キッチンに入ると、俺は言葉を失った。
「うわっ、すごーい!」
興奮した大河がキッチンの中を走り回る。
おかしい。数分前まで、走り回るスペースなど無かった筈なのに。
「ふふふ、凄いでしょ! 空間拡張だけじゃないのよ。ほら、足元を見てみなさいな」
「足元? おお、これは! 床下収納!」
なんという事でしょう。大河の足元には、以前までは無かった床下収納が……ッ!
「その床下収納は異空間化しているの。さらに固有時制御の応用も取り入れてるのよ! だから、中に入れた食材は十年二十年……、それこそ百年経っても腐らないわ!」
「うわー、凄いことになってますね」
桜がポカンとした表情を浮かべて言った。
「どう? これなら何人でも大丈夫でしょ?」
「お、おう……。っていうか、いつの間にキッチンを劇的ビフォアアフターしたんだ!?」
「坊やがセイバーを探しに行っている間にちょちょっと。前から料理に挑戦してみたいと思っていたのよ。だけど、この家のキッチンって狭いじゃない? だから、改造してみたわ。ついでに強固な結界も張っておいたから、有事の際はここに逃げなさい。サーヴァントの宝具でも無い限り、絶対に破れないから」
「人の家のキッチンに何してくれてんだ!?」
キッチンの中に入る。長年使ってきた愛着あるキッチンが魔改造されてしまった。
酷すぎる。あんまりだ。こんなに広々としていて、収納に不自由しなくて、床下収納まで備えたキッチンなんて、俺のキッチンじゃない!
「……うわぁ、士郎が泣いちゃった」
「せ、先輩。そんなに嫌だったんですか」
「わかった。分かったわよ。戻すから本気で泣くのはやめてちょうだい」
三人がドン引きしている。だけど、仕方ないじゃないか……。
誰にだって、壊されたくない聖域というものがある。
「……これは、なんとエゲツない真似を! 魔女め……」
「お前、本当に衛宮なんだな」
アーチャーと慎二がやって来た。
「おい、衛宮」
「慎二……。どうした?」
「……とりあえず、涙拭けよ。お前のマジ泣きとか久々に見たぞ」
慎二が渡してきたハンカチで涙を拭う。
「悪い……」
「も、戻すから、それ以上罪悪感を感じさせないでちょうだいよ。……なによ、良かれと思ってやったのに」
俺達がキッチンを出ると、キャスターはブツブツ文句を言いながら作業を始めた。
「それで、どうしたんだ? 王様の告白がうまくいったのか?」
「いや、全然ダメだな。押せ押せばっかで駆け引きにもなってないよ。セイバーみたいなタイプは途中でわざと退くほうが上手くいくと思うんだけどな」
「……さすが、百戦錬磨だな」
「さすがですね、兄さん」
何故だろう、寒気を感じた。
「そ、そうだ。これを渡しに来たんだ」
そう言って、青い顔をした慎二がサツマイモを取り出した。
「なんだこれ」
「南米で手に入れたサツマイモらしい。これを調理しろってさ、あの自称王様」
「南米……。えっ、まだ探してたのか!? 世界一のサツマイモ」
「五年もかかったとかすげードヤ顔で言ってたぞ。あと、藤村にこれを渡せってさ」
「え? なになに?」
慎二は大河に奇妙な人形を渡した。
「……お土産だってさ」
慎二とアーチャーが遠い目をしている。
「わーい! なにこれ、すっごい可愛い!」
はしゃぐ大河。獣の顔を持つ黒い人形は、どちらかと言うと気持ち悪いとか、怖いという感想を抱かせるが、ここは黙っておこう。
「……とりあえず、いろいろ作ってみるか」
程なくしてキャスターの作業が終わった。
元通りのキッチン。これだよ、これ。
頭の中でレシピを展開する。王様が認めた一品なら、間違いない。このサツマイモこそ、至高のサツマイモだ。
さあ、始めるぞ!
★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十八話『正義の味方の逆鱗』
なにやら興奮した様子でサツマイモの調理を始める士郎。
「……むむ。これは珍しい食材が手に入った時の鉄人モード。このモードになると、士郎ってば台所に入れてくれないんだよね……」
「おい、アーチャー。羨ましそうにするなよ」
「う、羨んでなどいない! ……ただ、あの至高の食材を小僧如きが扱いきれるのかと思っただけだ!」
「……ちなみに、お前ならどう料理するんだ?」
「私か? 私なら……、そうだな」
アーチャーは慎二くんに熱い思いを語り始めた。やっぱり、多少の違いはあっても士郎は士郎みたい。
慎二くんはゲンナリしながら聞いてあげている。
「はぁ、料理を教えてもらう筈だったのに」
唇を尖らせるキャスターさん。
「士郎は料理にこだわりを持つタイプだからねー」
「先輩の料理指導は結構スパルタなんですよ」
「人畜無害な顔して、意外な一面を持ってるのね」
キッチンの中を覗いてみる。
実を言うと、鉄人モードの士郎が結構好きだったりする。
だって、すごく生き生きしている。
「楽しそうね……」
「先輩、ノリノリです」
キャスターさんと桜ちゃんが覗き込んでも、士郎はまったく気付かない。
料理に全神経を集中しているんだ。
「仕方ないわね。私は宗一郎さまの所へ戻るわ」
そう言って、キャスターさんは居間から出て行った。
きっと、葛木先生に手料理を振る舞ってあげたかったんだろう。料理が終わったら、次はちゃんと教えてあげるように士郎を叱らなきゃいけないね。
「私達はどうしますか?」
「うーん……。とりあえず、こっちの士郎の話でも聞いてよっか」
アーチャーは相変わらず慎二くんに語っていた。
「世界中を旅して回ったが、その途上で世界中の一流ホテルのシェフとメル友になってね。真の食の頂というものが見えた気がしたよ」
「……お前、なんで料理人にならなかったんだよ」
慎二は呆れ半分に言った。もう半分は……、少し怒っているみたい。
「いや、料理はあくまで必要に迫られたからで……」
「なんの言い訳だよ! ったく、料理が好きなら、その道を突き進めば良かったじゃねーか!!」
今度は怒りが前面に出ていた。
「……慎二」
「あーくそっ、今度、お前の料理も食わせろよ。世界中回って極めた味ってもんを評価してやるから!」
「あ、ああ。期待に添える物を用意してみせようじゃないか」
「言っとくが、僕は情けも容赦も掛けないぞ! 下手な料理を出してきたら辛口の評価を下してやる!」
私は桜ちゃんとアイコンタクトを交わした。
そそっと居間を出る。
「慎二くん、士郎の事が大好きだよね」
「兄さんと話していると必ず話題に先輩の名前が上がりますからね」
「うちの士郎はモテますなー」
「はい、モテモテです!」
桜ちゃんと笑い合う。
「ふふふ、男同士でイチャイチャしている間にわたしは桜ちゃんを攻略してやるぜー」
「えへへー、とっくに攻略済みですよー」
「くぅー、かわいい!」
桜ちゃんを抱き締めながら、近くの部屋に雪崩れ込む。
畳に寝っ転がりながら、わたしは桜ちゃんに問い掛けた。
「……聞いてもいい?」
「なんですか?」
「桜ちゃんと慎二くんが聖杯戦争に参加した理由」
「……聞いちゃいますかー」
「教えてほしいな―」
「教えなきゃだめですかー?」
「だめー」
「そうですかー」
桜ちゃんは体を起こして、わたしを見下ろした。
「……藤ねえになら、いいですよ」
この呼び方は二人っきりの時だけのもの。
桜ちゃんはぽつりぽつりと語り始めた。ずっとむかし、一緒に山に篭った時は聞けなかった話。
桜ちゃんの、深い傷。