【完結】もしも、藤ねえが同い年だったら   作:冬月之雪猫

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第二十四話『凛』

 ――――嫌な夢を見た。

 

 そこは牢獄の中で、わたしは(アーチャー)だった。

 正義の味方になりたい。まるで子供のように夢を抱きながら戦い続けた戦士の末路。

 嘗て救い、共に理想を語り合った友に裏切られ、咎人として処刑の日を待っている。

 

 なんだ、これは……。

 前にも、彼の夢をみた。

 必死になって戦場を駆けずり回り、一人でも多く救う為に命と心をすり減らし続けた彼の姿を知っている。

 これでは、あまりにも報われない。

 それなのに、彼の胸中に後悔の念はなく、裏切り者に対する怒りもない。

 

 屈強な看守が入って来た。その時が来たのだろう。

 牢獄から出て、いつもと違う廊下を歩く。数メートル毎に看守が立っていて、彼を睨んでいる。

 連れて来られた部屋で、彼の罪状が読み上げられる。身に覚えのない罪と、覚えのある罪が混在している。だけど、彼は何も言わない。

 罪状の読み上げが終わると、後ろ手に手錠をかけられ、目隠しをされた。

 見えないまま、看守に手を引かれる。

 

『なにか、言い残すことはないか?』

 

 最後の時が来た。

 

『ありません』

 

 遺書は遺さなかった。遺すべき相手など居なかった。

 辿り着いた首吊り台。階段を一段登る度に脳裏を過ぎるのは出発点であった遠い日の思い出。

 

 ――――子供の頃、僕は正義の味方に憧れていた。

 

 炎の中から彼を救い出した養父の言葉。それは彼の中に根を張り、この日まで彼を突き動かし続けた。

 報われる事もないまま、空気の抜ける音と共に彼は地の底へ沈んでいく。

 首が絞まり、骨が軋み、呼吸が止まり、そして……、

 

 彼は地獄に落とされた。

 それは人類の咎。確定した滅びを瀬戸際で防ぐために、滅びに関わるすべての人間の排除を命じられる。

 彼に拒否権など与えられていない。ただ、与えられた役割を実行する為だけの思考を残し、理性も理想も本能さえ奪われた。

 繰り返す事、数千、数万、数えるのも馬鹿らしくなった頃、彼の心は蝕まれた。

 人々に疎まれ、友人に裏切られ、理想すら破綻した彼に残っていたのは尽きぬ後悔と、終わらぬ地獄。

 それが、その英霊の末路だ。報われないどころの話じゃない。死後の安息さえ奪われた彼には、救いなど欠片も残っていない。

 

 ――――……衛宮士郎は、英雄になんてなるべきではなかった。だから、この千載一遇の機に乗じて、若い頃の自分を殺そうと考えていたんだ。

 

 あの言葉の意味が分かった。

 絶望の果てに、自分自身すら否定したのだ。

 

「ふざけんな!」

 

 夢から覚めた瞬間、わたしは部屋を飛び出した。

 ラインを通じて居場所を探り当てる。アーチャーは居間にいた。

 そこには葛木先生がいたけれど、挨拶をする余裕もない。

 台所でなにやら作業をしていたアーチャーが私に気付いて首を傾げる。

 

「おはよう、凛。どうかしたのか?」

「……一発殴らせろ」

「え?」

 

 私はアーチャーを殴った。

 何度も、何度も、衛宮くんと藤村さんが来て止めるまで、泣きながら殴り続けていた。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十四話『凛』

 

 居心地が悪い。あまりにも酷い醜態を晒してしまった。

 

「落ち着いたかね?」

「……ええ、ごめんなさい」

「視たのか?」

「……うん」

「そうか……」

 

 今、私はアーチャーと二人きりだ。

 散々当たり散らして疲れてしまった私をアーチャーが部屋に運んでくれた。

 みんな、ポカンとした顔だった。

 

「サーヴァントとマスターはつながっている。それも、とても深い部分で……。私は貴方を信頼しているわ。それに、貴方も私を信頼してくれている。おまけに、サーヴァントを律する為の令呪を使い切った事で、精神的な隔たりが更に薄くなってしまったの。だから、あそこまで鮮明に視えてしまった……」

 

 アーチャーに頭を下げる。

 

「……ごめんなさい。勝手に貴方の過去を見て、癇癪なんて起こして」

「謝らないでくれ」

 

 アーチャーは言った。

 

「……君は、私を想ってくれたのだろう? ありがとう」

 

 彼は怒らない。どんな理不尽に対しても、自分の為に怒ったり、憎んだりする事をしない。

 どこまでも他人の為にあろうとする。あれだけの裏切りを経験して、あれだけの苦痛を味わって、自己の否定なんて答えに行き着く……生粋のお人好し。

 

「なんで、そうなっちゃったのよ……」

 

 涙が滲んできた。彼の過去を一から十まで余さず見てしまったから、理由なんてイヤというほど分かっている。

 それでも、聞かずにはいられない。

 

「誰も止めなかったの!? 私も、藤村さんも!」

「……何度も止められたよ」

 

 アーチャーは苦笑した。そして、内罰的な笑みを浮かべる。

 

「すべて、私が悪いんだ。みんなが心配してくれたのに、衝動に任せるまま走り続けた。滑稽な話だよ。自業自得とは、まさにこの事だ」

「やめてよ!!」

 

 彼は確かに頑なだった。だけど、人の言葉に耳を傾けないわけじゃなかった。

 きっと、この世界の藤村さんなら止められる。

 アーチャーの世界の藤村さんが止められなかったのは、年上だったからだ。それに、魔術を知らなかった。だから、ここまでの最悪を想定出来なかった。

 私は気付いていた。衛宮士郎という男の在り方の異常性も、行き着く先も見えていた。それなのに、止めてあげられなかった。

 

「……なんで、自分の事ばっかり責めるのよ。アンタ、たくさんの人を助けてきたじゃない!」

「視たのなら……、知っているのだろう? 人を救いたいから救ってきた。その為に、多くの命を切り捨ててきた。実に悍ましい」

 

 アーチャーの顔には嫌悪感が滲み出ている。その矛先は、自分自身。

 

「もし、それがオレ自身の裡から表れたモノならば納得も出来る。だが、違うんだ。オレを突き動かし続けた感情は、オレが後生大事に抱いていた理想は、ただの借り物に過ぎない」

 

 吐き捨てるように、まるで体から際限なく溢れる膿を撒き散らすように、彼は言った。

 

「衛宮士郎という男は矛盾の塊だ。……欠落だらけの記憶の中で、焼き付いているものがある。一面の炎と、充満した死の匂い、地獄の中で救いを求め、叶えられた時の感情。衛宮切嗣という男の、オレを助けた時に見せた安堵の顔……」

 

 知っている。夢の中で、彼の心を視た。

 死を迎え入れる為に、心が先に終わりを受け入れていた。空っぽになった心に、衛宮切嗣の涙を讃えた微笑みが焼き付いた。

 唯一人救われてしまった事に後ろめたさを感じていたわけじゃない。そんな感情は残っていなかった

 ただ、彼は衛宮切嗣に憧れただけだ。己を助け出した時の、彼の笑顔があまりにも幸せそうだったから、自分もそうなりたいと想っただけだ。

 

「……あの時、救われたのは貴方じゃない。本当に救われたのは、衛宮切嗣。あの火災の原因は分からない。だけど、もしも彼に原因の一旦があったとしたら……」

「ああ、耐えられる筈がない。誰一人生存者のいない惨劇だ。正義の味方を志していた男が、そんな光景を前にして何を思っていたか手に取るように分かるよ。それこそ、死に物狂いだった事だろう。いる筈がないと知りながら、生存者を探し求めた。そして……、見つけてしまった」

「でも、そんな事はどうでも良かった。衛宮切嗣が何を思っていたとしても、貴方が彼に救われた事は真実。だからこそ……」

「そうだ。あの地獄の中から救い出してくれただけで十分だった。たとえ、それが自己に向けられていたモノだったとしても、オレを救おうとする意志や、助かれと願ってくれた真摯さは本物だった。だから、憧れたんだ。衛宮切嗣に……。彼が憧れた理想に……。だから、切嗣が死んだ時、オレは言ったんだ」

 

 ―――― じいさんの夢は、俺が。

 

「それが答えなんだよ。オレは、オレが救けたくて救けたわけじゃない。ただ、誰もが幸せでありますようにと願った彼の為に、彼が憧れ続けていたものになろうとしただけなんだ」

 

 彼は、親に憧れた。だから、親の為に頑張った。

 要は、それだけの事。

 純粋過ぎるくらい、純粋な感情。

 それが悪い事などと、誰が言えようか。

 

「馬鹿……」

「ああ、実に愚かだ。所詮、紛い物。そんな偽善では何も救えない。否、もとより、何を救うべきなのかさえ定まっていない! こんな男は、はじめから存在するべきじゃなかった!」

 

 長い時の果てに、自己を否定する(傷つける)事しか望めなくなった人。

 彼が衛宮くんと藤村さんを見つめる目は、とても羨ましそうだった。

 

 ―――― 一目で分かったよ。アレは、私のように破綻し切っていない。通じるものはあっても、明らかに私とは異質な存在だ。きっと、藤ねえの影響だな。

 

 嬉しそうに彼は語った。

 ただ、自分は道を間違えただけで、こうなる可能性もあったのだ。 

 衛宮士郎という人間ではなく、ただ、彼自身が愚かだっただけだと安堵していた。

 

「……アーチャー」

 

 思い出したのは、苦手だと感じている少女の言葉。

 

 ―――― 他人を偽るのはいいけど、自分を偽っちゃダメだよ。

 

 誰よりも素直な彼女に、今は倣おう。

 

「り、凛……?」

 

 私はアーチャーの手を引いた。ついでに足を蹴っ飛ばす。

 不意打ちなのに、少しもぐらつかないアーチャー。まったく、空気が読めていない。

 

「抵抗しないでよ」

「凛……?」

「……仕方ないわね。じゃあ、しゃがみなさいよ」

「えっ? こ、こうか?」

 

 困惑するアーチャー。しゃがみ込んだ彼を、私は抱きしめた。

 

「り、凛!?」

「このまま!」

「いや、その……」

「このままでいさせてよ……」

「凛……」

「アンタのわがままに散々付き合ってあげたんだから、今度はアンタが私のわがままに付き合いなさい」

「……凛」

 

 しばらくそうした後、私は言った。

 

「アーチャー」

「なっ、なんだ?」

「私は好きよ、貴方の事」

「凛!?」

 

 慌てふためくアーチャーに、思わず吹き出した。

 

「なによ、不満?」

「いや、そうではなくて!」

「貴方はとっても頑張ったわ。たしかに、その理想は借り物だったかもしれない。だけど、貴方は多くの人を救った」

「それは……」

「偽善だって、救った事は事実な筈よ。……っていうか、自分で言ってたじゃない。『あの地獄の中から救い出してくれただけで十分だった。たとえ、それが自己に向けられていたモノだったとしても、オレを救おうとする意志や、助かれと願ってくれた真摯さは本物だった。だから、憧れたんだ』って。貴方に救われた人々も、きっと同じ気持ちだった筈よ」

 

 アーチャーは目を見開いた。

 見えているつもりで、見えていなかったもの。

 答えは自分の中に既にあった。だけど、気づく事が出来なかった。

 だから、私は彼を『馬鹿』と言った。

 

「貴方の人生は間違ってなんていないわ。だって、貴方が救われたように、多くの人は貴方に救われた。なにもかも間違いだったと言うなら、彼らが救われた事も間違いだったの?」

「それは……、それは……ッ」

「違うでしょ。つまり、アンタはしっかり正義の味方だったわけ。借り物だとか、紛い物だとか、そんなつまらない事に拘って、見えてなかっただけよ。それでも自分が許せなくて、自分が嫌いなら、私が許してあげる。……私が好きになってあげる」

「……凛」

 

 呆然とするアーチャーを、強く抱きしめる。

 

「私はアンタのマスターよ。サーヴァントにとって、ご主人様の言葉は絶対なの。いいわね?」

 

 アーチャーは鼻を啜った。胸に冷たい感触が走る。

 まるで、背ばっかり大きくなった子供みたい。

 

「好きよ、士郎。いっぱい頑張ったわね。立派よ……」

 

 頭を撫でながら、少し昔の事を思い出した。

 校庭の片隅で、必死に棒高跳びの練習をしていた男の子。

 どこまでも頑なで、どこまでも実直で……、少しおバカ。


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