれたんだ。外国人だ!
しかも、握手まで!!
やっぱり柔らかい。それに手が小さい! 一日に二度も手を繋げるなんて夢じゃないよな!?
気分は有頂天だった。それも人生最高クラスの。
こうなったら俺の名前も知ってほしい。
別れた後でもふと思い出して、この秋葉原に来る度に俺の事をつい探してしまうくらい、俺の名前を彼女の記憶に刻んでほしい!
だから、俺は意気揚々と名乗った。
「俺は兵藤一誠。仲の良い奴はイッセーって呼ぶから、ミウナもそう呼んでくれよな!」
うわー、ミウナってファーストネームで呼んじゃったよ!
まあ、これくらいいいよな。これから一緒に困難に立ち向かうパートナーになるわけだし。
そして、ミウナは――、
「あの、ごめんね。その・・・・・・名前なんだけど、ちょっと聞き取れなくて。・・・・・・あ、良ければもう一回教えて、くれないかな?」
・・・・・・え? あれ?
思ってたのと反応が違う。
上手くいけばまた笑顔を見せてくれると思ったのに、逆に困惑と、何でか怯えているように見える。
いや、気のせいだよな? 彼女の言う通り、ただ聞き取れなかっただけだよな?
そう自分に言い聞かせ、湧き上がる嫌な予感を振り切って答える。
でも――、
「俺は兵藤一誠って言うんだ。イッセーでいいぜ、よろしくなミウナ!」
「・・・・・・」
「ミウナ・・・・・・?」
ミウナが目に見えて挙動不審になる。
額から汗が吹き出し、がくがくと震えて、顔色に至っては真っ青だ。
なんだよ? どうしちゃったんだよ!?
聞きたかった。心配して声をかけた。なのに――、
――なんでそんな目で、俺を見るんだ?
恐怖。
ただそれだけが、彼女の目に浮かぶ感情だった。
絶叫が、鳴り響く。
それが彼女の上げた悲鳴だと気づくまでの間に、ミウナは姿を消していた。
何が起こったかなんて、わからない。
気づいた時にはミウナはどこにもいなくて、俺はいつの間にか歩道を歩いていた。
「・・・・・・あれ? ここどこだ?」
辺りを見渡すが、知らない場所だ。
俺ってさっきまでファミレスにいたよな?
え? まさか、夢? 今までのは本当に夢だったのか?
ミウナの事も、窃盗事件も全部幻で、俺の妄想だったのか?
それだったら、笑える。
というか俺がやばい。俺の妄想がついに現実との区別がつかなくなたって事だ。
うん。それはさすがにやばいというか、危ない奴じゃん。
松田と元浜にでも知れたら、からかわれるどころか病院を呼ばれるレベルだ。洒落にならん。
「夢、か。・・・・・・まあ、いくら何でも都合良過ぎるもんな」
町で偶然見つけた美少女が事件に巻き込まれ、現場に居合わせた俺が彼女を助ける。
ファミレスで弱った美少女を俺が介抱し、それがきっかけで美少女は助けてくれた俺に恋心を芽生えさせるのであった! ・・・・・・なーんて。
普通に考えて、ないな。
どう考えても、俺が美少女とお茶なんて奇跡でも起きない限り無理に決まってるし。
くそっ! 考えただけで悲しくなるぜ。
「って、そうだ! 俺エロゲーを買いに来たんじゃん!」
やべっ、忘れてた。
腕時計を見る。げっ、もうお昼を過ぎてる!
せっかく休みを全部使って堪能し尽す予定だったのに、すごいロスだ。
えーと、松田のくれた地図ってどこだっけ?
確かポケットに・・・・・・、あった! って、ん? これじゃないぞ?
俺の手には、くしゃくしゃになった見覚えのない白い紙。
よく見ると、裏面に何か書いてある。裏返してみる。
「・・・・・・これって!」
それはレシートだった。
――コーラ 130円
――カルピス 140円
震えそうになる手を押さえて、何度も読み返す。
これって、そういう事だよな。
「・・・・・・そうだよな。あんなリアルな夢、あるわけないもんな。全部本当の事だったんだよな」
夢でも幻でも俺の妄想でもない。
事件は起こったし、美少女との出会いもあった。俺に惚れてくれたかはともかく、あの天使のような笑顔も、何もかもが現実なんだって。
あの子は、俺の生み出した幻想じゃないって。
「ミウナ、なんでっ・・・・・・!」
知ってたよ。そうだよ、現実逃避してたよ。
俺は彼女に逃げられたんだ。ショックでふらふらと歩いてたんだ。
なんで逃げたんだ? 原因はなんだ?
名前を教えた途端、彼女は怯えた目で見てきた。あれが全てを物語ってる。
彼女はきっと俺の事を知ってたんだ。
そうじゃなかったらおかしいだろ? だって、俺まだ何もしてないじゃん。
気遣いだって俺なりに精一杯やったし、ミウナが元気を取り戻せるように努力もした。
ちょっと前まで、良い雰囲気だったんだ。
なのに、俺が名乗った。それだけでミウナは俺を恐がってた。
何でだ? いや、考えなくてもわかる。
あれだよな。俺の悪い評判。エロ魔人イッセー。
たぶん、ミウナは俺の噂をどこかで聞いて知ってたんだ。でも、顔まで知らなくて、自己紹介した時に気付いた、と。
そう考えるのが、一番自然なんだよな。
・・・・・・なんだ。俺が悪いんじゃん。
俺が今までしてきたバカな事が、今になって返ってきただけなんだ。
というか、今どれだけ広まってるんだよ、俺の悪評は?
地元だけかと思ったけど、もしかして県外まで!?
あーあ。俺ってバカだな。せっかくのチャンスを不意にするなんて。
いや、やめよう。もう終わった事だ。
ミウナは俺から逃げた。俺は振られた。それだけだ。
ああ、もうっ! 俺のバカバカバカッ!!
ええい! こうなったら全部忘れてやる! この悔しさは全部エロゲーにぶつけてやる!
買う数も五本に増やすぞ。それでゴールデンウィーク中は寝ないでぶっ通しでやりまくるからな。待ってろよ、まだ見ぬ俺の嫁たち!!
そして、傷心中の俺を慰めてください!!
よし、落ち着いた。
終わった事をいつまでもくよくよしてるなんて、俺らしくない。
だから、これでいい。
・・・・・・でも、・・・・・・でも。
ちらりとまだ手の中にあるレシートを見る。
これが唯一残った、ミウナがいた証だ。
「・・・・・・ミウナの奴、また泣いてないよな?」
思い浮かぶのは、彼女の泣き顔。
路上の真ん中で、誰からも助けて貰えず蹲って震える彼女の姿。
あの時、助けを求められた気がした。
ミウナが、手を差し伸ばしてほしいと。彼女の手を取った時、離さないでと。
小さな子供が泣くように。
また迷う。
本当に終わっていいのか?
あの子は俺から逃げたんだぞ?。
俺ってここにエロゲーを買いに来たんだぞ?
逃げた女の子より、これからの女の子だろ?
そう、俺は今日、エロゲーを買いに来たんだ。
だったら、迷う必要なんてないじゃん。
ごめんな、ミウナ。
近くにあったゴミ箱に、丸めた紙屑を放り投げた。
もう必要ない物だ。いつまでも持ってたって、未練が残る。
振り返らずに、俺は目的地に向けて走り出した。
歩いて来た道を、引き返す。
「ああ、そうだよな。仕方ないよなっ、出会っちまったんだから!」
泣いた顔も笑った顔も、交わした言葉も握った手の柔らかさも、そんな簡単に忘れられるかよ!
逃げた三次元か、まだ見ぬ二次元だったら、当然生身の女の子だろっ!
「泣いてる美少女がいるのに、エロゲーなんて出来るかっ!!」
ごめんミウナ、エロゲーなんかと比べて。
すまん松田、地図はまた今度描いてくれ!
目指すはファミレス。このレシートのお店だ。
程なくして着く。そして気づく。
「・・・・・・ミウナはどこだ?」
そうだよ、あの子どこいったんだ!?
俺のバカ。見てないんだからわかるはずないだろ! 早く気づけよ!!
せっかく戻ってきたのに、手掛かりなしとか間抜け過ぎるだろ。
な、何かないか?
ミウナがどこ行ったか見てる人とか、・・・・・・そうだ!
思い付き、ファミレスの中へと突撃する。
「いらっしゃいま――、きゃあっ!」
「あ、あの!――ぶはっ!?」
目についた店員のお姉さんに詰め寄ったら、ビンタされた! 聞きたい事があっただけなのに!
「あっ、す、すいません!」
「い、いや良いんですけど。そ、それより、俺の顔に見覚えありませんか!?」
「え? ナンパ?」
「違げえよっ! あー、ほら、さっき俺、あそこの机で女の子と一緒にジューズ飲んでたんですけど。それで、女の子が突然叫んでお店を出てって、それで」
「ああ、あの時の屑男でしたか。このゴミ」
ええ!? いきなりゴミ呼ばわりされた!
しかも、周りの店員さんからすごい冷たい目で見られてる!
で、でも気にしてる場合じゃないんだよ今は。
「お、俺、あの子を探してるんです! お店を出てった後にどっちに行ったか見てませんか?」
「「「・・・・・・」」」
反応が返ってこない。
もしかして、俺ってすごい嫌われてる? 女の子を泣かした屑男って見られてる!?
そんな男なんて、知ってても俺なら教えたくない。
だけど、それは困る。
「お願いします! 俺、どうしてもあの子にもう一度会わなくちゃいけないんです! 会ってちゃんと話がしたいんです! それで謝りたい。また怖がらせて泣かせちゃった事を、俺はちゃんとミウナの顔を見て謝りたいんだ! だから、どうかお願いしますっ!!」
腰を深く曲げって、頭を下げた。
一秒、二秒、三秒して、声が聞こえた。
「あの子なら、お店を出て右に行きましたよ」
「ほ、本当ですか!?」
顔を上げると、店員さんの一人が気まずそうに教えてくれた。
そうか右か。俺と逆方向に行ってたんだな。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「あ、いえ、いいんで早く行ってください。お店の邪魔です」
「はい、すいませんでした!」
店を出る。
見渡すのは、広い街並み。
この中のどこかにミウナがいる。向かった方向がわかっただけでも充分だ。
走る。なんか今日は走ってばかりだけど、まだ大丈夫。
中学男子の体力舐めるな!
伊達に何年も、バカやる度におっかない教師共に追いかけ回されとらんわい!
町をかけながら、あの綺麗な黒髪と黒いチャイナ服の姿を探す。が、やっぱり簡単には見つからない。
まさかもうどっかに行っちゃったとか? いや、その前提はなしだ。
でも、どうしよう。あとはもう運に頼るしかないぞ?
今日はたぶん、それなりに運がいい日のはずだ。
エロゲーを買えなかったけど、代わりに美少女と知り合えた。これは運命だ。
だから、赤い線とかがあったら、きっと俺はミウナに再び出会えるはずだよたぶん!
そう例えば、前の路地から急に彼女が飛び出して来て――、
『きゃっ!?』
『おっと大丈夫かい? って、ミウナじゃないか!』
『え? イッセー? うそ、どうしてここに?』
『そんなの決まってるだろ。お前を追ってきたのさ』
『逃げた私を追ってきてくれたの? 嬉しい大好きっ!』
――なんて展開にはならないかな!?
そんな妄想をしている俺に、前の路地から飛び出してくる影が!
う、嘘だろ。まさか妄想が現実に!?
俺はいつでもバッチコーイだ!!
衝突コースを修正し、なんとか彼女が俺の胸に飛び込んでくるような角度へと変える。
さあ、飛び込んでおいで! って、あれ? なんかでかくね?
ゴスッ。
鈍い音がした。俺の視界には一杯に広がる逞しい胸筋の姿が――っ!
「ぐああっ、男ぉ――?」
「ぬおおっ!?」
二人して転がる。
ひぃっ、美少女じゃなくて男が飛び込んできた!?
しかも、なんか汗でびしょびしょじゃん! 嬉しくねえよ、しっかりしろよラブコメの神様ァ!!
いや、そんな事より謝らないと。さすがに今のは俺が悪いからな。
振り返って、気づく。こ、こいつっ、この見覚えのある借り上げた金髪はもしかして!
男の手には、記憶にあるミウナのバッグ。間違いない、犯人だ!
「うおおおっ、確保ーっ!!」
「ひぃいいいいいいいいいいい!?」
まさかのミラクルに飛びつく。
こんな奇跡見たいな出会い、逃してたまるか! 嬉しくないけどな!
「この暴れんな! つか、そのバッグ返せよ。それはミウナのだろ!?」
「うぎゃああっ、ば、ばけもっ、ばけっ! 逃げ、逃げ逃げ、と、殺され、ひぃあああああっ!?」
な、なんだこいつ? 正気を失ったみたいに暴れまわるぞ!?
まるで一刻も早くその場から離れたい、とでも男の姿に、薄気味悪いものを感じる。
よくわからないけど、逃がすつもりはねぇ。
「いい加減、そのバッグを離せっ! ・・・・・・あっ」
「ひぃっ――!?」
つるっと、手が滑った。そのまま掴んでいたバッグを離してしまい、突然力が無くなったことで男はのけ反るように後ろへ倒れる。
ゴンッ。すごく痛そうな音だ。
後ろにあった電柱に頭をぶつけたようだけど、生きてるか?
うーむ、ぴくぴくと動いてるから大丈夫だろ。気絶はしてるけど。
「えーと、・・・・・・とりあえず、バッグゲットだぜ!」
こんなところで目的のバッグを取り返せるとは。これも日頃の行いが良いせいだな。
それにきっと、ミウナも喜んでくれる。仲直りだって上手くいきそうだ。
その肝心なミウナはいないんだけど。
男が出てきた路地を見る。建物の間にある、狭く薄暗い路地が奥まで続いている。
まさか、この奥にいたりしないよな?
半狂乱になっていた男を見て、ごくりと唾を飲み込む。
い、いや、まさかだろ? あの子がここに入っていった?
でも、こいつの様子も普通じゃなかったし、ど、どうしよう。
なんかすごく怖いんだけど。
・・・・・・べ、別のもう少し明るい場所を探してみようかな?
そんな弱気を考えた時だった。
手が震えた。
こ、今度はなんだ! って、ミウナのバッグ? 突然動き出したぞ!?
中で何かが動いてるようだけど、なんか生き物でも入ってるのか? 思わずバッグから手を放って地面に落としてしまう。
それが原因だったのだろう。
落ちた拍子にカバンのチャックが僅かに開き、その隙間から何かが飛び出してきた!
「ぬぁ―――っ! よく寝ましたぁ!」
な、なんだ、こいつ。なんだんだこいつ!?
あ、ありのまま起こった事を言うぜ。
ミウナのバッグを取り返したと思ったら、中から何かプラスチックのおもちゃみたいな奴が飛び出してきた。しかも浮いてる。喋ってる!
何なんだよ、この不思議生物は!?
いや、そもそも生き物なのか?
「いやー、私とした事が、ゆらゆらと揺れる心地良い振動とミウナさんの下着の温もりのおかげで熟睡しちゃいましたよー。もう、ミウナさんの床上手! ・・・・・・って、おやぁ?」
げっ、こっち見た。
目とかないけど、見られてる気がする。こっち来た!
「おやおや、どちら様ですかねー。わたし、寝起きは美少女の顔を見てと決めているのですが、ミウナさんはどこなのでしょう? ミウナさーん、愛しのルビーちゃんが起きましたよー?」
さっきから、聞き間違えじゃなければ。
・・・・・・こいつ、「ミウナ」って言ってたよな。
知り合いなの? というか確実に知り合いなんだろうけど。ミウナの交友関係ってどうなってんだ!?
こ、声をかけてみる? このままって訳にはいかないし。
「な、なあ!」
「んー? はいはいなんでしょうかー?」
呼び掛けに謎の物体が応える。
よし、意思疎通は出来るようだな。
「お、お前、ミウナの知り合いなのか?」
「おや、ミウナさんをご存知なのですかー? ええ、質問はYesです。わたしとミウナさんは切っても切れない関係。わたしのマスターにして、誰にも邪魔できない、深い愛と友情の絆で結ばれた永遠のパートナーなのです!」
「ぱ、パートナーだって? お前とミウナが?」
直ぐには信じられなかった。
だって、なんかこいつ胡散臭い。
「おっと、信じてませんねー? このルビーちゃんがツーと言えば、迷わずミウナさんはカーと鳴く仲だというのに! 堕天使だけに!」
よ、よくわからないが、とにかく知り合いらしい。
五芒星に羽の生えた奇妙な存在だが、ミウナを知ってるなら話は早い。
「あのさ、ミウナの事で聞きたい事があるんだど、いいか?」
「そうですねー、質問にもよりますが。あ、でもその前に・・・・・・そろそろあなた様のお名前を聞いてもよろしいでしょうか。あとミウナさんとの関係についても、詳しく!」
あ、そっか。そうだよな。
自己紹介がまだだっけ。またやっちゃったよ。
ミウナの時も名前を言うのが後になっちゃったんだよな。
よし、あの時のリベンジだ。
声高らかに名乗り上げてやる。
後になって、この時が間違いなく俺の人生の転機だったと思う。
だって、そいつに俺の名前を教えたのは、あまりにも致命的過ぎたのだから。
「俺は兵藤一誠。イッセーと呼んでくれ!」
「わたしはルビーです。ルビーちゃんでもいいですけど、その時は愛を込めてぇええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!!!????」
「うわっ!?」
突然の大声に驚く。今度はなんだよ!
っていうか、何でルビーまで驚いてるんだ?
俺の悪評って不思議世界でも有名になってるの!? あいつはやばいって不思議の国の世界でも言われちゃってるの!?
「兵、藤、一、誠!? イッセーとはこれはまたまた! いやいや驚きですねー。まさか、あのミウナさんが、あのイッセーとですか? え? マジですかー!? 私が寝ている間に一体ナニが!?」
「なんだよ、その反応! お前も俺の事を知ってるのかよ!?」
「ええ、知ってますとも! ああ、いえ、言えないんですけどね。まあ、そんな事は置いてときまして、一体、いつ、どこでっ、ミウナさんと出会たのか教えてください! というか肝心のミウナさんはどこにいったのでしょうか。近くにはいないようですがー?」
「そのミウナを探してるんだよ! どこにいるかわからないか?」
「んー、ちょっと待ってくださいね。・・・・・・おや、結構離れた場所にいるようですね?」
「わかるのか!?」
マジか!? でもそれが本当ならミウナに会える!
「ええ、わかりますよー。このルビーちゃんの手に掛かれば、例え地球の裏側に居たって見つけ出す事が出来ますとも! それでイッセーさんはミウナさんに会いたいんですよね? わたしとしてはぜひ案内したいのですが、その前にすこーし詳しく、出来れば簡単に状況を教えてもらえますかー?」
興奮したように右左へと飛び交うルビーは、俺がミウナの名前を出した途端に動きを止めた。
心なしか、声に真剣さが入った気がする。
なら、俺も話をさせてもらおう。
「実はかくかくしかじかで・・・・・・」
「まるまるうまうまと。・・・・・・ほうほう、なるほど。大体わかりましたよ。おかげでミウナさんが何をしてるのかも予想はつきました」
「え、今ので? 本当か?」
「ええ。一言で言うなら、ミウナさんがピンチです!」
「・・・・・・は?」
ピンチってなんだ?
なんで今の話からそうなるんだよ。
「いいですか、イッセーさん。出会って間もないイッセーさんはまだ知らないと思いますが、実はミウナさんはとんでも不幸体質なんです」
「とんでも、不幸体質ってなんだ?」
「一応そのままの意味と捉えて貰ってもいいですよ? ミウナさんってば幸運ランク(笑)が結構高いくせに、毎度事件に巻き込まれ易いんです。今回みたいに」
な、なるほど、よくわからん。
体は子供の名探偵コシンみたいな体質って考えればいいのか。
「なので、今のようにわたしがミウナさんと離れてる時とか、決まって何かに襲われてるんですよねー」
「襲われてるだって!?」
「ええ。悪魔か天使か、はたまた同じ勢力の方々か。ミウナさんは人気者ですからねー。これはほぼ確実と言っていいでしょう」
悪魔? 天使!?
やばい、そろそろ話についていけないぞ!
どんどん話がオカルト方面に向かっていきやがる。目の前の浮いて喋る謎の物体も充分オカルトだってのに、これ以上まだ何かあるのか?
「そ、それって大丈夫なのか?」
「いえ、ダメですね」
ダメ!?
「ミウナさんはわたしがいないと弱っちいですからねー。大方今も苦戦を強いられてる最中でしょう」
な、ならのんびりしてる暇はないんじゃないか?
今の話が嘘か本当化は定かじゃないけど、ミウナが危ない目に合ってる可能性があるなら早く探して、助けないと。
「いやー、どうしましょうかねー、困りましたねー?」
「どうするって、助けないのかよ?」
「・・・・・・助けたいですか?」
俺の質問に、ルビーがちらりとこちらを見る。
なんか罠に嵌った気がしたけど、気のせいか?
「ミウナさんを助けたい、ですか?」
「当たり前だろ!」
そんなの決まってる。
迷わず頷く。だって俺はそのためにここに来たんだ。
「ここから先はすごーく危ないのですが、それでもミウナさんの力になりたいとイッセー様は言うのですか?」
「む、むしろ望むところだぜ! 何が待ってるか知らないけど、ミウナが危ないんだろ? だったら、俺で力になれるのならなりたい。いや、ならせてくれ!」
本当はちょっと怖くなってきた。
でも、この言葉に嘘はない。俺は、ミウナの力となりたいんだ。
「いいお返事です。さすがイッセー様! ではミウナさんのところへ案内しましょう。ついて来てください!」
「おうよ!」
ミウナのカバンを抱え直し、ルビーの後に続く。
待ってろよ、ミウナ。今行くからな!
こうして役者は、舞台へと上がっていく。
ゆっくりと物語は狂い始めた。
Said out
ルビーオリ機能『ミウナさんレーダー』
主人であるミウナを、例え地球の裏側にいても、別世界にいてもがだいたいの位置を特定できる。
距離の近さで精密度が上がってくる。
つまり、ルビーを太平洋に置き去りにしようが、次元の彼方へ捨てようが意味はないということ。
けっこう便利な機能のはずなのに、なんでルビーが持ってるだけでこんなに嫌な能力に見えるんだろう。だいたい原作での奴の言動が原因なのは明白だが・・・。
オリジナル設定にしたけど、なんか原作の方も普通に持っていそうで怖い。
ルビーからは、逃げられないっ!