SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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七話 反撃のピース

東京都 台東区 御徒町 [22:00]

 

園原 歩美・株式会社レクト/プログラマー

 

「あぁーもう駄目だぁー.....」

 

「どうしたあゆみん」  

 

大きな満月が東京の夜景を照らした夜。カフェからバーへとその姿を変えた「Daicy Cafe」には四人の人間が居た。

 

シックな色合いの木造カウンターに突っ伏して、特に意味のない弱音を吐いている園原歩美と、向かい側のカウンター内部にそんな園原を慰めるようにしながら、カシスベースのカクテルを作っているバーの第二マスター、戸塚あかり。そして園原の左横には、あかりが作るカクテルを待ちわびてるようにして座る株式会社レクトの経営第三部に所属する正田一政の姿があり、逆に右側には数分前に出されたピンクグレープフルーツの酎ハイをちびりちびりと啜るようにして呑んでいた、こちらも正田と同じレクトの経営第三部に所属している三矢麻衣の姿があった。

 

園原は特に飾り気の無い私服、正田、三矢の二人はスーツ姿であり、その格好から皆仕事帰りであることが容易に分かる。だが、いつもならそんな仕事帰りの大勢の客で賑わっているはずのこの「Daicy cafe」も、今日に限ってはこの四人しか居ない。それもそのはず、入り口の札は定休でも無いのに「closed」となっていた。

 

「もう仕事したくないよぉー....なんでこう大企業っていうのは不正やら何やらが横行してるんだろうね腹が立つよ」

 

酒が入り、酔った時の園原はいつになく饒舌になる。

 

「大企業もなんでもそうだけど、ルール逸脱が無いとやってられないってことじゃない? 三矢ちゃんだっけか.....そういう風に感じない? 大企業に入ってみてさ」

 

「.....確かに、利権だの何だので法の逸脱が黙認されているのは気持ち悪いと思います。それこそが、大企業が変革すべき点なのではないか、と考えます」

 

「そうだよねぇー気持ち悪いよねー......どいつもこいつも仕事そっちのけで金、酒、女なんだもの。多分数十年は変わること無いんじゃないの? 法の逸脱も黙認してるしね。隠蔽とか」

 

「園原、法の逸脱と言えばあんたもストレス溜まったとか言って私を隣に載っけてLFAで首都高爆走してたじゃん。あれ明らかにスピード出しすぎだから」

 

「お前そんな事したのかよ.....。しっかし....良いのか戸塚?勝手に店閉めちゃって」

 

この四人の内、三矢を除いた三人は、それぞれ学部は違えど同じ都内の大学で同期だった為、正田もあかりには軽い口調で話し掛けていた。ちなみに言えば、園原は情報工学部出身、あかりは情報科学部出身、正田は経済学部出身であった。因みに三矢は、旧帝大の地方国公立の経営学部を卒業し、レクトへ就職したらしい。

 

「大丈夫よ。ちゃんとギルには許可取ったから」

 

「それで、愛しのギルはいつ戻ってくるのー?」

 

既にカルアミルクとサワーをそれぞれ二杯を飲み干し、いつもより早めのほろ酔いモードに突入した園原が聞いた。

 

「もうすぐで戻ってくる筈だけど...もしかしたら店が混んでいるのかも」

 

あかりの最愛の夫であり、このバーのメインマスターであるアンドリュー・ギルバート・ミルズ、通称ギルは、現在あかりの令によって近所の輸入品スーパーに買い出しをしに店を出ていた。詳しい話を聞いたところによると、どうやら新しいメニューが完成したらしく、それを園原と正田に御馳走してくれるとの話であったのだが、味付けに使う調味料を切らしていたらしく、流れでギルが買い出しに行くことになった、という。

 

しかし園原と正田、三矢の三人は、ただ新メニューを御馳走してもらい、お酒を楽しむだけの為にここへ訪れた訳では無かった。ここに来た理由は、例の「謎の予算」の件の報告であった。

 

■■■■■

 

東京都 千代田区 [20:45]

 

園原 歩美・株式会社レクト/プログラマー

 

 

正田と三矢が部署に戻った後、半導体工場の視察から戻ってきた松川へ件の書類を見せつけ、これは本当の事かどうかの真偽を確かめた。

 

松川も元は経営畑に属していた人間だから、カネの流れに関しては目敏い所があった。普段園原に対して見せている素っ気ない態度は鳴りを潜め、即座に対処するために渡した書類の束と共に営業部の収まるフロアへと駆け出していった松川の姿は、本来あるべきなのであろう営業マンとしての姿を園原に垣間見せた。

 

しかし、約一時間後、松川は浮かない顔をしてもう数人しか残っていない研究室へと戻ってきた。その左脇には、つい先程渡した書類が、丸々挟まっていた。

 

「連中、話にならん」

 

勤務中、一度も聞いた事の無かった松川の愚痴。連中、と松川が貶めるように呟いたのは、営業部の管理職の事であろう。どうやら話し合い以前に追い返されてしまったらしい。松川の表情を見るに、やるだけのことはやった、との事であろうから、もうそれ以上何かを頼む事は出来なかった。

 

仕方無く、何も情報が得られなかった事を残業していた正田に内線で伝えると、正田は「ある奇妙なウワサ」を確認したと言って呼び出された。営業部フロアまで降りてみると、正田のデスクには正田と小動物&隠れ毒舌系後輩の三矢の姿があり、二人ともなにやら小声で何かを話している様子だ。

 

「お、来たか園原」

 

「お疲れ様です、園原先輩」

 

他部署の人間に先輩呼ばわりされるのはなんとも不思議な感じであったが、取り敢えずその「奇妙なウワサ」とは何かを聞いてみた。

 

「実はな、[プログレス]の42階フロアは呪われているって、知ってるか?」

 

正田はおどけたように笑いながら言った。それが園原の癪に触ってしまい、園原は無神経な正田を怒鳴り付けた。

 

「はぁ? わざわざ三十階から呼びつけておいて、人を期待させといて、ようやく話したのが確証の無い只のオカルト話だぁ?」

 

「落ち着いてください先輩。勿論、確証のあるウワサですから、安心して聞いてください」

 

「本当に~?」

 

本当です、ときっぱりと言い切った三矢は、正田のパソコンのUSBポートにメモリーを差し込んだ。液晶ディスプレイにフォルダを示したしたウィンドウが表示され、その上を三矢が操作するカーソルが走った。それは、ある画像の上で止まり、そして三矢はそのアイコンをダブルクリックし、拡大表示させた。

 

そこに映っていたのは、今園原達が居るレクト本社ビルの向かい側にある高層ビルの外観だった。その高層ビルはレクトの子会社であり、VRMMO系オンラインゲームの保守運営を担っている株式会社レクトプログレスの物であった。園原の所属する本社研究所とそことは仕事内容がよく被る為、何度も訪れた事がある場所であった。

 

「プログレスの高層階だね。で、これがどうしたの?」

 

「ほら、ここに....」

 

正田はそう言うと、タッチパネル式になっている液晶画面を操作し、ある一部分を拡大して見せた。そこにはビルの外側を覆う外壁と、大量のガラスパネルが均一に並んでいる光景が写し出されていた。正田はそんな画像のある階層を指差し、それが目的の「呪われた場所」である所以を園原へと説明し始めた。ちなみに、正田の指差した階層には、明らかに人だと判別できる複数の影が荒いドットにはっきりと映っていた。

 

「ここはな、株式会社レクトプログレス42階サブ・サーバールームだ。会社が創設されて以来、殆ど使用される事は無かったらしい。でも、去年の八月に事件の渦中だった旧SAOサーバーをレクトが受け入れる事になっただろ?その時、真っ先に受け入れ先候補として上がったのがここだ」

 

「へー。本社で引き受けなかったんだね。受け入れだの何だのゴタゴタした時あったけど、最初からプログレスへの受け入れありきで進んでたって事?」

 

「どうやら、プログレスの社長だかが強引に押し通したらしいがな。まぁ、そんな訳で受け入れられて、そこに巨大なサーバーが設置された訳だけど問題が発生した。事件の首謀者である茅場晶彦がそのサーバー本体に[毒]を仕掛けていた、というんだ」

 

「[毒]って?サーバーに干渉されない為のファイアウォールみたいな?」

 

「ああ。俺はそっち方面には詳しくないけど、コンピューターの侵入を強固に阻み、さらにはその侵入したコンピューターを破壊する[毒]を茅場は仕掛けていた、らしい」

 

「[らしい]って、なんでそんなあやふやなのよ?」

 

「あくまでもレクトプログレスが発表した事実であって、本社側が確認した訳じゃないとの事です。意外に二社の距離は近い様で遠いみたいですね」

 

「三矢ちゃん、評価が手厳しいなぁ.....って、その[毒]程度ならプログレス側も想定してたんじゃないの?流石にあの茅場晶彦がノーガードで持ち物のサーバー晒す訳ないでしょ」

 

「っと、ここからが本題だ。これこそがそのサーバールームが呪われているって所以だ。茅場はサーバー内部に本物の[毒]、VXガスかサリンか、種類は良く分からないけど、致死性の毒ガスが充填されたボンベを装備していたらしいな。プログレスのパート社員がサーバールームの清掃をしていたときにそれが解放され、その社員はそのガスを吸引して死亡.....って話はお前も聞いた事あるよな」

 

「うん.....あるっちゃあるけど、なんかガセっぽいから無視してた。ウチの研究室の奴らは怖がってそれ以降SAO関連の仕事に手ぇ出さなくなったけど」

 

「まぁそんな訳で、そこのサーバールームは即時に封鎖。プログレス側が独自に雇った汚染廃棄物処理業者がサーバールームを気密閉封鎖して立ち入り禁止にしたのが去年の十月、丁度[SAO事件]が解決される一ヶ月前の事だ」

 

「ん?独自に雇った業者....? 普通自衛隊とかにやってもらうでしょ。NBC部隊持ってるし」

 

「プログレス側が機密保持だの何だの適当に理由を付けて本社がやった自衛隊派遣要請を拒んだらしい」

 

「官公庁である防衛省の人間ならともかく、民間の業者を入れてる時点で機密も何もあった物では無いですが.....しかも、その業者とやらは海外の業者らしいです。いくら何でも機密の塊であるSAOのサーバーが収まる場所に国外の人間を入れるというのはおかしい話です」

 

溜め息を吐いた三矢は、全く訳が分からないといった様な顔をしていた。

 

「って事があり、誰も寄り付かなくなったサーバールーム。それで、この写真だよ」

 

正田は再び人差し指で液晶を叩いた。

 

「立ち入り禁止になっている筈の場所に人間が居る。しかも、複数人。除染業者だったら話は早いけど、業者は今年の初めに契約が満了してる。だから、ここのサーバールームに人が居る事はおかしいんだよ」

 

「さらに着目した点は、この人間らしき物がサーバールームに居るということ、つまり今回の件に何かしら関わる事じゃないかと。件の書類で水増しされていた予算は警備費用、つまり、サーバールームに人を近付けさせない為、誰かが警備を雇って、秘密裏に駐屯させているとしたら.....」

 

「まったく予想外のピースが組合わさったね。松川が言ってた事から推測するに、営業部の幹部はこの予算の事を知ってたみたい。正田君、何か聞いてる?」

 

「一応、ウチの部長に話を聞いてみたんだ。どうやら、例の予算の事は第一営業部門の武藤さんが決めたらしい。かなり強引なやり方でな。内訳はどうやら、プログレスへの支援を含めての数字、って事で多額の予算を取り付けたらしいが、詳しく良く分からないってさ」

 

「武藤....ねぇ」

 

「あまり良いウワサは無いですね。金に女にと後ろ暗い噂は絶えない人です」

 

「どうする? 探偵でも雇うか?」

 

「うーん......取り敢えず、あの人に相談してみよ」

 

「あの人とは、誰なんです?」

 

「三矢ちゃんは知らないと思うけど、私と正田君の大学時代の同期生が御徒町にバーを開いててね。その子の夫が多分色々な人脈持ってると思うから、その人に相談しようって話」

 

「同期って....ああ、戸塚か」

 

「でも大丈夫なんですか? 部外者に話を漏洩してしまうのは.....」

 

「大丈夫。人格は私と正田君が保証するわ」

 

「で、どうする。いつ行くんだ?」

 

園原は左手首の腕時計を見た。時刻は二十一時を少し回った所である。今からなら間に合う、そう感じた園原は、二人を見据えた。

 

「今から行くよ。早めに動いた方が良い」

 

■■■■■

 

「って訳だよアンドリューさん」

 

あれから更にサワーのグラスを二杯空にし、ゆっくりと説明し終えた園原は、向かい側のキッチンで料理をするアンドリューを見据えた。店内にはソースが焦げる香ばしい匂いで道溢れていた。

 

「で、どうしたいんだ?」

 

「事態の解明を進める為に、サーバールームの人影と金の流れについて調べたいね。だから、実動できる人材が欲しいかな」

 

アンドリューはそうかと頷き、考えるように目を閉じた。

 

「一応、協力してくれそうな奴に心当たりがある。だが、そいつはちょっと特殊でな、色々と守秘義務やら何やらが課せられると思うが.....それでも大丈夫か?」

 

「私は大丈夫だけど、二人はどう....かな?」

 

左右でそれぞれグラスを傾けている正田と三矢を交互に見つめる。正田が返したのは呆れながらも了承した、というような眼差し。三矢は唇を噛み締め、強い信念を滾らせたように頷いた。

 

「ということで、私達は大丈夫。出来る限りの協力はするよ」

 

「分かった。連絡付けてやるからほら、これでも食ってろ」

 

そう言ってアンドリューは、新メニューとやらのベイクドビーンズを三皿、園原達の前に置いた。そうして二階へと昇っていこうとするアンドリューを園原は呼び止め、耳元に口を寄せ気になっていた事を耳打ちした。

 

 

耳打ちの内容に、アンドリューは怪訝な顔をして園原を睨んだ。

 

 

「……多分、大丈夫だ。でも危険な奴じゃない」

 

 

「そう。なら良かった」

 

 

イマイチ納得していない顔のまま、アンドリューは連絡するためか二階へと昇っていった。

 

 

「大変だねぇ……」

 

 

あかりが、二階へと上がっていくアンドリューを見送りながら呟いた。

 

 

「大変どころじゃないさ、今回の件は。分野がワイド過ぎるんだよ。左は企業のカネから右はSAOのサーバーだ。いくら人が居ても足りないような事案に真っ向から立ち向かおうとしてるんだぜ、こいつらは」

 

「そりゃ立ち向かうよ。分からない事があるのは嫌だからね」  

 

「凄いですね先輩は……どうやったら大企業を相手取って戦えるんですか?」  

 

三矢が酔った目で興味津々に聞いてくる。ストレートに言ったら色々とアウトなんだろうなぁ......と思いつつ、隣席の三矢の目が真剣であるのを傍目に捉え、仕方無く呟いた。

 

「うーん.....楽しいから、かな。面白いじゃん、ジャイアントキリングって」

 

園原は出されたベイクドビーンズをフォークで摘まみながら言った。三矢を横目で見てみると、「そんなものですか.....」と案外びっくりとも何ともしていなかった。逆側の正田は何か複雑な表情をしていたが。

 

何はともあれ、目の前の皿の飴色に輝く豆は、頬張ると甘辛く、そして美味しい。これは酒が進む、と園原は喜び、空にしていたグラスに、今日何杯目か分からないサワーのおかわりを注いだ。気泡が弾ける液体を、味わうようにして嚼下する。グレープフルーツのキツい酸味が特徴のこのサワーは、店に初めて訪れた時から園原の喉を唸らせる一品だった。

 

暫くその一品を味わい、純粋にお酒を楽しんでいると、協力者に連絡を付けていたアンドリューがスマートフォンを片手に二階から降りてきた。

 

「どうだった?」

 

開口一番、園原が聞いた。

 

「オーケーだそうだ。千代田区の方に居るらしいから、今から来るらしい」

 

その反応を見た正田と三矢がおおっ、というリアクションを見せる。園原も、ニヤリ、と唇の端を歪め、妖艶に笑ってみせた。

 

 

■■■■■

 

東京都 千代田区神田 日大病院 [20:50]

 

牧田 玲/DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

牧田、アン、久里浜の三人は、東京都は千代田区神田にある日本大学付属病院に居た。クリーム色と焦茶色を基調とした美しい造形を誇る建物の天辺を見上げ、牧田は一つ、ため息を吐いた。

 

「どうした牧田。何か思い悩む事でもあんのか?」

 

「いや別に。ただ、栗原が心配なんだ」 

 

「これを解決すりゃちっとは構ってやれるだろ。女は面倒くさいからな、早めに解決してやろうぜ」

 

「.....ああ。解ってる」

 

久里浜の言う事は、何ら間違ってはいない....と思う。確かに女というものはとても面倒くさい。それは十数年にも渡る栗原との関係で嫌と言うほどに味わっていた。だが、その面倒くさいという思いは、裏返してみれば放っておけないという感情なのかもしれない。彼女が泣いていれば誰よりも速く、彼女の側に駆け付け、その涙が止まるようにする。それが当たり前であった筈だ。三年前までの話であるが。

 

エントランスを抜け、夜間受け付けのカウンターに置いてある面会記録に三人の名前をそれぞれが記入した。それを当直の看護師が確認し、通用許可証を発行してもらい、ようやく病棟へと入る事が出来た。

 

「で、その子はどの階に居るの?」

 

アンは首に掛けた通用許可証を左指で弄びながら、三人の先頭を歩く牧田へ尋ねた。

 

「二十三階。丁度最上階だ」

 

病棟の入り口のすぐ近くのエレベーターへと乗りこみ、「23」のボタンを押した。

 

EV動力の静かなモーター音がゴンドラの中に響いた。ゴンドラ内の人間達が無言であったからなのか、その音は今日はやけに煩く感じられた。

 

最上階へと着き、ベルの音と共に重厚な自動扉が開く。目の前には、妙に薄暗い、不気味な空間だった。

 

「何か暗いね.....」

 

アンの言う通り、ここのEVホールも、それに続く廊下も、全て光源が壁の両脇にある非常灯しか無く、本当に僅かな光源しか設置されていなかった。窓があるが、時刻は二十一時を回る寸前なのでビル群の残光が入ってくるのみだ。その暗闇の中を三人は進んでいく。

 

部屋番号も見辛い中、覚えのある場所で止まる。そこは、銀色のレリーフが「2311」と示す病室であった。

 

牧田はドアの取っ手部分にある触接センサーをタッチし、自動ドアを開けた。滑らかにスライドしていくドアの向こう側に、彼女が居ると思うと、何だか複雑な気持ちになる。今日が初めてではない。この病室を訪れる度に感じ、そして疑問に思うのだ。「どうして、君のような人が、ここにいるのか」と。それは純粋な疑問であり、その答えまでは遠い道のりであった。

 

部屋の中央に置かれた、カーテンが掛かったベッドへと近寄る。アン、久里浜の二人は、牧田の後ろに立って様子を見ている。「開けたら、目を覚ましているのではないか」という淡い期待を抱きつつ、若葉色のカーテンを手に取り、それを引いた。

 

そのベッドの上には、純白の四肢と、長く伸びながらもその輝きを失っていないノルディックブロンドの髪を持ち、まるで昼寝のように安らかな寝息を立てている少女....ユーリ・マクラーレンの姿があった。

 

「この人が.....ユーリ・マクラーレン?」

 

「ああ。こいつは未だに電子の檻の中に居る。あの世界で俺と栗原が信頼してた....良い奴だったよ」

 

「しっかし.....信じられないな。こんな気持ち良さそうに寝ているように見えても、意識は遠い世界の中、か」

 

「俺が一番信じられないよ。向こう側の世界じゃかなりのじゃじゃ馬だったからな、こんなに安らかな顔を見たことは一度も無い」

 

「悲しいね....肉体はこんな近くに居るのに....話すことさえできないなんて」

 

「.....ああ」

 

三人は暫く無言でユーリを見つめた。長い睫毛、薄い眉、血色の無い肌、どれもあの仮想世界を共に戦い抜いたユーリの物だ。だが、それは触れてしまえば消えてしまいそうな程に華奢な存在であり、牧田には触れる権利は無い。幼馴染の少女一人ですら支える事の出来ない自分が、他の誰かの支えをすることなど許されない、といった様に。

 

どれくらい時が経ったのだろうか。正確な時間は定かでは無いが、突然、病室のドアが静かに開いた。囁き程度の音であったが、反射的に素早く振り向いた三人は、病室の入り口に立っていた男を視界に入れた。

 

その男は、見たところ若い。といっても、十八歳の牧田にとっては年上であるが。二十代中盤の見た目であった。高級そうなスーツを着こなし、後ろに撫で付けた様な髪型と、アンダーブリッジの眼鏡が特徴的な男である。彼は、外で待機していたのであろうもう一人の男を連れて病室へと歩を進めた。

 

もう一人の男は、明らかにSPかボディーガードその類いの人物であるような格好であった。黒服にサングラス、耳には通信用のイヤフォンと、見るからに護衛と分かる。腰には伸縮式の特殊警棒らしき物も吊り下がっているのが確認できた。

 

「おやおや、先客ですか」

 

開口一番、その男はそんな言葉を言い放った。  

 

「すいません。自分達は彼女の友達で.....」

 

「それは失礼。せっかくの見舞いを邪魔しちゃって悪いねぇ。あ、自己紹介が遅れたね」

 

男はスーツ裏から名刺入れを取り出すと、ライムグリーン色の名刺を取り出すと、牧田の前へ差し出した。

 

「僕は須郷伸之って言うんだ。宜しくね」

 

男の名刺には、「株式会社レクトプログレス 主任研究員」との所属が記されていた。それを見て珍しく久里浜とアンが顔を見合わせる。それほどまでに衝撃は大きかったのであろう。

 

「自分は牧田と言います。左のは久里浜、右は燦です。皆、彼女....ユーリの友達でして」

 

「そうかい、彼女も喜んでいるだろうよ」

 

そう言うと、須郷と名乗る男はユーリへと近付き、まるで眠れる妖精のような彼女に舐め回すかのように視線を送った。暫く物色した後、須郷は彼女の髪に触れ、撫で回した。整えられたノルディックブロンドの髪が、乱れるように散っていく。それだけに飽き足らないのか、須郷は側頭部から耳に手を滑らせていき、頬、顎と順に撫で回していく。

 

「.....須郷さん、あなたとユーリとはどんな関係なんです」

 

内面に滾った怒りを押さえる様に、抑揚を抑え付けて質問した。

 

「ん? ああほら、さっきの名刺に[レクト]って書いてあったでしょ?実は僕、レクトの運営してるVRMMOゲームを統括する立場に居るんだよ。そういう役職でSAO事件の解決にも一枚噛んでるから、まだ[未帰還者]の事が解決していないのには心を痛めていてねぇ.....せめてお見舞いくらいはしたいと思った。それだけだよ」

 

「そうですか。変な事を聞いてすいません」

 

「ところで一つ聞きたいのですが.....」

 

アンがそそそっ、と手を挙げ、須郷の前に出た。

 

「[未帰還者]の意識ってどこにあるんです?」

 

須郷は苦笑したように口元を歪めつつ、それに答えた。

 

「んー.....分からないね。狂気の天才の考える事は理解しがたいものばかりだからねぇ。まあ、[実験サンプル]を提供してくださった事には感謝の意を表するけどね」

 

「実験....サンプル....?」

 

「おっと口が滑った。君達、これはオフレコでね」

 

須郷はコミカルに人差し指を鼻へと当てる。

 

「ちょっと待ってください。[実験サンプル]ってどういう事ですか?」

 

「だからオフレコだって。これは企業秘密なんだから」

 

「....企業秘密? 非人道的な実験でもやってるって言うんか?」

 

須郷が入ってきてから一度も口を開いていなかった久里浜が、嘲るように口角を上げながら言った。「非人道的」というその単語を聞いた須郷は、目付きを変え、まるで蛇のような面持ちで久里浜を見た。

 

「へぇ....!言うねぇ君達.....」

 

「何とでも言うぜ。クソ野郎」

 

「このガキィ....好き勝手言いやがって......まぁいい。どうせ君達には何も分からないし、分かったところで何も出来ないのだからね......アッハッハ!」

 

久里浜は狂気の顔を見せる須郷を睨み付け、言い放った。

 

「そうか。じゃ遠慮無くやらせてもらうぜ。言葉通りにな」

 

須郷はひきつった顔のまま、久里浜らを一瞥すると、外にいるボディーガードに何か一言残し、退室していった。

 

病室の自動ドアが完全に閉じられると、我慢できないというように久里浜が舌打ちをした。

 

「っ....!あのクソったれが!」

 

「落ち着け久里浜。ここは病室だ」

 

「あの野郎、確実に何かを知っていやがるような口調だったぜ。逃すのか、牧田?」

 

「逃したくは無い。でも、確証が無いままやるのは駄目だ。やるなら、もう少し泳がせてからだ」

 

「....分かった。でも牧田、外のアレらは多分逃してくれ無さそうだぜ?」

 

久里浜が顎で示したのは、病室のドアであった。この部屋にいる全員が気が付いている人の気配は、どうやら須郷が残していった置き土産の様である。牧田が感じた気配は三人といった所か。

 

「で、どうするよ?」

 

「邪魔は蹴散らすまで....と言いたい所だけど、生憎USPは没収されたから今持ち合わせが無いんだよなぁ....」

 

牧田は部隊員非承認処分を菊岡から喰らった際に自ら進んで愛銃であるUSPを返納していた。それが今になって必要となるなんて思っても見なかった事だ。

 

どうしようかと悩む牧田を尻目に久里浜は腰のポーチから一つ、ジャケットの下に隠れていた脇のショルダーホルスターからもう一つのハンドガンを取り出し、牧田へ差し出した。

 

「どっちか好きな方を使え」

 

久里浜の右手に持たれた物は、ポリマーフレームを採用し、シリーズ特有のスライド部が直線的というデザインを踏襲したハンドガン、G21である。牧田が使用していたUSP.45と同じ.45ACP弾を使用し、防弾ベストなどのケブラー繊維製防護衣も易々と貫通する威力を持っている。反面、ポリマー素材であるため、重量が軽く、反動が他の.45ACP使用銃に対して反動が強い事が欠点であった。 

 

G21とは逆に、左手に持たれていたのは久里浜の愛銃であるハンドガン、M90-Twoであった。伊ベレッタ社が同社の名銃、ベレッタM92をベースに開発した法執行機関向けの拳銃であり、市街地戦での行動を意識してバレル下部とスライド上部にアタッチメントを取り付ける為のピカティニー・レールが常備されている所が大きな特徴である。久里浜の手に載っているそれにはバレル側のレールにレーザーサイトが、スライド側レールには小型のドットサイトが取り付けられていた。

 

「悪い。こっちを借りる」

 

そういって牧田は、久里浜の右手からマットブラックに塗装されたG21を取ると、スライドを引いて初弾を装填した。グロック社のハンドガンシリーズはセイフティの機構が特殊である。同社のP7のスクイーズド・コッカー方式程では無いが複雑であり、DAO+セーフアクションと言われる独自の機構が採用されている。トリガーを半分引き、シアとファイアリングピン・セイフティによって止められている撃針兼撃鉄の役目を果たしているストライカーの突起を手前側に起こし、実質的なセイフティを解除した。あとはトリガーに取り付けられているトリガーセイフティを解除すれば激発する仕掛けとなっている。普通ならグリップの根元部分にセイフティレバーがあってそれを操作すれば良いだけに、この機構は特殊なモノであった。

 

その発射可能な状態のまま、牧田はモッズコートに隠れていた胸部のナイフホルスターから、防弾ベストを切り裂く事が出来る近接戦闘用のコンバットナイフ「アーマーシュナイダー」を抜き取り、左手に保持した。

 

アーマーシュナイダーを逆手に持つ左手を下に、G21を持った右手を上に重ね、瞬時に射撃からナイフファイトへ移行出来るように構える。近接戦闘ではコンマ一秒の遅れが命の有無を左右する事になる。2m以下の距離では、拳銃を構えるよりもナイフの方が敵を無力化するのに素早く動ける。だから、牧田は両手にそれぞれの装備を持ち、敵に対して柔軟に動けるようにしていた。

 

「.....行くぞ」

 

牧田は素早く病室の入り口へと近付くと、ドア右側のウレタン壁に身体を押し付けた。久里浜はM90-twoを、アンはシグ社のP226をドアの方向に構え、じっと待機している。

 

「そういや久しぶりの実戦か?」

 

「そうだな、約二年ぶりだ」

 

「身体はしっかり動くの?」

 

「大丈夫。勘は取り戻してあるよ」

 

三人とも目を見合せ、頷き合って一呼吸置いたその瞬間、牧田が自動ドアの開閉ボタンを押し、ドアを開けた。ドア正面にハンドガンの照準を合わせていた久里浜とアンは、黒いスーツを着た一人のボディーガードを照門の中心に捉えた。

 

「動くな」

 

サングラスを掛けていてその表情を推し量る事は出来ないが、二対の銃口を向けられたそのボディーガードは、明らかに怯えたような素振りを見せた。

 

「手を上げて。脇へ退いて」 

 

アンがハンドガンを振って脇へ移動させる。そのタイミングで、病室の内側から、G21を構えた牧田が出てくる。

 

三人は牧田、久里浜を前に、アンを後ろにした隊列を組み、EVホールまで続く廊下をゆっくりと進む。その間も、後ろのアンは先程のホールドアップさせたボディーガードから銃口を逸らすことは無かった。

 

10m程進み、自動販売機が立ち並ぶロビーを通過する瞬間、自動販売機の陰から、伸縮式の特殊警棒を持った一人のボディーガードが飛び出し、警棒を振りかぶりながら牧田に襲い掛かった。

 

牧田は膝の可動範囲ぎりぎりまで腰を落とし、斜めに振り下ろされた警棒を避けると、銃把を相手の顔面に叩きつけた。セルロイドフレームのサングラスが割れ、ボディーガードがよろめいた隙に、牧田は彼の右手首を掴んだ。牧田は一度バックステップで反動を付け、それによって開いた両者の距離を急速に縮めるように、ボディーガードの右手首を引き、自身の右腕は横水平に挙げ、そのまま首の中央を狙って叩き込んだ。

 

74kgの体重を載せた牧田のラリアットを首に喰らったボディーガードは、その巨体を空中へと浮き上がらせ、喰らった威力のまま、背後の自販機に叩き付けられた。その衝撃で、自販機のショーケースにヒビが入る。

 

その音で気が付いたのか、最後の一人がEVホール側から走ってきた。久里浜とアンが銃口を向けるが、一切止まる様子は無い。

 

牧田は手早く自販機コーナーから出ると、走ってくる彼に向かって、それに負けない勢いで走り始めた。接触するまでの間にG21をモッズコートのポケットへと忍ばせ、左手のアーマーシュナイダーを逆手持ちにし、構えた。

 

両者の距離が縮まり、長さのある警棒の射程距離に足を踏み入れた瞬間、牧田は強く右足を踏み込んで低めに跳躍した。そのままのペースで接触すると信じ込んでいたボディーガードは、警棒を振り下ろすタイミングを失い、眼前より飛び込んできた牧田の左腕を首に絡ませる事となった。

 

牧田はボディーガードの首に絡ませた左腕を軸に、まるでヨーヨーの様に、遠心力を利用して空中を回った。走って飛び付いた事によりその反動は、屈強なボディーガードをも宙に浮かせる程であった。その軌跡が繋がった円を描いた刹那、牧田は絡ませた左腕を解き、代わりに右手を絡ませた。後頭部から倒れ行くボディーガードに対し、牧田は足を逆方向に向けていた。そのまま、牧田は重力のあるまま、床にボディーガードを叩き付けた。恐らく、格闘技に詳しい者が居るのならば、今現在牧田が繰り出した技名はすぐに分かっただろう。「スリングブレイド」と名付けられたその技は、プロレスリングの技の一つであり、牧田らエージェントが使う近接格闘術のマニュアルには載っていない、牧田が度重なる戦闘でその利便性を見出だした技であった。

 

ボディーガードが意識を失った事を確認した牧田は、駆け寄った久里浜の手を借りて立ち上がった。一番最初にコンタクトしたボディーガードは、久里浜に無力化されたのか踞って動かない。ラリアットを喰らったボディーガードも同様である。

 

牧田は左手のアーマーシュナイダーをナイフホルスターへと仕舞い、コートのポケットに無造作に入れていたG21をデコッキングしてホルスターへと入れた。

 

「衰え知らずだな、お前」

 

「二年ぶりにしては良かったんじゃないかな?」

 

「ありがとう。結局銃もナイフも使わなかったけどな....久里浜、もう少し借りてて良いか?」

 

「ああ。除隊処分が解除されるまで好きなだけ使え」

 

三人はエレベーターへと乗り込むと、元来た道を戻り、病院前の広場へと出た。時刻は午後十時。この時刻になっても人通りの途絶えない神田の街へと入ろうとしたその瞬間、牧田のスマホに着信が入った。

 

「....ん?誰だろ.....エギルか。はいもしもし.....」

 

人通りの喧騒から逃れるように木陰へと移動した牧田を、久里浜とアンは目で追った。

 

「エギルって誰なんだろうね」

 

「....知るかよ」

 

「ちょっとくらい態度を直そうという気は無い訳?」

 

「無いね」

 

再会からまだそれほど時間が経っていない彼らは未だに仲が悪い。悔しそうにぐぬぬ、とアンが唸り声を上げていると、牧田は通話を済ませて二人の元へと戻ってきた。

 

「アン、久里浜、良い情報が入った。御徒町だ」 

 

「御徒町?なんで上野まで行くんだ」

 

アンと久里浜は疑問を浮かべた。それらに対し、牧田は猟奇的な顔を隠さず、二人へ応えた。

 

「反撃の狼煙が上げられるかもしれない。奴らにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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