SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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ACT.1 Wake up Surviver's
一話 労働者の背信


フルダイブ技術……人間の脳と機械を接続し、脳波を操作することで仮想世界に意識を没入させることが可能となる新世代のバーチャルリアリティ技術。技術的、そして人道的に実現不可能だとされていたこの技術は、ある一人の天才技術者によって構築され、世間へと解き放たれた。

 

 

その技術は瞬く間に社会を駆け巡り、一大ムーブメントを引き起こしていた。連日ワイドショーでは特集が組まれ、店頭には試験機が設置され長蛇の列を作った。国会の予算委員会では技術発展の為の特別予算案が提出されるほど。狂気的なまでの熱気が、国をも包み込んでいた。日本が世界に先駆けて始まったフルダイブ技術革命の時代。これは、その時代の「裏側」を駆け巡った者達の、[記録に残らない、記憶のはなし]である。

 

 

■■■■■

 

 

東京都・千代田区 [05:30]

 

園原歩美(そのはらあゆみ)・株式会社レクト・第二研究室所属

 

 

 

 

日本が世界に誇る大都市、東京都の夜明けは早い。

 

 

政治、経済、物流等、あらゆる産業が集中した日本の心臓部である東京都。そのあちらこちらに網目のような線路を引き、田舎者から見れば信じられない発車間隔で各地を走り回っている列車には、始発から数えきれない程の乗客が乗っていた。

 

 

その満員列車が三分おきに駅に到着し、毎回大勢の人々が乗り降りしてぐるぐると周っていると思うと、本当にこの日本という国は首都に人口が集中しているな、と私は感じた。それを人々は一極集中等と揶揄するが、個人的には別に一極集中してようが各地に分散していようが、一極集中に騒いでいる上流階級とは無縁の生活を送っている者にとって、それはどうでも良い話であった。

 

 

寒さが十二月から尾を引いて残る二月。街を行く人々はコートやマフラー等の防寒具を身に付け、身に染みる寒さを防いでいる。かくいう私自身も、仕事着であるパンツルックの私服の上にステンカラーコートを着、首にマフラーを巻いて寒さを防ごうと出来るだけの努力はしている。が、寒気は生地を通り越して肌に伝わってくる程に強力であった。もう少し時間が経てば、日が出てきて暖かくなるであろうから、それまでの辛抱だと自分自身に言い聞かせ、首元の寒気を遮るようにコートの襟部分を合わせ、手で抑えた。

 

 

元々自身が九州南部の、温暖な地域で生まれ育った者だからかは知らないが、上京して七年が経っても未だにこの寒さには慣れない。そもそもビルが乱立し、地上地下問わず列車が縦横無尽に駆け回っている都会にすら慣れはしていない。都心の大学に通う為、初めて上京した時は、電車を使って上野に行くつもりが、何故か遠く離れた秩父市へ辿り着いていたりしたものだから、それ以降怖くて公共交通機関は殆ど利用していない。だから通勤も列車やバスを使わず、三十分近く掛かる職場まで歩いて出勤していた。電車もバスも無縁であった田舎出身の田舎者にとっては、自分の足こそが一番信用できる移動手段であった。

 

 

大学時代から入居している、家賃が安いだけが取り柄のアパートから出て、歩道の脇に植えられ丁寧に世話されている街路樹を数百本数える頃には、もう私の勤め先である高層ビルが見えてくる。東京のコンクリートジャングル化の一角を担っていると言っても過言ではない程、その建物は大きく、そして高い。その高層ビルの表面はすべてガラス張りであり、そこからフロアの様子や稼働するエレベーターが見える様になっていた。広大な敷地内に立つ他の建物も、ガラスを装飾のメインに使用していて、とても電子機器メーカーの社屋だとは思えない。このビル近隣に住む都民からの公募によって付けられた渾名が「クリスタルパレス」というのも納得できる程、その威容は美しい。が、そんな事を思っているのはこの装飾にどれだけの金が掛かっているか何も知らない一般市民かここの社員であるという事に誇りを持っているアホかのどちらかで、下っ端からすれば電子機器メーカーの社屋の外観を拘る必要があるのかといつも疑問に感じるのが普通であった。

 

 

歩道の黒いアスファルトの地面からレンガ調の石畳が規則正しく敷かれた敷地内へと入った私は、自身が所属する部署が入る棟を目指した。履いた低いヒールの踵が石畳に打ち付けられ、こつこつという音を冷空に響かせる。時刻は六時半。大学生の時ならまだベッドで熟睡していた時刻だが、社会人となった今では出勤時間となった。政府から奨励されている八時間業務など入社三年目の新米にとっては夢のまた夢。朝早く出勤し、夜遅く退社する。残業は基本だが残業代は出ない。数年前に流行したプレミアムフライデーは最早影も形も無い。サービス残業が当たり前であった。

 

 

それでも、今している仕事の内容自体は嫌っている訳ではない。むしろ、コンピューター関連の仕事という、自身の得意な分野で働けている事は幸せだと思う。九州の田舎者が東京の大学に進学したこと自体奇跡であったが、そこからまさか一流企業に就職できるとは思ってもみなかった。幼少期より父の影響で学んでいたコンピューター関連の知識が役に立った結果だった。

 

 

勤め先が入るビルの入り口で、警備員による指紋と網膜の両方認証を受け、詰めていた警備員に社員証とドアパスを一体化した物を受け取り、それを首に掛けた。たかが社員証であるが、これを首に掛けていないと警備員に連行され、最悪警察に連れていかれてしまう。あらゆる場所に監視カメラや空港にあるようなエックス線探知機があるなど、ここの施設のセキュリティレのベルは官公庁並に高い。それだけ機密が詰まった建物であった。

 

 

私は建物に入ったその足で、所属する部署がある部屋まで歩いた。建物内は適度に暖房が効いていてとても過ごしやすくなっていた。家からここまで三十分近く歩いて火照った身体には暑く感じられた。なので、着ていたコートは歩いている途中に脱ぎ、適当に畳んで左腕に掛けた。

 

 

まだ出社時間では無いため、建物の中には殆ど誰も居らず、静けさが建物内を完全に支配していた。誰ともすれ違わない廊下をしばらく歩き、特定のドアの前で止まった。そのドアの向こうには、私が所属する部署に割り当てられた部屋がある。首に掛けた社員証をドアノブの上にあるスリットに差し込み、さらに指紋センサーに指を乗せてセキュリティを解除した。

 

 

薄暗い部屋の中には、まるで漁火のようにモニターの光がぼんやりと浮かんでいた。その話だけを聞けば幻想的だな、と思うかもしれないが、現実を見ればその漁火は私達の仕事道具であり、全く幻想的ではない。

 

 

私の身体を赤外線センサーが捉え、幻想的とは程遠い漁火を消すかのように室内に明かりが灯り、薄暗かった室内をLEDが照らした。殺風景な部屋の中には事務机の上に乗ったデスクトップのパソコンが数個とホワイトボード、それと資料等が入った金属製の棚だけであった。

 

 

私は自分に割り当てられた机にマイバッグとコートを置き、椅子に座ると同時にパソコンを立ち上げた。静かな起動音がスピーカーから、生暖かい風が冷却用のファンから流れだし、パソコンが自らを起動したことを私に伝えてきた。

 

 

青い雰囲気のデスクトップ画面が表示され、画面の左側から中央にかけて沢山のアイコンも同時に表示された。その中に、通知を知らせる赤い印が付いているのを見て、そのアイコンをクリックした。開いたのはメールアプリであった。

 

 

毎日三件近くメールを受信しているが、大体チェーンメールの様なものばかりである。それでも、何か不審なメールが無いかどうかを確かめる為、日課として毎日受信するメールを確認していた。

 

ファイラーが開き、メールの一覧が画面いっぱいに表示された。

 

 

今日の受信メールは二件。一件目は自分がプレイしているゲームの運営からのメンテナンス報告であった。これはゲームを嗜むほどしかプレイしていない自分にとってはあまり関係の無い事だ。メンテナンスで遊ぶ事が出来なかったら、他の時間にプレイすれば良いだけのことだ。

 

 

もう一件は差出人不明のメールであった。件名は「株式会社レクト フルダイブ技術研究部門 園原歩美様へ」と記されていた。それ以外に件名は無い。その件名に記された「園原歩美」という名前は私の本名であり、「株式会社レクト フルダイブ技術研究部門」は総合電子機器メーカー「レクト」の中で、私が勤務し、所属している部署の名前であった。 

 

 

なんだろう、とメールを一度ウィルススキャニングに掛け、安全を確認してからメールを開いた。開くと、画面には一枚の画像と、一行の文面だけが表示された。

 

[Key Parson]

 

文面にはキーパーソン……鍵となる人物という意味の英単語が書かれているだけ。謎に思いつつもその下に添付されている画像をクリックし、モニターに拡大して映し出した。

 

 

コンピューター側が引き伸ばしたのかはたまたこの写真自体がかなりフォーカスして撮影されたのかどうかは知らないが、大分ぼやけ、表示されるドットはかなり荒い。特徴的な色合いやライティング等から、写っているのは現実世界ではなく、ポリゴンやドットで構成された仮想世界であることが伺える。画像の内容はぼやけて良くは分からない。画像の真ん中に、鳥籠の様な銀色の箱が写っていた。その鳥籠の内部には、栗色の髪をした少女が、椅子に座りこちらを伺っていた。その顔は失意に染まっており、触れれば崩れそうな脆さを感じさせる表情であった。

 

 

「……ん?」

 

 

何らかのデジャヴをこの画像に感じた。何処かで見たことのあるこの情景。鳥籠の中の少女は知らなくとも、この前景は何か見覚えがある。そう感じながら、画面を見て記憶を漁り続け1分ほど掛かっただろうか。唐突にそれを思い出した。

 

「……ALOか」

 

 

それは見た事がある気にもなる訳だ。画像に写し出されたその世界は、自分達が産み出し、育ててきた場所なのだから。これは株式会社レクトのフルダイブ技術研究部門、つまり今私が所属している研究室で開発され、現在はレクト傘下の子会社、レクトプログレスが運営しているMMORPG、「アルヴヘイム·オンライン」の世界であった。その世界のグラフィックやオブジェクトのテクスチャは自分達がプログラムし、仮想世界に設置したものであった。

 

 

「でもなんでこんな物が?」

 

 

先程からずっと頭に浮かんでいた疑問を呟く。写真の下には小さな文字で「Who is she?」と書かれている。そんなこと、平社員でしかない私が知っている訳が無いし、そもそもこちらが教えて欲しいくらいだ。

 

 

私はこの研究室のPCに標準搭載されている、メールアドレスから発信者の位置を逆探することが出来る特殊な機器を使って相手を特定しようとした。が、強力なファイアウォールがブロックしてくるお陰でその働きは無駄となった。取り敢えず、差出人のメールアドレスにこの写真は何なのかという内容の文面を送っておくくらいしか、私に出来る事は無かった。

 

 

「何だろうな……これ」

 

 

折り返しのメールを送り、改めて画像を見るのだが、どうにも腑に落ちない。確か画像の場所は、「世界樹」と呼ばれるALOの世界における唯一無二シンボルとも言えるポイントだ。その世界樹というのは、根から幹、枝まで数千、下手すると数万メートルの高さがある固定オブジェクトであった。聞いた話によれば、この世界樹はあの「浮遊城」を除けば、仮想世界の中では一番大きなオブジェクトであると、友人から聞いていた。地上にある根っこ部分に幹への入り口があり、そこから幹の内部にあるステージに挑める、というマップであった筈だ。大きなオブジェクトの設置はかなり苦労するので、この世界樹を完成させた時の事は克明に覚えていた。

 

 

だが、肝心なのはこの世界樹の枝の上に、こんな少女が入っている様な鳥籠を設置した覚えがまるで無いのだ。マスターアップ後、デバッグモードでバグ探しをした時にも無かったオブジェクトだ。普通、レイアウトに入っていないオブジェクトがフィールド内に設置されていると、修正プログラムが働き、自動的にそのオブジェクトを排除してくれるシステムになっている筈なのだが、排除されないということは、この鳥籠も少女も、デザイナーかプログラマーがおまけ要素で追加した物なのだろう。それにしても不自然すぎるオブジェクトの配置だった。

 

 

「気になるなぁ……」

 

 

ここの社員、つまり同僚達に聞くのが一番早いのだろうが、その同僚達は殆ど信用出来ないような奴ばっかりなので、相談する気はもとより無い。学歴こそがステータスとしか言わずに年上年下構わず平社員達をいびり倒し、出世と昇給、そして女の事しか考えていない奴らに言っても、結局流されて終わってしまうだけだ。

 

「今度プログレスに行って聞いてみるか……」

 

 

低血圧気味の頭でそう判断すると、メールアプリを閉じ、段々迫る始業時間に備え、着々と準備を進めていった。

 

 

■■■■■

 

 

 

午後五時半。規定の終業時刻になると、私は上司の室長に何かと理由を付けて残業を回避し、早めに退社する事が出来た。普段なら会社の規定などあって無いようなものであり、残業が当たり前なのだが、今回ばかりは法事という言い訳を使ったゴリ押しで退社していた。そこまでした理由は疲れたからでも飽きたからでもない。単に訪れたい場所があっただけだ。

 

 

私にとって、それは久しぶりの定時退社であった。今日は金曜日であるが、数年前まで行われていたプレミアムフライデーは今や形骸化し、どの企業も社員にサービス残業を科していた。そんな時勢だからか、この時間に街を歩いていてもすれ違うのは高校生や老人ばかりである。時々、運良く定時退社出来たのであろう幸運なサラリーマン達が歓喜の顔を見せながら飲み屋に入っていったりする所が見えた。

 

 

ニュースや新聞等各メディアはVR技術の発達により、外出する人が少なくなっていると各所で報道していたが、少なくとも私には本当にそうだと思えない。今でも東京の各駅は世界トップテンに入るほどの利用者数を誇っているし、私が生まれるずっと前から千葉にあるテーマパークだって安定して利用者数を保っている。VR技術というものはあくまでも拡張された現実であり、切り離す事は難しい。現実世界というものは、仮想世界には無い、数ヶ月前に終結し、述べ四千人の犠牲者を出したとある事件は、それを体現していた。

 

 

仮想世界での自分のアバターのHPが0になった瞬間、現実世界の自分は脳をマイクロウェーブで焼かれて死ぬ、という狂気の事件。被害者約一万人の中で、生き残ったのは僅か六千人。死亡率は四十パーセントを越えている。これは第二次世界大戦の日本軍の死亡率である二十数パーセントよりも遥かに高い。それもたった二年の期間でだ。

 

 

その事件を起こした狂気の天才は長野の山荘で自殺したと聞いているが、あの人物が逃げもせずに自殺するはずが無い。もしかしたら今頃、電脳空間にでも居るんじゃないかな.....と私は勝手に想像していた。まぁ、今の技術では脳のスキャニングの成功率は一パーセント未満の数字なので、もし仮に電脳空間へ行こうと脳にスキャニングを掛けたとしても、成功はしなかったと思う。

 

 

そんな思いを巡らせながら、会社から最寄りの駅から電車に乗り、都営新宿線、山手線と乗り継いで御徒町にある友人が経営する行き付けのバーへと向かった。

 

 

 

東京都・台東区御徒町の裏路地に存在するあるバーの目の前に、園原は立っていた。現在時刻は午後六時過ぎ。強制的に残業しなければならないのがデフォルト勤務の私にとって、こんな早い時間に訪れた事は一度も無い。古びた木製のドアを引くと、入り口のベルが使い込まれた感のある重圧な音を鳴り響かせた。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

野太く、そして何処か日本人離れをしたところがある声に迎えられ、店内へと歩を進めていく。シックな基調の店内には自分達以外には誰も居らず、店の一角にある年代物のレコードが流すジャズがひとりでに響いていた。

 

 

私はカウンターの向こうに人影を見つけると、そこへ向かって声を掛けた。

 

 

「久しぶり、アンドリューさん」

 

 

カウンターの向こう側でグラスを丁寧に磨いている外国人のマスターに一言挨拶をし、カウンターの手前にある革張りのスツールへと腰掛けた。

 

 

マスターの名前はアンドリュー・ギルバート・ミルズ。アフリカ系アメリカ人の大柄な人物であるが、中身は葛飾区で生まれ育った生粋の江戸っ子である。彼は私の親友の夫であり、私が週末の仕事終わりに良く通うバーのマスターであった。彼はとある事件に巻き込まれたせいで二年近く、この店を去っていたが、最近マスターに復帰していた。

 

 

「久しぶりだな、歩美ちゃん」  

 

 

「あれ? あかりは?」 

 

 

あかりとは、彼の妻である私の親友だ。名字は戸塚である。中国地方の田舎出身だという彼女とは大学生の時に知り合い、同じ田舎出身として仲良く一緒にくっついていた。卒業後は数年一般企業で働き、アンドリューと結婚した現在は夫と共にこの「ダイシー・カフェ」でマスターとして勤務している。

 

 

「あいつなら今上で寝てるよ。呼んでこようか?」

 

 

「いや、寝かせてあげて。彼女、多分疲れているだろうから」

 

「そうだな……この2年間、あかりには本当に迷惑をかけちまったからな。この店が潰れなかったのだって、あかりが切り盛りしてくれていたお陰だから……いくら感謝しても仕切れないな」

 

アンドリューがSAOに囚われ、2年間に渡り留守の間はマスターの妻として、あかりがこの店を切り盛りしていた。その時の気苦労は足繁く通っていた私が一番良く知っている。

 

 

そう言って裏の階段を登っていこうとしたアンドリューを引き止め、私は件の画像を印刷した一枚のプリントをマイバッグから取り出し、エギルの前のカウンターへと置いた。 

 

 

「この画像なんだけど、今朝メールで送られてきたんだよ。多分ALOの中のスクリーンショットだと思うんだけど·····この画像を見て何か解る事はある?」

 

 

正直、まともな答えが返ってくるとは思っていない。彼はVRMMO等、オンラインネットワーク系の情報通ではあるが、さすがに得体も知れない一枚の画像の事を知っているとは思えなかった。だが、そんな私の思いをアンドリューは良い意味で裏切ってくれた。

 

 

「……オイオイ、これは」

 

 

アンドリューはプリントを見た途端、その大きな目を見開き、口が閉じなくなるほどの衝撃に見舞われていた。

 

 

「彼女を知っているの?」

 

 

「知っているも何も……! こいつは"ソードアート・オンライン"の未帰還者だ。なんで他のVRMMOに.....」

 

 

未帰還者と聞いて脳裏に浮かんだのは「ソードアート・オンライン」というゲームの名前。略名はSAOで、世間からの呼び名は「悪魔の作ったゲーム」、「人殺し製造機」ととんでもなく悪いイメージが付いている、日本初にして世界初のフルダイブ型MMORPGゲームであった。 

 

 

「狂気の天才」と後に呼ばれる事となる天才ゲームデザイナー・量子物理学者である茅場晶彦が作り出した初のフルダイブハードウェア「ナーヴギア」専用ソフトウェアとして、茅場本人が企画、デザイン、プログラムをすべてこなし、二〇二二年に一般発売されたSAOは、正式サービス開始と共にログインプレイヤーのログアウト不可能という事態が発生した。それは偶然では無く、茅場が意図的に仕掛けた罠であった。

 

 

茅場は、ゲーム内のアバターのHPがゼロになるとその瞬間にナーヴギアの大容量バッテリーから高圧の電流が脳に流れ、脳細胞を破壊するというデストラップを仕掛け、その結果、初月だけで約二千人が死亡するという被害が発生。その数は日本犯罪史史上最悪となる死者数をぶっちぎりで更新し、その情報を載せたニュースは全世界を駆け巡り、目にした人々を震撼させた。

 

 

その後、茅場は国内の主要メディアに犯行声明とも取れる文章を送付し、行方を眩ませた。彼は後に長野の山荘で遺体として発見されたらしいが、目立った外傷は無く、警察の発表によれば自殺したとのことであった。

 

 

事件は一万人の人間を巻き込んで約二年間続き、解決されたのはつい三ヶ月前のことであった。最終的な死亡者数は約四千人であり、大体五人に二人は死亡していると考えると恐ろしい死亡率である。因みに、目の前でグラスを磨いているアンドリューも、そのSAO事件に巻き込まれ、園原は二年近くその姿を見ていなかった。

 

 

事件の結末として、SAOの運営元であり茅場の所属していたゲーム会社、アーガスは莫大な補償費用を抱え解散。その技術、人材は同じVRゲームのノウハウを持つレクトが吸収。旧SAOのサーバーは、事件唯一の手掛かりとして警察の委託を受けたレクトプログレスが管理している。

 

 

事件を起こした茅場本人も死亡している為、彼を相手にした訴訟は起きず政府はアーガスの払いきれなかった保証を国庫から支出し、国内外に話題が拡散した事態の火消しを図っていた。

 

 

だが、未だに事態は終息していない。

 

 

事件解決から二ヶ月が経過したが、未だに意識が現実世界に帰還していないプレイヤーが二百人近く居た。そのプレイヤー達は生還した者と対比され、「未帰還者」と呼ばれていた。現在SAOサーバーの保守点検を行っているレクトのホワイトハッカー達がサーバー内を調べたらしいが、何処にも異常という異常は見つからず、未帰還者に繋がる手掛かりは掴めていないのが現状だった。

 

 

「えっ、本当に?」

 

 

「ああ....」

 

 

ALOにSAOの未帰還者が居る。それが本当だとすれば大事だ。何故SAOとは運営も開発者も別のゲームであるALOに未帰還者が入っているのか。自分も含めて、技術・運営のスタッフ達は何故今まで気が付かなかったのか。焦りや怒り、後悔の念が私の頭の中を渦巻いていた。 

 

 

「アンドリューさん、どうすれば良い?」

 

 

「とりあえず、その原因は何なのかを究明するのが一番じゃないのか。レクトの運営するALOにレクトがサーバーを管理しているSAOのプレイヤーが居たって事は、お前の身内に黒幕的な奴が居る可能性があるな。やるならなるべく目立つのは抑えないとな」

 

 

「そだね....取り敢えず、他の社員に気付かれない程度に探りは入れてみるよ。でも、なんでこの画像が私の元に来たんだろう....?」

 

 

「発信者をツールで逆探しなかったのか?」

 

 

「やったんだけど、相手のファイアウォールが強くて無理だった」

 

 

「そうか....まあ取り敢えずこれでも飲め」

 

 

アンドリューはグラスにカルアミルクを作って注ぐと、私の前のカウンターへと置いた。カルアミルクはここに飲みに来た時にいつも頼む飲み物であった。

 

 

出された琥珀色の液体を、一気に飲み干す。元々酒には強い方だ。特に何も感じる事無く、グラスを空にした。

 

 

「ごめん、強いお酒ある?アブサンのリキュールでもスピリタスでも良いよ。なんか強いお酒が無いとやってられないね」

 

 

「ここじゃテキーラが限界だよ」

 

 

じゃあそれで良い、と投げやりに返事を返し、私はカウンターへと突っ伏した。いくらなんでもおかしい。なんでALOに未帰還者が居るのか。その未帰還者に似ているそっくりさんでは無いのか、と酩酊状態の頭から出てきた疑問は事実を否定する物ばかり出てくる。

 

 

それもそうだ。運営も、開発も全く違うゲーム同士に接点は無い。かたや世界最大級のMMORPGであり、かたや四千人もの人命を燃やし尽くした、本当のデスゲームだ。その二つが一緒にされては運営元の人間として非常に困る。だが、それもつい一年前までは世論の過半数を占めていた意見であったのも事実だ。「ゲームは危険だ」「VR技術は人体に悪影響」などと声高に叫び、VR機器の販売・開発停止を求めるデモが起こった事は記憶に新しい。実際に批判を浴びた総合電気メーカーの何社かは実際に発売を停止し、VR産業から完全撤退した社もある。

 

 

勿論、レクト本社敷地内でも何回かデモ活動が行われたが、デモ隊が来る度に社長自らがデモ隊の前に立ち、VR技術の有用性を演説し、デモ隊の理解を得ようとすることによって、何とか直接的な被害は受けていない。 

 

 

ある可能性とすれば、NPCがその未帰還者のそっくりさんであるか、或いは何者かが意図してその「未帰還者」の少女をALOの世界に移したかのどちらかだが、正直どちらも信じられない。

 

 

ALOに掛けられているセキュリティは国内外トップクラスの頑強さを誇っており、何重にもかさねられたファイアウォールを破れる者は設定したスタッフを除くとこの世に五人と居ないだろう。居るとするならば、CIAやFSBで活躍している凄腕のチーフハッカーか、或いはIQ200を超えた天才か。前者はともかく、後者の条件に当てはまっている者は、自分の知っている人の中で日本に一人だけ居た。「居た」、と過去形なのは、その人物がもうこの世には居ないというう事を表していた。

 

 

「茅場.....晶彦.....?」

 

 

あり得ない。可能性を探求するのは技術者として当然の事なのだろうが、いくらなんでもそれは無いと言い切れる。言い切れると思ったが、一度改めて考えてみると、それは只の直感でしか無く、何の根拠が有るわけでも無い。

 

 

ならば、と気持ちを切り替え、茅場が今回の件を生前に画策したと仮定し、推理を始めた。何故茅場はこんな置き土産の様な物を残したのだろうか。彼は小細工を相手に施したり、他人の物に触れることを何よりも嫌う人だと、茅場と面識のある大学の先輩が言っていたのを私は覚えていた。私にとっては雲の上の存在であり、目指す目標であったが、ほとんどメディアからしか見たことのない茅場の事に対し、妙にその先輩の意見には納得できた。確たる証拠は全く無いが。

 

 

そんなことをカウンターに突っ伏しながら考え込んでいると、突然、アンドリューが思い出したようにあることを口にした。

 

 

「そうだ、あいつらに助力を頼めば良いんじゃないか?」

 

 

アンドリューはテキーラの入ったグラスを突っ伏した目線の目の前へと置いた。

 

 

「あいつらって誰?」 

 

 

「SAOを生き抜いた奴らだ。アスナ……あの画像の少女の名前だが、そいつと多少なりとも親交のある奴らだ。VR環境への適応力や情報網は多分国内トップクラスだ」

 

 

「そうね……あの少女が居る場所はゲーム内で世界樹、って呼ばれている場所なんだけど、彼女が居る木のてっぺん付近まで行くには高難易度のダンジョンを突破しないといけないの。ALOはサービスを開始してから一年近く経つけど、まだ到達した人は居ないよ。でも、VR環境に適応した人ならもしかしたら行けるかもね……お願いできるかな?」

 

 

「分かった。連絡しておくよ……といっても、奴は本業の方が忙しいかもしれないからな……」

 

 

アンドリューは意味深にそう言うと、昼寝を引き伸ばして寝続けているのであろう、相変わらずマイペースなあかりを起こしに行くためか、二階へと上がっていった。店内に一人残された私は、一人テキーラをちびちびと啜りつづけ、空いた左手の指で蓄音機から流れるジャズのリズムを打ちながら、昔、一度だけ間近で見た茅場晶彦の、その無機質な瞳を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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