やはり俺達が地球を守るのはまちがっている。   作:サバンナ・ハイメイン

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12.ついに雪ノ下陽乃は切り札を使う。

 陽乃が実家に呼び出されたのは、材木座義輝の葬式から数日経った後だった。

 千葉の一等地に建つやたら防犯設備にお金をかけた三階建ての家。コンクリートの外壁になんとか威圧感を押さえようとあしらわれた木材が哀れでならない。

 陽乃は帰るたびにここは牢獄のような場所だと思っていた。そして今回はそれが比喩にならないことも想定していた。

 

 吹き抜けの大きなリビングに陽乃は座らされていた。説教や家族会議を行う際の雰囲気によく似ていた。

 隅の方に飾られてある、陽乃が幼いころ遊んだ動物のキャラクターのミニチュアと木造りの家に模したおもちゃが、なんだか気まずそうであるように感じられた。いつも思うのだが、このおもちゃはいつまで飾ってあるんだろうか。雪乃のお気に入りというわけでもないのに。もしかして母さんが好きなのかしら。あの鉄仮面がそんなわけないか。

 そんなことを思っていると母がいつもの和装で静々と入ってきた。家の中なのに、どうしてこうお堅いものだろうか。

 

「陽乃、貴方にはもう実家へ戻ってもらうわ」

 

 開口一番、そう言われた。

 決して大きいわけでも甲高いわけでもないのに、聞く者の意識を引き付けるような声。

 陽乃を陽乃たらしめない、圧倒的な強制力を持つその声の主から発せられた言葉は、あまりにも残酷であった。

 

「大学在学中は自由にさせてもらえる約束じゃなかったの?」

 

 当然陽乃は拒絶の意を込めて言う。

 しかし母は毅然とした態度を崩さない。

 

「自由と勝手は違うのよ。警察の方とお話しする機会があってね。そこで貴方がしたことも聞いたわ」

 

 そう言われると陽乃は苦虫を嚙み潰したような顔になった。

 自分でも確かにやばい橋を渡ったという実感はあった。しかしながら、疑問に思ったことを放置することはできなかったのだ。

 材木座義輝の死因を知るためには仕方がなかったのだ。

 

「流石に警察に手を出すとは思わなかったわ。どこで育て方を間違えてしまったのかしら」

 

 母は顔をしかめる。今回の件はだいぶ答えたようで、その顔には疲労も見える。

 当たり前だ。警察の情報を一般人に横流しさせたのだから。

 一方の陽乃は、最初から間違えてるのに、と心の中で悪態をつく。

 

「それで私はどうなるのかしら? ここで軟禁もされるの? それとも大学を退学させられるの?」

 

 陽乃は開き直って投げやり気味に言い放った。

 この一件が露見したことによる多少のペナルティは覚悟していた。そして最悪大学を辞めるくらいさせられることも予見していた。

 

「前に話したお見合いの話……。あちら方が偉く乗る気でね」

 

 それを持ち出してくるとは。

 陽乃は予想外の話に鳩が豆鉄砲を食ったような、そんな間抜けた顔を晒してしまった。

 そしてその次に続く言葉はあっさりと予想できた。

 

「陽乃、貴方はもう結婚しなさい」

 

 まるでそれは死刑宣告だった。

 結婚。人生で一番大きなイベントである。ある程度諦めはあった。きっと母に決められた人と結婚するんだろうな、とは思っていた。しかしこんなに早くとは。まだ陽乃は二十歳で、まだまだやりたいことがたくさんあった。

 何より問題なのは、その相手が大企業の役員であり、自分はその家に入るということ。それが意味することとは。

 

「待ってお母さん。私が結婚したら、雪ノ下家はどうなるの?」

 

 それを聞くのは躊躇われた。

 回答はすでに陽乃の中では出ていた。あってはならない。絶対に守らなければならないものが、無残にも打ち砕かれる。そんな答えが。

 

「家は雪乃に任せます。少し不安なところはあるけれど、これから学んでいけば大丈夫でしょう──」

「ふざけないで! 雪乃ちゃんも私のように操り人形にするわけ!?」

 

 思わず声を荒げた。それだけは許せなかった。決して自分が家を継ぎたいわけじゃない。むしろ逃げ出したいとすら思っていた。しかし妹の自由を守るためならば致し方ないと思っていたのだ。雪乃のことを思って何度も留めてきた思いが一気に噴き出した。

 明らかな敵意を受けた母は、少し驚いた様子だった。けれどそれだけだった。陽乃が次の言葉にする前に、まるで駄々っ子を嗜めるように言う。

 

「元はと言えば陽乃が悪いのだけれど、全く人聞きが悪いわね。貴方は雪ノ下家に生まれたのだからある程度は仕方ないことだと口を酸っぱくして言ってきたじゃない。まだお母さんを困らせる気なの?」

 

 母の言葉の端々に陽乃は怒りを覚えた。

 悪いのは家柄にこだわる育て方じゃない。仕方ないって言われても、私が私であることを否定する理由にならないわ。何より困っているのは、お母さんの無茶振りに応える私の方よ——

 

 それからは聞くに堪えない言い合いになった。

 陽乃が自らの自由のため必死に言葉を紡いでも、母の態度は頑なに変わらず、これは決定したことだからと言わんばかりである。

 我慢できなくなり、辺りの花瓶を散らしたり、食器を割ったりしてみてもその様子は変わらなかった。ならばと、先ほどのおもちゃの動物の家に手をかけたとき、母の方がとうとう耐え切れなくなったのか、陽乃に平手打ちを食らわせた。陽乃はやり返してやろうと手を振りかぶったが、母のお手本のような関節技で腕を決められ、騒音を聞きつけた家政婦に取り押さえられた。

 

 結局陽乃は母に何もやり返せないまま、一旦自分が借りているマンションへと退散することとなった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「というのが事の顛末よ」

 

 雪ノ下が明らかにオープン限定のパンさん人形を欲しそうにしていたので、それと引き換えに雪ノ下姉のことを教えてほしいと言ったら、とんだ地雷を踏んだ。

 俺は砂糖とミルクをたっぷり入れた特性コーヒーをすすりながら、聞いたことを後悔していた。

 だってこんなことになってるなんて思わないじゃん。ちょっと色々あった雪ノ下さんの近況が気になっただけなのに。そんな母娘の諍いをしてなんて。

 

 落ち着いたBGMの中、二人用のテーブルに向かい合って俺と雪ノ下はこじんまりしたケーキと飲み物でお茶をしていた。

 ちょうど角の隙間に位置したこのテーブルは、他の人の死角になり易い丁度良い場所だった。

 

 俺はなんだかすまんと雪ノ下に謝ると、いいわ私も少しうんざりしてたところだから、とため息をつく。

 まあ少し尋ねてみたらここまで赤裸々に話すということは、雪ノ下も雪ノ下で溜まっているものがあったのだろう。その言葉に嘘でなさそうだ。

 その証拠に雪ノ下の顔も先ほどよりすっきりした様子で、せいぜいしたと言わんばかりだった。機嫌が良いのは胸に抱かれているパンさん人形のおかげかもしれないが。

 

 さて問題は、姉の行く末を彼女に教えるかどうかだった。

 いや、俺たちの顛末とも言っていいだろう。なにせ雪ノ下陽乃の推理では俺たちは皆死刑を待つ囚人のようなものなのだから。

 俺自身は信じざるを得ないと思いつつも、やはりどこかでそんなことは無いんじゃないかという希望的観測の中、日々の雑踏にその疑問を紛れ込ませていた。

 

 ともかく100パーセント確定していないことを、軽々しく言うべきではない。ましてや人の生き死にに関わる話だ。

 つまるところ、この家族の愚痴を言ってちょっと満足げにぬいぐるみを抱く雪ノ下の顔を、変な話で曇らせたいかどうかだ。

 答えはもちろん否だ。沈黙は金雄弁は銀、黙っていることこそ正解だ。つまりいつもぼっちで黙っている俺は金メダリストである。独りンピック日本代表になれるぜ。

 

 そもそもあの話によれば、次の戦闘とやらがそろそろ始まるのではないか。

 なのに一向に現れる気配すらない。今日に至るまでその前兆すらないではないか。

 俺は自分をうまく納得させ、特性コーヒーで流し込もうと一気にカップを傾け、視界をブラウンに染めた。

 

 コップを下げたとき、俺の目の前にはあの薄暗い部屋が広がっていた。

 座っていた木製の椅子は、リビングのソファに変わり、材木座が死んだ日のメンバーが揃いもそろってきょとん顔で椅子に座らされていた。

 

「デート中、悪かったな」

 

 コエムシが茶化すように俺の耳元で呟く。

 びっくりしてツッコむどころじゃねえつーの。危うくコーヒーカップ零しちゃうところだっただろ。

 

「あ、え、なにこれ!? どうなってんだし!?」

 由比ヶ浜がこう叫べば、

「また瞬間移動したっしょ! っべわー」

 と戸部がハイテンションで言い、

「ちょ、あーし、すっぴんなんだけど!」

 三浦が恥ずかしそうに俯いた。

 

 その疑問の矛先は当然コエムシに向かっていく。

 

「妹たちに見られたかも知れないんだけど」

「お店支払いしていないわ。これではまるで食い逃げしたみたいなのだけれど」

「あー! ゲームのコントローラーがぷっつんだ! これお兄ちゃんのなのに!」

「コエムシ、私も仕事中なのだ。タイミングというものを見計らっていただきたい」

 

 と皆口々に声を上げるとコエムシが「うるせーうるせー」と顔を逸らす。

「わかったわかった。仕方ねえな。全く。ゲームもちゃんとくっつけとくから安心しろ」

 ゲームの件は本当にちゃんと直してくれ。

 

「コエムシなんでいきなり呼び出したんだ」

 リバーシブルのナンバーのシャツの葉山が話を進めようとした。どうやら試合中に呼び出されたらしく汗だくで酷く浮いた様子だ。

「そりゃもちろん、次の敵が襲って来たからだ」

 コエムシは円状に向かい合った椅子の真ん中に浮遊し、みんなに向けてそう言い放った。

 

「敵って? 材木座くんの時みたいな感じの?」

 海老名はいかにも部屋着といったスウェットで問いかける。

「そうだ。またパイロットがジアースを操縦して敵を倒す」

 

「じゃあやっぱりあの事件は偶然じゃなくて僕たちが引き起こしたものなんだね……」

 戸塚が震える身を腕で抱きながら言えば、みんな揃って息をのむ。

「そういうこった。いつまでも現実逃避してるんじゃねえぞ」

 

 くくく、とコエムシが意地悪く笑えば、円状のスクリーンが浮き出て、外の景色を映している。

 ジアースは、なんと町のど真ん中に突っ立ていた。

 あたりを見渡せばいくつかのビル群が立ち並び、足元には閑静な住宅街が広がっている様子だった。そこに居合わせた人間は突如現れた巨大なロボットに困惑し、大変な騒動になっていることに間違いなかった。

 

「みんな、今回は私がパイロットよ」

 

 この場所で戦えばどうなるかを想像し、硬直していたところに、雪ノ下陽乃さんの声だけが響いた。

「姉さんが……? その、大丈夫なの?」

 雪ノ下の妹の方が恐る恐る聞いてみると、葉山も水平線を指差してそれに同調する。

「陽乃さん、とにかく慎重に動くこと。それから出来るだけ住民の避難を待って、海の方は動こう」

 

 雪ノ下さんはそれに薄い笑みを浮かべながら答えた。

「それは相手次第じゃないかしら。それより、比企谷くん、この様子だと話してないみたいね」

 いきなり話を振られて見つめられた俺は、面食らいながらもなんとか首肯する。

「いやその、まだ俺自身が受け止めきれてなかったので……」

 

 雪ノ下さんは、そう、とだけ言うと少し俯いた後、またひとつ仮面を被ったように笑みを張り付けた。

「じゃあ私自身が仮説を証明させるってことになるわね。お姉ちゃん、頑張っちゃうぞー!」

 そんなきゃぴるんと言うようなことじゃないだろう。あと俺を追求する視線が各方面から突き刺さってめっちゃ気まずいんだが……。

 

「さて敵さんのお出ましだ」

 

 出てきたのは二体のロボットであった。

 片方はジアースと同じほどの大きさの人型で、関節部分が球体で出来ているのと、白いボディが特徴的だ。

 もう一方は漆黒のボディで上半身までしかなく、どういう原理か知らないが宙を浮いていた。それは丁度白いロボットのちょっと上ほどで静止して腕を開いていて、五本の指で白を覆うような体型を取っていた。

 

「まるでマリオネットと黒子ね。なんて皮肉な……」

 

 雪ノ下さんがそうつぶやくと、小さな声で、自嘲のこもった笑いをふふっと漏らした。

 とにかく、その敵ロボット、『傀儡』の白の方はフワッと宙へと浮いたかと思うと、ものすごい勢いで身体を捻り始めた。

 物理法則を無視したその動きは、まるでウォーミングアップをしているかのようで、ひたすらシュールな光景だった。

 

「何あの動き!? キモッ!」

「敵が動いてきた!」

「あの様子だと街に被害は出にくいわね。とにかく海の方へ動きましょう」

 

 陽乃さんはまるで慣れたようにスイスイとジアースを動かした。足元にはかなり気を使っているはずなのに、俊敏に機体が駆動する。

『傀儡』はクネクネと体をくねらせながら、どうやら着いてくるようだ。こいつ奇妙な見た目の割に良心的らしい。

 さてある程度陸から離れたところまで来た時、ついに『傀儡』が攻撃してくる。

 

 背後の黒い方が、指を向けると触手のような糸が複数飛んできた。

 ジアースはそれを軽くいなし、距離を詰めようとする。そして、その時には目の前に白い方が近づいていた。

 糸は囮だったのだ。白は宙に浮いた状態で手足を無茶苦茶に振り回してくる。攻撃を受けた装甲がガリガリと削られるのがわかる。劣勢だ。

 

「こいつ、浮いてるから両手両足で攻撃できるんだ。これは厄介だぞ、どうする、陽乃」

 平塚先生が分析すると雪ノ下さんはふんと息を吐く。

「確かに鬱陶しいわね。だけれど相手の形状から考えると、無力化するのは簡単よ」

 

 そう言うと、ジアースは両手で上手く攻撃を受け流すと同時にレーザーを数十ほど関節を狙って放った。

 全くダメージを受けていないないが、それを続ける。すると何度か繰り返すうちに、白のロボット右腕がだらんと動かなくなった。

 

「やっぱりそうね。白い方は黒い方に糸で操られてるんだわ。……胸糞の悪いことにね」

 

 雪ノ下さんは最後に何か呟いたが、何を言ったかは聞こえなかった。

 しかしともかく相手の弱点が分かると、コックピット内から感嘆の声が上がった。

 動かなくなった右腕をジアースは思いっきり引っ張った。ジアースが白を抱きかかえるような形だ。それに連動して遠くの方で見守っていた黒のロボットが海面へ落ちた。

 

「そして、こちらが本体でしょう!」

 

 ジアースは白いロボットに付いてる糸を束ねるとこちらに引っ張った。

 海面に落ちた黒いロボットはさらに跳ねてながら近寄って来させられる。

 そのまま糸を引き千切ると、黒の方へ接近。ジアースは荒々しくその黒い機体を蹂躙した。

 腕を折り、顔を潰し、肩を破壊し、装甲が脆過ぎるではないかと思うくらい再起不能まで追い込んだところで、雪ノ下さんは攻撃の手を止めた。

 

「ふう。これでもう抵抗はできないでしょう」

 

 雪ノ下さんが言うと、コックピット内の緊張が一気に弛緩した。

 それで、何をしようと言うのか、ジアースは陸を目指して歩き始めた。

 

「姉さん、何してるの? まだ敵の急所を潰していないわ」

 妹が姉を咎める。しかしジアースは止まらず、住宅街の方へとズンズン進んでいる。

「ねえ雪乃ちゃん、母さんのことどう思う?」

 不意の姉の問いに、雪ノ下は一瞬、固まった。

 

「……何をしようとしてるの? 姉さん、バカなことは辞めなさい!」

 雪ノ下の明晰な頭脳はあっという間に姉が何をしようとしているのかが分かってしまったようだ。席を立ち、血相を変えて姉に詰め寄る。

「そうだ、陽乃さん、いくらなんでも、それはダメだ!」

 葉山も理解したのか、すぐさま雪ノ下さんの元へ駆け寄る。

 

 ジアースが止まった。スクリーンに映し出されるのは一軒の家。コンクリートと木材が調和した如何にも高級そうな住宅だ。

 さらにスクリーンがもう一つは増える。映し出されるのは、和装の婦人。その整った顔立ちから雪ノ下の母親であることは明確だった。

 

「例えば、母さんが不慮の事故で死亡なんてことがあったら、面白いと思わない?」

 

 雪ノ下陽乃は、妹にそう言って不敵に笑った。


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