SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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8/22 追記 一部箇所修正しました。


十二話 妖刀の亡霊

夢を見ていた。長く、深い眠りの中での夢だ。

 

まるで人生をまるまる一つ体験したような、そんな夢。その夢の主人公は、一人の少女だった。

 

小柄な少女は、幸せそうだった。いつも笑い、楽しそうにしている。仲の良い幼馴染の男の子の隣にいつもいて、何か辛いことがあれば助けてくれる。逆に、その男の子が困っている時には、寄り添っていた。持ちつ持たれつつの理想的な関係。幸せ以外の何物でもないそんな生活が長く続く夢を見た。

 

なにもかもが現実とは違うその夢に、夢を見る少女は何故か既視感を覚えていた。

 

その少女が歳を重ねていくにつれて、彼も歳を重ねていく。少年から青年へ、青年から大人へ。ずっと寄り添っていた。近くで見ていた。本当に、本当に幸せだ。

 

それと比べ、栗原絵里香の現状はどうだろうか。誰にも寄り添えず、少しの力にもなれず、何も出来ない。幸せなんてものは殆ど実感できない、それが現状だった。

 

夢の少女のように、すべてが幸せになることなど無い。そう過去の自分に伝えたい。普通に生活しながら夢を見ていた、二年半前の自分に。だがそれは不可能な事だ。

 

今の私は、[殺人者(マダー)]と[鬼人](フロスト・デーモン)の異名を負っておいて、何の力にもなれない唯の無能に過ぎない。夢の中の少女は、あくまでも私が描いた理想の具現化でしかない。だが、「夢の中の幸せな少女」と「現実世界の無能な殺人者」、果たしてどちらに生きる価値があるのだろうか。

 

「現実世界の無能な殺人者だとしたのなら、そんな私は一体、何の為に生きている?」

 

自問した所で答えなど出てこないのは既に分かっている筈だった。だが、自問せずにはいられない。不安だった。自分の生きる理由が無くなってしまう事が。そして、死ぬことに理由が付いてしまう事が。

 

だから答えが出ない質問を自分に対して繰り返していた。それは一種の自慰行為に近い。自らの生存欲を満たす為とはいえ、情けない行為だった。

 

(情けない。本当に、情けない女だ......)

 

どこからともなく聞こえてくるくぐもった男の声。初めて聞いた声であるが、どこか懐かしさを感じる声であった。そして栗原は、その声の主の正体を、夢を泳ぐ薄い意識の中で看破していた。

 

(....後生...?)

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

風が吹いている。涼しい風が、Tシャツの袖から出る二の腕を掠める。それを薄い意識で受け止めていた。だがその風は心地良いものでは無く、冷たく、機械的な風であった。

 

その風の気持ち悪さによって薄い意識が段々と晴れていき、視界がはっきりとする頃にはその風の正体が掴めていた。寝そべっている足の方向にあるエアコンのスリットから、えらく冷たい風が吹き付けていた。壁に取り付けられている家電制御用の液晶を見ると、[冷房]の表示が目に入った。その横に映された設定温度は28度と、真冬であるのにも関わらず冷房が点いていた。何故だろう、と疑問を感じる前に強烈な吐き気が栗原の頭を襲った。

 

反射的に床に置いてあったビニール袋が被さっているゴミ箱を掴みとり、顔をその中に突っ込んだ。途端に緊張していたストッパーが緩み、胃がまるごと出てくるのではないのかという勢いで内容物を吐き出した。

 

その嘔吐がようやく落ち着いた頃には、頭が酸欠を起こしたかの様にぼんやりとし、視界が薄暗く歪んでいた。なんとか力を振り絞って顔はゴミ箱から離したものの、自分の意思では身体を動かせないレベルまで衰弱していた。鳴り止むことが無い耳鳴りで周囲の音を感じとる事は出来ず、部屋中に漂う香りも込み上げてきた胃液によって鼻が塞がれて感じることができない。栗原は五感の殆どが塞がれた状態で佇んでいた。

 

全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出し、顔に至っては鼻先から滝のごとく汗が流れ落ちていた。その雫はフローリングに溜まって小さな池となり、その池は苦しみ悶える栗原の顔を写し出していた。

 

「はあっ.......はあっ......」

 

オーバーヒートを起こした脳が酸素を求めて肺を異常なまでに働かせていた。意識は朦朧としていて今の状況を把握することが困難だった。何故嘔吐したのか、まるでわからない。頭の中は混乱の最中にあった。

 

どうしようもないと少し時間を置き、そのままの体勢で比較的思考が出来る状態まで身体を休ませた栗原は、吐瀉物の溜まったゴミ袋を見つめ、何故突然体調が急変したのかを考えた。

 

まずエアコンだが、気温が低いにも関わらず勝手に動作するとは思えない。このエアコンは、家中の家電を一括操作するAIによって管理されている。AIの誤差動は今までに無く、突然動き出したとは考えにくい。冷房が付くレベルの熱源が、この部屋の中にあったから動き出したのでは、と気付き、自分の額に触れてみるが、自分の体温など判る筈もなく、結局机の引き出しに入っていた体温計を脇に挟んだ。一分後、小さな電子音を鳴らし、体温を測り終えたと伝えた体温計を引き抜き、その液晶を覗く。

 

そこに表示されていた数字は、なんと四十度ジャスト。栗原の人生経験には無い数字であった。道理で死ぬかと思う程体調が悪い訳だ。その死にそうになる体温をIRセンサーで捉えたエアコンが作動してしまうのも無理はない。おかしいのはエアコンでは無く、自分自身の方であった。

 

一目見て確認した体温計はベッドの上へと放り、自身も強烈な気だるさに耐えられず、ベッドへと倒れ込んだ。マットレスが栗原の体重を受け止め、軽く跳ね返した。

 

薄い意識の中で改めて思い返したのは、精神をざわつかせた「妖刀」(後生)の感触だった。懐かしいとも言えるその感触は、栗原の精神をまるでベルトサンダに掛けたようにして削っていった。その結果の体調不良なのではないか。明確な根拠は無いが、一年半近く自らの精神に居座り続けている異物の事ならば、自分の事のように理解できているつもりだ。

 

「あの時からそうですか.....[妖刀]を扱い切れず、身体が耐えられなくなってきたのは.....ふふっ.....」

 

手探りでベッドの上に放っていたアミュスフィアを探し、電源コードを掴んでたぐり寄せた。冷えた金属の感触がするアミュスフィアのメインフレームを掴むと、汗が滴る頭へと被せた。

 

「[後生]の亡霊め....」

 

いつまで私から離れないんですか、と言葉を続ける余裕は無かった。僅かに残る体力を振り絞り、栗原は起動の合言葉を呟いた。

 

「.....リンク・スタート」

 

 

■■■■■

 

東京都・千代田区秋葉原 [22:30]

 

牧田 玲・DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

牧田、久里浜、アンの三人は、日大病院を後にすると上野方面に向かって歩き始めた。今の精神状態で人混みの多い電車に乗る気は三人とも無く、夜の冷涼な空気を欲した三人は、少し遠いながらも徒歩での移動を選択した。

 

三人は一番背の低いアンを中心に、牧田が右、久里浜が左を挟んで歩いていた。カーディガンを羽織るのみで寒そうにしていたアンに久里浜は嫌々ながらもフライトジャケットを貸し、アンはフードのファーに顔を埋め、温かさを堪能していた。

 

「....ねぇ、玲くん」

 

隣を歩くアンが、フードから顔を少しだけ出し、気兼ねしたようにこちらを伺っていた。牧田は、その表情でアンが何を言わんとしているのかがある程度察する事が出来た。

 

「どうした。VRゲーム(ソードアート・オンライン)の事か?」

 

「....どうして分かったの?」

 

アンが驚いたというように目を見開いた。

 

「さあな。只の勘だよ」

 

「.....まぁいっか。仮想世界って、どんな感じだったの?」

 

えらくアバウトな質問だな、と牧田は困った様に頭を掻いた。仮想世界と一口に言っても色々な種類があるが、きっとアンの差し示す仮想世界は、SAOの事だと予想することができた。

 

「...面白い場所ではあった、と言ったら駄目か。他の[帰還者]に怒られるな....まぁ、魅力的だったよ」

 

それは嘘では無く、事実だった。現実世界とは違い、新しい発見や未知との遭遇の機会に恵まれ、新たに芽生えた交友もあった。冷血が基本条件とされるエージェントにも、そのような事を楽しむくらいの人の心はある。あの世界での出来事のほとんどは、惹かれる程の魅力を放っていた。

 

「あの世界で、本当の人間の欲深さを見れた。それだけでも良い経験になった」

 

死が間近にある世界で、自らが生き残る為ならばと、盗み、詐欺、恐喝等、あらゆる行為が横行し、挙げ句の果てには殺人まで起きた。牧田には直接SAOのログに触れられる権限は無かったが、菊岡に頼み込み「SAO内部で死に至った者の死因内訳」を伝えてもらっていた。死者四千人中、他プレイヤーからの攻撃で亡くなった者はおよそ七百人。内、「グリーンプレイヤー」と呼ばれる健全なプレイヤーの割合は五百五十人ほどで、後は軽度の犯罪を行った「オレンジプレイヤー」や殺人を行った「レッドプレイヤー」といった、違反者達が残りの百五十人ほどを占めていた。

 

正義、という有るのか無いのか分からない代物の名の下に、違反者グループの討伐隊が編成されたこともあった。様々な派閥の連合で組まれた連合部隊の為、ある派閥に囲われていた自らのギルド(インビシブル・ナイツ)は、その作戦に参加せざるを得なかった。牧田を始め、栗原、ユーリ、リッキーのギルドメンバー総出で出撃した初陣は、結果的に凱歌を街で聞く事が出来た。だがそれは、街で鳴り響く軍楽隊のファンファーレの演奏代に、双方の人間の血を差し出したのと何ら変わらない、悲惨な戦いであった。

 

 

■■■■■

 

 

SAOがスタートして約二年が経過した頃の出来事だ。当時、牧田ことデルタを中心としたギルド「インビシブル・ナイツ」には「後生」の力を不完全とはいえある程度コントロールしていたマロンが居た。デルタは、マロンの側で戦い、いつ「妖刀システム」の過負荷によって戦闘不能になってもサポートできる様に備え、ユーリとリッキーは基本的に自由戦闘、マロンが危機的状況に陥ればデルタから報告を受けてカバーに回るというのが、「インビシブル・ナイツ」の基本的戦術であった。

 

だが多数のギルドが統合した「レッドプレイヤー討伐連合部隊」の場合、その戦術は採ることが出来なかった。最前線を支える事が出来る重装備をしているユーリとリッキーがそれぞれ左右両翼を担い、デルタは危機対応能力から最も危険な殿へと抜擢された。マロンは最も戦闘能力が高い事から、中央に居座りながら指揮を執る大きな派閥のトップ達を守護する"近衛"として待機していた。

 

「彼奴ら、威勢良く出張っといて、いざ戦うとなれば一番安全な所で指示飛ばしかよ。クソッタレが」

 

討伐対象がアジトにしているという洞窟の中を連合部隊は、陣形を組み、丹念に索敵しつつ最深部へとゆっくり進軍していた。

 

デルタの隣で後方を警戒している、ミスリル銀で編み込まれた鎖かたびらを着込み、右手には中型のハンマー、左手には小型の盾を持ったガタイの良い長身の男が、中央の方向を一瞥しながら呟いた。彼は大手ギルドの精鋭部隊の一員であり、その実力は全プレイヤーの中でも屈指のものであった。また、周囲の人物からの信頼も厚く、デルタも彼を信頼し、共に部隊の殿として配属されたことを素直に喜んだ。

 

「しょうがない、とは言えないな。奴ら、確実にレッドプレイヤー達を舐めて掛かってる。説得に応じる集団だとでも思ってるんだろうな。じゃなければ、あんな余裕の表情でいれる筈がない」

 

デルタと男が向ける視線の先には、三人の男が豪勢な装備を誇示するようにして胸を張って集まっていた。彼らはこの連合部隊の総指揮官達であり、その正体は連合部隊を構成する大手ギルドのリーダー、又は幹部の者達であった。

 

前衛と殿、左右両翼に配置された面々が周囲の警戒をし続ける中、彼らだけは談笑に勤しんでいる。三人を取り囲む"近衛"達は、何かしらの不満を抱えているのか、たまに三人の重役の姿を横目に捉えると、顔をしかめたり舌を打つなどをしていた。

 

「中央がしっかりしてくれないと困るぜ?こっちに敵が来た時は中央が指示出してくれないと総崩れになるからな」

 

「彼奴らにそれだけの能力があればいいけどね....」

 

と、言った瞬間の事だった。

 

「....?!」

 

何かが、動いた。視界の端で捉えた、黒い影のような何かが。それは二度、三度とデルタの視界の端に現れた。が、肝心の正体は何回経っても分からない。

 

モンスターか? そう考えた刹那、高速で迫る何かが殿の二人を狙って振りかかってきた。攻撃だ、と頭脳ではなく反射神経が反応し、咄嗟の防御に移った。

 

左腰に差していた日本刀「上総」を引き抜くと、そのままの勢いで今にも接触しそうな斬撃を遮るように振り出した。軽さと剛性を兼ね備えた「上総」の速さは、デルタの強化された敏捷値によってさらにブーストされ、完全な不意討ちにも関わらず対応することができた。

 

デルタを狙った何かは「上総」の刀身へ、隣の彼を狙った何かは左腕に装着されていた小型のシールドに直撃し、それぞれ派手な火花のエフェクトを散らした。

 

抜き打った「上総」を一度納刀し、バックステップで後退する。その間に横を確認すると、男は盾の裏に格納していたハンマーを展開させ、何かが襲撃してきた方向をじっと確認していた。

 

「....敵か?」

 

「多分。伝令を飛ばそう」

 

「分かった。おい、ミッカ!」

 

男は盾を構えつつ後ろを振り返り、陣形後方で待機していた少女を呼び寄せた。ミッカと呼ばれた少女は、呼ばれた声に頷いて反応すると、殿の二人の近くへと小走りで駆けてきた。

 

「どうかしたんですか?」

 

ミッカのその見た目相応の可愛らしい声に対し、男は顔を向けず、背中越しに要件を伝えた。

 

「....敵だ。中央へ伝えてくれ」

 

「....! りょ、了解です」

 

接敵の報告に目を見開いたミッカは、返答の声を震わせながらくるりと踵を返し、指揮官達が集まる陣形の中央へと駆けて行った。

 

ミッカの足音が洞窟内に反響し、遠くへ離れていく事を二人に伝えた。増援が寄越されるまで約二分といった所だろう。

 

「増援が来るまで持ちこたえるぞ」

 

「ああ」

 

「上総」の柄に手を添え、腰を軽く落として即応できる戦闘体制を作る。前方に漂っていた気配はまだ無くならない。むしろ、増えているような気さえある。本格的に不味い、と悟った時にはもう遅かった。

 

「....!....くそっ」

 

正面と左横から、暗闇に紛れていた「何か」が飛んできた。反射で「上総」と、もう一つの刀「遠江」で応戦し、その「何か」を押し返す。かなり重い手応えを残して後ろに飛んだ「何か」は、下が砂利にも関わらず、音も立てずに着地し、その姿を晒した。

 

薄汚れた白いツナギに、紺色のフード付きマントを羽織った男達。それが「何か」の正体であった。被られたフードの下の顔は、各々別々のマスクを着けており表情を窺うことはできない。捲られた袖からは、全員御揃いの骸骨の刺青が彫られており、一目見ただけで「あのグループ」の奴らだと判別出来た。

 

「....へルター・スケルター」

 

色々な意味で出会いたく無い奴らが、目の前に居た。

 

「混乱」「はちゃめちゃ」の意味を持ったその言葉を、そのままグループの名前にした殺人鬼の集団。ここ一ヶ月で、中層を根城にしていたプレイヤー達を次々と惨殺。十人ほどのメンバー数で、それの約四倍ほどもある三十八人がその魔の手に掛かった。その被害によって大手ギルドは「討伐対象」として認識し、結果、今回の連合部隊が編成される契機となった。

 

ゲーム内で一、二を争う残忍で獰猛な集団を目の前に、殿の二人は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「姿を現したか....!」

 

その言葉へ返されたのは、殿の二人よりもさらに狂気が増した笑みを浮かべた、本物の「殺人鬼」の刃だった。 




ここからちょっと過去編へと入っていきます

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