分かってるんだか待ちきれなかったんだ。すまない、本当にすまない。
第1話
偶然、と片付けてしまうには些か頑丈すぎる縁の糸であった。ろくに神秘の世界に触れる機会もなかった一般人が、分霊とはいえよもや神の一部をその身に宿すなど。飛んだ宿業を背負ったものだ。
標高6,000メートルの山頂。猛吹雪の吹き荒れる白銀の世界に一人佇む。片足が不自由で、杖の支えを欠かせないこの身が、自ら赴くような場所ではなかった。ここ、人理継続保障機関フィニス・カルデアからの、半ば脅しとも取れる招待がなければ。
入口の認証アナウンスを聞きながら、ここまで乗せてきてくれた灰色の狼を撫でる。誰かの使い魔らしく、足のことを考慮しての特別扱いだ。
「すまない、そんなところで待たせて。本当はちゃんと人を寄越すべきなんだろうけど…」
「不要な気遣いだ。そもそも最初から私には拒否権はなかったのだろう」
「本当に……、ごめん」
「気にしなくて良い、ドクター。君は自分の仕事をしただけだ」
少し悔しげな表情をしたのは、如何にも頼りなさそうな男、カルデアで医療スタッフの統括をしていると言う、ロマニ・アーキマンである。いくらカルデアの隠匿のためとは言え、自分一人でこのような場所に向かわせたことに、医師として許せない部分があるだろう。もっとも当の立香はあまり気にしていなかった。17年も慣れ親しんだ杖は、彼女のもう一本の足のようなものだ。
「本来ならば自室に案内したいところだけど、念のためだ、一旦医務室でバイタルチェックをさせておくれ。それから、ドクターと言うのはやめて欲しいな。何だか遠い感じがする。僕のことはロマンとでも呼んでくれ」
「ありがとう、そうさせてもらうよ、ロマン」
幸いにも身体計測は手際よく進み、全ての数字が立香をいたって健康だと指し示した。今日から自室として使って良いと言う部屋に案内され、自動ドアが開いた瞬間、今度は猫のような大きさの真っ白い生物が顔に飛びついた。
「フォウ!フォーウ!!」
「フォウさん!あ、危ないっ!」
咄嗟にバランスを崩しかけた身体を支えようと杖を持つ手に力を入れる。だが悲しいかな、もとより平衡を保つことが得意でないこの体に、態勢を立て直す力などある筈もなく、思いっきり後方へ転倒した。それでも軽傷で済んだのは、偏に下敷きになる形で支えてくれた、彼のおかげだった。歳は一つ二つ下だろうか、淡い紫色の短髪に、黒ぶち眼鏡をかけた、生真面目そうな男の子だ。
「先輩、お怪我はないですか?」
「先輩?私の方が新参者だけど…ともかく、君のおかげで助かったよ」
「いえ。僕はマシュ・キリエライト、ここの職員です。こちらはこのカルデアの特権生物、フォウさん。何処へでも神出鬼没なのですが、先輩を気に入ってくれたようです。栄えあるフォウさんお世話がかり2号の誕生ですね」
しっかりした印象だったが、割と天然系かもしれない。やや興奮気味に摩訶不思議の白毛玉を紹介する彼は、年齢よりも幼く見え、ついつい構いたくなる。無意識に手が伸び、自分より高いところにある形のいい頭を撫でていた。うん、やはりマシュは弟属性を持っているのだろう。
「せ、先輩…その」
「ああ、つい。ごめんね」
「いえ、謝らないでください。びっくりしただけです。むしろ、嬉しいと言うか…ゴホン、2時間後には所長による全体説明があります。その頃また迎えに来ますね」
「足のことなら気にしなくていい。杖とも長い付き合いだし、態々介助役を願うほどのものじゃないよ」
思わず少し口調がきつくなる。五体満足で生まれて来なかったせいで、よく周りが過剰に憐憫や罪悪感を示す事があった。この体でも精一杯生きようとする事が否定されているようで、少し悲しかった。マシュは目を見開いて、少しはにかんで言った。
「先輩を助けたいのもありますが、単純に僕が先輩と一緒に歩きたいんです」