機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ~悪魔と英雄の交響曲~   作:シュトレンベルク

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厄祭戦・8

 苛烈を極めたシリウスの仕事は一先ずの落ち着きを見せた。最早どれだけ徹夜したかも分からない程、というよりは昼夜逆転どころか昼夜皆無というレベルだったシリウスにも遂にまともに休める時が訪れた。正確に言えば休める時間ではなく、休まされる時間と言うべきだろう。

 モビルアーマーに対する警戒態勢の構築を部下に完全に任せたセブンスターズ、そしてシリウスの余りの惨状にもう駄目だと判断した文官たちに休暇を取らされたのだ。さしものシリウスも常軌を逸した衰弱状態+体調も狂っているとなれば、抗うことは出来ない。無理矢理車に乗せられ、家に運ばれた。まるで荷物の如く家に運ばれたシリウスに驚くものの、一切抵抗できていないシリウスにしょうがないと判断した。

 

「し、シリウスさん!?」

 

 誰も何とも思っていない中、唯一ジャンヌは荷物扱いされているシリウスに驚いていた。最早抵抗する事すらアホらしくなっていたシリウスは完全に眠っていた。最早、死んでいるのではないか?と言いたくなるほど眠りの深いシリウスに、それでも心配できるほどジャンヌは出来た女性だった。

 前日にSAUの政治家と会っていただけに、身体的に汚れているところはなかった。ただただ一心に眠りこけているだけだった。ジャンヌはベッドで寝ているシリウスの手を繋ぎながら、シリウスを見守っていた。時計が動いている音しかしない空間にたった二人だけ。そんな夢のような事態にジャンヌの心は葛藤していた。

 

『何をしているんですか?彼に対する感情に気付いたんですから、ここはキスの一つでもやっておくべきでしょう』

 

『何を言っているんですか、黒い私!病人にそんな事をするなんて常識知らずな事をしてはいけません!』

 

『何を言っているはこちらのセリフです、白い私。彼はただ極度の疲労で眠っているだけ。別に病人という訳ではありません。看病する代わりにキスをするという報酬をもらうだけです』

 

『それを常識外れと言わずに何と言うんですか!今時、看病の報酬にキスを迫る人なんていませんよ!』

 

『綺麗事しか言えない聖女様に用などないわ。さぁ、今の自分が何をするべきかあなたは分かっているでしょう?さぁ、やりなさい!』

 

「いいえ、そんな事はしません」

 

『なっ!?』

 

『そう、それで良いんです!そもそも嫁入り前の娘がそんな事をするなど、はしたないにも程が……』

 

「彼が目覚めてからもっと凄い事をして貰いますから。それまではお預けです」

 

『えぇっ!?』

 

「こんなに大勢の人に迷惑や心配をかけて……本当に悪い人。自分が一体どんな事をしたのか、じっくりたっぷりと教えて差し上げるとしましょう」

 

 その時のジャンヌの表情は妖艶な色気に包まれていた。神聖さを通り越して魔的とも言えるその表情は、見た者を彼女色に染め上げるかのようで。ジャンヌの天使と悪魔は両方仲良くドン引きしていた。その時ばかりはジャンヌは聖女というよりは魔女という言葉が相応しく、シリウスも若干震えていた。

 しかし、ジャンヌはすぐにその表情を引っ込め、シリウスの頭を撫で始めた。そしてジャンヌは遠く離れた火星で暮らしているであろう家族を思い出していた。今の地位になってから、ジャンヌは家族の元へは帰れていない。それは彼女自身が家族と出会ってしまえば、自分の心が揺らいでしまうという事を理解しているからだ。

 

 成人なりたてという若い身の上だ。戦場とは程遠い環境に生まれ、火星に移住してからも両親の仕事を手伝いながら妹や弟の世話をしていた。そんな中、悪化する一方だった環境をどうにかしたいと考え、行動した結果革命の乙女などと呼ばれるようになった。それは決してジャンヌが望んだ称号ではなかったけれど、ジャンヌが活動する事で両親の生活が良くなるなら――――そう考えて行動してきた。

 

 モビルアーマーと戦ってきたのも、アスガルドと交渉していたのも、総ては火星で暮らしている家族が幸せに暮らしていける事を望んでの事。もし、家族が本当に幸せに暮らしていけているのなら、きっとジャンヌはそこで足を止めたくなってしまう。だが、それは赦されない事なのだ。これまでの戦いで犠牲にしてきた命と、これから犠牲にしていくであろう命のために。ジャンヌはまだ止まる事ができないのだ。

 たとえ、アスガルドとアルタイルが一つになり、巨大な一つの組織としてまとまればジャンヌの存在など必要ではないとしても。ジャンヌは止まる事ができない。それはこれまで戦ってきた者とこれから戦う者に対する侮辱だからだ。彼らを先導した者として、ジャンヌは戦わなければならないのだ。それが革命の乙女と呼ばれたジャンヌの唯一為すべき事だと信ずるが故に。たとえ、その果てが己の死だとしても――――

 

「私は止まれない。止まる事など……出来る筈がない」

 

 それが自分の罪であり、自分の贖罪なのだとジャンヌは信じている。シリウスの手を自分の額に当てながら、ジャンヌはそう呟いた。その姿を薄く目を開けたシリウスに聞かれているとも知らず、ジャンヌはただ神様に祈り続けていた。その姿に内心でため息を吐きつつ、シリウスは再び眠りについた。

 そのまま眠り続けた翌日、シリウスは完全に感覚をアジャストさせた。栄養分が不足しているといえど、それは食事で補えば良い。そう思いながら身を起こそうとすると、手に違和感を感じた。そちらの方を見てみると、一度目を覚ました時と同じくジャンヌが手を握っていた。なんとか手を離させようと検討していると、ジャンヌが何やら呟いていた。

 

「……ぁ」

 

「……?」

 

「もう嫌……もう戦いたくなんてない。お父さんとお母さんの所に帰りたいよ……」

 

 それはジャンヌの本音だった。鋼の意志に包まれたジャンヌ・ダルクという少女の本音。ごく当たり前に家族に愛され、ごく当たり前に家族を愛した一人の少女の、偽らざる本音。それを聞いたシリウスは無言でジャンヌを見つめていた。シリウスには彼女のように思う事ができないから、彼女にかけるべき言葉が分からない。

 何故なら、シリウスもアグニカも記憶がある頃には既に闘争の毎日だったからだ。弱い奴は強い奴に搾取されるのが当たり前な世界で生きてきた。だからこそ、彼らには力が求められた。そこでアグニカは集団を支配するための暴力たる力を求め、シリウスは集団を率いるための知力という力を求めた。それ故に、戦うのが嫌という感情が分からないのだ。そんなシリウスをさておき、ジャンヌの寝言――――本音は続く。

 

「本当は人の命を奪うような事をしたくない……誰かを死なせてしまうような事はしたくないの……だって、怖いんだもん。彼らが私の事を恨んでるんじゃないか、って……どうしても考えちゃう。私がいなければ……彼らは生きれたんじゃないかって……」

 

「……それは違う。あなたがいなければ精々死ぬ順番が変わったぐらいで、より大勢の人間が命を落としただろう。あなたは残された人々の命を救ったんだ」

 

「――――でも、彼らが命を落とした事実は変わらない」

 

 いつの間にか、ジャンヌは目を覚ましていた。その美しい瞳からは真珠の如き涙がこぼれ、その涙はベッドに落ちて染みを作った。しかし、そのような事も気にならない程今のジャンヌは感情的になっていた。普段はしないであろう行動――――シリウスに抱きつき、涙ながらに言い始めた。

 

「これが、火星の人々のためになると信じていました。一人一人の力は小さくとも、皆の力が合わさればきっといい未来が訪れると……そのために頑張ってきました。そのために身をすり減らしてきました。そのために革命の乙女なんて似合わない称号を受け入れてきたんです」

 

「……………」

 

「私は皆のために頑張らないといけない。今も火星で苦しむ人々のために、これまでの戦いでその身を散らしてしまった兵士の皆さんのために、これからの戦いで命を落としてしまうかもしれない人たちのために……私は挫ける事なんて許されないんです……!」

 

「……そんな事、出来る訳がないだろうに」

 

「でも……っ!?」

 

 これ以上口にするなとばかりに、シリウスはジャンヌの口を自分の口でふさいだ。シリウスの突然の奇行にジャンヌは目を見開いた。そこで真摯な瞳をジャンヌに向けているシリウスに気付いた。シリウスはジャンヌの言葉を理解しきれない。けれど、ジャンヌが無理をして頑張っていた事は分かるのだ。だからこそ、ジャンヌが自分自身の努力を否定する事が許せなかった。

 確かに、ジャンヌの言う事は一理あるのかもしれない。ジャンヌが指揮をしたから死んだ人がいたのかもしれない。しかし、そんな想定は所詮IFでしかない。その者たちが死んだという事実は、決して覆らない。そんな意味もない事をするぐらいなら、彼女が救った人々の事を考えた方がよほど建設的だろう。

 

「あなたは、今生きている彼らを救った。本来、モビルアーマーっていうのはどれだけの戦力で挑んでも勝てないだろうってくらいの化け物なんだ。それをあなたは打倒した。その報せが、その事実が、どれだけ人々の心を勇気づけたか、君に分かるか?」

 

 シリウスは覚えている。火星側がモビルアーマーを打倒したと聞いた時の人々の反応を。理不尽に、暴虐のような力で人々を蹂躙していた存在。そんな存在が斃された。それがどれだけ人々の心を勇気づけたか。モビルアーマーも所詮破壊できる機械でしかないのだと。そう世界に知らしめた彼女の偉業を、シリウスは知っている。

 ジャンヌの頭を胸元に引き寄せ、シリウスは彼女を抱きしめた。自分は此処にいるのだと、そう彼女に教えるために。抱きしめられたジャンヌは手をシリウスの左胸に当てた。心臓の鼓動が直に伝わり、ジャンヌは猛烈に泣きたくなってきていた。

 

「君は頑張った。いや、君は頑張っている。だから、後は俺たちに任せておけ。君がもう頑張れないと言うのなら、俺たちが後を継ぐから。モビルアーマーを根絶やしにして、これから生きる人々の未来を俺たちの手で創ってみせるから……だから、泣き止んでくれ。俺は、君の涙なんて見たくないんだ」

 

 男が頑張れるのは女性の笑顔のためだと、誰かが言った。守りたいと思わせてくれる大切な人の笑顔こそが、人の原動力になるのだと。その通りだと、シリウスは思った。だからこそ、彼女の涙など見たいなどとは思わなかった。自分の情けなさを教えられているようで、心苦しかった。自分の力のなさを告げられているような気さえしてくるのだから、不思議な物だ。

 

「俺は戦う事しか出来ない。仕事だって俺にとっては戦場みたいなものだ。家庭とか、そういう物が俺には分からない。誰からも愛された事のない人間だからな。だけど……そんな俺でも……君の涙を止める事ができるなら。どうか力になってやりたいと思うよ。だから、どうか泣き止んでくれ」

 

「……ふふっ、不器用なんですね」

 

「そうだな。大抵の事には器用な自信があったんだが、女性の……いや、君の扱いにはとんと自信を無くすよ。こんなに俺は無力だったのか、と唖然としてしまうからな」

 

「だったら……しばらく胸を貸してください。涙を見たくないというのなら……どうか聞きとげてください」

 

「君の涙を止める事すら出来ない、こんな無力な男の胸でも良ければ」

 

 それから暫くの間、ジャンヌはシリウスの胸元で涙を流し続けた。そして泣き終えた後、疲れ果てたのか再び眠りについた。今度は目端に涙の残りがあれど、確かな笑みを浮かべながら。目端の涙を拭いながら、シリウスはジャンヌをベッドに横たえる。そして服装を換え、食事をとる事にした。普段で考えられない量の食事をとると、シリウスは軽く連絡を取った。

 そのまま数日程休みを確保したシリウスは久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。仕事から完全に離れた時間も久しぶりだ、と思いながらシリウスはメイドが出してくれた。コーヒーを飲みつつ新聞を読んでいた。普段は適当なニュースをBGM代わりに聞いているだけだったので、懐かしい感覚にすらなっていた。

 

 そんな感じで久しぶりの休みを体感していたシリウス。昼頃になると顔を真っ赤にしたジャンヌが既に席についていた。そんなジャンヌに使用人たちは首を傾げていたが、シリウスは気にすることなく昼食を食べ始めた。そしてジャンヌよりも先に食べ終わったシリウスは呆れながらコーヒーを飲んでいた。

 

「食べないんですか?冷めてしまいますよ」

 

「……よく堂々と食事を出来ますね。先ほど、あんな事をしておいて」

 

「はて、そんな赤面するような事をしましたか?当たり前な行動をしただけだと思いますが」

 

「あ、アレが当たり前なんですか!?」

 

「涙を流している女性を慰めるのは男の役目、とアグはよく言っていましたから。そうでなくとも、あなたのあんな姿をあれ以上みたいとは思いませんでしたから」

 

「そんなナンパ師みたいな言葉を堂々と……」

 

「俺は、あなたに対して自分の感情を偽るつもりはありません。俺がしたいと思ったからやっただけです。お気になさらず」

 

「そこで気にしなくて済むのなら、ここまで悩んでいません!」

 

「ハァ……それで、何をそこまで悩んでいるんですか?」

 

「……あんな恥ずかしい姿を見られてしまいました。これでは私はどこにもお嫁になど行けません」

 

「ふむ、理由はよく分かりませんが……それで?」

 

「……分からないんですか?」

 

「俺に責任を取れ、という話ですか?そうは言われましても、不可抗力に近い流れだったと思いますよ」

 

「うっ……」

 

「……それでも。俺があなたに対して責任を取らなければならないのなら――――良いでしょう。どこにも嫁に行けないと言うのなら、ウチに来ればいい。私は少なくともそれを歓迎しましょう。他の者たちもそうでしょう」

 

 シリウスは周りに立っているメイドや使用人たちに視線を向ける。使用人たちもしきりに頷いており、意見の相違など一切見られなかった。しかし、それでも踏ん切りがつかないジャンヌの手をシリウスは掴んだ。ジャンヌは震えたが、シリウスはそんなジャンヌの挙動を無視した。

 

「俺はあなたを受け入れましょう。ジャンヌ・ダルクという少女の悩みを、後悔を、迷いを、苦しみを、悲しみを、辛さを、喜びを、楽しみを……あなたの総てを俺は受け入れましょう。では、あなたは?」

 

「えっ?」

 

「……俺はお世辞にも真っ当な出じゃありません。今の階級を除けば、スラム街で育った癖の強い男でしかない。真っ当に生きてきたあなたとは、どうしたって対等には立てない。そんな俺でも、あなたは受け入れる事ができますか?」

 

 シリウスは自分の出自に対して自慢に思った事はない。誰だって真っ当に生まれ、真っ当に生きられた方が良いに決まっている。戦いの中に身を置き、強者である事を強いられ続ける環境など間違っているのだ。そんな環境で生きてきたシリウスは、真っ当に生きている人物とはどうしたって釣り合わないと信じている。だからこそ、ジャンヌに問うのだ。こんな自分でも、あなたの傍に居ても良いのかと。しかし、その疑問はジャンヌにとっては愚問だった。

 

「えぇ、もちろん。私は今ここにいるシリウス・ダルクという男性と共にありたいのです。それ以外の誰でもなく、今私の目の前で不安そうに私を見つめているあなたが、私は欲しい」

 

「受け入れる、ではなく欲しい、と来ましたか。これは俺も中々うかうかしていられないようだ」

 

「ええ、覚悟してください。あなたが私にどっぷりと溺れて抜け出せないぐらい、私はあなたを愛してみせますから」

 

 この数日後、『アスガルド宰相』シリウス・ダルクと『革命の乙女』ジャンヌ・ダルクの電撃結婚が発表された。記者会見をした際、「これは彼女と私の競争の第一歩なんですよ」というシリウスの言葉は後々の研究者の間でも議題となったのであった。

 


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