SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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十四話 叛旗の謎

「……!!」

 

 

無の空間にあるはずのない殺気、そこに居る筈がないものを本能的に察知したマロンは、咄嗟の判断でカーラに振り下ろそうとしていた[後生]を引き戻した。カーラの首筋から一センチも離れていない空間を通過した[後生]の軌跡は紅い筋を残し、カーラの髪を僅かに震わせた。

 

 

カーラから一歩後ずさり、辺りを見渡す。と同時に[後生]を納刀。いつ、何が来てもいいように右手を刀の柄に残しているが、マロンの動揺はその動作をただ形式的なものへと変化させていた。

 

 

(この感じ……この場合……そして彼女が発した言葉の意味……まさか、[奴]が……?)

 

 

焦りと衝撃。まさかとは思いつつも心の中に引っかかっていた「奴」の存在。[鬼神]である自分と双璧を為すと称された、[悪魔]。

 

 

真後ろの気配を察知。脊髄反射で前へと跳びながら身体を捻る。流れる視界の中に、今までこの空間に無かったはずの異質なモノを捉えた。

 

 

「……ッ!!」

 

 

それに狼狽え、着地の際にバランスを崩してしまう。そのミスを誤魔化すようにバックステップを繰り出し、よろけながらも態勢を整えた。足で地を捉え、踏みとどまり気を張り詰める。顔を上げると同時に、異質なモノの正体がはっきりと捉えられる。

 

それは、[ヘルター・スケルター]のユニフォームである白いツナギとは違う、明らかに迷彩効果を期待した黒いフード付きマントを羽織り、右手にはそれのメインウェポンであろう、禍々しい中華包丁を提げていた。

 

目線の先に居るのは、予想通りの[悪魔]……この場で最も当てたくない予想を当ててしまったことに絶望するほどだ。デルタのみならず、数々の一流剣士達からも恐れを抱かれる存在が、目の前にいる。

 

 

殺人鬼、[PoH]。目の前で薄ら笑いを浮かべていたその男は、ゲーム内最悪の殺人ギルド[ラフィン・コフィン(笑う棺桶)]のリーダーであった。

 

 

何も、マロンがPoHと邂逅したのはこれが初ではない。これまで幾度も死闘を繰り広げてきた相手だ。だが、この状況で奴が現れるとは想定していなかった。その衝撃が、マロンの交戦意欲を削いでいた。

 

 

「なんで貴方が……こんな所に……!」

 

 

「Ha……この女が裏切り者という事実から考えれば分かるだろう……? つまりはそういう事サ」

 

 

ユーリと同じ、マルチリンガル特有の話法で話す彼は、余裕そうにこちらを見る。表情こそ笑っていたが、彼の内面はそんな生易しいものでは無い。

 

 

彼の手口は狡猾にして残忍。殺しとは無関係の一般人をその弁舌で巧みに煽り、対象を殺害するように仕向け、殺させる。彼のカリスマ性に惹かれて人を集め[ラフィン・コフィン]であり、その組織はPoHを中心としたカルト宗教のような姿を呈していた。最盛期は潜伏した者も含め五十人を超えるメンバーを有していた。が、[ラフィン・コフィン]の勢力拡大に危機感を抱いていた[攻略組]が実行した討伐作戦によって壊滅。PoHは現場から姿を消し、組織も表舞台から姿を消した。今の今まで消息は掴めないままであった。

 

 

「気付いていたんだろう、Demon(鬼神)。じゃなければ、あんなビリビリ来る殺気は感じない筈だ」

 

 

「何を……!」

 

 

「ッハ……そんな顔をするナ。誰かに見られてる気がしただけだ……てっきり、お前のSystem(妖刀)の気配だと思っていたがなぁ……」

 

 

「……?」

 

 

PoHは残念そうに目を伏せる。彼のその動作は落ち着き払っているが、マロンとしてはその一挙一動足に緊張感の糸がはち切れんばかりに引っ張られていた。自然と右手が[後生]の柄へと動く。

 

 

「オイオイ……ここでヤろうっていうのか? 」

 

 

「……逆に見逃すとでも?」

 

 

PoHは呆れたように首を振ると、右手に提げていた中華包丁[友斬包丁(メイト・チョッパー)]を振り、体側に構えた。フードの奥深くで光る瞳が一度、強く輝いたかと思うと、呟くように言葉を発した。

 

 

「it's show time.....」

 

 

それは彼特有の交戦開始の合図だ。耳でその声を捉えた瞬間、身体がどきり、と反応する。こればかりは何度交戦しても慣れない。奴にはそれだけの迫力があった。

 

 

地を蹴り、低空のジャンプから動き始めたPohは、飛びながら提げていた[友斬包丁]を下から薙ぎ払った。眼下から迫る刀身をバックステップで避け、続けてきたニ撃目の振り下ろしを[絶風]で受け止める。

 

 

火花を散らす[絶風]と[友斬包丁]を挟んで二人の視線が交錯する。

 

 

「お前だけは……殺すッ!」

 

 

「そう言ったのは何度目だ? 口だけじゃ何時まで立ってもただのMurder(殺人鬼)のまま……お前の生き様に最高に似合ったGloryだがなァ!」

 

 

「私は人間だ……ふざけるなァ!!」

 

 

雄叫びと共に、腕に力を込め[友斬包丁]を押し返す。そうして生まれた隙を利用し、PoHへと肉薄する。

 

 

初撃は抜いたままの[絶風]を、ニ撃目は[後生]を抜き打つ。回避されたら体術によって再び隙を作って[後生]で斬る……そうしたプランを頭の中に思い浮かべた。というよりも、勝手に[妖刀システム]が最適なプランを弾き出してくれる。後はマロンがそれをどのように実行するかに懸かっていた。

 

 

初撃の払いは躱され、次の抜き打ちは[友斬包丁]によって受け止められた。ならば、とプラン通り体術を放つ為に態勢を整えようとした時だった。

 

 

「遅ぇなァ」

 

 

首筋に悪寒が走る。正対していた筈のPoHが、右手側に回り込んでいた。回避される可能性は考えていたが、予想よりも始動が早い。即座に地面を蹴り、距離を取る。状況を正確に把握する暇も無くニ、三発の攻撃が飛んでくる。その全てを[後生]で受けきり、カウンターの突きを[絶風]で放つ。

 

 

肉眼では補足できない程高速で撃ち出された突きは肉厚な刀身を持つ[友斬包丁]によってはたき落とされ、その反動で前へつんのめった態勢へとなってしまう。

 

 

「Wow……腕が鈍ったか、Demon? 」

 

 

PoJは突きをはたき落とした切り下ろしから、身体を捻りもう一度[友斬包丁]を振り上げた。そこで生まれた僅かな隙を逃さず、マロンは空いたPoHの胸元にタックルを喰らわす。

 

 

対人体術スキル [チャージスピアー]

 

 

低空から勢いのあるタックルを喰らわすこの体術は、どんな態勢からも放つことが可能であり、今のように前のめりになった状態からでも即座に攻撃の態勢に繋げられる便利なものであった。威力はそれ程のものであるが、命中すればノックバックを与えられる効果が付与されており、緊急時の回避手段としてマロンは重宝していた。

 

 

[チャージスピアー]のノックバック効果を受けたPohはよろめくように一歩足を下げたが、次の瞬間には硬直状態を脱し次の攻撃への予備動作へと入っていた。

 

 

(右手を自然に下げた……来る……!!)

 

 

ぶらりとPohの右手に垂れ下がった[友斬包丁]が不気味な光を放ち始める。フードの影に隠れたPoHの顔が一瞬、歪んだかと思った刹那。

 

 

「シアアアアッッッ‼」

 

 

雄叫びと共に、黒い影が迫って来た。PoHが良く使用するソードスキルの一つだ。高速で敵に接近し、すれ違いざまに鉈による重い二連撃を喰らわせる強力なものだ。実態の見えない程素早い接近に、マロンは肝を冷やしつつも[妖刀]のアシストに従い冷静に回避。身体のすぐ横を、黒い影が通過していく。影の中に光る無機質な瞳を見つけ、その不気味さに今更ながらに気持ち悪さを覚え、舌打ちを打った。

 

 

「もらったッ‼」

 

 

ソードスキルの硬直時間で動けないPoHの脇へと、回避からの振り向きざまに[後生]の突きを叩き込む。しかし、コンマ2秒の差で硬直状態が解除。あっさりと躱され、逆に腕を掴まれてしまう。

 

 

「まだまだッ……!! 舐めるなあッ‼」

 

 

まだ自由に動かせる左腕と[絶風]で斬りかかる。がそれも見透かされたように回避された。掠りすらしない。

 

 

「そういう所だDemon……お前の欠点はな。無茶な態勢からでも攻撃しようとする姿勢……殺人鬼としてはvery great。だが、一戦闘員としてはfoooooool……とんでもない馬鹿じゃねぇか。結局、[妖刀]の力を頼りすぎてるアホ。さっきカーラを仕留めた瞬間移動も、[妖刀]の処理負荷のラグか何かによるものだろう……?」

 

 

PoHが言う通り、あの瞬間移動は[妖刀]のシステムに組み込まれた一連の動き……ソードスキルのようなものだった。タネは[妖刀]がシステムに負荷の掛かる高度な処理を繰り返し、マロンの動きにラグを出す。そのタイムラグが残像となり、カーラに[質量のある残像]だと思い込ませ、後ろに回り込み、斬りつける。マロンが一対一の戦いで必殺としていた立ち回りであったが、それは今日でお蔵入りとなりそうだ。そこまでの事を見抜くPoHは、やはり只者ではない。

 

 

しかも、無茶な態勢から反撃を仕掛けた影響で見動きが取れない。右腕は掴まれ、左腕は虚空だ。重心は真上に浮き上がっており、咄嗟に動ける態勢では無かった。

 

  

正面には薄ら笑いを浮かべ、こちらを見るPohの姿が。右手には禍々しいオーラを放っている[友切包丁]。間違いなくソードスキルのサインだった。

 

 

回避する術は無かった。[妖刀]が見せているビジョンは先程途切れていた。つまり、この先にお前が生き残る可能性はゼロであると宣告されたようなものだ。

 

 

「Good bye……Demon ‼」

 

 

ステップと共に、Pohが[友切包丁]を振り下ろした。しかしそれがマロンへと触れる直前に、何かが[友切包丁]に当たった。あまり障害にはならなかったのか、しかし当たったことで0.5秒ほど命中までのタイムラグが出来た。それだけの時間があればマロンにとっては充分であった。

 

 

浮き上がった身体を落とし、右足を蹴る。低い姿勢のまま横へとスライドし、PoHの攻撃を避ける。

 

 

と同時に、脳内にビジョンが再び映し出される。[妖刀]が示したのは、体術によるゼロレンジファイトか、ソードスキルの直撃を狙った一撃決着かの選択肢。生存の確実性が高い前者を瞬時に選択し、初撃を繰り出した。

 

 

ショートタックルでよろけさせてからの回し蹴り。そこでさらに上段、発勁と繋げた。流石のPoHでも全ては受け流しきれない。だが、彼はガードするべきものとしないものと分別していき、致命傷を防いでいた。それでも、たいせいを立て直すまでの時間稼ぎには使えた。

 

 

「一体何が……」

 

 

PoHの攻撃を止めた存在。何者かの気配を感じ、右隣を向くとそこにはミッカの姿があった。怯えて腰を抜かしていた彼女の姿はそこに無く、震える膝を制して懸命に立ち上がり、今にも涙が零れそうな瞳でPohを睨みつける姿がそこにはあった。

 

 

「……who?」(誰だよ?)

 

 

Pohはミッカを見て、鼻で笑い首を傾げる。その嘲笑にもミッカは屈せず、逆に睨み返していた。

 

 

「……大丈夫ですか、マロンさん?」

 

ミッカはPoHから目線を外さないまま、隣で膝を付いているマロンへと問い掛けた。

 

 

「……助かりました。あの隙が無ければ、きっと今頃は……」

 

 

「俺にKillされてた、とでも言うのかDemon? 優しいお友達に救われたなァ……だが、ツメが甘いんだよなァ‼」

 

 

ノーモーションでPoHが動き出す。気が緩んでいて反応が遅れる。それは隣にいたミッカも同じであった。彼女に至っては唯一の武器である短剣を納刀してしまっていた。

 

 

PoHの目線はマロンに向けられていない。PoHの狙いは完全にミッカであった。

 

 

「マズいっ……‼」

 

 

左腕にある[後生]を何とかミッカの前に出そうとする。距離は4メートルほど。PoHとミッカが接触するまでの時間はコンマ3秒ほど。マロンの敏捷値なら、ギリギリ間に合うかどうか。

 

 

「間に合えッ‼」

 

 

[後生]の刀身が紅く染まる。それとともに左腕の突き出すスピードも上がる。PoHの持つ[友切包丁]が横薙ぎ払いで迫りくるのに対し、マロンの[後生]は真正面から受け止める軌道で繰り出す。

 

 

禍々しいオーラを放ちながら、[友切包丁]がミッカへと接触する、その隙間を縫うように[後生]を滑り込ませた。両者の刃が火花を散らすとともに、[友切包丁]と[後生]が共鳴したかのように、真紅と漆黒のオーラもぶつかり合う。その衝撃でミッカは後方へと吹き飛ばされた。一瞬、ダメージを心配したが、ただのエフェクトでダメージは無かった。寧ろ、危険地帯から飛ばされてくれたほうが都合が良い。

 

 

「やったッ……」

 

 

「とでも思った、か?」

 

 

安堵したのも束の間、背後からPoHではない、もう一つの影が現れた。深紫のオーラ、PoHほどではないにしろ、肌で感じる狂気。そして、突き刺すような冷たい目線。PoHとの戦闘に集中し過ぎるあまり忘れかけていた、彼女の存在。

 

 

「忘れないで欲しいものね」

 

 

深い闇に包まれたカーラの目線が、そこにはあった。と同時に、PoHの背後から光るレイピアの尖端が突き出された。距離的にも、タイミング的にも今度こそは間に合わない。

 

 

「これで最後……これでぇぇぇッッ‼」

 

 

まただ。つい先程ミッカに救ってもらった命を、同じ形で捨てることになるとは。何故学習しないのか。何故前しか見ることができないのか。

 

 

死の間際になっても、何の意味もない自己嫌悪に陥る中、突然視界が暗転した。ついにHPがゼロになり、死を迎えたのかと思いきや、何の警告メッセージも出ない。普通ならゲームオーバーを伝えるメッセージが視界内に表示される筈だ。

 

 

それが気になって左下に表示されているHPバーを見た。そこにあったのは0が表示された物ではなく、しっかりと残量がまだあるHPバーであった。

 

 

視界が暗転したと思っていたのも、どうやら違うらしい。眩い光を放っていたカーラのソードスキルが中断された為、光が消え、突然暗闇に戻った結果がマロンに暗転したと勘違いさせていた。

 

 

何故、突然カーラのソードスキルが中断されたのか。その答えはすぐに見つかった。マロンの目線の先には、灰色の簡易的な和服を着た、見覚えのあるシルエットがあった。いやでも、とマロンは思い直す。彼は、殿で[ヘルター・スケルター]と交戦中の筈だ。最後方の殿から遠く離れた中央部まで戻ってくることが出来るのか。

 

 

しかし、[彼]はここに居る。カーラのレイピアを弾き、マロンの危機を救ったのは紛れも無い彼だった。

 

 

「危ね……間に合って良かった……‼」

 

 

「……デルタ君⁉」

 

 

今日何度目になる驚きだろうか。彼は殿を守っていた筈だ。なぜ、中央まで戻ってこれたのか。そして私は何度同じ過ちを繰り返し、彼に救ってもらっているのだろうか。情けない。自らの不甲斐なさに涙が出てくる。

 

 

カーラは弾かれたレイピアを再び構え、デルタへ突きを放った。レイピアとデルタの持つ日本刀とではリーチの差がかなりある。正対しての戦闘は不利と判断したデルタは刀を納刀し、突きを回避。がら空きとなったカーラへと右フックから回し蹴りの体術コンビネーションを当て、距離を取らせることに成功した。

 

 

「Wowwowow……とんでもねぇサプライズゲストが来たもんだなァ。ヒロインのピンチにヒーローが駆けつけるシチュエーション……思い描いていた通りか?」

 

 

「……そんな余裕そうに見えるか? クソ野郎が」

 

 

「Ha……後方の敵を蹴散らしてきた訳じゃないんだろう? さしずめ、いいタイミングで援軍が来て抜け出せたという事か。[黒の剣士]といい、ヒロインのピンチには相ッッッ当目敏いなァ……」

 

 

「アイツと一緒にしないでくれ。というか、お前と悠長にお話をしてる場合じゃないんだよ‼」

 

 

デルタは地面を蹴った。右手は腰の日本刀へと添えられている。マロンと同じ[抜刀術]のスキル、そして[二天一流]のアビリティを持つデルタには、様々な選択肢が与えられている。その中でもデルタは、最もオーソドックス……正面からのぶつかり合いを選んだ。日本刀と中華包丁なら、リーチの差も無い。若干の有利を持って戦える選択だ。

 

 

初撃の払いをPoHは躱し、[二天一流]によって放たれたニ撃目の振り下ろしはパリィによって弾かれた。

 

 

「オイオイ……久しぶりの再会なのにそう焦んな……よッ!」

 

硬直時間を狙われ、ドロップキックを浴びせられる。ダメージはあまり無いが、ノックバック効果は非常に高い。5、6メートルは飛ばされたのだろうか、滞空時間はかなり長い。そこから追撃に来るか、と身構えたが、PoHは蹴った反動で空中で一回転、カーラの横に着地すると、懐から何かを取り出し、それを高らかに掲げた。

 

 

「あれは……[転送結晶]!!」

 

 

[転送結晶]は、使用すると、事前に決めたワープできるというアイテムの事であり、アインクラッド中のトレジャーハンターなら一度は使ってみたいと思えるアイテムであった。マロンはこの手のアイテムを良く知る知人から存在を聞いていたお陰で、効果を認知しており、素早く反応する事ができたが、アイテム等に疎いデルタは重大さが掴めず、マロンに遅れること数歩掛かってようやく動き始めた。

 

 

「逃がすか‼」

 

 

前方へ大きくステップしながら抜刀。[後生]を顔の横へ構え、PoHとカーラが包まれている青い光へと突き刺す。が、手応えはない。[後生]を引き抜くと、二人を包んでいた光は消え、跡には何も残っていなかった。

 

 

「ジャンプされたか……」

 

 

後ろから小走りで掛けてきたデルタが、確認するように呟いた。

 

 

「ええ……多分他層に逃げられたと思います。……助けてくれて、ありがとうございました」

 

 

いいよ、大丈夫とデルタは返事を返した。

 

 

「だけど、これからは本当に気を付けてくれよ……ミッカも大丈夫か?」

 

 

ぼーっと突っ立っていたミッカはデルタからの呼び掛けに気付き、慌てて改まり、返事をした。

 

 

「はっ、はい‼ 大丈夫です、デルタさん。……ごめんなさい。私がぼーっと突っ立っていたせいで……」

 

 

「気にしなくていいよ。次から気を付けてね。しかし……まさか、ね……」

 

 

「……まさか、でしたね」

 

 

デルタの呟きとミッカの相槌の意味することは一つ。カーラの裏切りだ。

 

 

どうしても信じることが出来ない。あれだけ純粋であり、正義を標榜していた筈の彼女が、狂気に染まってしまったのか。何故、突然叛旗を翻したのか。謎は沢山あった。

 

 

「……考えても仕方無いよ。取り敢えず、何とかここを切り抜けよう。まだ戦闘は終わっていない」

 

 

デルタに対し、皆が頷き合う。情報によれば、後方はあらかた片付いた様子であった。なので、未だ交戦マークが表示している前方最深部へと向かうべく、デルタたちは駆け出した。

 

 

 

■■■■■

 

 

[ヘルター・スケルター]討伐作戦から二日が経過した日。アインクラッド第55層[グランザム]にある血盟騎士団本部にて、[攻略組]幹部による討伐作戦に参加した者達への聞き取り調査が行われていた。対象となったのは、指揮官クラスの面々と、カーラの謀反現場に居合わせた者達(マロンは[妖刀]の後遺症で頭痛を発症し、欠席していた)の計十名ほど。その調査の最後尾に、デルタは調査室とされた部屋へと呼び出されていた。

 

 

「交渉による解決は無理だった、と」

 

 

「当たり前でしょう? というか、貴方も前々から分かっていたんじゃないんですか? 彼らに話し合いをする頭が残っていないという事くらい」

 

 

椅子に座って手を組み、額を押し付けて瞑目している彼へと若干の苛立ちを覚えていただけに、その言葉はぞんざいなものとなった。彼は何を思い、何を考えているのか。本当にこの男はそれが読めない。彼の後ろに控える女性とは大違いだ。

 

 

ちらりと目線を傾けると、そこには紅白色の制服……[血盟騎士団(KoB)]と呼ばれるこの世界最強のギルドのユニフォームを着こなした少女と目線が合った。こちらからの目線に訝しげな表情を浮かべた彼女は、こちらの意思は理解するつもりはないと目を瞑り、首を横に振った。ハーフアップに纏められた栗色の髪の毛が揺れるのを見て、釣れないな、と内心苦笑し、目線を正面の男へと戻した。

 

 

「このギルドには平和主義者が多いですね。良い事だ」

 

 

皮肉を効かせたつもりは無いが、そう聞こえてしまったのだろう。少女は顔を烈火の如く染め上げ、声を荒らげた。

 

 

「なっ……!!」

 

 

「別に誰の事とは言っていませんよ。 まぁ今回の部隊を指揮していた奴らの方が余程平和主義者でしたが。アスナさん、あんたも現地に来れば彼らの態度に辟易としたはずですよ。[DDA(Divine Dragons Alliance)]も[CSKA]、今回メンバーを出してくれた二つのギルドもトッププレイヤー集団としてのメンツを保ちたいだけで指揮官の人選は杜撰だった。もしかしたらグループ内のゴミ掃除だったのかもしれない……まぁともかく色々この後に繋げられそうな事例は出来たんじゃないんですか?」 

 

 

そうして目線を再三目の前で瞑目している男へと戻した。副団長である彼女……アスナと張り合うのは精神的に骨が折れる。ふう、と意識せずに吐いてしまった溜息に対し、男はこちらを見、苦笑を浮かべていた。

 

 

「あんまり死人を貶めてくれるな。一応、彼らもこの世界の平和を保とうとした高潔な人物達だ。それ相応の敬意を払わなければならない」

 

 

一応、などと前置きしている時点で彼も亡くなった指揮官達に払う敬意など無いということが見え透いていた。逆にここで感情的になっている人物だとすれば、彼はこの組織、ひいては攻略組をここまで引っ張ってくることは、不可能に近いだろう。目の前の男はそんな硬軟を使い分ける事が出来る器用な男であった。

 

 

「最後、今回の討伐作戦に従軍した感想は?」

 

 

地獄を見させられた自分に対し、研究者のような口調でこんな言葉をぬけぬけと放てる時点で相当な男である。それが目の前から浴びせられる氷の様な目線の源であるヒースクリフという男の本質であり、ひいては後に知ることとなる、ヒースクリフの本当の正体、SAOを開発した張本人である茅場晶彦の本質でもあった。当時はうっすらと感づいていただけであり看破していた訳ではなかった。それでも、この男は他の人間とは何かが違うということは完全に看破していた。そんな印象を持っている相手にわざわざそんな事を聞かれるのかと内心嘆息しながら、思いついたままの感想を話した。

 

 

「不確定要素の怖さが改めて分かりました。存在だけ判明していた裏切り者が誰なのかは誰も知らなかったし、誰も知り得なかった。まさか[CSKA(チェスカ)]のトップエース……攻略組の核とも言える彼女だったなんて、知りたくもなかったもんです」

 

 

結果として、攻略組所属のプレイヤー達を動員した[ヘルター・スケルター]討伐隊は勝利した。和睦による解決は出来なかったが、敵の幹部陣は逃走した一名を残して全員が捕縛または死亡。他メンバーに関しても多くが戦闘能力を奪われ、事実上[ヘルター・スケルター]は壊滅状態となった。が、それは単純に喜べる結果では無かった。 

 

 

討伐隊パーティ総勢三十人のうち、八名が死亡。六名が精神障害を患いしばらくの期間、戦闘不能。おおよそパーティの半数となる十四人が使い物にならなくなった。これは少数精鋭主義を掲げる攻略組にとっては痛い損失である。気が狂った殺人鬼と対峙するということはそれ相応の精神負担が掛かるということだ。

さらに死にもの狂いで捕縛した[ヘルター・スケルター]のメンバー達も、何らかの精神障害を負っている為尋問する事が出来ず、ただの骨折り損となっている状態であった。

 

 

「[ラフィン・コフィン]の数少ない生き残りは各地に散らばって息を潜めている……との報告だったが。まさか出てくるとはな」

 

 

「彼らが仲間の救出に執着を見せたのは今回が初……まぁそれは恐らくついでの目的で、本来の目的は別にあったのだろうと推察していますが」

 

 

今回の討伐作戦は集団自体を壊滅させるという視点では成功と呼べるものであった。が、この作戦によって「攻略組」が受けた損害、指揮系統の全滅であったり各ギルドからの抗議の処理、そして何より、滅んだ筈であった[かの殺人ギルド]に繋がる重要な人物を取り逃がしてしまった事などを考えると、作戦に従事した当事者として成功したとは言いづらかった。

 

 

デルタが一番気に掛けているのは、やはり[かの殺人ギルド]に繋がる重要な人物……討伐作戦中に謀反を起こし、指揮官二人を殺害して逃亡したカーラのことであった。デルタは、このゲームがスタートした直後、まだ攻略組という枠組みがあまり無かった時代から彼女とは交流があった。彼女の所属していたギルド、[CSKA]は他の大型ギルドと比較すれば小規模なギルドであったが、精強な実働部隊が居た為、攻略メンバー達の間でも実力者の集団だと見られていた。その中でも上位の実力を持つカーラとなれば、初期から攻略に参加していたデルタやマロンは、嫌でも攻略会議などで顔を合わせる事となる。

 

 

強烈なリーダーシップと、冷静な戦況判断。レイピアの腕も確かであり、最前線を張れるほどの戦闘力。人脈も人望もあり、類稀なカリスマ性もある。それだけの魅力を、多くの人間が混乱が渦巻くゲーム序盤の時点で既に感じ取っていた。

 

 

最初は寄せ集め集団でしか無かった攻略組を、組織化させたのも彼女の尽力あってこそだ。功労者とも言える存在の彼女が、何故堕ちてしまったのか。原因は攻略組の誰もかもが分かっている。

 

 

「ラフィン・コフィンね……いつまでこの世界に取り憑いているんだか」

 

 

[かの殺人ギルド]こと[ラフィン・コフィン]と呼ばれた殺人ギルドが有名になったのは、そう昔の事では無い。人の命が掛かっているゲームという異常な環境だからこそ、異常な集団も生まれた。彼らは殺しを楽しんでいた。人の命を奪うのが楽しくて堪らない。そんな集団に獲物として狙われたプレイヤーは数多く存在していた。この場にいるデルタ、ヒースクリフ、アスナの三人全員、一度は彼らに狙われたことがある。この場に居ない面子でも、マロン達を始めとする[インビジブル・ナイツ]のメンバーや攻略組の面々も毒牙を向けられている。

 

その中でも特に存在感を見せていたのは[PoH]と呼ばれる一人のプレイヤーだった。最凶と呼ばれた[ラフィン・コフィン]の中でも最も最凶と呼ばれた男。周りを魅了するカリスマ性と、異様によく回るその弁舌で、人々を人道から叩き落とす事を続けた化け物であった。

 

彼は立場こそ違えど、多くの殺人を犯したという点では共通点を持っているマロンへと異様な執着心を持っており、インビジブル・ナイツが彼らに襲撃されたことは一度きりでは無かった。

 

 

しかし、そんな彼らもついには滅んだ筈であった。一ヶ月前、攻略組を中心とし各ギルドの精鋭を集めた連合討伐部隊によって、多大な被害を出した彼らは滅亡したはずであった。だが、まだ完全に消えたという訳では無かった様だ。

 

 

「最凶の殺人者であるPoH。[ラフィン・コフィン]のリーダーであり、ギルド最後の生き残りでもあると思われた彼がこれから内通者の救出に出張ってくるとなると、中々骨が折れるな」

 

 

「奴がわざわざ内通者の救出に来るとでも? その対策の為に、只ですら少ない攻略組の人員を割くつもりで?」

 

 

「本当は私も君と同じ意見だ。救出に来る可能性は低いと考える。恐らく内通者もそれ程の数は居ないだろう。居るにしても、切り捨てたと考えるのが妥当、と思うが、攻略組の中で彼への対策を強化するよう上申してきた者が居る。ギルドリーダーとしては、可能性が1%でもあるその意見を蔑ろには出来ない」

 

 

「……どこぞのアホがそんな意見を?」

 

 

デルタは訝しげに問い掛けた。すると、答えたのはヒースクリフではなく、後ろで不機嫌な顔を隠さずに控えていたアスナであった。

 

 

「可能性としては高いのでは? 他のギルドメンバーは全員捕縛か死亡。組織を保つ為に、何かしらの手を打ってくると予想されるかと思いますが」

 

 

思いの外強い口調に、またかと言いたくなるのは常な事だ。表立った衝突はしないが、こういう場所で仲の悪さが出てしまうのはいつものことであった。彼女から一瞬目線を外してヒースクリフを見てみれば、彼もまたかと言いたげな目線をデルタとアスナ、両人へと向けていた。 

 

 

「俺は来るとは思えないね。正直、奴は[ラフィン・コフィン]という組織の存続自体にはさほど興味が無い気がする。そして単独になった今[攻略組]にちょっかいをかける意味も無い筈だ」

 

 

「じゃあ、何の為にカーラを救出したと思うの? マロンと交戦する為だけに今回みたいな[攻略組]の主力が集まった合同部隊のど真ん中にわざわざ乗り込んだとでも?」

 

 

「奴がマロン……[妖刀]に前々から興味を持っていたからじゃないのか?そして交戦ついでに正体がバレて足が付きそうな内通者を救出。カーラが有能なのはアンタも知っているだろう?奴は頭が切れる。だから……」

 

 

「殺人鬼に冷静さを求める? 馬鹿じゃないの? だから……」

 

 

互いに譲らない言い合いは妥協点が見つからないまま五分を越えた。攻略組のトップエース同士が言い合いをするという珍妙な光景を暫く黙って見ていたヒースクリフであったが、流石に飽きたのだろう。適当な所で静観していた顔が動いた。

 

 

「アスナ君の意見は攻略会議で議題に上げるつもりだ。通った場合、十数人規模の調査隊を編成することになるだろうが……人員の選定はデルタ君、君に一任する」

 

 

そう静かな声で告げると、ヒースクリフはデルタと目を合わせた。

 

 

「ノリノリで提言したそこの副団長様が適任かと思われますが」

 

 

その言葉と共に再びアスナへと視線を送るが、当の彼女はそっぽを向いてしまっていた。さらに追撃するようにヒースクリフからの言葉が飛ぶ。

 

 

「この件について、君以上の適任は居ないだろう。大人数の人命が関わる事案だ。丁重に頼む」

 

 

はぁ、と今日何度目になるか分からない溜息を吐く。討伐作戦での殿といい、今回の責任者といい、ここ最近は何かと貧乏くじに縁があるようだ。

 

 

「空振りに終わらなきゃいいですけどね。まぁその議題が通ったのなら考えますよ。……じゃあ、メンバーを待たせているので俺はこれで」

 

 

振り向いて出口に歩き出そうとすると、背後から掛けられたヒースクリフの声が足を止めさせた。

 

 

「頼んだよ。……それと忠告を一つ。君は目は沢山あるが、周りが見えていない。前しか見ていないのか、考えが追いついていないのかは自分で考えてみるといい。もっと自分の長所を上手く使う事だな」

 

 

「……!!」

 

 

[「目」は沢山ある。だが「思考」は追いついていない]。自分でも薄っすらとしか自覚していなかった自らの弱点を言い当てられ、思わず言葉に詰まる。何故、この男にはそれが分かるのか。問い質したい衝動を堪え、ぐっと唾を飲み込む。振り返ると、そこには先程と変わらない姿のヒースクリフが居た。その目線は相変わらずの見透かすような目線。抱いた印象は間違いでは無い事を再確認させられることとなった。

 

 

「……ご忠告どうも。肝に銘じておきますよ」

 

 

その一言だけを残して今度こそ部屋を出て、その足で街へと向かった。その足が若干早足になってしまったのは、焦りだろうか。

 

 

敷地から出て少しばかり大通りを歩くと、街中で待機していたユーリが、するっと隣へ入り込んで来た。久しぶりのオフを満喫したはずの彼女の顔は、とてもそうは思えないほどに陰鬱なものであった。

 

 

「……どうだったノ?」

 

 

珍しく外套のフードを被ったユーリが、こちらを見ずに問いかけた。こちらから見えるのはフードからはみ出している切り揃えた前髪と、整った形をした鼻だけだ。目も表情も、隣からは覗う事が出来ない。

 

 

「捕虜はとても話を聞ける状態になく、逃亡者は行方不明。PoHの意図も結局は分からず仕舞いだ。で、出た結論は調査隊の設置と……」

 

 

「何も分からない状況って事デスカ……Regretな気分ネ……」

 

 

「ああ……ただ単に、後味の悪い事件だったな」

 

 

その後は言葉が続かない。閑静な雰囲気の大通りを、二人は無言で歩いた。

 

 

何故誰も話したがらないのか。おそらく、誰もが認めたくなかったのだろう。攻略組の柱であった彼女が謀反を起こした事を。実際に交戦したマロンも、実際の状況を見ていないアスナも、皆話す事は殆どがPohの事ばかりであり、カーラの事はあまり話そうとしない。相当な高さまで積み上げた信頼が崩れ、未だに衝撃に見舞われているのは皆同じということか。

 

 

その無言が崩れ、ユーリが遠慮がちに話を切り出し始めるには三分ほどの時間を要した。

 

 

「……どうして、カーラは私達を裏切ったノ?」

 

 

ユーリの声は震えていた。

 

 

「さぁ? 分からないよ。[攻略組]に嫌気がさしたのかもしれないし、この世界に嫌気がさしたのかもしれない。生きる気を無くしたのかもしれない。部隊の指揮官に個人的な恨みがあったのかもしれないな。ともかく、今となっては真相は闇の中さ。聞きたくても、聞けないからな」

  

 

あっけからんと話すデルタの姿に驚いたのかユーリがちらりとこちらを見た。

 

 

「でも、普通嫌気がさしたくらいで人を殺しマスカ? そんなDangerな人では無かったと思ったケド……」

 

 

「昔は普通だったな……でも、普通じゃないんだよ、この世界は」

 

 

そう、普通では無いのだ。現実世界の日本で生活していればまず無い、命懸けの状況。一歩フィールドへと出れば、そこは戦場だ。銃弾や爆弾が飛び交う現実世界の戦場とは武装の程度が違うのみで、本質は同じだ。その世界で、人は変わらずに居られるか? いや、そんな事は不可能に近い。変わらなければ、生き延びることが不可能なのだから。

 

 

人通りが疎らな大通りから外れ、完全な静寂に包まれた小路へと逸れる。当初予定に無かった寄り道に、ユーリは顔色を変えることも無く素直に付いて来た。そして彼女は、話の続きを促すような表情を見せていた。

 

 

「変わらないと生き延びられない、という状況下であるのならば人は本能に従って自分を変える。優秀な奴だからこそ、変な方向に曲ったんじゃないのかな。柔軟すぎたんだよ、奴は」

 

 

「……それはみんなにも当てはまる事デスね。デルタ、マロン、リッキー……皆カーラと同じくらいGreatな人達デス。もし、どこか知らないところで曲がってしまったラ……そう考えると、怖いし、悲しくなるネ」

 

 

「優秀であるが故に壊れるか、無能で変化に対応出来ず滅ぶか……結局、普通が一番って事だよ。出る杭は打たれる、って訳じゃないけど、突出した何かを持つ奴は意外と脆い。カーラにしても、マロンにしてもな」

 

 

「……私達も注意しないとデスネ。いつ、何が迫ってくるかは分かりませんカラ」

 

 

そういってこちらを見たユーリの顔は、何かを諦観したような表情を貼り付けていた。時々この少女は弱気な所を見せる。それを曝け出している、つまりそれだけ信頼されていると考えれば気は楽であるが、今はそんな事を素直に喜ぶ事が出来ない。

 

 

信頼されるということは単純に重荷が増えるということだ。そしてその重荷を、デルタはこの世界で沢山引き受けてしまっている。それがプラスなのかマイナスなのかは、当時のデルタ……牧田には分からない事であった。

 

 

 

 


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