SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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九話 鬼神の帰還

東京都 東大和市 市立運動公園アーチェリー場 [17:20]

 

栗原絵理香・高校生

 

 

「....ゴースト?」

 

凛が言った「ゴースト」の言葉の意味。それは亡霊か、或いはまた別の存在なのか。同じ「ゴースト」を心に飼っている者として、果たしてそれは何なのか、私の物と何が違うのか、疑問だった。

 

「....まぁ、直感みたいなものです。絵理香さん、あなたは何かに怯えてる。見えない、けど確実に存在する何かに心を奪われてしまっている。だから、自分の感情を押し殺している。違いますか」

 

この娘の唯一の欠点....それは、正直に物を言い過ぎる癖がある事であった。嘘が嫌いな牧田の血を継いだのか、彼女は自分自身が感じたことを包み隠さず口に出してしまう。たとえそれが、誰かを傷付けてしまおうとも。彼女はまだ子供だ。素直である。だが、その素直さに釣り合わない洞察力を持ち合わせてしまったのが、彼女の不運であった。

 

「違う訳では無いよ。ただ、私は怯えてる訳じゃない」

 

「なら何故感情を押し殺すんです?もうあの事件は終わった」

 

「....終わってなんかない。まだずっと続く。例え、ユーリさん達[未帰還者]が還ってきたとしても、私の罪は消えない。消えるはずがないんだ。だから、せめて、牧田君の役に立とうと.....」

 

「兄さんは貴女が傷付く事を望んでいません。だから、貴女が自分を押し殺すことはもう必要無いんです」

 

合っているようで、間違っている。優しさがある凛には理解出来ないだろうし、私としても理解させたくない汚れた現実であったが、話さない以上は分かってもらえないと、意を決して諭し始めた。

 

「必要不必要の問題じゃないんだよ、凛ちゃん。あと、この件にもう牧田君は関係無い。これは、私がけじめを付けるべきものだから。私は、向こうの世界で数えきれない程の罪を犯した。所詮ゲームだと思うかも知れないけど、私にとっては現実世界と同じくらい大切な世界だった。笑われても良い。[鬼神]と呼ばれ、蔑まれ続けるのも、すべては償いの為だから」

 

「.....それで、幸せなんですか」

 

「私は幸せになってはいけない存在だから。私が犯した罪は、それほどまでに重い」

 

「罪....ですか」

 

今まで表情を動かさなかった凛が、初めて感情を顔に現した。少しではあるが、眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をしていた。彼女にとっては珍しい表情である。

 

「....変わりましたね、絵理香さん」

 

「....うん。自覚してるよ。だから、もう事件以前の私には戻れない。決着が着くまではね」

 

「終わりの見えない戦いほど辛く、醜悪なものは無いです。そうと分かっていても飛び込むつもりですか」

 

「随分達観してるね。醜悪な人は醜悪な戦い方しか出来ない。いくら舞台が変わろうとも、中身の人間は都合よく入れ替われない。どこの世界でも醜い存在でしかないからね、私は」

 

「....考えは否定しません。行動もご自由になさってください。でも、一つだけ言わせてください」

 

凛は両目を力強く見据え、静かに告げた。

 

「覚えておいてください。貴女が苦しむ事が、何よりも苦痛と感じてる人が居るということを」

 

■■■■■

 

自宅へ入ると、上がったその足のまま風呂場へと向かった。途中にあるラックに帽子とバッグを掛け、上着を脱ぎつつ洗面所に入っていく。露になったアンダーシャツは冷や汗か何かはしらないが、ほんのりと温かく湿っていた。それを気持ちいいと感じる感覚を持っていない栗原は、即座に脱ぎ、さらにその下に着けていた下着をも外した。同じ手順で下もスパッツを脱ぎ、それから下着を脱いだ。

 

浴室に入り、42℃の熱めに設定したシャワーを頭から浴びた。心身共にほぐされる感覚を味わいながらも、栗原の脳内は冷えきっていた。

 

(終わりの見えない決着....醜悪な戦い。随分成長しましたね、あの子も)

 

思い返してみれば、二年の空白の前の凛は中学一年生であったのだ。思春期に子供は急激に成長すると言うが、確かにその通りだと思う。中身にまだ幼さが残るとはいえ、考え方は青年期のそれであり、身体はもう大人の仲間入り出来る程度には成熟していた。栗原は改めて二年という歳月の重さを再確認した。

 

(....私が苦しむ事が、何よりの苦痛ですか)

 

一番気掛かりな言葉だった。凛の言うその人とは、恐らく牧田の事なのだろう。それを察する事くらいは訳無く出来る。栗原が懸念しているのは、牧田が自分のせいで苦しむという事である。

 

昔までは、お互い持ちつ持たれつつの関係であった。栗原も牧田も両方子供であった頃は、互いに支え合っていた。それも時間が経てば立場が変わるということか。今では自分なんかよりも牧田の方がよっぽど強い人間だ。幼馴染という立場から贔屓目に見ても彼は色々な意味で強い。

 

だから幼い頃から好きだった。憧れていた。だが、今ではそんな彼の背中を追うことは許されない。消えはしない「殺人者」の称号と「後生」の呪いが、栗原の心身を縛り付けているからだ。そして、それらの束縛に苦しむ栗原を見て、悲しむのは牧田という凛から告げられた事実。果たして、何が正しく、何が間違っているのだろうか。今の時点で、栗原にそれを正しく認識する知識は無かった。それが理解できるようになるまでには途方もない時間が掛かるだろう。

 

なら、自ら足を進めるしかない。栗原に示された道はただ一つ。それは栗原にとって唯一、因縁を精算できる道であり、同時にユーリ達を助け出す事が可能な方法でもあった。

 

(やるしかないですね....)

 

浮かない気持ちでお湯に打たれながらも目を開くと、目の前にあった鏡に写っていた自らの姿を拝む事になった。水滴に濡れた鏡に写っていたのは、想像してたよりもずっと好戦的な自らの眼差しであった。それを見て、自然と笑いが込み上げて来た。唇の両端を上げ、歯を剥き出しにして笑った。それはまるで犬の笑いであった。

 

■■■■■

 

シャワーを浴び終わり、簡単な食事を作って食べた栗原は、自室のベッドの上でスマホを弄っていた。リンゴ印のスマホの液晶には、SNSのトーク画面が写し出されていた。画面上部に記された話相手の名前は、「牧田凛」であった。

 

[今日はごめんね。久し振りに会ったのに、あんな態度取っちゃって]

 

数分待つと、凛からの返信が来た。着信音と共に、メッセージが表示される。

 

[いえ。こちらこそ申し訳ないです。無遠慮な物言いをしてしまってごめんなさい]  

 

相変わらず固く、そして素直だ。本当に良い娘だな、と感心した栗原はさらに返信を重ねた。華奢な親指が画面の上を跳び跳ねるようにして、文字を打ち込んでいく。

 

[ところで、今牧田君は居るかな?]

 

[兄さんは街の方に出掛けているみたいです。何か用事があるんですか?]

 

[いや、ちょっと気になっただけだよ]

 

自分がこうしてのんびりしているうちにも牧田は行動を始めている。彼に遅れを取るわけにもいかない。きっと彼なら、三日も経たずにこの件を解決してしまうだろう。確かな根拠は無い。だが、ユーリとの再開を渇望するあの姿と、幼馴染として日頃から見てきたあの執念深さならやりかねない。いや、必ずやる。

 

だが、終わってしまっては意味が無い。栗原の抱える呪いはあくまでもSAOで産み出された物だ。それに決着を付けるのならば、自らがSAOを消すしかない。栗原は青白く光る液晶から目を離すと、昨日から勉強机の上に放置されている箱を注視した。

 

■■■■■

 

「リンク・スタート」

 

静かに呟いた途端、意識が引き込まれるようにしてシャットアウトされ、視界が暗転した。次に目を覚ました時には、現実世界ではないと思われる白い正方形の部屋の中に居た。

 

懐かしい感覚だ。身体が軽く浮いたような、何かふわっとした感覚を感じ、つい三ヶ月前まで過ごしていたあの鋼鉄の城での日常を思い出した。脳と機械のパルスの接続が完了したという旨のメッセージが目の前に表示され、続いて頭上にアルヴヘイム・オンラインのロゴマークが浮かび上がってきた。時間経過と共にそのロゴは薄れ、代わりに合成音声で録音された女性の声が、室内に響き渡った。

 

[ようこそ。アルヴヘイム・オンラインへ。](ALO)

 

ロゴが表示されていた空間に、今度はアカウントを登録するためのコンソールが表示された。E-メールアドレスとパスワードを打ち込み、キャラクター情報の入力画面が出てくる。キャラクターの名前に、躊躇い無く[Marron]と入力。約二年、自分の分身として生きていた名前だ。たとえ暗い過去が有ろうとも、愛着は湧く。

 

続いて唯一の外見設定要素となる種族選択をシステムは促した。シルフ、サラマンダーといったファンタジー系RPGでは馴染みの名前や、レプラコーン、ノームといった全く知らない名前まである。全9つの種族でこの世界の人口は成り立っているらしい。外見以外にも性能で差別化を図る為かそれぞれに特徴があるらしく、栗原は、一番自分の戦闘スタイルに合致しているシルフを選択した。スピードと手数で勝負していくタイプの種族であった。選択し、確定したと同時に自分の身体が描写され、今まで透明で見えなかった自分の四肢が確認出来た。

 

全ての初期設定が完了し終わり、マロンの身体が光に包まれる。幸運を祈ります、という音声に送られて、マイナスGをお腹で感じながらゆっくりと降下していく。降りていく先にあるのは、広大な面積を持つ森と、平野に作られた大きな街だった。 

 

懐かしい。過去のマロンも、新しい街を見つければそれを見て興奮し、感動を味わっていた。溢れ出る好奇心は、あの頃と変わっていない。外面は「鬼神」であっても、中身はまだ18歳の少女であった。

 

まだ栗の英訳が[Chestnut(チェスナット)]ではなく[Marron(マロン)]だと思っていた中学生の頃の自分。そんな幼かった自分が作り出した、「鬼神」と蔑まれた少女。降り立った世界は違えども、彼女は甦った。今はそれだけでいい。やっと、自らの呪いとの決着を付ける舞台が整った。

 

高度が下がっていくにつれて、落下地点の様子が詳細に確認出来た。大きな都市から少し離れた森の中だ。森から街もそれほど遠くない。道なりに進んで2キロあるかどうかの距離だ。

 

ゆっくりと高度は下がっていき、落下し始めてから約五分程で地上に辿り着いた。足が地面の感触を捉えた瞬間、マロンの身体を包んでいた光が割れるようにして弾け飛んだ。どうやら初期装備がマウントされたらしい。身体を見回してみると、栗原の左腰には何やら二つの刀が指さっていた。それを見て一瞬、鋭い痛みが頭の中を過った。反射的に右手でこめかみを押さえたが、謎の痛みは引かない。そして、俯いたマロンの視線の先にあったのは、自身が装備している刀の姿。初期装備にしては豪華な武器だ。マロンはその刀の姿に何かしらの違和感を感じていた。

 

「これは.....」

 

そうだ。既視感だ。この刀達を自分はどこかで見たことがある。短い方の刀は白く塗られた鞘に金細工で飾り付けられた模様が。鞘の部分には「鬼」の漢字を意匠化した家紋の様なものが取り付けられている。長い方の刀は、まるで生き血を吸ったかの如く赤黒く染められており、一目見ただけで禍々しさが伝わってくる。何を思ったのか自分でも分からないが、衝動に駆られて柄を握り、鞘から引き抜いた。剣先が通った空間には深紅の筋が浮かび上がった。

 

あまりにも早い邂逅だった。早すぎる。マロンはそう思わずには居られなかった。

 

手元の刀を見つめる。露になった刀身は、触れるもの全てを切り裂きそうな、鋭い雰囲気を放っていた。尚且つ、妖艶で周囲の物を魅了する魅力も兼ね備えている。「妖刀」と呼ばれるだけのことはある。ごくり、と口腔内に溜まった唾を飲み込み、刀を鞘に納める。

 

「後生」。約三ヶ月ぶりに邂逅した、マロンの「元」愛刀であり、そしてマロンが抱える諸悪の根源でもある因縁を持つ日本刀である。一度はSAOで決別した筈である。が、ここはSAOではない。ALOという、全く別の世界であるはずなのだ。

 

「何故こんなところで.....?」

 

疑問に思ったマロンは、左手を振ってステータスウィンドウを表示させた。幾らか操作をし、プレイヤーの装備を管理する装備メニューを開いた。そこに表示されていたのは、ここ二年間何度も目にした文字列の数々であった。

 

武器装備欄に表示された日本刀・[後生]、副装備品欄の日本刀・[絶風]。防具欄の浴衣[潮]。アクセサリー・装飾品欄の[祈りの髪飾り]。どれも、あの二年間を共に戦場を駆けてきた装備だった。見覚えがあるとかそういう問題では無い。ここに存在するはずがない物が存在している。その事実が、マロンの頭を混乱させていた。

 

続いて スキル管理画面に表示を変え、こちらも確認してみる。そこには自身が習得しているスキルを、種別と熟練度毎に組み分けて表示する画面てある。「Marron」という名前の下には、[居合] [抜刀術] [気配] [探知] [料理]....等、これまた見覚えのある物ばかりが表示されていた。しかも、一部スキルの熟練度欄にはマスターした事を示す王冠マークすら付いている。スキルの熟練度表記も、SAOと何一つ変わっていない。[未帰還者]の件もあり、いよいよこのゲームに何かが隠されているという疑問が確信へと変わりつつある。

 

「まさか本当に....」

 

不穏な考えが頭の中で渦巻く。ぼんやりとした影の存在を感じ始めたマロンは、遠く彼方にそびえ立つ大木を見据えながら、訝しむように目を細め、唇を噛み締めていた。

 

 

 

  

 

 

 

 

 


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