やはり俺達が地球を守るのはまちがっている。   作:サバンナ・ハイメイン

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第2戦 ついに雪ノ下陽乃は切り札を使う。
9.やはりコエムシの性格は捻じ曲がっている。


「およ? おはよーお兄ちゃん。休日なのにどしたん? こんなに早く起きるなんて」

「ああちょっとな」

 

 小町に生返事を返しながら、パンを片手に特性コーヒーを啜る。

 本来ならばまだ布団を被っている時間なのだが、今日は些か事情があった。

 目玉焼きに醤油をかけようとすると、その黒々とした色に昨晩の漆黒のアンサンブルを思い出す。

 

 

『死ぬのは私よ。次のジアースのパイロットである、私が死ぬの』

 

 

 昨晩、材木座家からの帰り道で告げられた言葉が、頭の中で反芻された。

 雪ノ下さんのあまりに穏やかで飾り気の無い自然な笑みが、街灯の明かりのコントラストによって彩られて、一瞬を切り取った絵画のように俺の胸に焼き付いていた。

 

 あの言葉の真意。

 あの笑みの真相。

 発言の内容とその態度に、あまりにも落差がありすぎた。

 

 とにかく問い詰めたいことが多すぎた。なぜ雪ノ下さんは次のパイロットが自分だと分かるのか、そもそもあの戦闘に次があるのか、そしてなぜ自身が死んでしまうのか。

 ひとつだけ確信していることは、あの一瞬に限って雪ノ下陽乃は強化外骨格纏っていなかったということである。

 

 根拠として、俺には百戦錬磨のぼっちであり幾多の笑顔の裏を察知してきた自負がある。

 俺の警戒網に引っかからない、自然すぎる笑顔。

 それゆえ際立つ発言と態度の矛盾。真意が分からないからこそ、嘘をついているのではなく、返って言っていることはが全て本当だと思えてしまうのだ。

 

 或いは雪ノ下陽乃ならばそれすらも巧みに使い分けることが出来るのだろうか?

 それでは何故、自らの死の宣告という冗談をあの表情でしたのか。

 俺をからかいたかっただけならば、あの場ですぐにバラしてしまうはずだ。

 

『今週の土曜日、その理由を教えてあげる』

 

 そう言って俺の質問には答えず、立ち去った雪ノ下さんの表情は見えなかったが、やはりいつも冗談とは少し違っていたように思えた。

 思考を一旦止めて、まだ温かみ残ったコーヒーを口に入れた。

 一息つくと小町が手を止めて心配そうにこちらを見ていた。

 

「……お兄ちゃん、お葬式のことあんま気にしない方が良いよ?」

「え?」

「あの、派手な人……み、三川さんはああ言ってたけど」

「三浦な」

 

 どうやら俺が考え事をしている様子を、小町は落ち込んでいると勘違いしているようだ。

 それにしても小町は相変わらず人の名前を覚えるのが苦手だな。川……川なんとかさんとごっちゃになってやがる。

 ……俺も人のこと言えねぇわ。

 

「小町的にも、中二さんのあれは事故だったと思うんだ。それでも責任の果たしたお兄ちゃんを、小町は誇らしいよ」

 誠意を持った目でしっかりとした口調で言う妹の言葉は、不覚にも胸にじんと来て涙が出そうだった。

「ありがとう小町」

 

 それでいったん今日の予定について考える。

 約束は10時に千葉駅前。

 普段ならば断固拒否する雪ノ下さんの誘いなのだが、どうしようもない違和感を解くには会うしかない。

 

「ちょっと出かけてくるわ」

「えっ!? お兄ちゃん出掛けるの!?」

 

 なにその衝撃映像の番組のワイプに映る芸能人みたいな過剰すぎる驚き方。

 確かに今までガチで引きこもってたけどさ。

 

「材木座の件でちょっとな」

「あーそっか……」

 

 嘘ではない。雪ノ下さんの発言によれば、材木座のことも関係している。

 こうすれば小町も迂闊に踏み込んでこない。

 しかしここ数日は小町に心配を掛けた。お菓子でも買って行ってやろう。

 

 予想通り空気を読んだ小町はちょっと居心地悪そうな笑顔を浮かべて、それ以上は追求してこなかった。

 パンの残った一欠片を口に放り込んで、席を立つ。

 

「ごちそうさん」

「おそまつー」

 

 雪ノ下さんはいったい何を考えているのだろうか。

 もしかしたらこの考え自体が狙いなのだろうか?

 ……ダメだ。ドツボに嵌る。これ以上考えても何もならん。

 

 コエムシとも連絡が取れないし、発言の内容に関しても取り敢えず棚上げだ。

 俺はすぐに頭を切り替え、出発の準備にとりかかった。  

 

 

 

 ***

 

 

 

 駅付近のスタバには既に雪ノ下さんが居た。

 白い襟のブラウスに目の荒いニットのカーディガン、ロングスカートに包まれてもわかるしなやかな脚。

 ガラス正面のカウンターに腰掛けている姿は妙に様になっていて、まさしく完璧超人そこに在りと言った感じである。

 

 駅を行きかう人々は男女問わずその美貌に目を奪われていて、ちょっとしたギャラリーが出来ている。

 さてどうしたものかと逡巡していると店内から俺に気がついたらしい雪ノ下さんが、ひらひらと手を振って店からでてきた。

 

「ひゃっはろー」

「……うす」

 世紀末のような挨拶に軽く会釈をして応じた。

「女の子を待たせるなんていけないぞ!」

 

 ぷくっと頬を膨らませて俺脇腹をツンツンしてきた。

 あの、ちょっと、やめてください、本当に。こちょびたいし、周りからの視線が死線になってるから!

 イチャついてなよ死ねよとも言いたげな負の感情に晒されて、正直もう帰りたい……。

 

 やっぱり自宅こそ俺の生きる場所だろ、専業主夫的に考えて。引きこもり万歳。天皇陛下万歳。

 神風特攻隊のように片道切符の帰り道にしようと回れ右すると、雪ノ下さんに腕を絡み取られる。

 

「比企谷くんなら来てくれると信じてたよ」

「来たことを後悔してるとこです……」

「人目なんか気にしちゃって比企谷くんったらカワイイ」

 

 雪ノ下さんは俺の腕に体を寄せながら目を細め笑う。

 いつかの夜と同じように、とても柔らかいものに包まれて俺の右腕が幸せで堕落しそうになる。

 同じ手は二度は喰らわん! 色気じかけの対策は万全である! 戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚……。

 

「離して下さい。本当に帰りますよ?」

 

 大天使戸塚サイカミエルの導きにより煩悩を浄化した俺は死角は無い。

 雪ノ下さんを引っぺがそうとすると、今度は絡みつく手が丁度俺の腕の関節部分に掛かる。

 

「じゃあ帰れない体にしたげよっか?」

「いたたたたたっ!! ギブです、ギブギブ!!」

 気がつけば完全に関節技を決められて、骨の軋む音が情けない声とともに響いた。

 飴と鞭。人心掌握の基本である。

 

「お姉さん、面白くない冗談は嫌いだよ」

 雪ノ下さんは威嚇にも似た薄い笑みを浮かべた。

 しかし面白くない冗談と言うならばこちらにも言いたいことがある。

「俺だって嫌いですよ。面白くない冗談は」

 

 雪ノ下さんとの間に、一瞬、間が出来る。

 それでも薄い笑みは変わらない。

 

「比企谷くんは、わざと見えてるものを見落とすの、得意だよね」

「……なんですか、その望遠鏡を覗き込みそうな特技は」

 適当に誤魔化そうとしても雪ノ下さんの鋭い眼光からは逃れられない。

「じゃあお姉さんもう一度教えてあげる。比企谷くんが背けてる、とある事実」

 

 駅の雑踏が消え失せる。

 全身の血液が激しく脈動し、冷や汗がどこからともなく溢れ出る。

 いくら拒絶してもそれを言葉にすることができず、ただ唾を飲み込むばかりだった。

 

 

「ジアースのパイロットとなった人間は死ぬ。そうでしょ、コエムシ?」

 

 

 脳に流れ込む、砂嵐。

 

 目の前にはまるで現実味の無い、真っ暗で椅子だけが並ぶ部屋。ジアースのコックピットとその主、コエムシ。

 そして雪ノ下陽乃。

 

「全くお前の察しの良さには参るぜ、ハルノ」

 

 初めてではなかったが、突然の瞬間移動に脳の処理が追いつかない。

 けれど異常な事態は、残酷にも俺の聴力を敏感にさせていた。

 

 

「正解だ。ジアースを操った人間は死ぬ。ココペリもヨシテルもそれで死んだ。次はハルノが戦って死ぬ。助かる術はねえ」

 

 

 脳内で反芻される、コエムシの言葉。

 俺の中で何度も検証し強引に否定してきた可能性を、目の前の主はあっさりと事実だと認めてしまった。

 

「ジアースは一戦闘駆動する代わりに、パイロットの命を奪う」

「そうだったわね。もしかして人の命が原動力だったりするのかしら?」

「その通りだ」

「そして契約の解除、戦闘の放棄は出来ない」

「……全て正解。敵に負けるか、48時間以内に決着がつかなければ地球は消滅する」

「ふーん。それから途中契約による現契約者の延命は出来ないんでしょ?」

「ああ。拳銃のマガジンをイメージしてもらえば良い」

 

 それは、淡々と続いていた。

 

 命を奪う。負ければ地球が消滅する。延命は出来ない。

 ジアース。生命。地球。マガジン。パイロット。死ぬ。

 会話の中身が全く頭に入ってこない。ただひたすらに単語が羅列され、脳内をぐちゃぐちゃに掻き回していた。

 

「それにしてもハルノは本当に変わってるぜ。これから死に逝く人間とは思えねぇな」

「ふふふ。まるで人間の感情が理解できるみたいな言い方ね。宇宙人のくせに」

「……過去のパイロットたちの人間の思考や行動はある程度パターン化されているからな。どれにも当てはまらないお前の行動はとても興味深かったぜ」

「……なるほどね〜。ここ最近ずーっと覗かれてるような気配を感じてたのは、そのせいだったのね」

 

「……ありえない、でしょ」

 言葉を絞り出せるようになるまで、数分を要した。

 ジアースを操った人間は死ぬ?

 バカな。ありえない。それを立証する材料を片っ端から挙げていく。

 

「俺たちは地球を守るロボットに選ばれたんだろ? なぜ死ななければならないんだ?」

「それはさっき話したぜ? それがルールだし、お前たちの命がジアースの動力なんだ」

「材木座はともかくココペリは製作者で平塚先生の大学の同期のはずだ。行方不明になっているが、製作者が自分の命を脅かすようなゲームを作るとは思えない」

「ココペリは製作者じゃねえぜ。とっくに気が付いてるだろうけどな。ココペリの死体を見せてやるよ、ほらよ」

 

 コエムシが念じるようにえいと体を揺さぶると、目の前に横たわった男の体が現れた。

 長髪に丸ぶちメガネ、紛れもなく俺たちをジアースへと誘ったココペリ張本人た。

 

 俺は恐る恐る、ココペリの脈を取ってみる。

「……死んでる」

 顔色は出会ったときとさほど変わらず、死体と言われなければ寝ていると勘違いしてしまいそうなくらいだ。

 まるで精巧で緻密な蝋人形のようだ。

 

「ジアースに保存してある間は時間を止めてるから、死体でも綺麗だろう?」

「……この死体が作り物という可能性は?」

 

 苦し紛れの願望に、コエムシが呆れたと溜息をついた。

 かつかつ、とヒールの音が聞こえる。

 雪ノ下さんから白いファイルを手渡された。

 

「私、警察にもコネがあるって言ったわよね? それは材木座くんのカルテよ」

 

 カルテには材木座の死体が海岸に打ち上げられたときの状態が記されているようだ。

 専門用語が細々と書かれている中、ひとつの項目に目を奪われる。

 

 死因:不明(急性心臓発作)。

 

「死因、不明って……」

 雪ノ下さんはうな垂れた俺を見下ろしながら、カルテを指差した。

「そこには色々面白いことが書いてあったわ。例えば、ざ瘡や骨折は死亡後だとか、波に攫われたのに飲んだ水が少ないとか」

「それってつまり……」

「ヨシテルはジアースから転落する前に死んでいた、つーことだ」

「ま、もちろん材木座くんの死因は誤魔化して貰ったけど」

 

 雪ノ下さんの手からカルテが消える。コエムシが元の場所に転送したようだ。

「これで納得いったかい?」

 

 もう認める他無かった。

 

 ジアースを操った人間は死ぬ。

 操らなければ地球滅亡。

 地球を救うために死ぬか、負けて地球ごと消滅して死ぬか。

 

 なんだそりゃ、どっちにしても死ぬじゃねぇか。

 こんな理不尽が、不条理が、あっていいはずがない。まちがっている。

 

 俯き唇を噛みしめた。視線を落とせば、遠からず訪れる己の成れの果てが横たわっている。

 思わず身震いした。

 くそっ! なんてもんに巻き込んでくれたんだっ!

 

 普段ならば自分の失態を恥じる所だが、今回に限ってはココペリを憎まざるを得ない。

 この男のせいで……!

 元凶の体を恨めしく睨みつけた。

 

「……どうして先に言わなかった……?」

 

 表情は変わらないのに、なぜかコエムシが小馬鹿にしたように笑っているふうに見えた。

 ギリギリと奥歯の銀歯が擦り合う感覚が脳に響く。

 

「お前はジアースのナビであると言った。ならばパイロットである俺たちには相応の説明をする義務があったはずだ」

「知らねえよ。せいぜい戦った後、あの世でココペリに文句でも言うんだな」

 

 コエムシが吐き捨てるように言った。

「ふざけんじゃねぇぞ……!」

 殴りかかりたい衝動をなんとか堪えつつコエムシを睨みつけた。コエムシの無表情の顔が、馬鹿にしているような笑みを浮かべてるのではないかと錯覚してしまうほど憎たらしく見えた。

 

「とりあえずジアースについて知っていることをすべて話せ」

 なんとか平静を装いそういうと、コエムシはふんと首を振った。

「嫌だね。そんなのつまんねーじゃん」

「つまるとかつまんねーとかそんな問題じゃないだろ!!」

「あら良いじゃない」

 

 俺の怒号を遮ったのは雪ノ下さんだった。

 

「さっきみたいに私たちが推理して当たったら正解とは言ってくれるんでしょう?」

「ああ。あくまでてめえらが答えを出せ。成否については嘘は言わねえ」

「じゃあそれで良いわね」

 

 雪ノ下さんは奇妙なほど冷静だった。

 そもそもこのゲームの理不尽さを知っていたようであった。それなのにも関わらずこの様子。普段通り過ぎて普通じゃない。ありえない。

 

「雪ノ下さんはどうしてそんな平気で居られるんですか……?」

 俺は雪ノ下陽乃を理解し切れない。

「あなたは死を宣告されたようなものなのに……」

 いくら完璧超人といえども、人の子であるはずだ。超人でも人は超えてないだろ?

「一体、何を考えているんですか?」

 

 少なくても。

 いかに雪ノ下陽乃とはいえ。

 死ぬのが怖く無いはずがない。

 あの夜の言葉が本当だと言うのならば、あの時既に死ぬと分かっていたのならば。

 雪ノ下さんから零れた、穏やかな笑みの真相とは。

 

 俺の推測は核心まで迫っていた。

 論理的にも雪ノ下陽乃という人物像にも一致している。

 にも関わらず、釈然としない。

 

「…………」

 

 雪ノ下さんはゆっくりと目を閉じて考える素振りをみせた。

 表情からは読み取れない。まるで新しい仮面を被り直してるかのように顔は動かなかった。

 

「俺もハチマンに同感だぜ。ハルノはパイロットの末路を自分で調べ上げ、その上で平静を装うどころか、むしろ平生より上機嫌になった」

 

 上機嫌……?

 普段の雪ノ下さんを俺は知らない。けれどその言葉には違和感を覚える。

 コエムシは雪ノ下さんを観察していたとさっき話していた。

 瞬間移動を持ち、ジアースのナビゲーターのコエムシだ。きっと俺よりも正確に雪ノ下陽乃という人間を観察出来ているだろう、と思っていたのだが。

 

「死を全く怖がる素振りを見せない、ハルノの死生観はなかなか興味深い」

 

 葬儀の帰り、俺と雪ノ下さんのやりとりをコエムシは見ていなかったのだろうか。

 それとも、やはり俺の早とちり……?

 雪ノ下さんはふぅと息を着いて、ゆっくりと目を開いた。

 その顔には薄い笑みが張り付いている。

 

「私は今まで、"私を"生きていなかったのよ」

 

 そしてゆっくりと話し始めた。


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