彼女との1年   作:チバ

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とても暑いです。皆さん、熱中症、脱水症状には気をつけましょう。


9月

 新学期ーーーそれは夏休みというパラダイスからの通学という絶望へ陥れられる悪魔のようなイベント。

 学生であるということを思い出させられ、再びペンを持ち机とにらめっこをするという地獄の時間の始まりだ。

 

 しかし、そんな事になっても俺の生活スタイルは変わらない。

 たとえ世界が滅びよとも俺が数学が嫌いだという事実は変わらない。

 そういう理屈で、俺は今サボっている。

 不定期で、怠いなと思ったら授業をサボる。最近の俺の日課だ。

 

 読む本もないため、俺は携帯電話に入れている音楽を聴く事にした。

 ミュージシャン名は″BUMP OF CHICKEN″。物語のような歌詞が特徴的なロックバンド。

 イヤホンを耳に付け、俺は横になった。

 

 8月の夏よりは涼しくなり、風も少し冷たい。そろそろ衣替えのシーズンか。

 

 そんな事を思っていると、不意に眠気に襲われた。

 これからの時間割を思い出す。次は理科か。

 正直、やる気というのが出なかった。数学と同じ理系だ。やる気になれる。ーーーなどというアインシュタインも裸足で逃げ出すような超理論を理由に俺はサボることを決意し、そのまま眠気の波に身を任せた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「…きて」

 

 声が聞こえる。

 近いのか遠いのか、意識がはっきりと目覚めてない脳ではそんなことすらわからない。

 ボヤけていた視界も、しだいに色味を増していく。

 

「…起……て」

 

 だんだん鮮明化していく。

 その声もはっきり聞こえるようになってきた。

 

「起きて」

「んぁ…?」

 

 そして完全に意識が目覚めた。

 ボヤけをなくした視界には、美竹蘭の姿が。

 

「…なんでここにいるんだ?」

「こっちのセリフ。早くしないと授業に間に合わなくなる」

「わざわざ起こしに?」

「そう」

「ご苦労さま」

 

 他人事のようにして話を切り上げる。

 音楽を再生しようとボタンを押すが、音が流れない。

 耳に手を当てると、そこにイヤホンはなかった。

 

「これのこと?」

 

 そんな美竹が持っているのは、見馴れた白色の俺のイヤホン。なるほど、イヤホンを付けているのに彼女の声が聞こえたのは、彼女が取り外したからか。

 

「そうそれ。返してくれるとありがたい」

「これからあんたが起こす行動が目に見えているのに返すと思う?」

「思わないな」

「なら諦めて授業に出て」

 

 諦めの言葉を上げようときた直前、俺は心に少し引っかかることがあった。

 

「…なんで俺を呼びに?」

「なんでって?」

「俺が授業に出たところで、お前にメリットなんてないだろ。なのになんで?」

「……」

 

 小さく溜息をこぼす。

 

「確かに、あんたが授業にでところで、私にメリットはない」

「だろ?」

「でも他人から頼まれたとしたら別」

「頼まれ…?」

「先生」

 

 と、彼女から発せられたたった一つの小さな言葉で、俺は状況を理解した。

 

「…なるほど、つまりあの先生に頼まれたと」

「そういうこと。最近サボり癖が付き始めてるから、呼び戻して来いとのこと」

 

さすが去年の恩師なだけある。俺の行動パターンなどを理解していらっしゃる。

 

「さぁ、わかったなら早く…」

 

 美竹が口を開くと同時だった。

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン…と、鐘の音が鳴る。

 

「あっ…」

「おっ、授業開始だな」

 

 焦る美竹に対し、俺は呑気に声を上げる。

 キッ、と美竹は俺を睨みつけた。

 

「これを狙って?」

「どうだかな」

 

 しらばっくれる。本当は偶然なのだが、まあ黙っておこう。

 

「さて、どうする?今なら間に合うぞ」

「……もういい」

 

 諦めたように溜息を吐き俺の隣に腰を下ろした。

 予想外の反応に少し驚いた。

 

「いいのか?」

「別に先生に頼まれただけだし。あんたの言う通り、私にメリットなんてないし」

 

 と、なにやら興味深そうに美竹は俺の携帯電話を見ていた。

 

「どうした?」

「いや…なにを聞いてるのかな、って」

 

 意外なところに興味を示していた。

 

「BUMP OF CHICKEN。知らないか?」

「ばんぷ…?」

「…これとか」

 

 イヤホンを彼女の耳につけて、曲を選択する。

 曲名は″天体観測″。彼らの代表曲だ。

 

「あっ、聞いたことある」

「1番売れた曲だしな」

 

 それ以降もカルマやゼロといったヒット曲を生み出しているが。個人的にはプラネタリウムが好きだ。

 

「バンド…」

 

 興味深そうに美竹はつぶやいた。

 

「聞いたりするのか?」

「いいや、まったく」

 

 首を振る。「けど」とつけたし。

 

「興味はある、かな…」

「おっ、なら良いバンドがあるから教えようか?」

「ううん、そっちじゃない」

 

 数秒、彼女の言葉の意味を理解するのに間が出来た。

 

「そっちじゃない?」

「うん。弾く方のことね」

 

 弾く方ーーーつまりは自分で曲を作り、歌を歌うバンド側ということ。

 

「なんで、また」

「作詞に興味が湧いた。国語は得意だし」

「それだけでか?」

「悪い?」

 

 そう言われると何も言えなくなる。

 しかし、美竹がそんなことを言うとは思わなかった。

 

「楽器とかできるのか?」

「まったく」

 

 きっぱりと言われた。

 

「なのにやるのかよ」

「気になってるだけだし。やろうと思えば今からやっても遅くないでしょ」

「まあ、そりゃあな」

 

 彼女の話を聞く限り、音楽に関する知識は一般人よりも無いと思われる。

 

「ま、やるなら頑張れよ。何かアドバイスをしてやりたいが、専ら聞くだけなんでな」

「大丈夫、期待してないし」

 

 酷い言いぐさである。頼られても何も出来ないのは事実なのだが。

 

「何か、他に良いバンドとかあったりする?」

「ん?」

 

 藪から棒に聞かれたので少し戸惑う。

 

「さっきの…バン、なんとかっての以外のやつで」

「BUMP OF CHICKENな。他の、か…」

 

 携帯電話を操作しマイミュージックに保存されている曲を探す。

 そこで幾つか名前が出て来た。

 

「アジカンなんかどうだ?」

「アジ…?」

「ASIAN KUNG-FU GENERATION。それなりに有名なバンドだぞ」

 

 バンプと同じ時期にブレイクし、実力派バンドとして今もなお海外でも活躍するバンドだ。

 

「殆ど日本語の歌詞だし、国語が好きなお前なら好みだと思うぞ」

 

 そう言ってイヤホンを耳につけさせる。

 選曲は″君という花″。

 

「…なんか、変な感じ」

「同じく。俺も最初聞いたときはそう思った」

 

 変に脱力感のある曲なのだ。リライトや遥か彼方、未来の破片のような攻撃的なギターサウンドをした曲もあるのだが、なぜかこういうローテンションな曲も多い。

 

「でも、悪くはない」

「そうか」

 

 どうやらお気に召したらしい。

 美竹は案外ギターロックが好きなのかもしれない。

 

「他は?」

「他…」

 

 と、そこで一つのミュージシャンの名前が目に入った。

 

「……」

 

 そっと再生ボタンを押す。

 

「…これは?」

「スピッツ。さすがに知ってるだろ、この曲は」

 

 再生されているのはロビンソン。日本のロック史に残る名曲だ。

 

「メロディーは少し」

「どんだけ疎いんだ、お前…」

 

 ここまで疎いと、もうどれだけ疎いかどうかを調べたくなるぐらいだ。

 しばらくの間、お互い黙って曲を聴いていた。

 すると、2番のAメロが終わったところで美竹が呟いた。

 

「なんだか、すごく文学的な歌詞」

「文学的」

「うん。この″宇宙の風に乗る″ってところ。宇宙には風が無いのにこういう表現をするのは、結構すごいことだと思う」

 

 そう言われるとそうだ。

 物理学的にはありえないが、文学的にすると意味が不思議と通る。

 

「良い歌詞…」

 

 そう言う美竹の横顔は、なんだかいつもよりも魅力的に感じた。

 こういうのには何か効果などのような名前があったはずだが、思い出せない。

 

 彼女の横顔を見るのが少し照れくさくなったため、黙って雲を見ることにした。

 

 それからも暫く美竹はスピッツをはじめ、音楽を聴いていた。まるで新しいオモチャを手にした子供のように、彼女はイヤホンを外さず、手から俺の携帯電話を離さなかった。

 

 最初のうちはあまり顔を見ないようにしていたが、次第に彼女は俺のことを忘れているのでは思いはじめた。だから、俺はずっと美竹の横顔を見ていることにした。雲を見ているよりもずっと面白かった。

 

 美竹は、こんな表情もするのか。

 横顔を眺めながら、静かにそう思った。

 

 それから何分、何十分経っただろうか。

 突然、チャイムが鳴り響いた。

 

 突然の轟音に美竹は驚いたらしく、体を震わせた。

 

「……終わり」

「ああ、終わりだな」

 

 廊下を走る音、扉が開かれる音、生徒たちの談笑の声が湧き上がる。

 

「俺たちも行くか。もうHRだ」

「サボったくせに」

「お前もだろ」

 

 美竹の横を通り過ぎようとするが、彼女にズボンの裾をチョイ、と引っ張られた。

 

「ん」

 

 ぶっきらぼうに渡されたのは、携帯電話とそれに取り付けられたイヤホンだった。

 

「おお、忘れてた。ありがと」

「こちらこそ、ありがと」

 

 そう言って立ち上がり、すぐに俺を追い越した。

 

「今日のサボりは、やって良かったかも」

「……お前、それは」

 

 俺を取り締まりに来たのに、美竹はサボれて良かったという。なんとも矛盾している。ミイラ取りがミイラになったと言うべきか。

 

「ほら、行くよ。HRもサボるの?」

「……さすがに叱られそうだから行くか」

 

 扉を開ける彼女に続いて、俺は歩きはじめた。

 




蘭ちゃん、ロックを知るの巻。

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