2019年10月12日 修正
選抜メンバーがカレーとひたすらに向き合う日々が終わりを向かえ、多くの者がスパイスへの造詣を深め、各々がカレー一本で生きていけるレベルに到達した頃だろう。遠月の生徒ならばそれが出来て当然でもあり、それが出来ない者の殆どは既に振るい落とされている。
「美咲さん、どうだ?」
「大きな会場だな」
彼女は余裕の返事を返す、食材も大量に仕入れていた様子であったし、もとより俺は彼女の予選通過など疑ってすらいない。当然俺も通過するつもりだが、彼女の通過は当然だろう。二位との差がいかなものか、気になるのはそれくらいである。
「まぁ、ここは本戦の会場だけどな」
「十傑同士の食戟で使われるんだったか、前に一席の食戟を見て以来だな」
「美咲さんの写真があそこに飾られてたりしてな」
そう言って指したのは歴代一席の肖像が並ぶエリアだ、一席なだけあって今も世界中で活躍する料理人達の若い頃の顔写真には、少しばかり笑みがこぼれる。堂島シェフなんか今とは似ても似つかない。筋肉も大人しめだ。
「寝言は寝て言え。ほら、総帥の言葉だぞ」
「へいへい」
総帥の言葉など正直どうでもいいが、下手に目をつけられるのは困るので大人しく耳を傾ける。過去に下した食戟相手がリベンジだとばかりに睨みつけてくるが、当時の俺にあっさり負けた奴らが今の俺の相手になるとは思えない。リベンジに燃えるのはいいが、話にもならないなんて事にならない事を祈るばかりだ。
その後、総帥の言葉を聞いて予選会場に移ることになった。美咲さんとは幸いにも会場が別なので、ここで別れる事となる。
「美作」
「おう?」
「頑張れよ」
「美咲さんもな」
彼女は手を振って会場に歩いていく、B会場の連中(新戸を含む)の不幸に合掌してからA会場へと向かう。噂の編入生や、葉山アキラの料理が気になるが、今は”目標”と”俺の”料理の事だけを考える。
「無駄の無い調理、繊細に、丁寧に⋯⋯」
時計の針が11:00を指し示し、モニターにドアップで総帥の顔が映し出される。
「調理、開始!!!」
それを合図に鍋に大量のトマトを投入し火にかける。トマトが煮崩れるまでの間に玉葱や人参と言った食材をミキサーにかけ、牛肉を三度挽く。全ての食材を”潰し”液状にし、トマトの皮を漉した鍋に入れ、カルダモン、クローブ、コリアンダー等19種類のスパイスと共に煮込む。
「敵になりそうなのはお前か、大男」
声のした先にいたのは色黒のイケメン、葉山アキラだ。余裕そうに鍋でスパイスを調合している男は、横目で見ながら鼻をひくつかせる。
「葉山アキラか、随分余裕そうだな」
小麦や卵を取り出し、パン生地を作る。薄く延ばしたパン生地を少し寝かし、包丁を握る。息を整え、彼女の手付きを思い描く。一月の間彼女の動きを模倣し続け、それでも成功率50%未満のこの技法は選抜の場においては高リスクにも程がある。
「ッシ!」
一閃、正直直前まで本番で挑戦するか否か迷っていた。薄く延ばしたパン生地を更に二枚にスライスする等馬鹿馬鹿しい挑戦だ。単純に折りたためばそれで十分な効果を得られるのだから。
「うしっ!」
綺麗に切ったその間にチーズを詰めていく、調理終了までの時間を確認した後オーブンに入れて寝かす。後は実食前の時間で焼き上げて終わりだ。自身の調理に満足感を覚えながら他人の採点を待つ。
約1時間を掛けて俺の番が回ってくる、既に本戦出場を決めた葉山、バンダナ野郎、編入生の3人が落ち着いて俺の品を見、俺次第で出場が決まる煙野郎と眼鏡がピリピリとした空気を発しながら視線を飛ばしてくる。
「最後は美作昴選手の採点です!」
「⋯⋯君か」
名前を呼ばれ皿を運ぶ。審査員の一人に俺の食戟に参加した事のある奴がいたらしく、苦虫を噛み潰した顔をされたが、今回は誰の品をコピーしたわけでもない。審査員の前に皿を並べると、香りを閉じ込める為のクロッシュを外す。
「「「「「_____!?」」」」」
開放された香りは暴力的なまでに会場を暴れ回る。スパイスのレシピは以前彼女が作っていたものをアレンジしたものなので、その評価も当然のものだ。むしろこれに反応しない者がいたらそれは味覚音痴か正真正銘一握りの猛者だろう。
「馬鹿な!?誰とも被っていないだと!?」
当然だ、一番近い可能性がある彼女はBブロックであるし、恐らく今回に限って彼女はまったく別の品物を作ってくるだろう。
「この香り⋯⋯葉山アキラと同等、それに加えてこのピザ生地みたいなものは⋯⋯」
「ピザ生地で間違ってねぇぞ、基本的に材料は同じだからな。それをカレーに浸して食うんだ」
審査員の一人、千俵姉妹の姉の方(?)がパリッと音を鳴らしながら生地を割ると、中からチーズがジワリと流れ出る。それをカレーに浸け、口に運ぶ。
「_____!?」
よい反応に自然と笑みがこぼれる、確実な手応えを感じ採点結果を待つ。
______美作昴 94点 本戦進出(Aブロック一位タイ)
美作に手を振り会場に向かう。予想以上のプレッシャーに胃が痛くなってきたが、流石に一ヶ月も援助を受け続けておいて『何の戦果も、得られませんでした』とは言えないので、全力で調理に臨む所存だ。
「犬神さん、同じ会場ですよね。ご一緒しませんか?」
そう声を掛けてきたのは緋沙子さんである。そう言えば彼女はこちらのグループだ。彼女の腕なら本戦出場は間違いないので、残る枠は3つだ。いや、たしかえりなの妹さんも同じグループなので2つか、人外魔境の予感のするAグループ程ではないが、かなりの狭き門だ。
「勿論、知った顔がいるとやはり安心するな」
「ははは、そういえば私は真ん中あたりの採点順なのですが犬神さんは何番目なんです?」
う⋯⋯痛い所を突いてくる、順番は完全にクジで決まっているらしく、私は見事に引いてしまったのだ。一番⋯⋯いや二番目に引きたくなかった順番を。
「⋯⋯最初だ」
「「「え゛⋯⋯」」」
近くを歩いていた他の生徒も『お前⋯⋯』みたいな顔をしている。完全な外れクジだ。美作に話した時は腹を抱えて爆笑されたくらいには。一番最後なんかよりはマシだが、むしろ一番最後の次には外れクジなのだ。
「出来れば中央あたりがよかったんだが⋯⋯」
「それはなんというか⋯⋯」
ほら、微妙な顔をしている。大体こういうのは後になるにつれて得点が増えていくのが常であるし、後のほうが印象にも残るのだ。予選、それも最初の方でちょろっと出てきたよね程度の戦果で終わるとなると、美作にも珈琲研の2人にも申し訳ない。えりなにも。
「⋯⋯着いたな、そもそもそう距離があるわけではないが」
「えぇ、少々気が重いですが。頑張ります」
普段からシャキっとしている彼女も緊張する事があるんだなぁ等と考えながら会場入りをすると、吉野さん、田所さんも同じ会場だったらしい。参加者が調理台に着いた所で調理開始までのカウントダウンが始まり、11:00にモニターに映った総帥が調理開始を宣言する。余談だがあの総帥は録画であり、迫力ある映像を撮る為に数時間に及ぶ撮影が行われたらしい。
「結果がアレか⋯⋯」
食材を取り出し、調理器具のスイッチを入れる。今回は使い慣れている訳ではない最新の調理器具を借りてきている為、余裕を持って調理をせねばならない。先ずは潮田さんから頂いた柑橘類の汁を遠心分離機に掛け、リモネン等の香り成分の高い液体を回収する。苦味成分を多く含む液体などは今回利用する事はないので廃棄だが、また何かに使えないか調べて見るのもいいだろう。
「これ⋯⋯専門外過ぎて特定の操作以外からきしなんだよな...」
余り大量に操作が出来ないので他の調理と並行して行う。制限時間内に煮詰めるために食材をミキサーに掛け液状にし、チーズや少量のチョコレートと煮詰める。チーズは味の薄いものを使い、量を段々と増やしていく。
「そろそろ溜まったな」
十数種類の柑橘類から抽出した液体を中学校の理科の授業をうけている気分になりながら混ぜ合わせ、煮込み続けている鍋に入れる。余った分は置いておき、今回は使用するスパイスをクミン、スターニアス等の苦味を持ち、香りよりも後味に影響する物を11種類に絞っている。また、通常のスパイスに加え秘密兵器たる2種類の珈琲豆の粉末を加えて放り込み時間いっぱいまで煮込む。
「⋯⋯勿体無いな」
採点開始の時間となり、皿に盛り付け審査員席へと運ぶ。皿を並べ終わると数歩引き、審査員の採点を待つ体勢になる。審査員が暫く香りについて推察、討論(?)し、そのカレーを口に運ぶ。見た目は至って地味な、他の生徒の作ったカレーに埋没するその外見に望み薄と判断した観客の生徒は既に他のカレーについて話している。
「「「「「_____!?」」」」」
俺、喜多修治は喜多ガストロノミークラブの主催者であり、稼いだ金をふんだんに使い数々の美食を口にしてきた。当然そこいらの庶民なんかとは比べ物にならんくらい舌が肥えているし、幾ら遠月学園の生徒といえど彼ら彼女らよりも料理も食材も知り尽くしている。故に秋の選抜の審査員等と言う仕事は半ば趣味で請けたものであり、精々期待できる新人を探してやろう程度に思っていた。
「なんや⋯⋯これ⋯⋯」
「重いようで、軽いような」
「濃いカレーなのに後味は爽やかで」
短時間で作ったはずなのに濃厚で、この選抜ルール上尤も悪手だと思われていた”カレーライス”とは思えない程の完成度。これ程の品を作る料理人が最初から来るとは思わなかった、不意打ち気味にこの強烈なカレーを喰らった審査員は軒並み意識を何処かに飛ばしている。最初に復活したのは誰だったのか、切れ気味の声が料理人に飛ぶ。
「何を、何を入れた!?」
犬神美咲と言うらしい大柄な女子生徒はその声に驚いたからか、また別に特別な事はしていないととぼけるつもりなのか、無表情に首を傾げている。
「柑橘類が数種類、あとは⋯⋯この苦味は珈琲か...?」
カレーを本格風に仕立てるためにインスタント珈琲の粉を入れることがある。カレーに珈琲を入れると、苦味とコクが出るからである。これは料理のプロでも行う事があり、またプロであってもインスタント珈琲が使われる。理由は簡単、珈琲豆は硬くどうしても口に入れたときに邪魔になるからだ。
「けれどインスタント珈琲はどれだけ上手く量を調節しても、こういっては何だが所詮はインスタント、即席品に過ぎない。プロは濃い味や風味を生かすことでその安っぽさを圧殺する、しかし彼女のカレーは濃いが強い味ではない」
普段はボソボソと話し、ペンと口を間違えてるのでは無いかと思う安東先生がボリュームこそ変わらないが饒舌に話している。非常にどうでもいい事に驚くが、今一番大事なのは矛盾した味の正体だ。派手な調理をしていない事から対して注目しておらず、調理風景をろくに見ていなかった事が悔やまれる。
「⋯⋯犬神はんっちゅうたな。今度、うちで「ずるいですよ!喜多さん!」うるさいわ!」
「えぇっと⋯⋯審査員の皆様、そろそろ採点の方を⋯⋯」
控えめに司会進行の女子生徒が言う、確かに本来の仕事はそっちだ。流石に【食の魔王】の居城で彼の主催するイベントの進行を妨げるのは如何なものか、そう思う事でなんとか追求したい心にブレーキを掛け、点数を入力しようとした所で全員が固まる。
『まだ一人目、基準が定まっていない状態で何点を付ければ良いのか』
この考えである、初めの一人が平凡な料理を出せばそれを基準に上に上にと点を決めていけば良い。しかしこれは上位数名を選出するための予選だ、例えば彼女に満点を付けたとして、彼女以上の品を出したものが4人以上出た場合は何点を付ければいいのだろうか。
「ここは一つ、彼女を基準として評価しませんか?」
千俵姉妹の妹の方が提案する、つまり彼女に持ち点の半分を付け、それを基準に点数を付けていこうと言う提案だ。異論は無い、むしろバラバラに10点だったり20点だったりを付けるより一票の重みの面でも良案だろう。全員が頷き手元のボタンで点を入力する。
この提案が玉の世代と言われながらもブロック内得点過去最低を記録すると言う悲劇を招く事になる。
______犬神美咲 50点 決勝進出(Bブロック一位)
予選終了後、Bブロック会場は陰鬱とした雰囲気に包まれていた。最高得点が50点、生徒の半数がほぼ1桁という結果を見ると、選抜の予選出場者の自信やプライドを如何に叩き潰す結果となったか分かるだろう。一ヶ月の準備期間に死力を費やし、自信満々の品を出せど審査員は溜息交じりに1点か2点を画面に表示し、偶に褒められた者が出てもその結果は精々が一人5点から8点だ。
「一番最初で⋯⋯助かったのか?」
私は非常に困惑している、審査員の会話から恐らく私は基準として50点を貰ったのだろう。それでも怒声を上げられ、褒め言葉らしい言葉を貰う事も無かったことから、妥協での50点だったのだろう。結局審査員のお眼鏡に適う者はおらず、高得点者0の結果だ。
「厳しい戦いでした⋯⋯取りあえずおめでとうございます、犬神さん」
緋沙子さんがそう声を掛けてくるが、彼女の声には元気が無い。彼女も薙切さん(白)、イタリア人少年と共に予選通過を決めたのだが、やはりあの点数では元気も出まい。私もそこそこ自信があったものだから心が辛い。
「ふっふっふ...ふふふふふふ、叩き潰された、ふふふ。おねぇさまぁ」
本当に心が折れてしまった様な声も聞こえ、それがまた空気を重たくする。A会場へと足を伸ばし、付き人特権(?)の恩恵に預かりながら特等席にいるえりなの下へと向かう。幸い美作の出番は次らしく、優勝候補葉山君、黒木場君、そして編入生が本戦出場を決めた所らしい。得点版に丸井君の名前がある事に驚くが、おそらくそこは美作が本戦出場を飾るだろう。
「あら、そちらは早く終わったのね⋯⋯ってどうしたのよ!?」
「後で結果を見れば分かる」
今は美作だ、見た所余裕そうであるがBブロックの悲劇を見てきた手前それがまた緋沙子さんと私の直近の記憶を抉る。また、審査基準が同じだとするとAブロックはとんだ人外魔境だったらしい。94って⋯⋯
「どうやら決まりみたいね」
えりなが満足気に言うと得点が表示され、同点一位で美作が本戦出場を決める。美作の悔しさが見え隠れする嬉しそうな顔を見て、私は呟いた。
「これ、付き人と主交代なのでは?」
美咲が使った珈琲に関してはまた次回です。