やはり俺達が地球を守るのはまちがっている。 作:サバンナ・ハイメイン
庭の木の葉は色付いて、その命を終わらせる。
葉っぱのフレディという小説を昔読んだ記憶がある。友達が居なかったのに何故か泣いてしまった幼い日。
一陣の風が吹くと木の葉はパラパラと散ってしまう。この風の冷たさどのくらいなのだろう?
最近、外に出ていないから、気温の変化が分からない。
時計を確認する。11時を既に過ぎていた。だいぶ惰眠を貪っていたらしい。
グダクダとベットから出て、顔を洗ってからリビングに向かう。
テーブルにはラップに包まれた朝食のパンやサラダと置き手紙。
『朝ごはん作っておきました。ちゃんと食べて元気になってね! 今の小町的にポイント高い!』
妹の心遣いが胸に染みる。最後の一言が余計だが。
秒針を刻む音が自然と大きく聞こえる。世界に俺がひとりだけ取り残されたようだ。
独りなのはいつものことなんですけどね。ぼっちだから。
特製コーヒーを作りながら、新聞を手に取る。
一面には、とある災害の続報だ。
東京湾に、巨大怪獣現る。
二体の謎の怪獣は東京湾沖で戦闘を行い、周囲の諸島を喪失させる甚大な被害。
津波や地震など二次災害を引き起こし、死者120人行方不明者60人重軽傷者500人超。
今でも鮮明に思い出される、あの日のこと。
巨大ロボット『ジアース』を操り敵のロボットと死闘を繰り広げた。
ゲームでは無かったのだ。
ジアースの存在も、コエムシの瞬間移動も。
材木座の、死も。
「うっ……」
拒絶反応が俺の体を襲う。急いでトイレに駆け込み、胃のもの吐き出す。何度か繰り返したせいでほとんど胃酸しか残っていない。
せっかくの小町の手料理が……。
本来、ぼっちというのは誰にも迷惑をかけない存在だ。人と関わらないことでダメージを与えない、究極的にエコでロハスでクリーンな生き物のはずだ。
……それがどうだ。ここ数ヶ月の比企谷八幡は。
奉仕部だの分実だの、人とコミュニケーションを取っているではないか。
冷静に考えてみるとぼっちである俺が、女の子2人で買い物や花火に行ったり、部活に入って誰かと交流したりしていること自体がちゃんちゃらおかしいのである。
やはり俺は間違っていたのだ。
俺が関わってしまった。
人にダメージを与えるどころか、人を殺めてしまった。
それも、見知らぬ赤の他人ではない。俺と関わりが深かった奴が。
材木座を殺したのは俺だ。
一週間前、ジアースの頭部の端、確かに俺は材木座を、押した。
それで落ちて死んだ。
軽く押したとか、殺意がなかったという言い訳は通用しない。
事故であろうが俺が直接的な原因である以上、殺しは殺しなのだ。
俺は、人ととして、ぼっちとして、比企谷八幡として、やってはならないことをしてしまった。
ここ最近の記憶が抜けている。
小町がよく話しかけたり、由比ヶ浜や雪ノ下が家に様子を訪ねて来たりしたような、しなかったような。
あ、でも戸塚は来た。これはしっかり覚えてる。目に焼き付けたまである。だって天使だもん。
ただ、戸塚でも家には上がらせず、また外に出かけることも断った。
マスコミは太平洋沖のココペリ戦を第一とし、材木座の戦いは『第二次怪獣災害』と呼んでいる。
100人以上の死者を出し、島をいくつも消失させた大災害。このことは世間を大きく騒がせている。
それ故に。
この世界が、世間が、俺を責めているように、感じてしまう。
「それは自意識過剰だぜ、ハチマン」
背後から突如、声が聞こえた。機械音と言うわけでは無いのに、何処か無機質な声。
ジアースのナビゲーター。通称コエムシは、ぬいぐるみの出来損ないみたいな体を浮遊させていた。
「……勝手に家に入ってくんじゃねぇ。不法侵入で訴えるぞ」
「俺はジアースのナビ。人間どもの法に従う義務はないぜ」
「何の用だ?」
今の俺の目はきっと朽ち果てた死体よりも腐っているだろう。
ジロリと睨むが、コエムシは楽しそうに言った。
「人を殺した気分はどうだ?」
「てめぇ!」
思わずコエムシに殴りかかった。
当然、俺の拳は躱され、空を切った。
コエムシはおちょくるように顔の周りにまとわりつき、それを何度か振り払った。
運動不足で、すぐさま息が上がる。
「誰も、ヨシテルの死がお前のせいだなんて思ってないぜ。少なくてもジアースに乗っていない普通の人たちは、な」
「……うるせぇ」
自意識過剰だ? そんなことは、今に始まったことじゃない。
俺の世界は何時だって俺ひとりだ。だから俺がやった失態は、全て俺が背負うべきなのだ。
これがぼっちの、選択肢の無い、選択なのだ。
「ぼっち、ねぇ。……まあ何かあったら俺に相談しろ。気が向いたら助けてやるよ」
巻き込んでおいて、よく言うぜ。
心の中でそう毒づいたが、そこで俺はまだジアースについて何も知らないということに気が付いた。
「じゃあ、ジアースについて、知ってることを全て教えろ」
「それは面白くなくなるから駄目だ」
こいつ……言ってることが全然違うじゃねぇか!
「人間は何も考えずただ答えを知ろうとする。自分の頭でよく考え、ジアースについて仮説を立ててみろよ。成否くらいは教えてやる」
それだけ言うと、コエムシはふっと姿を消した。
どうにもならない、蟠りだけが、俺の中に残った。しかしただひとつ言えることがある。
それは、コエムシは性格が悪い、ということだった。
***
チャイムがなったのは、昼を過ぎたころだった。
適当に居留守を使おうとすると、返事を待たず扉が開く音がした。
「比企谷ー! ちょっと出てこーい!」
人ん家のドア勝手に開けるなんて、身内か図々しい近所のおばさんくらいなんですが……。
不法侵入する何処ぞのマスコットよりもマシではあるが。
「……なんスか?」
仕方なく玄関に向かった。足の裏がひやりと冷たい。フローリングで秋の深まりを感じた。
「やあ比企谷。メールは見たか?」
「あー、いえ。ずっと放置してました」
ここ一週間はほとんど触った記憶がない。あの日の夜から全ての行動の記憶が無いまである。
小町がお兄ちゃんのケータイがどうのと言ってた気がしないでもないような……。
「今日は材木座の葬儀だ」
「……そう、でしたか」
俺が命を奪った相手の名前。
またフラッシュバックされる、あの日の瞬間。
ゆっくり崩れ落ちるコート。手を伸ばしても無情に空を切る指。急速に闇に吸い込まれる大きな体。
「うっ……!」
思わず胃が反応した。
それをなんとか飲み込む。
「俺に行く権利なんて、無いです」
「まだ自分を責めているのか。あれは、事故だ」
平塚先生は言い聞かせるように両肩にそっと手を添えた。
あの日。
俺たちがジアースに乗っていたことは、誰にも知られていない。平塚先生と雪ノ下さんが提案し、みんなが同意したことだ。
警察に話したところで、誰にも信じるはずも無いということもあるがそれ以上に、俺を庇うためでもあったのだろう。
巨大ロボットによる未曾有の大災害。俺たちが関わっている証拠も無い。
俺たちは大学に来ており、たまたま海岸線に居た材木座は、地震により海に転落した、ということになっている。
雪ノ下さんは警察にコネがあるらしく、多少の矛盾は握りつぶせる、ととんでもないことを平然と言っていた。
「みんな普通では無かった。あまりに現実離れし過ぎていたのだよ。それに君が押したと言い張るのは無理だと断言できるほど、材木座の落ち方は不自然だった」
……もし、真実がどうであっても。
最後に触れたのは、引き金を引いたのは俺だと言える。また材木座にジアースを操縦させるように焚きつけたのも俺だ。
ぼっちであったはずなのに。誰にも迷惑をかけないつもりだったのに。
「……それに、一番罪深いのは私だ」
平塚先生がすっと目を伏せた。
「ココペリの実験に、生徒を無闇に参加させてしまった。その上、教師という立場でありながら、私的欲求が原因で引率の生徒を死なせるどころか、大災害を引き起こしてしまったのだからな」
俺の肩を掴む手が震える。
平塚先生の瞳は濡れていた。
「しかも君をここまで追い詰めてしまった……」
深々と頭を下げた。
「すまない、本当にすまない」
「……平塚先生」
俺はなんて声をかければいいか分からなかった。
どうしたものか、目線を上げると、玄関のドアの向こうの車から、見覚えのある人物が降りてきた。
「遅いと思ったら、何お互いに罪の被り合いしてるの?」
黒を貴重としたアンサンブルに丈の長めスカート、喪服であるのに何処か華のある雰囲気。
完璧超人、雪ノ下陽乃は口を開く。
「静ちゃん、その話は散々したじゃない。それより比企谷くんはどうするの?」
雪ノ下さんは平塚先生を引き剥がし、俺に向き直った。
材木座の葬儀の出欠のことを問うた。結論は変わらない。
「俺は出る資格が無いです。雪ノ下さんは出るんですね」
「一応、彼の最後に出会った人間だしね。あの日行った子たちは比企谷くん以外みんな出るんでしょう?」
「そうだ。君の妹は兄次第と言っていたがな」
「…………」
「君は行く資格が無い、と頑なに言うなら、無理強いはしない」
平塚先生は、だが、と一旦言葉を切る。
タバコを探す仕草をしたが、ここが他人の家だと気が付いて、それをごまかす様に咳払いをした。
「権利は無くても、義務はあるんだ。君の理論言い分に沿えば、そうなる」
俺のしたことの後始末。
それは材木座をしっかり見届けろと言うことだろう。
わかる。それは論理的に沿っているし、やらなければならないということも、わかる。
だが、気持ちがどうしても、追いつかない。
なぜだろう。常に論理武装を重ね、屁理屈を武器に立ち向かって来た俺が、これほどまでに気持ちで左右されるとは。
俺が悩んでいる様子を見て、平塚先生は雪ノ下さんと顔を見合わせて、溜息をついた。
「近しい人を亡くすのは初めてだったな。……まだ時間はある。少し考えたまえ」
そう言うと、平塚先生はさっと車に戻って行った。
その足取りはきっちりとしていたが、何処となく背中は小さく見える。
「静ちゃん、今回のことは相当参ってるっぽいのよね」
雪ノ下さんが俺に耳打ちする。
相変わらずパーソナルエリアが近い人だ。不意に妹とは違う柔らかい部分が当たって、俺は身をのけぞった。
お葬式前なのになんでこんないい匂いすんだよ……。
雪ノ下さんは、ふふふと蠱惑的な笑みを浮かべる。
自分の思考やら意思やらその他諸々に、目を逸らして答えた。
「まあ、生徒の安全を守れなければ、教師として責任を感じるのは無理のない話はですけど」
「それもあるけど。……一番は、キミだよ、比企谷くん」
なんか勘違いしそうな言い回しで、雪ノ下さんは俺を見つめ返す。
濡れた瞳がかち合って、ゾクリと悪寒が走った。
「……雪ノ下さん、近いです」
するとすぐさま離れて、さもおかしそうにころころと笑い声をあげた。
「やっぱり、比企谷くんておもしろーい」
この人、こんな時でもおちょくってやがる……。
「でも静ちゃんが比企谷くんを心配してたってのは本当よ。あれから何度もラーメン屋に誘われて相談されたもの」
雪ノ下さんと平塚先生が二人でラーメンを啜りながら、俺の話をしている姿を思い浮かべた。
美女たちに心配されるのは、本来なら嬉しいのだが、二人ともクセが強すぎて、全く喜べない。
嫌な想像をしてしまって、自分でも露骨に口元が歪むのが分かった。
うへえ……。
「ひどーい! せっかく心配してるあげてるのにー!」
雪ノ下さんはぷくーっとふくれっ面を作ってみせる。
そもそもこの人は本当に心配していたかも怪しい。
ただ、平塚先生のことは気がかりではある。
正直これ以上負担をかけてしまうのは気が引ける。俺が原因で老け込んでしまい、誰も嫁に貰ってくれないという事態になりかねない。
何それ悲しすぎるだろ……。最悪俺が貰っちゃうよ!
「何時からですか?」
「お、行く気になったかい?」
「俺がしたことの顛末ですから。それに材木座には言われてたんです」
『我がもし死んだ時、八幡、貴様には我の押入れの中を捨てる権利をやろう』
親に見られたくないもんがたくさんあるんだろうな……。
誰もが一度は想像する、自分が死んだ後の遺品の行方。体育の準備運動のペアの時、暇つぶしに冗談で語り合ったことがあった。
材木座の黒歴史を滅却すること。これもまた、俺の責務であると言えるだろう。
なんとなく、な後ろめたさよりも、明確な懺悔を。
対したことではないかもしれないけど、多分、材木座にとっては重要なことだから。
「俺はするべきことがあることを思い出しました。だから材木座の葬儀に出席します」
「うーん、私的には、比企谷くんはウジウジしていた方が、それっぽくて良かったんだけどなあ」
じゃあ貴方は何しに来たんですかね……?
視線だけで言葉を伝えるも、雪ノ下さんはいたずらっぽく笑みを返すだけだった。
「ふふふ、じょーだんよ冗談。葬儀は夕方の4時から。3時には迎えに行くから準備しておくように」
雪ノ下さんはそれじゃぁね、と手を振って外へ歩き出す。
玄関から零れる秋光が、俺の体をほんの少しだけ暖めた。