彼女との1年   作:チバ

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6月ももう終わりです。早い…。


6月

 雨は嫌いだ。ジメジメしていて、濡れると冷たくて、何より傘をさしながら歩くのは意外と体力がいる。

 

 6月ーーー梅雨真っ只中のこの時季において、所謂土砂降りの豪雨が降るのはそう珍しいことではない。

 

 普段は青い空も、明るい日光も、今日という日はどんよりとした重苦しい雲によって阻まれてしまっている。

 太陽が出ていないだけで、気分というのは自然と下がっていく。

 

 重い書類を持って職員室まで歩く。何人かの生徒とすれ違うが、みんな何時もに比べて気分は良くないらしい。

 

「失礼します」

 

 簡素にクラスと自分の名前を言い、先生を探す。

 

「あー、美竹。ありがとう」

「いえ別に…。それじゃあ、失礼します」

 

 早く帰りたい。こういう雨の日は、家に早く帰って本でも読みたい。

 今日は傘を持ってくるのを忘れてしまった。雨が降らないうちにーーー。

 

 そう心に唱えながら、廊下を小走りに歩く。先生とすれ違えば歩調を緩めて、通り過ぎればまた歩みを早めて。その繰り返しで、ようやく下駄箱から靴を取り出す。

 

 扉を開き、出ようとするとーーー。

 

 ーーーポツリ

 

 手の甲に一粒の雫が当たる。水滴が付いていた。空を見上げると、ポツリポツリーーー徐々にザァァァ、と激しさを増していく。

 

「ーーーっ」

 

 慌てて屋根の下に入る。

 グラウンドの地面に雫が打ち付けられ、一つの音楽が完成した。

 

 ーーーやってしまった。

 

 心の中で舌打ちをする。

 もう少し早く終わらせるべきだったか、と日直の仕事を恨みながら、目の絵の光景を眺める。

 どうやって帰るか、頭の中はその言葉だけが巡り巡っていた。

 

 ため息をこぼし、諦めて走ろうとする。ーーーしかし、その直前に、誰かに名前を呼ばれ、行動を止められた。

 

「美竹?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 雨は嫌いだ。

 ーーー有名なフレーズだが、実際に俺は雨が嫌いだ。

 ジメジメとした空気、気分を落とさせる重苦しい雲。何もかもが俺の好みに合っていない。

 

 鞄を肩に掛け、教室から出る。廊下に備え付けられた窓を見れば、雫が窓についていた。

 

「降ってきたか…」

 

 ため息をこぼし、重い足を使って歩く。

 一応傘は持ってきているのだが、やはり気乗りがしない。

 雷は鳴ってていないが、豪雨になる予報だ。

 

 父親が昔使っていた黒い大きな傘を片手に、扉を開けて外へ出る。

 傘を広げようと構えると、見知った顔が目に入る。

 

 黒い短髪、凛々しい顔立ち。間違いない、美竹蘭だ。憂鬱そうな顔で空を見上げている。

 すると俺の視線に気がついたのか、振り向く。その反動で髪が揺れる。まるで絵画のようだ。

 

「…大槻?」

「何してるんだよ。そんなところで」

「…別に」

 

 素っ気なく返す。

 しかし俺はそんな彼女が、片手に傘を持っていないことに気がついた。

 

「傘、無いのか?」

「……」

 

 顔を背けながらも小さく頷く。

 なるほど、これはまたやや面倒なタイミングで外に出てしまったようだ。

 

 10秒ほど考え悩みながらも、仕方がないとため息をこぼして声をかける。

 

「俺のでよければ使うか?」

「え…?」

「俺は家が近いし、走って帰れば大丈夫だ」

「……」

 

 黙って傘を差し出す。しかし美竹は取ろうとせず、黙って傘を見ていた。

 

「…やっぱりいい。私の方が走って帰る」

「遠慮するな。俺のを使え」

「いいって」

「ほら」

 

 一進一退の攻防戦。

 引き下がろうとしない俺に美竹は呆れたのか、ため息を吐いて提案をした。

 

「…じゃあ、2人で帰るっていうのはどう?」

「2人?」

 

 どういう意味だ、と頭の中でイメージをする。浮かんできたのは、漫画や映画でよくある相合傘。

 

「…えっ」

「…躊躇ってる暇はないでしょ。…いくらこの時季とはいえ、豪雨のなか外に出てたら体も冷えてきた」

 

 見れば、少し美竹の体は震えていた。

 これは決めるしかないか。

 

「…わかったよ、2人でだな。噂になっても知らねーぞ」

「なったところで気にしないし」

 

 減らず口を叩き合いながらも、お互いに諦めの意を示して外へ出る。

 

 大人用のため、少しだけ大きいその傘は、しかし2人が入るにはやや小さかった。

 濡れないように肩を寄せ合う。かつてないほど密着する。異性とここまで密着するのは初めての経験のため、少しだけ緊張する。

 

 依然として美竹の体は震えていた。

 

「……」

「…なんで、相合傘なんか提案したんだ?」

 

 会話なくなりそうだったため、咄嗟に頭に浮かんだことを聞いてみた。

 

 少しだけの間。

 傘の布に当たる雨音だけが響く。

 

「…合理的に考えて、かな」

「合理的?」

 

 おうむ返しで聞き返す。

 

「そう。私は濡れて帰るのは…できることなら嫌だったし。かといって、私の代わりに大槻が濡れて帰って風邪を引くのも気分が悪いし」

「…なるほど」

 

 確かに、それは大変合理的だ。たぶん俺でもそうしただろう。

 と、そこで俺は先程から気になっていたことを口にした。

 

「震えてるけど…大丈夫か?」

「…平気。少しだけ寒気がするだけ」

「それ、大丈夫じゃないだろ」

 

 俺からの指摘が癪に触ったのか、軽く彼女の足で攻撃される。

 

「…あと、あまりこっち向かないで」

「は…?なんでまた」

「少しは察してよ…」

 

 そっぽを向く美竹の表情はうかがえない。しかし、黒髪から微かに見える耳は、真っ赤に染まっていた。

なるほど、つまりは俺と同じか。

 そう思った俺は、少しだけ悪戯心が芽生えた。

 

「……」

「……ちょっと…」

「……」

「…あのさ…」

 

 と、そこで堪忍袋が切れたように美竹は俺の鼻をつまむ。

 

「ふが…」

「こっち向くなって言ったでしょ」

「いや、だってよ…」

 

 抑えられた鼻をさすりながら言おうとするが、彼女の阿修羅像のごとき風格に押され、思わず黙り込む。

 

「…私だって、こうやって異性とくっつくの、初めてだから」

「俺もだ。だから気にするな」

「なんで大槻もだからって、気にしなくていいの」

「そこは、ほら」

 

 その場のノリで言ってしまったため、理由らしい理由が思い浮かばない。

 

「……やっぱり、大槻って変」

「変ってな…」

 

 後頭部をかきながらも、諦めて前を見ることにした。

 

 これまでの関わり合いでわかったが、やはり美竹蘭という少女はとても魅力的だ。

 凛々しさと厳しさ、一見すると近寄りがたい人間。しかし、実際には周りのことをよく見て、相手に気を使う、どこにでもいる普通の少女だ。

 家系というものが邪魔をして、誰も彼女に近寄らないだけであって。

 

 と、そこでふと疑問に思った。

 

「…そういえば」

「…?」

「お前は俺以外に話す奴っているのか?」

 

 失礼を覚悟で質問してみる。現状、俺が知ってる中で美竹とよく話をするのは俺ぐらいだ。他はみんな避けている。

 

「…いるよ。今は、少し離れてるけど」

 

 離れている、心の中で反復し、意味を考える。

 離れているというのはどういうことだろう。引っ越してしまったのか、それとも喧嘩か何かだろうか。

 

 どちらにせよ、話す人がいる、という事実に、俺はよくわからない安心感を抱いていた。

 

「…そうか」

 

 ただ一言、そう発した。

 

 と、美竹は「あっ」と声を上げた。

 なんだ、と思い彼女の視線の先へ目を向けると、そこには『大槻』と書かれた表札が。

 

「ここ?」

「ああ、ここだな」

 

 美竹からの問いに簡素に答える。

 意外と早く着いてしまった。

 

「お前の家は?」

「まだ先」

「…ふむ」

 

 顎に親指をつけて思考する。

 やがて、一つの結論に至る。

 

「この傘、持って行っていいよ」

「え…」

「まだ離れてるんだろ。この傘さして帰れよ」

「そんな…」

 

 いいの、と聞いてくる美竹に冷静に対処する。

 

「逆に聞こう。お前の家に突然見ず知らずの男が現れたらどうするよ」

「…お父さんは、多分ちょっとだけ荒れる…かも」

「だろ?」

 

 あとの理由としては、そんなお屋敷にビビっているからなのだが。その辺は言わないようにしとく。

 

「……」

 

 傘をじっと見る美竹。

 やがて少し歩きだし、振り返る。

 

「…今度、返すから」

「ああ、それでいい。気をつけて帰れよ」

 

 一礼をし、美竹は足早に帰って行った。

 

 玄関扉を開けて入る。

 家には誰もいなかった。風呂を沸かそうと洗面台に向かう。

 すると、自分の顔が鏡に映る。

 

 なぜか、俺の顔はあの時の美竹のように、真っ赤だった。


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