彼女との1年   作:チバ

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あけましておめでとうございます。今年初更新でございます。
まだまだ未熟者で不束者でございますが、どうか今年もよろしくお願いします。




  夜に見るビルはなんだか嫌だ。

 夜空に突き刺さるように力強くそびえ立つビルは全てを飲み込みそうなほどに強大で、そしてどこか不気味だ。

 まるで生気を取られているようだ。肩が痛くなって重くなる。

 

「どうした?」

 

  そんな私の様子を察したのだろう、横で歩いている京介が声をかける。

 

「別に…ただ、夜のビル群が嫌いなだけ」

「嫌い…」

 

  突飛もない言葉だ。彼の戸惑いは正しい反応だ。

 

  歩行者信号が赤く光り、前後にまばらに歩いていた歩行者が足を止める。

 

「理由は?」

 

  同じく足を止めた京介が左手に持っていた紙袋を右手に持ち替えて聞く。

 

「怖いから」

「ビルがか?」

「そう。あるでしょ、自分よりも遥かに高いものを見上げた時に感じる威圧感とか」

「なるほど」

 

  私は昔から、そういった巨大なものを見上げた時の威圧感というものが苦手だ。父に連れていってもらった牛久の大仏や、Afterglowの面々と行った東京タワーでも少し怖くて長く見ることはできなかった。

 

「それなら俺でもあるな」

「でしょ。しかもそれが夜ってなると、ビルが兵器みたいに見えてくるの」

「どんな兵器だよ」

 

  鼻で笑われる。と、同時に信号も青色に変わり、私たちを含め足を止めていた人々は歩き出す。

 

「確かに、変な兵器かも」

「どっちかって言うと、兵器に壊されるのがビルじゃないのか」

 

  彼からの鋭いツッコミに少し笑い声をあげる。自分で言っておいてなんだが、少し面白い話題だ。

 

「けれど、そういう恐れを抱いているのもいいことなんじゃないか」

「そうなの?」

「恐れを忘れた人間はウンタラカンタラって言うだろ」

「あー、聞いたことがある」

 

  誰の言葉だったかは忘れたし、思い出せないけれど。

 

「うん…確かにそうかも。恐れがあるのは、良いことだと思う」

「こうして年を取っていくと、怒られるよりも怒る側になってくるからな」

「確かに」

 

  大人になるということは、怖いものが減っていくということだ。幽霊も平気になるし、ゾンビなんかも鼻で笑って追い出せるほどになる。

 けれど、それでも怖いものは無くならない。いや、無くならないようにしているのだ。

 現にこうして、20を超えたのにビルが怖いなんて言ってる女がここにいる。

  そしてその恐れは、私自身に良い影響を与えている。

 

「京介は何かあるの?怖いのもの」

「怖いもの…か」

 

  考える。すると彼が何かに気づき、引き攣った笑みを浮かべる。

 

「そこにいた」

「そこ…?」

 

  彼が指差した方を見ると、そこには金の髪をした美女が。黒髪が普通なここ日本の東京では非常に浮いているその女性。しかし、私はその姿に見覚えがあった。

 

「…まさか」

「俺の上司」

 

  足を止めて無礼ながらも女性を見ていると、その女性は自身を凝視している私たちに気づいたらしい。彼女が履いているハイヒールがコツコツと心地の良い音を立てながら近寄ってきた。

 

「奇遇ね、京介」

 

  下の名前呼びに、少しムッときた。

 大学生からの付き合いであるAfterglowならまだしも、なぜビジネス上の付き合いしかないはずのこころが下の名前を。

 

「ええ、ども…というか、なんで下の名前なんですかね?」

 

  京介本人も戸惑い気味に聞く。ということは、普段は呼ばれていないのだろう。

  その問いかけに、彼女は小悪魔チックな笑みを浮かべて答える。

 

「隣に奥さんがいたら、苗字で呼ぶのもむず痒いでしょう?ねぇ、蘭」

 

  視線を彼から私に向けて笑う。変わらないその綺麗な笑顔。しかし、10年前とは違ってどこか影がかかっていた。

 

「ああ、うん。久しぶり、こころ」

 

  歯切れ悪く答える。

  友人であるとはいえ、旦那の上司にこんな態度でいいのだろうか。

 

「あのメッシュは取ったのね」

「うん…まあ、もう20も過ぎたし」

 

  流石に30も見えてきた歳で赤いメッシュを付けてるなんて荒れているだろう。…巴のことは目を瞑ろう。

 

「けれど、休日に2人で夜デートなんて…京介、あれ以来から積極的になったわね」

「そうですかね。以前から誰かさんが時間を与えてくれたら誘おうかと思っていたのですけど」

「あら、誰のことかしら」

「さあ、誰でしょうね。胸に手を当ててみたらわかると思いますよ」

 

  なんて、上司と部下とは思えない無礼な会話をしている2人を見て、どこか懐かしい光景だなとふと思った。

 彼女ーーーこころの隣にいた、ある少女。本当の姿で公の舞台には立たず、作詞という形で携わり続けた少女。

 こころが心の底から信頼していた、少女のことを。

 

  そして、そんなこころの表情も、どこか寂しさと懐かしさのある、彼女らしくない顔をしていた。

 

「…なんか」

「どうかしたのかしら、蘭」

「いや、なんというか…変わったね、こころ」

「ーーー」

 

  その言葉に、こころは声にこそ出さなかったが、目を少し見開いた。僅かな変化だったが、私はそれを見逃さなかった。

 

「そう、かしら?」

「大人になった、っていうのもあるんだろうけど…」

 

  確かに彼女は大人になった。背も少し伸びたし、雰囲気も嘗ての無邪気さは影を潜めて、今は聡明さが出ている。

  しかし、それでもわかる。嘗ての彼女の姿を見ていた私だからこそ、わかるのだ。

 

「京介の姿を見て、追ってるんでしょ。美咲の背中を」

「…そんなことはないわ」

 

  美咲。その名を出した瞬間、こころの表情は一転して凍りついた。

 

「美咲は、私の手を離したの。けれど、それは仕方のないことだし、正しいことなの。だから、私は何も言わないわ」

「…けれど、やっぱり後悔はしてるでしょ」

 

  俯くこころの表情の様子は窺えない。しかし、そんなこころの心情を表すように拳は震えていた。

 

「…そうかもしれないわね。自分では気をつけてるつもりなのだけれど…」

「…ごめん。部外者が図々しく物言って」

 

  震えるこころの姿を見て、私は何も言わないことにした。部外者が簡単に言っていいことではない。

 

「じゃあね。2人のデート、最後までどうぞ楽しんで」

「ええ。そうさせてもらいますよ」

「うん。また今度お茶でも」

「…ええ」

 

  彼女を通り過ぎ、前を歩く。

 

「蘭」

 

  しかし、彼女の声が私たちを引き止めた。

  振り返り、こころの顔を見る。

 

「やっぱり蘭は、優しいわね」

 

  そう言うこころの笑顔は、やはりもの寂しさと懐かしさを含んでいた。

  そんなこころが、私はどこか哀れに思えて仕方なかった。

 

  ああ、彼女はまだ後ろを見ているのか。

  まだ彼女は、楽しかったあの幸福の世界で1人足をつけている。

  いつか自分の手を引いてくれる存在を待ちながら、1人でずっと生きている。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

  帰りの電車。

 その車両には私たち以外には誰も乗っておらず、至って静かだった。

 ガタンゴトン、と静かに揺れていると、座席に座った彼が聞く。

 

「美咲って誰?」

「……」

 

  そういえば、さっきの会話には彼が間にいたのだった。何も知らない彼からすれば、未知の国の言語の会話に近かっただろう。

 

「美咲っていうのは、こころが昔やっていたバンドのメンバーの1人」

「…ああ、友人さんか」

 

  こころからも何か聞かされていたのか、思い出したように呟く。

 

「…さっきの話を聞いてて、どう思った?」

 

  なんて、窓から夜景を眺めながら問う。

  さっきの会話を、何も知らない第三者からしたらどう捉われたのか。純粋に気になったのだ。

 

「…まあ、状況もわかってないし、余計なことは言えないが…」

 

  それはそうだろう。それに知っている。京介がそういう時には、無駄なことを言わないと。

 京介は次の停車駅を告げている電子看板をボーッと眺めながら答えた。

 

「弦巻さんは、後悔しているんだなっていうのは、なんとなくだけどわかったよ」

「……へー…」

 

  意外な答えに、私は無関心を装いつつも反応する。

 なんだ、こいつ。意外と核心に迫ることを言うじゃないか。

 

「その根拠は?」

「普段からあの人を見ているとわかるが、あのどうにも影のある笑顔は似合わないな」

「……普段からよく見てるんだ」

 

 少し胸に引っかかる。

 

「まあな。美人だし、最初の頃はよく目で追ってたな、そういえば」

「……」

 

  こいつ、よく妻の前でそんな下衆な話が出来るな。

 ある意味感心した私は彼の右足を思い切り踏んづけた。

 

「いたっ!何すんだよ!」

「…別に。なんかムカついたから」

 

  軽く戯れ合いとも言える口論をする私たち。

 そんな2人に訝しげな目を向ける人も、コソコソと話し合う人もおらず。

 そこは静かで、電車の車両ではあったが、なんだか居心地が良かった。




大人こころちゃんの評判が良かったので再登場。そして何故こころと美咲がお互いに身を置くことになったのか。そこまでに至る話を書こうかと思っています。

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