レベルMAXのユーリがエステルを守るお話   作:ニコっとテイルズ

7 / 8

*今回はおよそ2万文字です。読者様、頑張ってください! 



7.Y²ー6Y+5≦0

 1周目。

 まさか、そんな名前で呼ばわるとは夢に思わなかった心躍る冒険の日々。

 少しばかり個性が強過ぎる仲間たちと出会い、絆を育み、しまいには世界の危機に立ち向かった歴程。

 

 万事が順風満帆だったわけではない。オレ自身のミスや、仲間の失敗や裏切りだって何度もあったし、理不尽な出来事に何度も対処しなければならなかった。

 だが、押しなべて言えば、間違いなく幸運だったと言える。――周回を重ねれば重ねるごとに余計にそう感じざるを得ない。

 

 例えば、最初にデイドン砦に着いた時、“平原の主”の群れから、怯えて竦んでしまった女の子と負傷して動けなくなっていた男をオレとエステルで救出したが……もしもこれが間に合わなかったら?

 例えば、ケーブ・モック大密林の最深部で、一体だけでも苦戦した強力な魔物に何匹も囲繞(いじょう)された時に、デュークによってたまたま助けられたが……この時、デュークが来てくれなかったらどうなっていた?

 例えば、戦艦ヘラクレスが帝都に向かって砲撃した時、フレン隊の艦船の特攻で何とか着弾点を逸らすことができたが……このことが必然的に生じた出来事と言えるだろうか?

 

 そう。オレたちの最初の旅は、夥しいばかりの幸運に支えられ、一歩間違えば破綻したかもしれない薄氷の道を辛うじて歩んで来たに過ぎないのだ。

 それを早くに自省していれば、オレの、数えきれないほど致命的な間違いを犯した循環の道程で、もう少しばかりマシな振る舞いをできたかもしれない。

 

 ――オレは、最初の旅の中で殺人の罪を犯した。

 無辜の民を玩具と見做して、我儘な子供のように無意味に蹂躙しつくしていた2人の悪党――ラゴウとキュモールを無防備な状態で暗殺した。

 今でも、その暗殺が間違いだったとは思わない。ただ、その罪は最終的にお節介な皇帝候補様たちによって恩赦されたのだが、罪に対する罰はきちんと受けるべきだったように思う。

 何しろ、その罪を――確かな正義で糾弾した親友すらも、オレは葬り去ってしまったのだから。

 これだけでも十分過ぎるほどに大罪であるが……もはや一人を除いた仲間全員を――望まぬ道に叩き落してしまったのだ。自己弁護のしようがない。

 

 ――罪人は、罪を繰り返す

 中途半端な仮借は、結果として一人の男の罪科を徒(いたずら)に増やさせてしまった。

 今ならたとえ件の暗殺の咎で捕まって極刑に処されたとしても、オレは諸手を挙げて歓迎するだろう。――そちらの方が、よほど自分を慰められるのだから。

 もはや、オレは生きていることすら烏滸(おこ)がましい量の罪に沈んでいる……しかし、不幸にして罰則を与えてくれる人間はもういない。

 ――いや、裁きを与える人間を消すのが罰というならば、ある意味で最大級の罰なのかもしれないが。

 

 ……そんな愚かしさを書き溜めた不定にして曖昧な書物を繙(ひもと)くことが、一種の罰になるというならば、敢えて顧みてみようと思う。

 

 

 

 

 

 ――それは、星喰み打倒の方途が順調に推移していた頃のことであった。

 

 ウンディーネ、イフリート、シルフ、ノームと4体の精霊化に成功し、リタとエステルが精霊の力を収束するための装置を作るための材料を購入して準備に差し掛かっていた。 

 そして、パティが己の戒禁を破って、魔物化してしまったサイファーを必死の思いで討伐した直後。

 

「『楽園』を探しに行くのじゃ!」

 

 水色の瞳をキラキラ輝かせながら、パティが“パンドラ”の箱を開ける宣言をしてしまった。

 

「『楽園』?」

 

 最近貰った『カルロウX』という機械人形を弄っていたカロルがパティの方を向いた。

 

「ワゥ……?」

 

 給餌用の受け皿でドッグフードを平らげている最中のラピードも顔を上げる。

 

「そうじゃ! かつてグランカレイが発見したという『楽園』の鍵が手に入ったのじゃ。

だから、是非とも探しに行きたいのじゃ!」

「鍵って……サイファーってやつが持っていた宝石みたいなやつのこと?」

 

 元帝国騎士団隊長主席シュヴァ―ンにして、レイヴンとして生きることを決意したおっさんが、こっそりと眇めていた心臓の魔動器から、パティの掲げた宝石に目線を移した。

 

「そうじゃ」

「うふふ……面白そうね、宝探しなんて」

 

 かつては竜騎士であったが、仲間となったジュディが嫣然として興味を示す。

 

「あたしは、早いとこ星喰みの退治に行きたいんだけど」

 

 本に耽って、装置の組み立てに没入していたリタが、不機嫌さを隠そうともせずパティを睨み付ける。

 

「まぁまぁ、ちょっとくらいいいじゃないですか、リタ」

 

 そして、このころは、さしてオレの心を傾かせているわけではなかったエステルが、リタを宥めた。

 

「ま、ちょっとはオレも興味あるし、少しくらい付き合ってやるよ」

 

 オレは、この後の命運など欠片も考えずに、議論の帰趨を決してしまった。

 

 ……断っておくが、今から振り返ってもこの提案をしたパティも、賛同した仲間たちをも恨むつもりは露ほどもない。

 後にわかったことであるが、この“パンドラの箱”は、恐らく放っておいても自分で勝手に開錠されていたから、遅かれ早かれ結末は一緒だっただろう。

 それに――

 

 

 

 ――いや、話を続ける。

 

 オレたちは、その『楽園』とやらの手掛かりを探し回り、最終的に世界のへそ――ザウデ不落宮が怪しいのではないかと目星をつけた。

 アレクセイが起動してしまった星喰み封印のための巨大な魔導器。その稼働のために、エステルの先祖『満月の子』たちの生命力が投じられていた場所。

 そこにもう一つ秘密が隠されているのではないかと推理したわけである。

 

 果たして、それは正しかった。

 ザウデ不落宮の地下に隠された仕掛けがあり、そこを下って行くと、確かに『楽園』には辿り着くことができた。

 と言っても、その実態は、ザウデ不落宮に自らの生命力を使うことに反目したかつての満月の子たちが、不老長寿の妙薬を飲んで途方もない年月のあいだ幽閉されていた場所である。

 記憶も言動も朧げな彼らにとっては、ある種の永久平和の確立されていた『楽園』であったが――そちらの方は重要ではない。

 

 問題だったのは、『楽園』の盟主――オーマ。

 コイツだけは、延々と裏切られた記憶を保ち続け、異形の怪物に変化してまで虎視眈々と、満月の子の子孫と始祖の隷長への復讐の機会を窺っていたのだ。

 しかし、コイツ自体に打ち克つことは容易であった。そして、いったんは討滅したと確信し、『楽園』よりなおも地下へと続く道程をオレたちは下り続けた。

 ――それが、墓穴を掘るのと同義であることに気付かないまま。

 

 

 降下する階層に比例して魔物たちも強力になっていたが、オレたち『凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)』の敵ではない。

 ところが――

 

 とうとう最深部まで到達してしまった時、その悪夢に出くわしてしまったのである。

 

 

 

 

 

 その名は――スパイラルドラゴ。

 

 

 

 

 

「かつて存在した始祖の隷長(エンテレケイア)の王。世界が生んだ最強の力!

獣よ、この身を喰らえ! 我が力を糧となし、もって世界を焼き尽くせ!」 

 

 異形の怪物のオーマは、その身をもスパイラルドラゴに食わせ、最強にして最悪の力を持つその巨体を乗っ取った。

 

 今までバカみたいにデカい魔物と戦ったが、とりわけコイツは別格である。

 そのケンタウロスのような怪物の足の付け根ほどにしか、オレたち人間の体は届かない。

 人と同じように二本の腕を振り回し、しかし頭頂部には何をも刺し貫かんという鋭利な一角が突き出ている。

 しかし、それだけではなく、人で言うところの脇腹に当たる所から竜の頭が2対飛び出て、容赦のないブレス攻撃を吐き出す。

 ケンタウロスの背中からは、鷹や鷲と言った猛禽類すら生温く感じるほど巨大な翼をはためかせている。

 さらに、伝記に残るケンタウロスとは反して、全てを薙ぎ倒さんとか言うほどの竜尾を2本も従えていた。

 その4本足も、とにかく強い動物を詰め込み、合体させたその“異容”を支え切るほど十分に強靭である。

 

 ……オレたちは、その威容に何とか呑まれないようにしながら、戦いに挑んだ。

 

 

 

 

 

 ――惨敗だった。

 

  

 オレが意識を取り戻した時、原形を留めていたのはオレだけだったと言っておく……それ以上に言葉を知らないかつての無学さを、この時ばかりは感謝した。

 

「………………」

 

 呆然自失のオレが、この時何を思ったかはわからない。 

 だが、当然ながら無意識下では、こんな結末を変えられる手段を願ったんだろう。

 それに応えるように、スパイラルドラゴのいた跡には、紫色に輝く剣が突き刺さっていた。

 

 すべての理性、知性、悟性……そう言ったものが削ぎ落されたオレは、自然と吸い込まれるように妖しく揺らめく剣の元へと足を引きずった。

 近づくと、剣はよりいっそう禍々しさを掻き立てたが……オレは、何とはなしにその剣を引き抜いた。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユーリ、大変だよ!」

 

 気が付いたら下町の自分の部屋にある窓辺に腰かけていて、息を切って訪ねてきたテッドを見遣っていた――紫の剣と一緒に。

 

 

 

 これが2周目の始まりである。

 

 

 

 順調だった。どこまでも順調だった。

 

 オレは、懐かしさに浸りながら、かつてと同じ旅路を歩んだ。

 まず、下町の水道魔導器(アクエブラスティア)の魔核を盗んだデデッキを追って、貴族街に行き、キュモールにわざと捕まる。

 それで、牢屋の中でおっさんことレイヴンと馬鹿話をしつつ、牢屋の鍵をゲット(おっさんを解放しに来たアレクセイにさえ、どこかノスタルジーを感じた)。

 夜になるのを見計らって牢屋を脱出して、騎士たちに追われていたエステルと合流。フレンの部屋には行かずにザギはスルー。

 2人で城を抜けた後、下町でラピードと合流して、帝都を後にする。

 

 デイドン砦で前回と同じように女の子と男を助け出して、カウフマンからクオイの森について聞き出す。

 クオイの森で、カロルと合流。エッグベアを退治して、ハルルの樹の解毒をし、最終的にエステルの力で樹を回復。

 アスピオでリタに吹っ掛けて、共にシャイコス遺跡を探検し、エステルの力を見せるとリタが仲間に加わる。

 エフミドの丘は……さすがに面倒だったが、リタの癇癪が起こした騒動に付き合ってやった。

 カプワ・ノールでは、フレンと作戦を練って、とっととラゴウを逮捕してもらった。

 この時、竜騎士ことジュディがラゴウの屋敷の襲撃して天候を操っていたヘルメス式魔動器を壊すのであるが、あいつは話が分かるやつだから頼み込んで、あとで破壊を許すことを条件にラゴウ逮捕のためにいったん見逃してもらった。……さすがに、怒髪天を衝くリタと共には行けなかったが。

 

 前回とは違い、きちんと連絡船でカプワ・トリムに向かった後、カルボクラムでグシオスを捻ってから、騎士団にわざと連行されてヘリオードまで向かう。

 そこで……リタが結界魔導器(シルトブラスティア)の暴走を静止した後、オレはとっくの昔にその悪行を知っているアレクセイを暗殺した。

 コイツに関しては、生きているだけ世界の害悪だから、何らの良心の呵責もなく切り捨てることができた。 

 後は、ギルドの街ダングレストの魔物騒動を未然に防ぎ(結界魔導器をいじる奴らを倒せばいいだけのこと)、ケーブ・モック大密林でレイヴンと合流し、エアルクレーネ騒動でデュークと知己になる。

 ついで、前回は歯が立たなかったドンを軽くひねって打ち倒した。

 ギルドと帝都の戦争を前回と同じようにフレンが止め、オレたちはジュディと力を合わせながらバルボス討伐に赴いて撃破し、水道魔導器の魔核を奪還する。

 討伐後、ひとまず旅のメンバーは解散した。

 さすがに、ラゴウの悪行は、魔導器の大量使用の咎に、バルボスとの結託も重なったせいか、評議会の権力でも打ち消すことができず、オレが暗殺する必要もなかった。

 

 

 

 当たり前だが、オレは旅の顛末を全部を知っていたから、順調でないわけがなかった。

 まるで再上映された演劇を役者の一人としてなぞらえているような妙な気分になりながらも、悪い部分以外は前回と極力似せるようにした。自分の予想している未来とズレると厄介だからである。

 前回の、皆の最期を見てしまったこともあって、戦闘に関してもオレが出しゃばり過ぎてしまった。……これは、後に反省したが。

 

 ――ただ、オレの力の及ばない範囲で、1周目とはまったく異なるところがあった。

 

 

 

 

 

 パティがいない。

 

 

 

 

 ……カロルによると、『ブラックホープ号事件』は確かに発生していた。

 それで、アイフリード(パティのことだ)の名前は、ギルド間で忌み名として知れ渡っていることも。

 バタフライエフェクト――蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるという意味であるが、それと同じように微妙な時間差が生じてパティとしばらく出会えなくても仕方ないのかもしれない。……アイツと出会えたのは割と偶然の要素が強かった気もするし。 

 

 そう思って探し回ったのであるが――結局、この周回でパティと合流することはなかった。

 

 1周目でサイファーから頼まれて、幼児化したアイツを保護したカプワ・トリムの灯台に住んでいる夫婦を訪ねても、そんな子は知らないの一点張り。

 あちこち回っている時も、注意深く耳を澄ませたが……アイフリードの悪行の噂は聞こえど、アイフリードの孫と名乗る少女について耳に入ることはなかった。

 

 ……もちろん自分の時間遡行のせいかとオレは疑った。

 ただ、自己弁護とは別に……少なくともオレの逆行した前の時間で『ブラックホープ号事件』は起きていて、バタフライエフェクトの及ぶ範囲外の出来事のはずである。

 つまり、たとえオレが時間遡行したことで世界に影響が出るにとしても、それよりも過去の時間にまで影響が生じるのは、論理的にあり得ない。

 そうは理屈を立てられるのだが……しかしながら、現にパティはどこを探してもいないのである。

 

 どこかで魔物にでもやられたのかとも思ったが……灯台の夫婦の元へは、サイファーが送り届けたはずである。だから、アイツが冒険に旅立つ前に必ず面識がなければならない。

 しかし、あの夫婦が知らないということは……『ブラックホープ号事件』で、パティが……死んでしまったという結論しか出せないのである。

 

 うすら寒いものを感じた。

 

 いるはずの人間がいない――心に大きな穴が空いたような、そんな虚しさと、畏怖を感じたのをはっきりと覚えている。

 決してみんなの前では見せなかったが……それでも、自分を好きだ好きだとからかい続けた少女の喪失は……けっこうオレの中で響いた。

 仲間だと認められた時の、大海原を表したかのような笑顔。

 あれやこれやの策でみんなを驚かせ、敵を罠に嵌めた時の得意げなウィンク。

 そして――自戒を破らざるを得なかったかつての仲間を介錯したときの、なみだ。

 

 そのすべてが失われてしまったのである。

 

 ただ、この時のオレは、パティが『楽園』を探しに行こうと言わなければ、前回のようなことが起こらないだろうとも思っていた。

 むろん、パティを殺してでも止めたいだとか、いなくなって都合がいいなどとは露とも思わなかったから、この結果は大いに心外であったが……。

 

 

 

 ……旅は、やはり順調であった。

 

 フェローがダングレストでエステルを襲撃してきたとき、当然来ることを予期していたオレが撃退する。

 そして、ジュディスとカロルと共にダングレストを出て(アレクセイがいないからか、騎士団の追跡も前回よりはしつこくなかった)、ギルド『凛々の明星』を結成。

 エステルの、フェローに会いに行くというのをひとまずの目的として、砂漠までの旅を開始。

 道中のヘリオードでリタを拾い、キュモールの労働者の酷使を今回はしっかりと食い止めて、フレンに逮捕させた。

 カプワ・トリムで、今回は本当にドンからの仕事の一つを承ったレイヴンがエステルのお目付け役として再合流する。

 カウフマンの依頼で船を譲り受け、操縦士トクナガが怪我をしないように気遣いながら、途中で幽霊船アーセルム号に出遭う。しかし、パティとも、魔物化したサイファーとも会えずに、訝りながらも『澄明の刻晶(クリアシェル)』を回収。 

 

 そして、ラーギィ(イエガー)に係(かかずら)うことなく、砂漠へと直行。

 砂漠で倒れたみんなが死なないように気遣いながらも、フェローの幻がつくりだした過去のヨ―ムゲンに行き着く。

 ヨ―ムゲンからの帰路にある闘技場都市ノードポリカでべリウスと会合。

 アレクセイが死んでいるため、前回と異なり、ノードポリカが騎士団によって封鎖されることも、べリウスが襲撃されることもなく、ノードポリカを出立した。

 ジュディが駆動魔導器(ゼロスブラスティア)を破壊するのをわざと見逃し、しばらく漂流した後、彼女を追ってテムザ山に急行(ドンが死ぬ理由もない)。

 そこで、再び彼女の魔導器破壊の経緯を聞いてから、バウルの成長を共に見守り、やがて巨大化したバウルと共に空を旅して回った。

 あとは、フェローの話を聞き、全員に事情を分からせた後、クリティア族の街ミョルゾを訪ねて、古代の伝説を耳に入れた(念のためエステルとレイヴンを見守っていたが、アレクセイがいない以上、やはり何の謀り事も生じ得なかった)。

 

 

 

 そして――地上に降りてきて、唐突に旅が終了させられる。

 

「な、なんで、アイツが!?」

 

 前回以上に澄ましていたオレが、この周回で驚愕したのはこれが初めてであった。

 

 視界の中に――『楽園』を降りてもいないのに、あのスパイラルドラゴがいたから当然である。

 

 世界の中心――ザウデ不落宮の上空を飛行していた奴は、前周で見せたように、猛攻を放っていた。

 

 隕石群を降らせるかのように、火炎弾の放射が世界中に降り注ぐ。

 ありとあらゆる地形を永久凍土に変えんと、氷弾が大地を凍り付かせる。

 奴の羽ばたきから生じた旋毛風(つむじかぜ)は、世界中の都市を微塵に切り裂く。

 思い立ったように海底に巨体を、流星よろしく猛スピードで叩きつければ、世界中の大地を文字通り鳴らし、津波が沿岸部を飲み込んだ。

 

「野郎ッ!!」

「な、なんなんです、あれは!?」

「どうなっちゃうの!?」

「あの勢いで暴れられたら!」

「世界がお陀仏になっちゃうわよ!」

「急ぎましょう! 何としてでも食い止めないと!」

「ワン!」

 

 

 ――義をもってことを成せ、不義には罰を

 

 それがオレたち『凛々の明星(ブレイブ・ヴェスペリア』の掟。

 当然、全員がスパイラルドラゴの元へと、バウルを以て急行した――が、結果は言うに及ばない。

 前回以上に旅の障害が少なかったということは、前回よりもみんな弱いということである。

 前回の面子でも殲滅させられたのに、今回の面子で叶うはずもなかった。

 オレ自身は例外であるが――独りで倒せるほど、奴が弱いわけもない。

 

 満身創痍になり、仲間も、世界もダメだと確信した瞬間――

 

 

 

 オレは、すぐさま紫の剣――エターナルソードを振り回して時間遡行を決行した。

 

 

 

 

 3週目……この周ほど、自分の愚かしさを嘆いたこともない。なぜ、毎度毎度おなじように世界が回ると思ったのか。どうして、パティがいなかった原因をもっと深く考えなかったのか。

 ……そうすれば、もう少しマシな行動がとれたものを。

 

 2周目と同じように、魔核ドロボウを追ってキュモールに捕らえられたのだが――隣の牢屋にレイヴンがいなかった。

 

 いくら声をかけても、隣に人はいない。――つまり、牢屋のカギを入手できないということである。

 

 いくら世界を2回、旅しているとはいえ、武醒魔導器(ボーディブラスティア)を取り上げられている状態では、独房を破ることはできない。

 オレが行動しないと、エステルが騎士に襲撃されるため、何度も何度も牢屋の柵を叩きつけたが――この程度では、不真面目さに定評のある見張り番を起こすことはできなかった。

 

 夜が明けて、食事を差し入れに来た見張りを殴り倒して、すぐさまエステルの元へと赴いたが――もう遅かった。

 

 アイツは怪我をして、とても旅に出られるような状況ではなくなっていた。――治癒術はアイツの専売特許ではあるが、1周目で操縦士トクナガが負傷した時に完全には治せなかったように、重傷を負ってしまうとどうにもならないのである。

 ただ――アイツが城に残っていたとしても、アレクセイさえいなければ何の問題もない。アレクセイさえ消えれば、アイツが道具として使用されることなど万に一つもなくなるからだ。始祖の隷長(エンテレケイア)たちも、治癒術を乱発しないエステルを襲撃する理由はないだろうし。

 

 だから、この段階では帝都にいたアレクセイをとっとと暗殺した。

 ――面倒くさいから、完全犯罪で。

 

 ついでに、キュモールも暗殺し、後々の懸念を取っ払う。

 

 

 

 そして、ラピードと共に、急いで帝都を発ったが――初動の遅れは致命的だった。

 

 

 

 まず、クオイの森をいくら探しても、杳(よう)としてカロルの消息は知れなかった。

 嫌な予感がして帝都やデイドン砦付近まで舞い戻ったが、カロルを捉えることはできない。

 ……後々の周回を鑑みると、おそらくだが、カロルはクオイの森で合流できなければ、行方不明になってしまう運命だったのではないか、と思う。その末路は……想像もしたくないが。

 

 アスピオに赴いて、リタと出会っても仲間に加わることはない。

 アイツは、最初エステルの体質に興味を示して旅に同行したのであって、そのエステルがいなければ、アイツの独りよがりな部分を取り除くことはできないのである。

 ……どんなに言葉を尽くしても、徹底的に証拠を重んじる学者肌の部分が、最終的にオレと行くという選択を排除してしまった。やはり、この辺りも、エステルの柔らかな対応が必要だったように思える。

 ……最初のころだと、フレンがハルルの街の魔導器の対処を要請しても同行しなかったからな、リタは。

 

 カプワ・ノールに着いて、若干八つ当たり気味だったかもしれないが、フレンと合流する前にラゴウを暗殺して、ついでに天候を操る魔導器を破壊した。……あれだけ1周目で糾弾された暗殺に対して、オレはもはや何の躊躇いも感じなかった。

 カプワ・トリムで、パティの足跡を辿ったが、1周目と変わらない。

 ダングレストに着いて、レイヴンを捜索したが……やはりいなかった。ドンのギルド『天を射る矢(アルトスク』を探し回ってもいない。

 ジュディと出会うのも待ち遠しくて、バルボスを独りで討伐し、水道魔導器の魔核を下町まで自力で届けてから、オレは城の資料室に忍び込んだ。

 レイヴンを、シュヴァ―ンを一度殺した人魔戦争の記録を閲覧するために。

 

 すると――案の定、極秘の戦没者名簿にその名前があった。イエガー、キャナリの名前と共に。

 

 むろん、アレクセイがこっそりと蘇らせた可能性もあるが……シュヴァ―ン隊というのが2周目まで存在していた以上、わざわざ生きていることを秘匿するとは思えない。

 かつてルブランの言っていたことを思い出す――『シュヴァ―ン隊長は、人魔戦争を生き残った英傑だぞ!』

 

 そう。アレクセイ以外は誰もシュヴァ―ンが一度死んでいたことを知らなかったのである。

 その心臓が、もはや自分のモノでないことなど、誰も……。

 

 

 

 ……一瞬だけ、人魔戦争の前まで遡っておっさんを救おうかと思った。

 

 だが、それはアレクセイのやったことと何が違うのだろうか?

 死に逝く運命にある者を自分の都合のためだけに強引に捻じ曲げることと、死者に心臓を植えつけて強引に蘇らせることと、何が変わらないのだろうか?

 それは、死者を冒涜していないと言えるのだろうか。

 ただ牢屋のカギをくれなかった、ほんらい仲間になるはずだったから救い出す……これは本当に正しいことなのだろうか?

 

 そこまで考えて……オレは、レイヴンを眠らせたままにしておくことを選択した。生者の我儘よりも、死者の尊厳を守ることの方が重要と捉えたのである。

 

 ――それと同時に、オレは気が付く。

 

 

 

 

 時間遡行する度に、それ以前の時間の出来事にも変化が生じているということに。 

 

 

 

 

 理屈はわからない。どう考えても普通じゃあり得ない。

 

 だが、現に時間を巻き戻すごとに――仲間が消えている。

 

 ……オレは、エターナルソードを見遣った(この時は、こういう名前だと知らなかったが)。

 この周で生きるべきか?

 エステルと出会えず、カロルの姿を捉えられず、リタもおそらく永久的に仲間にならず、ジュディとも合流できそうなチャンスを失ったこの周で?

 ……とても満足できる選択肢とは言えなかった。アイツらとの知己を未来永劫を得ることなく生きていくなど……オレには、到底考えられない。

 

 なら、またこの剣を使うか? 仲間を消す可能性があるのに……?

 

 ………………

 葛藤は、ずいぶん長くかかったんだろう。

 だが、最終的にオレは――この周を放棄することを選択した。

 

 今度こそ、誰も消さないように。最後の周回にするように。

 スパイラルドラゴの討伐に全力を尽くすことを、消えていく、あるいは消えていった仲間たちに誓って――

 

 

 

 オレは、時間を巻き戻した――

 

 ……この時、そう誓ったならば、なぜこの周でスパイラルドラゴについて深く調べなかったのか、よく考えなかったのか……後々に、自分のバカさ加減を罵倒しまくることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ここに最初に着いた時には、エステルだけじゃなくて、ラピードも、カロルも、リタもいて……そこに、レイヴンが来たのにな。

 

 ラゴウ邸に続く長い長い登り坂を上り切り、オレは、いったん物陰に隠れ――かつてみんなと隠れた場所だ――屋敷の門の前にいる衛兵たちの様子を窺った。

 ラゴウの魔導器の継ぎ接ぎが齎した天候異常による雨は、マントに包まれたお姫さまには当たらず――罪深き愚者にだけ正しく降り注いでいる。

 ――そうだ。消すなら、オレだけ消せばいいものを。

 

 なぜ大切で大切で大切で大切で大切で仕方のない仲間たちを消すのだ。

 

 この雨のように、正義公平に適った裁き方をするならば――オレの地獄の業火に焼(く)べる焚き木が増えるだけで、何も仲間たちに牙を剥くことはなかっただろ?

 

 なのに、なぜ……。

 

 

 

 ……オレは、かぶりを振る。油断していると、下らない自己憐憫が自分の思考を止めてしまう。追い払わねば。

 少なくとも……もう幸か不幸かオレにはわからないが……できることがある。

 この背中の温もりを、確かに感じられる唯一の仲間を――オレは守らなければならない。

 スヤスヤと規則正しく可愛らしい寝息を立てている女の子を――オレは守らなければならないのだ。

 

 そのためには――

 

 オレは、剣を抜いた。そして、いつものように、『蒼破刃』の蒼い剣圧をホーミングして、2体の門番をまとめて蹴散らす。

 ……これで4度目か? ラゴウの暗殺のタイミングは割とズレるから。

 

 正解でも不正解でも……誰も判定者はいない。――決していないのだ。

 

 オレは、寂寥感が自分を食らいつくす前に、或いは騒ぎを聞きつけられる前に――ラゴウ邸へと足を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 4週目――意識が戻った瞬間に、ハンクスじいさんが5年前に逝去したという記憶が流れ込むんできた。

 いつも挨拶のように憎まれ口を叩いていたというのに……。下町の絆すらも、時間遡行は消し去って行くのかよ。

 

 しかし、嘆いている暇はない。さっさと行動せねば。

 

 今回は下町がプールになる1週間ほど前に遡った。懸案事項を取り除く猶予期間が欲しかったのである。

 

 まずは、完全犯罪でアレクセイ、キュモールを暗殺した。――やはり、レイヴンも存在していない。そのことも胸を痛めながら確かめた。

 

 一応、恐る恐るエステルやフレンの存在も確認したが……ちゃんと生きていて一安心。

 

 そして、エステルが城を脱出する日にオレも城に忍び込む。

 ――そう言えば、アレクセイを殺害したら、巡り巡ってフレン暗殺も消えるんじゃないかとも思ったが――幸か不幸か杞憂だった。

 

 2周目までと同じように、三叉路の廊下でエステルが騎士たちに追われているところにオレが割って入って救出する。

 そして、ラピードと共に帝都を抜け出し、1、2周目と同様に首尾よくカロルとリタと合流――ただ、ハルルの樹をエステルが治療した時、以前見たときよりも治癒術の光が強力だったのは少し気になった。

 

 あとは、カプワ・ノールに着いて、フレンと合流。宿屋に泊まった時、オレ独りで夜陰に乗じてラゴウ邸に赴き、ラゴウと、ついでに傍らにいたバルボスも暗殺した。そして、天候を操る魔導器を破壊した。

 仲間を万に一つでも失う可能性は避けたかったし、もはや魔導器を壊してリタがキレることなどどうでもいいことだったのである。

 

 大騒動になっているところを無視して、カプワ・トリムに船で向かう。

 そして――案の定、パティがいないことを確認してから、カルポクラムをすっ飛ばして、ヘリオードに向かったのであるが……

 

「な、何よこれ!?」

「どうしてこんなことに……!?」

「こんな……ひどすぎるよ……!」

「ワフゥ……」

 

 ………………

 時間遡行の魔手は、どうやら世界の街にも及ぶらしい。

 ヘリオードの結界魔導器(シルトブラスティア)の暴走で、彼の新興都市は爆散しており、見るに堪えないものとなっていた。

 無念を散らした煉瓦の残骸に、ひしゃげた扉、物見櫓の木片が際立った。連綿と轟く瀑布のみが、記憶の中のヘリオードと結びつき、過去の追憶との隔たりによる悲哀を醸す。

 人の様相など……言うまでもない。

 

 ……これでなんとなくわかった。

 時間遡行をするときの副作用とは、幸運の糸を抜き取って、代わりに不幸の糸を織り込んでいくようなものなのだろう。

 ヘリオードで言うならば、今まではリタや騎士団が手を施したから幸いなことに最悪の事態は避けられたが、今回は間に合わない、或いは間に合いそうもない不幸な状態にまでなってしまったようだ。

 それで今回の結界魔導器(シルトブラスティア)の暴走による街全体の爆発が起きたのだろう……要するに、そう心中で嘯(うそぶ)いているオレのせいってことだが。

 

 

 

 しかし、4週目の悲劇はそれだけではとどまらない。――ジュディが、どうしても仲間にならなかったのである。

 アイツの友達のバウルに跨(またが)り、隙あらばエステルを急襲してきた。

 かつてのヘリオードでジュディはヘルメス式魔導器と同じぐらいの危険分子と見做した、満月の子たるエステルを襲撃した時は、すぐさま矛を収めたというのに――この周回からは、いっさい友好の手を差し伸べることなく、追跡者として対決せざるを得なかった。

 もちろん、何度もコンタクトを図ろうとしたが……フェローよろしくの黒鉄(くろがね)のような頭脳をほぐすことはついぞできなかった。

 夜半に空爆、ケーブモック大密林を焼失させかける、街中で不意打ちを仕掛けるなど、その執念はもはや常軌を逸していた。

 ターゲットにされたエステル以上に……彼女に懐いているリタの『バカドラ』と呼ぶ語調も、記憶の中にある怒気を超えて、怨嗟で固く冷え切っていた。

 ……リタとジュディが、異母姉妹であることを知っているオレからすれば、その骨肉の争いは目を覆いたくなるものであった。

 むろん、オレにとっても嫣然で怜悧であったかつての仲間と相対するのは、心が軋むことである。

 交渉してもにべなく、万が一ジュディが交誼を結ぼうと歩み寄っても、怒髪天を衝いたリタの説得が困難であることを悟ったオレは……結局、諦めざるを得なかった。

  

 ……しかし、こんな有様でも4周目は、時間遡行の旅を総覧すれば比較的マシな部類にカテゴライズされる。

 

 オレは、スパイラルドラゴ討伐に心血を注ぐべく、帝都やギルドに助力を要請した。

 もちろん多少、猜疑の目は向けられたが、それでも、友人のフレン、オレを気に入ってくれたドン、始祖の隷長の中では話のわかるべリウスを介して世界中の強力な勢力が一致団結することを惜しまなかった。

 アレクセイとバルボスがいなければ、恐ろしいほどスムーズに修好の運びと相成ることを実感できた。

 

 もちろん、旅の仲間(ずいぶん減っちまったが)、エステル、ラピード、カロル、リタに関しても、道中の魔物や闘技場を利用して可能な限り鍛えてもらった。

 2周目の反省でオレが戦闘で出しゃばり過ぎることなく、なるべく強い状態になるように仕向けたのだ……結果、1周目よりも強靭な状態で、スパイラルドラゴとの対決に足を進められた。

 

 フレンを新しい長として再編成された騎士団、ドンを旗頭に纏め上げられた血気盛んなギルドの武装兵、戦士の殿堂(パレストラーレ)が誇る屈強な鋭兵……いくらなんでもこれだけいれば、勝鬨(かちどき)を上げられる……そう確信していた。

 

 

 

 だが――奴は以前にも増して、遥かに強力になっていた。

 

 

 

 ……意識を取り戻した時、眼前に広がる光景は2周目以上に、惨憺たるものであった。

 ザウデを囲んだ帝都・ギルドの連合艦隊は、無残にも海の藻屑と成り果て、辛うじて漂っている船籍には焦げた人間が刻印されていた。

 海上を凍土がプカプカと歪に浮かび、近郊の島々に生えている木々はすべて薙ぎ倒されている。

 遠目から見ても、大陸は天からの一閃を浴びたかのように、その大地が抉られていた。

 

 ……いくらなんでも、2周目まではここまでの力を持っていなかった。つまり、周回を重ねるごとに、奴は強くなっている――

 

 暗澹たる気持ちが胸を塗りつぶそうとした――が、すぐにまだ策はあると思い直す。

 まだ絶望してはならない――その想いだけで、胸中の暗い侵食を食い止め、オレは、再びエターナルソードで虚空を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 5周目。――何度自決をしようかと思ったかわからない悪夢の周。

 この周に至っては――誰とも出会えなかった。

 

 まず。

 

「ぐっ……うおぉぉぉぉっ!!」

 

 流れ込んできた記憶は、ハンクスじいさんの死と……フレンの溺死を告げる。

 8年前に、よりにもよってオレを庇って川に飲み込まれた――そんな信じられない事件が起こったらしい。

 

 あの、謹厳実直が過ぎ、ムカつくぐらい万事優秀でオレの前を悠然と進んでいたフレン・シーフォが……よりにもよって呑まれたらしい。

 ……もはや、オレの中で、その喪失感をどう表せばいいのかわからず、しばらくの間、思考が形をなさなかった。

 

 我に帰り、矢も楯もたまらず、ザーフィアス城へ急行する。

 そして――エステルが生きていることを確かめて、心底胸を撫で下ろした。

 

 よかった。しばらくしたら迎えに行くからな。

 ――この時のオレの頭は、フレンがいないならば、そもそもエステルが旅立つ理由がないことなどすっかり抜け落ちていた。

 ――そして、不幸にして、その愚鈍さは意味をなさなかった。

 

 いつものように、アレクセイ、キュモールを殺害した後――城から爆音が轟く。

 急いで駆けつけると――フェローが飛び去った後で、エステルが死んでいた。

 

 

 

 

 なんで、2人も……?

 

 

 

 

 縋るべき仲間がまた一人抜け落ちた、余りにも強烈な理不尽さにオレは打ちのめされた。

 怨讐でフェローを追跡し、剣で叩き伏せてから事の次第を問い質したところ――

 

『満月の子は、世界の毒。故に消さねばならぬ』

「つっても、あまりに性急すぎんだろ!」

 

 1、2周目の、まだ存在した寛大さとのギャップで、オレの声は戦慄(わなな)いていた。

 

『あの娘の力は、かつてのいずれの満月の子を遥かに凌駕するものであった。

もはや、手を下さずにはおれぬほ――』 

 

 それは八つ当たりだったのかもしれない。

 オレ自身の怒りをコイツにぶつけただけかもしれない。

 とにもかくもオレは――フェローを断頭した。

 

 満月の子。魔導器がなくとも術を使えるエステルの特殊能力。

 しかし、エアルを大量消費してしまうが故に、アイツが魔術を使う度に世界の環境を乱してしまう。

 

 このせいでエステルは、1周目からフェローに襲撃されたが、あの時はジュディがとりなしてくれた。

 しかし、その抑止力の不在はもとより――否が応でも、時間遡行の副作用が及んでいるのではないかという疑惑がオレを苛む。

 

 ――確かに、1周目でスパイラルドラゴに敗れてから辺りを見回した時、エステルの姿はなかった。

 

 それは、死体が跡形もなく消されたからではなく――アイツがスパイラルドラゴに取り込まれたせいじゃないかと思い始めた。オーマは、満月の子の子孫に殊更に復讐したがっていたし。 

 

 さらに、オレは慄然とする。スパイラルドラゴが強化されているのも、時間遡行のせいなのではないか、と。

 

 すなわち――エターナルソードから何らかの力がスパイラルドラゴに巻き付き、取り込んだエステルもろともその内在する力を強化してしまったのではないか。

 

 

 

 ………………すべては、憶測。まだ、仮説にすぎない。

 だが……いったい、オレは何をやっているのだろうかと、思わずにはいられない。

 道化として、オレはスパイラルドラゴ――引いてはオーマの操り人形として踊らされているだけではないか。

 仲間をどんどん消し去って、敵の親玉を強くしていく……こんな滑稽な話があるだろうか?

 

 ガンッ!!!

 

 胸中を逆巻くやり場のない怒りを、近くの壁に叩きつける――石礫と爪が食い込んで手が血で滲んだ。

 それでも理性で猛炎を蓋できたのは、まだやれることがあると知っていたからだ。

 

 まだ。まだ、できることはある。

 復讐の念を込めてスパイラルドラゴの鼻を明かす手段は残っているのだ。

 星喰みを倒すためにリタが作ろうとした装置……あれを開発すれば、スパイラルドラゴを討滅できる!

 縋れるものがある以上、止まるわけにはいかない。

 

 だから――オレはアスピオへと足を進めた。

 

 

 

 まだ“平原の主”の襲来していないデイドン砦をくぐり抜けて、相変わらずの常闇に沈んでいる学術都市アスピオに着いた。

 ようやく仲間に会えると息を切らしていたオレは、一目散にリタの小屋へと急行し、ノックの代わりにドアを勢いよく殴る。

 

 それは、この周で2人も消された以上、もう誰も失うことはないという先入見からの確信からの行動であったが――

 

 

 

「はい……? どちら様ですか?」

 

 

 

 

 オレは逃げた。そして、嘔吐した。

 

 ほとんどまともな食事をしていないのにどこから出るのかと不思議に感じながらも、逆流する酸味が現実へと思考を向き直させた。

 

 なぜだ。なぜ……あのリンゴ頭がリタの小屋にいるんだ?

 

 ウィチル、とか言ったか? フレンと一緒に居たチビの魔導士。

 そいつが、あの小屋にいるということは……。

 

 人目につかないところで吐き出すものを吐き出したオレは、眩暈でふらつきながらも手当たり次第、リタについて聞き込みをした。

 

 しかし、返って来る答えはみな同じ――“そんなヤツは知らない” 

 

 アスピオに遍(あまね)く知れ渡っているはずの、天才魔導士の称号を恣(ほしいまま)にした少女を知っている者は誰一人としていなかった。

 それでも現実を認めたくないオレは、一縷の望みを胸に燃やして、アスピオのすべての戸籍を検めたが――結果は同じこと。

 

 リタがいない。仲間の喪失というのは言わずもがな、その打撃はどこまでも大きい。

 オレたちの旅の魔導器関連の対処は、すべてリタに頼りきりであった。

 アイツの頭脳労働が、数えきれないほどの利択を齎してきたのである。

 そんなやつがいなくなるということは――

 

 ……3周目のように、にべ無く突き帰されてもよかった。

 今度こそ、折れずに何とか粘る自信があったのだから。

 

 だが、リタが存在しないのに、星喰みを倒す装置をつくれ、と?

 

 ……アスピオの暗黒にオレは同化しそうになった。

 いや、この街には照明がある分だけ、オレの胸の内よりは明るかったであろう。

 オレの吸い込んだ闇の酸素は、辛うじて活動していた大脳を間違いなく一時停止させていた。

 

 そのせいで、オレはまたとんでもないドジを踏むことになる。

 カロルの顔を、一瞬でも早く見たくて、ダングレストを目指したのである――日付を確認しないまま。

 ……気が付いたらカプワ・ノールにいて、そして、既にクオイの森にアイツが張っている日にちであったのである。

 

 自分の愚かさを呪いながら慌てて来た道を戻ると――もう、アイツの行方は杳(よう)として知れない状態になっていた。

 

「ははは……」

 

 乾いた自嘲をこぼしながら、クオイの森を抜けて、近くのデイドン砦で夜を明かそうとすると――今度はデイドン砦が“平原の主”に蹂躙されていた。

 ……ここもかよ、ぐらいの捨て鉢に爛れた嗤いを浮かべるほかなかったが。

 

 

 

 帝都に戻った。

 

「ワン!」

 

 下町の宿屋の一室にラピードがいた。

 アイツには、この時のオレがどう映っただろうな?

 

 オレは下町から市民街に引っ越した。これ以上、見知ったヤツがいなくなったりしないように……そもそもオレなんかと絆を結ばないようにと願いを込めて。

 ……無駄に金だけは貯まってたからな。

 

「ま、リタの代わりをするか……」

 

 その決意の火種は、微粒子レベルに小さかった。そのことに気付いたのさえ、ずいぶん後のことであった。

 

 

 

「……わけわかんねぇ」

 

 慣れない本の中に、ビッシリと余白なく詰め込まれた数式の羅列にオレは幾度となくそう呟いた。

 リタが如何ほどに天才だったのかを、再認識する。

 オレは、これまでの旅でアイツ自身さえ知らなかったエアルや魔導器について色々と聞いていたから、少しは何とかなるかと考えていたが……とんだ思い上がりだったらしい。

 

 水道魔導器を例にとってみる。 

 機能としては、井戸の水を自動で吸い上げることで、魔核を嵌めてスイッチを入れればすぐに起動する……ここまでなら素人でもできる。

 ところが、その仕組みとなると……夥しいばかりの数式を基礎に成り立っている術式を解読しなければならない。

 つまり、使用するだけならばボタン一つで完了することも、調整や中身まで理解するとなると……途端に難しくなるのだ。

 

 無学なオレには、象形文字としか思えない未知の数式ばかり。

 “使用”するだけの魔術の習得すら投げたオレにとって、魔導器の深奥までしかも応用が効くレベルまで学習するとなると……とても容易いものではない。

 おまけに、5周目のオレが使用していたのは、分厚い参考書ばかりであった。

 それが手っ取り早いと考えたのであるが……読者がある程度以上、既知であることを前提に書かれた学術書レベルのものを初学者が読み解くのは無理な相談だったのである。

 勉強をしてこなかったオレには、一歩ずつ薄くて易しい本から基礎を固めて、応用へと積み上げていくという発想そのものがなかったのだ。

 筆を執るよりは遥かに才能があったと相対化できる剣術を我流で貫き通せた分、こっちもそうできるかと思ったが……そうは問屋が卸さない。

 

 多少なりとも自分に言い訳を許して良いならば――焦っていた。

 スパイラルドラゴが迫って来るという焦燥のあまり、理解できないことにイライラし、わからないことを読み飛ばすと、前でやったことを前提にした説明が続く。

 そして、わからないことを調べることなく無意味にそのまま読み進め、結局時間だけが浪費される。

 体を動かしている時は感じたこともない、キリキリとした胃の痛みを抱えながら、文字を目で移すという眼球運動に没入していた。

 ……後から考えれば自己満足であった。そうしている間は、仲間を助けられる、世界を救える……そんな夢想に酔っていただけである。

 救うべく仲間を次々殺したくせに。

 

「ゲホッ!」 

 

 血を吐いた。紛れもなく慣れない勉強によるストレスからだろう。

 むかしエステルが、血を吐くまで勉強した皇帝の話をしていた気がしたが……そいつも単に勉強嫌いだけだったんじゃねぇの。

 分厚い本に付いた血を拭きながら、オレはそんなことを思った。

 

 敵について知らねば始まらない。ならば、古代ゲライオス文明の古文書を調べよう。

 血を拭き終わった後、別の勉強で気を紛らわせるべく、オレは書店へと向かった。

 

 ……わかんねぇ単語を逐一辞書を引けば、意味が通ると思っていた。

 だけど、まず古代ゲライオス文字の多さに愕然とすることになる。

 複雑にして多様な意味に多様な発声音を持つ文字、その一部分を崩して成立した文字、さらに方言の入り混じった文字……嫌がらせかと思った。

 辞書を引くにも、まず文字の順列を学ばなければならない。何日も何日もかけてそれを覚えきった後も、必要な古文書を探し出し(タイトルを読むだけで一苦労)、さらに求める情報まで検索するのは、本当に骨が折れた。

 古代ゲライオスの文章は、文型が現代の文字と異なり、動詞や形容詞の格変化まで多種多様と……これをスラスラ読み解けたエステルもたいがい化け物だと、認識を新たにしたものである。

 

 

 

 オレは剣だけを振るっていればよかった。難しいことは、全部仲間たちに押し付けていた。

 偉そうに、あれこれアイツらに言ってきたものだが……そんなことを言う資格すらオレには本当にあったのだろうか。

 仲間がいない。ラピードはいるが……もちろん、アイツに頼れることでもない。

 

 そもそもこんなことをやって何の意味があるのか? またスパイラルドラゴに破壊しつくされるだけではないか。

 みんなが消えて、下町からも逃げて……今のオレにいったい何が残っているというのか?

 

 拷問のような勉学のあいだ、何度自己嫌悪と無力感と闘い……時に負けたかわからない。

 実際、疲れてベッドに身を投げ出したことだって、幾度もある。

 そして、消していった仲間たちの亡霊たちの昏い眼光がオレを睨み付け、追い詰められるままに勉強を再開する……そんな日々だった。

 

 孤独ではなかった。仲間が“いた”という罪悪感が孤独以上にオレを蝕んだ。

 起きても誰もいない。世界の大地に確かに立っているはずだった仲間たちが誰もいない。

 下町の、親切な女将さんが貸してくれた宿屋の一室でもない。下町のヤツラが無遠慮にオレの部屋に入ってくることもない。……市民街の適当な一軒家。

 

 自分がどれだけの絆に支えられ、どれだけ恩恵を受けて来たのか……まざまざと思い知らされた。

 

 絆の糸が、ラピードを除いてすべて断ち切られて……自分が誰とも繋がっていない世界の点にでもなったような気分だった。

 

 誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない誰もいない

 

 ……いや、やっぱり孤独だった。

 賺(すか)して生きていたオレの心のザラついた部分が出てきた。

 誰でもいいから、一緒にいる人がいて欲しかった。ただ、いてくれるだけでもいい。

 でも、新しい絆を求めるわけにもいかない……今度はそいつを消すかもしれないから。

 それがどうしようもないほど、辛かった。

 

 

 

 ……爆音が轟く。原因は言うまでもない。

 

 結局、勉強の成果は、「スパイラルドラゴが、始祖の隷長の王にして、因果律を司る存在で、エターナルソードを鋳造した」ということだけであった。

 しかし、これを考慮すれば、時間を操るエターナルソードの働きも自ずとわかってくる。

 エターナルソードは、時間を遡って因果を変更できる。

 ここからは仮説であるが、スパイラルドラゴの呪い、ないしはあいつを乗っ取ったオーマの邪念か、とにかく邪な力がエターナルソードの稼働に乗じて、因果に余計な干渉をできるようだ。

 たぶん、使い手の伸びている因果の糸、要するに絆を断ち切り、さらに呪いの糸を代わりに結び合わせる――そんな仕組みなんだろうと思う。

 そして、オレの持っていた因果の糸をスパイラルドラゴが集約し――ヤツ自身を強化する。

 要するに、薄々感づいていたが――オレ自身が最高のピエロ役として、アイツを愉しませていたってわけだ。

 

 自分を慰謝するならば、これが仮説にすぎないということ。

 だが……たぶん、外れてねぇだろうな。

 

 精神のダメージで大打撃を追った果てに辿り着いた解答は、自分を責め苛むだけ。

 しかも、ヤツに与える有効打を模索しようとする方途は、入り口の段階で弾かれてしまった。……マジで役に立たねぇヤツだな、オレは。

 

 暗澹たる気持ちが、オレを骨の髄まで真っ黒に染め上げる。

 このまま、爆風とともに消えてもいいか、とも思った。

 

 だが――

 

 まだ、救える可能性はある。オレのミスさえなければ、何とか会えるかもしれない。

 

 もはやスパイラルドラゴを倒そうとか、そんな積極的な理由ではなく……ただ誰かに会いたいという消極的な理由で――

 

 

 

 ――オレは、エターナルソードを振りかざした。フレンが水死する8年前に向けて。 

 

 

 

 




 感想返しは、やっぱり8話が終わってからいたします。すみません。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。