閉まりの悪い襖を開けて、中から不要となる箱を取り出す。
定期的に行っている掃除も、たまには徹底してやらないと見えないところに埃がたまる。
1つ2つ、桜が描かれていたり、立派な富士山が描かれた箱を取り出し、蓋を開ける。
中身は、過去に親戚の誰かからもらったのだろう、扇や髪飾り。
手に取ってみてわかるが、どれも埃が溜まっている上に、老朽化が進んでいる。今から使い始めたとしても、そう長くは保たないだろう。
そう判断した私は、自分にだけ見える「要る物と要らない物のライン」に沿って分別する。今の所は要らない物の方が圧倒的に多い。
すると、奥から一際大きく、立派な虎の絵が描かれた箱を取り出した。
なんだろう、そう思って開けてみると、中身は着物だった。紺の地の上に、紅色の椿がある。
「綺麗…」
それなりに多くの着物を目にして着てきた私でも、その着物の繊細さと麗しさは一目見ただけでよくわかった。
指でなぞってみると、不意に思い出した。
そうだ。これは父から昔、大人になったら着なさい、と貰ったものだ。当時まだ幼かった私には、その着物を着る自分の姿が思い浮かべれなかったのだろう。今の今まで、ほとんどそんなことは忘れていた。
「そんなことも、あったっけ」
当時の記憶の映像を鮮明に、懐かしく思い出す。
少しだけ広げてみる。
サイズ的には悪くない。今の私でもギリギリ着れるだろう。
せっかくこんなに綺麗な着物なのだ。着てやらないと、この着物も涙を流すだろう。
着ていた洋服を脱ぎ、慣れた手つきで着物を着付ける。
鏡の前に立ち、クルリと回ってみたり、ポーズをとってみたりする。
うん、悪くはない。
しかし、着てみたはいいものの、この着物が陽の目を見ることは今後あるのだろうか。
「……なさそう、かな」
すると、机に置いておいた携帯電話が振動する。
少しビックリして、手に取ると、液晶画面に映し出されたのは、モカから送られた一言。
【七夕祭りどうする〜?】
どうやら宝の持ち腐れにはならなそうだ。
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この街で七夕祭りなるものがあるとは知らなかった。
何でも、俺がいた年は大雨により中止になってしまったらしい。
七夕といえば7月7日。あと1つでギャンブルで言うところのラッキーセブンなので、俺が個人的に世界一惜しい日と呼んでいる。
嘘だ。
何はともあれ、俺は青葉から誘われた。
七夕祭りに行かないか、と。
別に七夕に対して何も特別な感情は抱いてはいないが、素直に面白そうと思ったので、参加することにした。
青葉から指定された集合場所は祭りの開催場所にある大きな木、とのこと。
抽象的すぎないか、とも思ったが心当たりはそれなりにあったため、言葉通りの場所で待つことにした。
七夕祭りは、8月にある夏祭りに比べて参加人数が少ないのではないか、とも思ったが案外そうでもないらしい。それどころか、見たことのあるロゴマークが貼られたカメラや車があるのを見る限り、全国的にも知名度の高い祭りなのだろう。
人混みを観察していると、ようやく現れた。
その人物は、予想していたのと違ったが。
「…京介?」
「蘭?」
現れたのは蘭だった。
紺色の生地をベースにした、紅色の椿が彩られた麗々しい着物を着つけている。
黒髪にいつもの緋色のメッシュを入っておらず、黒一色となっている。しかし髪型は違く、名前がよくわからないが、緋色に雨粒を思わせる金色の小さな円が描かれていた。
顔にも化粧を施しているらしく、いつもの蘭よりも大人っぽく、艶やかだった。
「モカたちは?」
「知らん。まだ着てはないが…」
と、お互いの携帯電話が同時に鳴った。
取り出して見ると、呼び出し人は宇田川だった。
「もしもし」
「もしもし」
2人同時に電話に出る。
『お〜?同時だね〜。仲がよろしいことで〜』
「モカ、今どこにいるの?」
『この状況になっても気づかないのか?察しが悪いな蘭は』
「どういうことだ、宇田川。というかどうやって話してるんだよ」
色々とギミックが気になるが、多分2つの携帯を同時に、スピーカーにして話しているのだろう。だとしたら器用な奴らだ。
『私たちは、その〜4人で適当に遊んでるからさ。こっちのことは気にしないでね!』
「いや、気にするけど」
『蘭ちゃん!えっと…そのぉ…フ、ファイトだよ!』
『大槻、男見せろ!』
「うっせ」
それぞれから謎の鼓舞をもらう。
『じゃ、切るね〜』
「ちょっ、モカ、待っ…」
『あれ〜?繋がりが悪いな〜?あーあー、聞こえませーん。ポツリ』
「もしもし?モカ?」
まるで映画のような事をやっていたが、やるならせめてもう少し似せろよ、と言う暇もなく切られた。
「だめだ…繋がらない」
「何がしたかったんだ、あいつらは…」
こちらの言う事を何も聞かず、まるで台風のように電話を切られたものだから、今の状況を理解するのに時間がかかった。
つまりあいつらは、俺たち2人で祭りを楽しめ、ということなのだろうか。
どうやら蘭も同じ考えに至ったらしく、俺と顔を見合わせる。
「え…どうするの?」
「どうするって言われてもな…」
せっかくここまで来たのだ。ましてや、こんな豪勢な着付けをして来た蘭も、何もせずには帰りたくはないだろう。
「…まあ、行くか。腹も減ったし」
「…そう…だね」
重い足を動かして、俺の蘭は屋台が出ている会場まで向かった。
やはり人は多く、この街の人以外にも他の街、もしくは県、はたまた外国人すらもいる。
「意外とグローバルなんだな、この祭り」
「昔からやってはいたけど、ここまで人が来るようになったのは最近からだね」
おそらくインターネットか何かを介して宣伝をしたのだろう。
でないと数年でこんなに人が集まるわけがない。
適当に選んだ屋台に立ち寄る。
たこ焼きを買ったり、焼きそばを買ったり。
ちなみに蘭は着物が汚れないようにと、俺のたこ焼きを1つ2つ食べる程度にとどめていた。
そして少し移動すると、老若男女が並んだテーブルを囲んでいた。
「なんだ」
「短冊でしょ。私たちも書くよ」
蘭の後をついていく。
辺りを見回すと、大きな竹の笹が立てかけられていた。
ペン差しからペンを取り、配られた青色の短冊に筆を進める。
とは言っても。
俺には大層な願いは特にない。
日々を思い出し、何を願おうか考える。
ふと、蘭の横顔を覗く。
彼女とは色々あった。1度離れ離れにもなった。また再会した。
まるで漫画のようだ、と笑ってしまいそうだ。
そう笑い飛ばせる思い出だからこそ、俺はある願いを書くことにした。
それは多分、世界で1番シンプルで、当たり障りのない願いだ。
–––––––美竹蘭の隣に、いつまでもいれますように。
書き終えた俺たちは、その場を後にした。
すると、アナウンスが会場内で響き渡った。
『皆様にお知らせいたします。20時30分より、打ち上げ花火を実施いたします』
その声を聞いた途端、周りの人々がどっと湧いた。
「花火なんてあるのか」
「最近始められたの。一昨年あたりに始めて、好評だったから今日まで続けてるみたい」
口ぶりは冷静だが、蘭の顔は僅かに子供のような嬉々とした目をしていた。
「…まあ、食うものも食ったし。見に行くか、花火」
「え…いいの…?」
意外そうな顔を俺に向けた。
「いいのも何も、俺がお前を止める権利は無いし」
「…そっか…ありがとう」
蘭からの静かな礼を受け取り、俺たちは動き始めた。
しかし、見晴らしのいい場所は殆ど取られていた。流石にこの人の多さでは、場所取りでもしていない限りは無理か。
「何かいい場所はないか?」
「いい場所は殆ど回ったから…」
2人してこの街の見晴らしのいい場所を思考する。
すると、蘭は何かを思い出したかのように「あ」と、声を上げた。
「神社」
「あー…」
蘭からの提案は、俺たちとは馴染み深い神社だった。
「いや、でもあそここそ人はいるだろう。良くも悪くも、知名度はあるんだから」
「知名度はあるけど、好き好んで近づく人はいないかな」
「なんで?」
俺の問いに、蘭はあっけらかんとした口ぶりで言う。
「悪噂が一人歩きして、遂には死人が出た」
「死人が?曰く付きスポットになったのかよ、あそこ」
「死人は出てない。噂が一人歩きした結果、デマが回ってるだけ」
「ああ、そういう」
死人が出たことが本当だったら、俺と蘭は曰く付きスポットで再会を果たしたということになる。物々しすぎる。
「だから、あそこなら人はいたとしても少ないと思う」
「…まあ、少し離れてはいるが、他に無さそうだしな」
彼女の提案を飲むことにした。
そろそろ行かないと、花火が始まってしまう。
小走りで神社まで向かう。
神社に近づけば近づくほど、人気が少なくなってきた。噂の効果は絶大ということか。
夜にここに来るのは、5年前の夏祭り以来だが、新しく街灯が建てられていた。もっとも、人がいないから逆に不気味さを覚えるが。
長い階段を上りながら言う。
「しかし、夜にこの神社の階段を登るのは初めてだな」
「危ないからって理由で幾らか灯がともされてるけど…それが噂を助長させているって神主さんはわかってるのかな」
「まあ、俺たちみたいな物好きもいるし、ありがたいと言えばありがたい」
「…だね」
そうやって話しているうちに、たどり着いた。
意外なことに、人は誰もいなかった。
「意外だな、誰もいない」
「噂は強い、ってことかな」
「かもな」
蘭の呟きに同意する。
落下防止用の柵に掴まり、少し前のめりになって景色を見下ろす。
そこには、暗闇の中で輝く街灯、家の灯、ビルの灯、そして会場の灯が。
とても、幻想的だった。
「すごいな…」
「綺麗…」
俺と蘭も、この幻想的な光景に惹かれていた。
すると、笛の音が鳴り響き、赤色の閃光が夜空を切り上げた。
そして数秒。
まるで花が咲くように、大きな音をたてて花火が打ち上がった。
「おお…すげぇ」
「うん…本当に…」
俺と蘭の視線は絶え間なく打ち上がる花火に釘付けにされていた。
まるで別世界にいるようだった。
それはここに俺たち2人しかいないという静寂さと、幻想的な光景から現れた錯覚だった。
それ故だろうか。
お互いに、ある種のムードを感じていたのかもしれない。
視線を動かし、蘭を見る。しかし、蘭も俺の事を見ていた。
化粧と、この着物もあるのだろう。とても艶やかで、色っぽかった。
「……」
「……」
何も言葉を発さず、ただ時間が過ぎ、そして花火の轟音が鳴り響く。
花火の玉の補充からか、暫しの完璧な沈黙が流れた。
それが、きっと背中を押したのだろう。
何かに引っ張られるかのように顔を近づけ、そして静かに、ゆっくりと口づけを交わした。
その瞬間、花火が再び打ち上がり、そして轟音が鳴り響いた。
赤色の閃光が儚く消えたのと同時に、俺たちは顔を離した。
蘭は顔どころか手まで赤かった。
多分、俺の顔も真っ赤だ。
初めての口付けに、少しの恥じらいと喜びを感じる。
少し間を置いたが、再び鳴る轟音に、俺たちはまた押された。
2度目の口づけは、少しだけ慣れた気がした。
イチャイチャしやがって。私が悲しくなる。