やはり俺達が地球を守るのはまちがっている。 作:サバンナ・ハイメイン
俺が安堵した理由。それは。
“この不快感な奴が、隣からいなくなるから”ではなく。
右ポケットを上から触り、小さな膨らみを確認する。多分、コエムシは、気がついていない。
俺がこけた時に、ココペリのジャケットから滑り落ちた、小さなものに。
俺が表情を歪めてしまったのは、それをポケットに入れるところを見られてしまったのかと思ったからだ。
あの様子だと心配は無さそうだが、完全に安心は出来ない。ここはコエムシのテリトリーなのだから。
「……コエムシ、俺は帰らせて貰うぞ」
あくまで今の俺は、コエムシの発言に機嫌を損ねた男を演じなければならない。
コエムシは宇宙人だ。何が出来て、何が出来ないのか全然検討がつかないのだ。
しかし、この場を離れる必要はある。
「くくく、つれねえこと言うなよ。もっと俺を楽しませてくれ」
やはりそう簡単にはいかないか。
どうしたらコックピットから抜け出せるか考えを巡らせていると、雪ノ下さんから声が上がった。
「あら、私とのお喋りは飽きちゃったのかしら」
「くくく、まだお前の貴重な余生を俺に割いてくれるのかい?」
「ふふふ、それじゃあ、……」
陽乃さんはコエムシに耳打ちする。
そうやってコエムシの注意を引きつけている間、今度は俺の方にウインクをした。
「……だから彼には先に帰って貰いましょう」
「……ちっ、仕方ねえ」
「今からちょっとコエムシと二人で話したいから、悪いけれど比企谷くんには席を外して貰えるかしら?」
何か察してくれたのだろう。
得体の知れない奴と交渉できるとは流石雪ノ下さん、味方だとこれ以上なく心強い。
これに乗らない訳がなかった。
「そうさせて下さい」
憮然とした表情を作り、雪ノ下さんに小さく会釈した。
そしてコエムシがえいと体を振ると仕草をすると、俺の視界は砂嵐に覆われた。
見えるのは四方に白い壁。トイレの個室に転送されたようだ。
俺は急いでポケットの中を確認した。
およそ数センチの正方形、厚さは数ミリの小さな黒いチップ。
裏側には銀色の線が幾つか入っている。
これはおそらく、情報記憶媒体だ。
今ならば、雪ノ下さんが時間を稼いでくれるはずだ。
だから何としても調べなければ。
ココペリの持ち物ならば何か助かる手がかりがあるはずだ。
俺は小さな希望を大事にポケットの中に仕舞い込むと、携帯に雪ノ下さんからのメールが来た。
時間を稼げるのは一時間ほどらしい。
コエムシに読まれても悟られない様にイジリやらを混ぜて、俺だけが分かるような巧みな文章だった。
とにかく、この一時間でメモリーカードの中を調べなければ。
材木座のような犠牲をもう出すわけにはいかない。
俺は軽く頬を叩いて、トイレの扉を開けた。
あっという間に一時間が経った。
「くそ。なんなんだこれはっ!」
結局、雪ノ下さんが稼いでくれたタイムリミットをネットカフェで迎えることとなった。
結論から言おう。俺はココペリの持っていたメモリーカードの中身を知ることは出来なかった。
最初は電気屋に行ってこのメモリーカードに会う接続ケーブルを探した。
ところが、そんなものは存在しなかった。
店員に尋ねてみると、このようなメモリーカードに対応している製品は無い、とのことだった。
わけがわからなかった。普通、記憶媒体ならば何かに接続して使用するはずだ。それなのに、ネットで調べてみると現在世界に出回っている製品のどれとも対応していない。
一体どういうことなのだ。このメモリーカードの中身はどうやって閲覧すれば良いのだ。それにココペリはなんでこんな特殊なものを所持していたのだ。
謎を解くどころか新たな謎を呼び込む、ミステリー小説のような展開だ。
くそ、そんなもん俺は呼び込みたくなかった……!
とにかく、現状手の打ちようがないことは分かった。
俺はネカフェから出て、帰路に就こうと思った瞬間、ケータイがメールの着信を告げていた。
雪ノ下さんからの確認のメールだ。
俺はダメだったことと詳しい旨はあとで話すことをそれとなく文章に織り込んで送信ボタンを押す。
「はぁ」
ガシガシと頭を掻くと、ため息が漏れた。
何をやってるんだ俺は。
時間はもう夕方、帰宅ラッシュで人が多くなってきた。
俺はぼっちスキルを発動してするすると人混みを抜け、家へと帰った。
***
材木座の件がひと段落ついて、少しだけ気持ちが軽い学校となっていた。
学校中が例の黒い怪獣で話題になっているのに、うちのクラスではあまり話を聞かなかった。
クラスの中心人物である葉山のグループが積極的に話題に出さないからである。
それ以外は至って普通。あまりにもいつも通り過ぎて、嫌悪感すら覚える。
材木座の死などまるでなかったかのように、日常は回る。
そりゃあ、俺たちは違うクラスだし、仕方のないことだが。それでも、対岸の火事というのは、とても残酷に思えた。
もっともジアースのパイロットは俺のクラスで大半を占めているのだから、多少の重苦しさは感じられたけれど。
葉山は上手く日常を回していた。三浦もその辺は流石に上手い。ジアースの話題を極力触れないようにしながら、グループの下らない世間話をしている。
体調不良だった海老名も、学校に復帰している。彼女もまた相変わらず腐女子キャラを過剰までに押し出していた。
由比ヶ浜と戸部に至っては、どう見ても無理をしてテンションを上げていて、見ているこっちがしんどくなる。
それでも葉山と三浦がカバーしてなんとか繋ぎとめていた。他のクラスメイトは違和感を感じつつも、特に追及もなく居られるのはこの二人の力が大きい。
昔の俺ならばそれを欺瞞だと鼻で笑っただろう。
しかし平穏の尊さを知った今、どうして彼らを責められようか。
そんなことを考えげんなりしていては、戸塚にまた心配を掛けてしまう。
戸塚は気丈に振舞っている様子で、それでも俺や由比ヶ浜を気に掛ける余裕があり、案外精神的に強いのかもしれない。
一方で心配なのは川崎だった。明らかにやつれており、覇気のない目が一層死んでいて、俺の目じゃないかと疑ってしまうレベルだった。俺レベルとか相当だぞ。
一応俺も気にかけてはいるが、正直なんの意味もなしていたない。気にかけてるだけだからね。声とかかけらんないし。
平塚先生は流石大人で、普段通り授業を行っては、サボっている俺に鉄拳制裁を加えていた。
いやちょっと寝ちゃっただけなんですけどね。仕方ねえじゃん。夜眠れないんだもん。
放課後の奉仕部はというと、平塚先生がしばらくの休部を提案した。
まあ妥当であろう。こんなことがあったんじゃ依頼どころではない。
雪ノ下もあまり奉仕部の活動を望んでいないようにも見えた。彼女もまた表面には見せないだけで動揺しているのだろう。由比ヶ浜経由の情報だから多分間違ってない。
そんなこんなで数日が経ち、俺は奉仕部の無くなった放課後を、どう過ごそうかと暇を持て余していた。
ちょうどよく小町が新しくできた洋菓子屋さんを見てきてほしいと言われたので、帰り道を迂回してぷらぷらとほっつき歩く。
右の股関節に軽い衝撃。
あまりにもボケーっと歩いていたので、子供とぶつかってしまったらしい。
俺は落ち着いた声音をなんとか作り出し、その子供に話しかけた。
「すまん、大丈夫か?」
その子は幼稚園児くらいの幼女だった。
目線をその子と同じくらいに屈む。
青みがかった黒髪を二つに分けられ、シュシュでまとめられている。あどけないが整った顔立ちも相まって非常に可愛らしい。
「ごめんなさい」
その幼女はぺこりと頭を下げた。
これはこれはと、こちらも頭を下げて応じる。
しかしこれはあれだな。他人から見れば完全に事案発生だな。俺の死んだ目は幼女には毒だ。
そそくさと立ち去ろうとすると、袖をぐいっと引っ張られた。
「おにーちゃん、けーちゃんとおなじおめめ、してる」
「同じお目目?」
「うん。とっても、つかれたーっておめめ」
そのけーちゃんたらいうの人のことは知らないが、俺の目と同じと断じられるなんて可哀そうに。よっぽど疲れてるのだろう。
……いや、冷静に考えると、初対面の幼女にそこまで言われる俺の目ってやばくない?
「おにーちゃんも、おつかれさま、なの?」
「はは、大丈夫だよ」
とりあえず再び膝を曲げて視線を幼女に合わせる。
しかしこの子はどうしたんだろう。保護者は近くにいるのだろうか? 早く離れないとマジで通報されちゃうんだけどなあ……。放置するわけにもいかないし。
そんな風にちょっとビクビクしていると「けーちゃん? けーちゃんどこー?」という声が聞こえてきた。
「あ、さーちゃんだ! さーちゃん!」
そういうと幼女はその声の主に駆け寄っていく。
それで道角からえらく見覚えのある青みがかったツインテールが現れた。
「けーちゃん、知らない人について行っちゃだめでしょ!? ……って比企谷?」
随分やつれた顔をしている、川崎である。
「あんたこんなところで何してんの?」
幼女に向けた声とはうってかわって、ダウナーないつものボイスに戻っていた。
「まあなんだ……? 散歩?」
頭をガシガシ掻きながら適当に言うと、川崎は興味がなさそうにふーんと呟いた。
「さーちゃん、あのおにーちゃん、おつかれさま、なんだよ」
「こ、こら、けーちゃん」
「いや疲れてんのは事実だから。お前も、その、お疲れさんだな」
とりあえずその場しのぎで言葉を紡ぐ。
すると川崎はちょっと顔をうつ向かせて、小さくお礼の言葉を述べた。
「ありがと……。あっ、えっと、妹の京華。ほら、けーちゃん、お名前」
「かわさきけーかっ!」
「俺は八幡だ」
「……はち、まん……? 変な名前っ!」
「けーちゃんっ!」
「俺も変な名前だと思ってるから大丈夫だ」
そんなこんなで自己紹介を終えると、川崎が急に頭を下げた。
「ごめん。亡くなったあんたの友達のこと……。あたしが急かしたせいでもあると思うから……」
それでジアースの肩の上、材木座を俺が突き落としたあの日の夜のことを思い出した。
「気にすんな。川崎のせいじゃねえって」
そうホントに川崎のせいじゃないのだ。そして俺のせいでもなかったのだ。
材木座の死因。それはジアースを操縦したこと。
しかしそんなことを言えるはずもなく俺は口ごもる。
「アンタがどう言おうと、あたしも一緒に背負ってくつもりだから」
まるで決意を固めたように、川崎はそう言い切った。
違うんだ。確かに俺は材木座の死について、どちらにしろ責任を負うつもりでいたが、川崎はそんなことをする必要はないのだ。目の前の京華や大志などの兄妹や自分の学費など、ただでさえたくさんものを背負っている彼女にどうしてそんなことをさせられる?
かと言って事実を言えるわけもなく、俺は心の中で川崎に謝罪しながら足早にその場を後にした。
さて俺は小町の言っていたお菓子屋さんに着いていた。
小町が言っていた新しくできたお店とやらはココらしい。
送られてきたメールで確認したので間違いない。
しかし、なんだこの、いかにもスイーツ(笑)が好きそうな店は。
いやスイーツを売っている店だからまあそりゃ当たり前だがな、和菓子を和スイーツとか言うの辞めにしようぜ?
女子中高生に受けそうな外装に、頭が痛くなりそうなメニューの名前。さらにカウンターには行列と、ぼっちの男子高校生には苦行とも言える役が揃ってやがる。
今日は色々大変でだったが、これが一番辛いかもしれないぜ……。
さてブルーなテンションで行列に加わり三十分くらい経ったであろうか。
列は結構進み、俺の前の人数は片手で収まる程度になっていた。
カウンターの方からチリンチリンとベルが鳴り、同時に「おめでとうございます、特賞です!」という店員さんの声が上がった。
何事かとスマホから顔を上げて見れば、先頭のお客さんが店員さんから人形を貰っていた。
どうやら開店キャンペーンなるものをやっていたらしい。
「千円以上お買い上げのお客様に素敵なプレゼントがその場で当たる、ねぇ」
今まで気に止めてなかったが、なるほど、そんなことをやっていたのか。
しかし比企谷八幡、騙されるなこの類のもの、今まで一度だって当たったことあるか?
俺が当たるのはせいぜい校庭で遊んでいる同級生のボールくらいだ。
「ごめんキャッチボールしてて」とか言いながら拾いに来た伊勢谷くん、なんでサッカーボールが飛んできたんですかねぇ……。
昔のトラウマを軽く思い出し、浮つきそうな気持ちを抑える。
後ろの方では舌打ちをする声が聞こえ、どんだけ人形欲しいんだよと軽くツッコミを入れる余裕まで出てきた。
何はともあれ、この店ともあと少しでおさらばだ。
俺は小町からのリクエストを再確認し、注文に備えていると、またチリンチリンと鳴った。
また特賞の人形が当たったらしい。
ここに来て特賞当たりすぎだろ……。
後ろからはまたチッと舌打ちと共に地団駄を踏む音が聞こえてきた。
よっぽど欲しいんだろうなと思わず苦笑いが出る。
ようやく俺の番になった。ちゃっちゃと終わらせたいと早口で簡潔に注文を済まし、お金を払い終えると、店員さんから丸い穴のついた箱を差し出された。
「それではここからひとつお引きください」
例のアレだ。
絶対に当たらないものだとは思うものの、クジを引く前はちょっと緊張してしまう。
二度ある事は三度あるとは言うものの、実際起こることは少ないわけで。
幾つかのカードがあるという感覚が手から伝わり、そのうちのひとつを選び、店員さんへと渡した。
「おめでとうございます! 特賞の当店オリジナルのパンさん人形です!」
…………マジかよ。
チリンチリンとベルを鳴らしながら店員さんは俺に片手に乗るサイズのパンさん人形が入った紙袋を渡す。
「運が良かったですね。これが最後のパンさんだったんですよ」
ウインクをしながら店員さんに言われれば、俺も少し顔が綻ぶ。
2連続の後に最後のひとつが当たったとなれば、これはかなりラッキーだと言える。
後ろで唸っていた人には悪いが、これも運なのだよ、はははっ!
こんな確率で当たるのはどれくらいだろうな、とか柄にもなく考えていると、ガシッと腕をひっつかまれる。
「なんだよ!」
列の方から伸びてきた腕は、パンさん人形を持っている俺の腕をがっちり掴んで動かない。
俺はその手の主を確かめると同時に、その眼力に気圧されることになった。
「比企谷くん……。ちょっと、そこでお茶がしないかしら?」
凄まじい形相の、雪ノ下雪乃に、俺は抵抗するまもなく店内へと連れられていった。