8月28日。
蓮見が喫茶店[蜘蛛の巣]で働き始めてから、一週間が経った。
週に四日ある休みの日はドリンクの組み合わせを覚えたり、図書館に行き情報収集を主にしていた。
蝶々曰く、館長のアレイスターは基本的に昼の時間は寝ているため絡まれることはないとのこと。
実際昼の時間帯に蓮見が図書館に行くと、職員の数も来館者の数も以前行った時と比べ物にならないほどの数だった。
司書を一人捕まえて話を聞いてみたところ「館長からセクハラされない時間帯ですので、皆さんこの時間に入りたがるんですよ。私も初めて入ったのですが心地いいです、勝ち組の気分です」と嬉々として語ってくれた。
実際、アレイスターが絡んでこないというアドバンテージは大きく、特に不快な思いをすることなく図書館で過ごすことができた。
蓮見が図書館で調べたことは、主にこの世界『イヴ』の成り立ちと文化、そして蓮見がいた世界『アダム』との関係性である。
調べてみればこの世界『イヴ』の歴史は『アダム』に比べて歴史が随分と浅い。
地球の歴史は4億ちょっと、その内の人類史は紀元前を含むと6千年近くになる。
対して『イヴ』の歴史は175年ほどしかないことがわかった、あくまでも資料に残されているざっくりとした歴史に限ることとなるが。
現在『イヴ』における年号西弐歴が始まり、23年目。
年号の周期は不明だが、一年間が365日ということは共通している。
まだまだ読み足りない歴史の資料や『イヴ』の常識、成り立ちは数多くある。
あのアレイスターの言葉を信じるなら彼は『イヴ』の創世時代、少なくとも175年以上は生きていることになる。
彼に聞くのが手っ取り早いのだろうが、蓮見自身乗る気ではなかった。
そうでなければ、わざわざアレイスターの就寝している時間帯を狙って図書館にやってくる必要はない。
蓮見は本を静かに閉じて、図書館を後にした。
今日の夕食当番は蓮見になってたはずだ。仕込みは軽く済ませたため、後は微調整をするだけである。
ジャンヌの家にしばらく厄介になる代わりに、蓮見とレキはそれぞれ家事を当番制にして彼女を手伝うことにした。さすがに何もせず寝て食ってだけでは申し訳がない。
蓮見が仕事の日はレキが、レキがいない日は蓮見が、どちらもいない場合はジャンヌがという形になっている。
そこで、蓮見はりんごの皮を剥きながら、ふと、疑問が生じた。
そう、思わず言葉にして呟いてしまうほどの疑問、ほんの些細なことである。
「.....黒森のやつ、一体どこで何をしているんだ?」
–––共に『アダム』を目指す相棒であるはずなのに、その相棒のことを知らなさすぎた蓮見だった。
※
8月30日。
蓮見はこの日、家事を事前に早く終わるように企て、無事終わらせることに成功した。
いつものようにジャンヌ、レキを見送りすぐに外出の準備をする。
そう、レキを尾行することにしたのだ。
本人に何度聞いても「知り合いのところで働かせてもらってる」としか返事が返ってこない。
どこかはぐらかされている気もする、ということで尾行を決意した。
このことは事前にジャンヌには話している。間違って自警団に逮捕されたりしたら、洒落にならない。
ジャンヌからは訝しげで呆れられた気もするが、蓮見征司という男は基本的に第三者からの評価は気にしない。
蓮見の服装は特段怪しい、というわけではない。
まだ暑さの残る8月、よって白シャツの上に緑の薄手の上着、七分丈のジーンズと『イヴ』においても一般的な格好である。
むしろ、蓮見からすれば尾行相手のレキの黒いゴスロリ服の方が目立つし、浮いてる気がする。
特に周りが気にする様子もないところからするとレキのあの格好も『イヴ』においては何ら不思議ではない一般的な格好なんだろうなと蓮見は心の中で諦める。
西へ歩き続け、ヌンクの駅を出て街道へと入る。
フィガロとは反対側であり、こちらの街道は緑が多く、地面も最低限しか舗装されていない土の道だった。
鈴蘭の咲く道を一時間ほど歩くと、そこに小さな集落のような「駅」があった。
ケルト。
フィガロやヌンクと比べると大きいとはとても言えず、街というよりは村と呼ぶ方がいい長閑な駅だった。
『イヴ』の主要とされる街には駅があり、街とは呼ばず駅と呼ぶ。
それが例え、ケルトのような長閑なところでも汽車が通っていれば立派な駅である。
「.....あいつ、こんなとこまで一体何しに来てるんだ?」
わざわざ一時間近く歩いてきて、知り合いと会うだけにしては少々面倒だ。
ケルトの構造は少し特殊で大きな隕石の跡、クレーターのような中に位置している海抜が低い。
川や海をまだ『イヴ』に来てから見たことないため、この表現は正しいかわからないが、いわば少し低い位置にあるのだ。
下へ降りるための道も限られている。蓮見はゆっくりと足をしっかりとつけてケルトの駅を目指す。
「よっと、ふぅ、運動不足の身体には堪えるなぁ」
「あ、外からの人間だ、おじさんだ」
「まだ若いわ」
蓮見に気安く話しかけてきたのは、白髪の子供だった。
レキよりもまだ幼い、歳の頃でいうと10歳になってるか満たないかくらいだろう。中性的な見た目でパッと見でもよく見ても性別がわからない。
下半身を確認すれば簡単なのだが、蓮見は紳士である。そんな下品なことはしない。
「君、ここの子?」
「ん、まぁそうかな。色んなところにも行くけどね」
「.....黒森レキってやつが最近ここによく来てるっていうから、来たんだけど、知らない?」
「レキ姉の知り合い? あッ、ということはあんたが最近レキ姉が愚痴ってる蓮見ってやつか!」
どうやら知り合いのようだ。
年相応の子供らしい大袈裟なリアクションで返してきたが、蓮見はそれよりも気になる言葉が耳に入ってきた。
「.....俺、愚痴られてるの?」
「うん。 なんか、りんご剥くのが下手くそだとか、洗濯物の汚れとかしわがしっかり取れてないとか、淹れる飲み物が意外にも好みで悔しいとか」
–––よし、あいつの皿に嫌いなタマネギを増やしておいてやろう。
赤い垂れ目の子供がコクンと首を傾げている。
「そうか、教えてくれてありがとうな、えっと、名前は?」
「ボク? ボクはヒルコだよ、ヒルコ・リドゥー」
ヒルコは石の上から立ち上がり、ズボンを叩きながら汚れを落とす。
ニッコリと年相応の笑みを浮かべながら、ヒルコは蓮見のことを見つめる。
「蓮見のおっちゃん、もしかしてケルトに来るの初めて?」
「お".....あ、あぁ、初めて来たな」
「ならボクが案内したげるよ、ちょっとここは道が複雑になってるからさ」
ヒルコは足元にある石を拾って、ゴリゴリと地面に何かを描き始める。
「このケルトは三つの区画にわかれてて、駅の通ってる区画はここから、自警団支部のある区画にはこの先の突き当たりから、三つ目の区画に行くにはもう一回上に行かないといけないんだ」
蓮見はヒルコの描いた図と眼下に広がるケルトを見比べながら納得する。
歳の割に手慣れた説明をするヒルコに最初は驚いたが、もしかしたら見た目が幼いだけの中身はおっさんなのかもしれない。
ここは『イヴ』なのだ、蓮見の常識が通用しないなんてことはザラにある。
それぞれの区画は崖によって区分されているため、下に降りてからの移動は難しそうだった。
「この三つ目の区画には何があるんだ?」
「畑とか家とか、結構ごちゃごちゃしてるところ。 ボクでも滅多に行かないよ」
ヒルコは三つ目の区画の描かれた場所に石でバツ印を描く。
「下の区画同士で道はないのか?」
「あるにはあるけど、おっちゃんの動きじゃ無理そうかな。 ここに来るまでも結構気使ってたでしょ!」
「うっ」
再度、納得させられた。
どうやら区画の移動には崖を直接移動するしかないようだ。
「レキ姉はよく自警団支部のあるところに行ってるよ」
「へぇ」
ジャンヌもたしか自警団だった。
もしかして、レキは自警団の知り合いが多いのかもしれない。
「じゃあ、そこの案内頼めるか?」
「もっちろーん! こっちだよ」
軽快な足取りで先に進むヒルコ、どうやら『イヴ』の住人の身体能力はレキが例外ではなく、蓮見よりも遥かに上回るらしい。
環境がそうさせているのか、それとも地力が違うのかはわからない。
しかし、もし凶悪な犯罪者、危険思想を持ち蓮見と敵対するような人間と相見えたときは逃げれるかはわからない。
それほどまでに差があるのだ、幸いにもまだそういった者たちと出会ってないのが救いである。
削り取ったように舗装された崖道を下り、緑の大地に足を下ろす。
広さは公立中学の校庭ほど、野球が同時に二試合行えるほどの広さだ。
奥には自警団ケルト支部の建物が建っている。
周囲には10件にも満たない木造住宅が建ち並んでいる。
その中でも一際目立つ建物、こちらの世界の文字で[ブレットケルター]と書かれた看板の下で見知った顔を見つけた。
「あれ!? 蓮見さん、なんでここに!?」
「.....やっぱお前だったか」
「レキ姉ぇー!」
蓮見は一瞬彼女がレキとわからなかったかのには彼女の服装が関係している。
いつものような紫を基調とした色のゴスックドレスではなく、明るい橙色のウェイトレス風の格好に、ぴょこりとしたリボンではなく、白い三角巾を頭にちょこんと乗っけている。
右腕にはバスケットがある、中からはほんのりと暖かい香りが広がってくる。
「蓮見さんにここのこと話してないよね? ていうか、ヒルコまで」
「あー、いや、その.....」
本当なら話しかけるつもりはなかった、遠くから見てるだけのつもりだったので蓮見は少しどうしようかと混乱している。
(.....ついてきた、なんて言えばストーカーみたいだもんなぁ、だから遠くから見守ってようと思ったのに)
その行為もストーカー気質にあるということに気がつかない蓮見であった。
「いや、前俺の仕事先にも来てたからさ、黒森の仕事先もちょっと気になってさ、ちゃんと働いてるかなって」
「.....なんか蓮見のおっちゃん親父くさいね」
苦し紛れの言い訳も流されることなく、しっかりとヒルコに拾われてしまった。
「ま、まぁ来る分にはいいけど、突然だとびっくりしちゃうじゃん」
「俺の仕事先に何の連絡もなしに突然やって来たのはどこのどいつだ?」
レキがそっぽを向いて口笛を吹き始めた、物凄く下手くそである。
吹けてない。
「あれ、レキちゃんまだ行ってなかったの? 話し声が聞こえたから気になってたけど」
店の中から少しふくよかな体型のおばさんがひょこっと顔を見せた。
「あ、いっけない! 蓮見さん、また後でね!」
「ちょ、黒森!」
逃げるようにしてレキが走り出し、ぴょんぴょんと隣の区画にまで軽々と移動する。
たしかにヒルコの言う通り蓮見では、とてもできそうな芸当ではない。
「ちょっとあんた!? うちのレキちゃんの何なの!? 新手のストーカーかい!?」
「違う!!」
自警団支部のお膝元にあるお店[ブレットケルター]の前で事案は勘弁してほしいものである。 割とシャレにならない。
「違うよマダム、たしかにちょっと怪しいけど、蓮見のおっちゃんはレキ姉の知り合いだよ!」
「俺泣いていい!?」
子供からの目線でも怪しいと言われてしまった蓮見、心に9999のダメージ! クリティカルヒット!
「そ、そうなのかい、それは申し訳ないことをしたね」
「あ、いえいえ、お気になさらず」
彼女、マダム・メソッドはウネウネと蠢めく長い髪を靡かせながら謝罪してくれた。
「ここは、パン屋?」
「そう、あたしの母ちゃんが始めて、あたしが二代目さね!」
レキの持つバスケットからの香りはパンだと蓮見は認識した。
「実はね、二週間くらい前だったかね、レキちゃんがメロンパンってやつを求めてウチに来たんだけど、あいにくそんなものは用意してなくてね、初めて聞く名前だったし」
「メロン、パン.....」
「そう、それでお金も必要だってから昔のよしみで働いてもらってるってわけ」
思えば、蓮見の渡したメロンパンを幸せそうに食っていた。
そこまで気に入ったのか、と蓮見は苦笑いをする。
「あいつと昔のよしみってことは、もしかして黒森はここで生まれ育ったんですか?」
「まぁ、そういうことになるね。 生まれは少し違うみたいだけどね」
.....たしか、あいつ家出中とか言ってたような。
結構あっさりと戻ってきたということは思ったよりも親子の溝は浅そうだと蓮見はどこか安心したような様子だ。
「ねぇ、マダム! パン頂戴!」
「お、ヒルコちゃんまた来たのかい! いいよ、見ていきな! あんたもどうだい、今日はご馳走するよ!」
「あ、どうも」
レキの仕事が終わるまで待たせてもらうことにしよう。
「そういえば、あいつに何させてるんですか?」
「配達だよ、あの子は足腰はしっかりしてるからね。 あたしみたいになってくると注文があってもしんどかったから、助かってるよ」
店の中に案内され、腰を下ろす。
開店中の今は客もそれなりに多く盛況しているようにも見える。
ここで買ったパンをその場で食べることもできるようだ。
「それにしても、あの子の言っていたメロンパンだけがどうにもわからなくてねぇ、普通にメロンを混ぜるだけじゃ味が喧嘩しちまってどうにもならない」
「.....あー」
蓮見も詳しい作り方を知っているわけではないが、自分がレキにメロンパンのことを教えたと話すと案の定マダムが食いついてきた。
改めて調べて教える、ということを伝えるとアップルパイを持ってきてくれた。
「情報量だよ、前払いさ」
「どうも」
紅茶を飲みながら食べるアップルパイは美味しかった。
ここの名物の一つのようだ。
「マダムのアップルパイはやっぱり美味しい!」
「ありがとね、ヒルコちゃん。 だけど、しばらく作るのは難しいかもしれないんだよ」
「と、言うと?」
「【骸】の流通もあってか、自警団の皆さんがりんごの流出を規制しているんだよ。 たしかに、あれは恐ろしいけどこっちとしても厳しくてね」
いくら他のメニューがあるといっても、名物の一つを作るのが困難になると経営も厳しいらしい。
「【骸】の一件が落ち着くまではお客さんにも説明しないとねぇ」
マダムの愚痴を聴きながら、ティータイムはレキが戻ってくるまで続いた。
※
「ほら、蓮見の兄ちゃんにお土産だよ!」
「すみません、ありがとうございます」
「いいんだよ、また来ておくれ!」
時間は16時過ぎ、今から戻ればヌンクに到着するのは17時を回ることになるだろう。
ヒルコと別れて、蓮見とレキの二人は鈴蘭の揺れる街道を並んで歩く。
いつものゴスシックドレスを着たレキは笑顔だ。
「なぁ、黒森」
「何?」
「お前、実家には顔出してるのか?」
蓮見の質問にレキは誰から見てもわかるくらい、表情が強張った。
歩調もゆっくりに、若干冷や汗も出ている気がする。
「えっと、マダムに聞いたの?」
「まぁ、な」
もしかしたら余計なお世話かもしれないが、親子の仲は大切である。
蓮見も母親は幼い頃に亡くなり、父親とは仲が良くなかった。
会いたいときに会える、追い出されたわけでもなく自分の意思で家に出たなら、まだわかりあえるはずだ。
「.....前にも言ったかもしれないけど、私が家出したのってお父さんを探すためなんだ」
そのために手がかりである『アダム』を目指す。
何故ならレキの父親は『アダム』の人間だから。
「それで、その、お母さん、に元気になってほしくて、私のワガママなんだ」
グッと両手を握りしめて、スカートの裾を掴みながら足を止める。
レキの声は震えていた。
「お母さんね、お父さんと会いたくないって言ったから、ちょっとカッとなっちゃってさ、私は会いたいのに、結局は自分のため、お母さんのことは、理由付けしただ–––」
「–––レキ」
レキの話を遮り、蓮見は真剣な表情でレキに向き合う。
「俺はお前のお袋さんのことを知らない。 だけど、お前と会いたがってるはずだ」
「え?」
「お前の話を聞いてると、そう思うよ。 もし俺がレキの家族だったら、俺もそう思う」
–––たった一人の娘、喧嘩するくらいお互い本音を話し合えるんだ。
ちょっとしたすれ違いが起こっただけ、レキは今すぐにでも家に戻るべきだと蓮見は結論付けた。
「–––会える距離にいるんだろ、だったら会うべきだ。 会えない、くらい遠く離れてしまう前に!」
蓮見征司と黒森レキは他人だ。
家族の問題どうこうに安易に踏み込むべきではない、しかし、蓮見には黙って聞いてるなんてことはできなかった。
修復できる関係なら、亀裂が少ないうちに修復してしまった方がいい。
後になって後悔することは明白である。
「.....わかった。 でも、もう少し、心の整理がついてから、会いに行く」
「.....そっか」
そこからは強く言わなかった。
蓮見はレキの頭に手を乗せワシワシと乱暴に撫でた。
–––この時のことを蓮見征司は大いに後悔した。
もし、この時、レキにもっと強く言っておけば後悔することはなかった。
無理にでも背中を押してやるべきだった、他人としてではなく、お節介な相棒として無理にでも会わせるべきだったのだ。
「蓮見さん、今日の夕飯って何?」
「あ、そうだ。 タマネギ買いに行かないと」
「ねぇ、ねぇ、蓮見さん、それって私に対する嫌がらせ? 嫌がらせでしょ!」
–––そんな先のことは二人並んで楽しそうに歩く二人が知る由はない。
「ハァ、今のうちに少しは克服しておけ」
「やーだー!」
–––鈴蘭は揺れる。
変わることのない日々と同じように、変わることなく揺れ続ける。
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