みとなっとうの大逆襲   作:城元太

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 ことわざにあるように、世間に対しいつまでも報道管制が続けられるものではない。

 まず県警のぶら下がり取材を得意とする記者達が、署内の異様な慌ただしさをいぶかしんだ。普段であれば内々に事件の概要を漏らしてくれる署員達も、今回の件に関しては固く口を噤んだままである。

 H新聞水戸支社の社会部の記者、野木島雄也(33歳)は、署長の長野があれだけの声明を出しながら、一週間を経過して以降は連続家畜盗難事件に関しコメントを発表していないことに疑問を抱いた。

 現場に行けば、必ず何かを掴めるはずだと確信すると、社用車を東海村に向けていた。

 水戸市より国道6号線を北上し約40分。到着した東海村石神地区は、表面上平穏そのものだった。金網が張り巡らされた原子力関連施設を除けばどこにでもある、いや、どこにでもあった田園地帯が広々と続き、市街は原子炉行政を糧とした不釣り合いな賑わいが併存していた。

「本当にここで事件が起こったのだろうか」

 野木島は自分の記者としての勘に誤りがあったのではないかとも思えた。しかし社用車を使って来た以上、手ぶらで帰るわけにもいかない。手持ちの自社の新聞スクラップ帳を取り出し、手始めに被害に遭った畜産家達の住所を片っ端から訪ねることを開始する。

 意外なことに、捜査は全く進展していない様子であった。被害者達には被害額以上の補償金が支払われ、一様に固く口を閉ざしたのである。

 ようやく野木島が手掛かりを掴んだのは、14件目の被害者宅であった。

「うちでは関係ない話だ。なにせ犯人は捕まっていねえんだからかよ。ただ……」

「ただ?」

 口籠もった様子を、野木島は見逃さない。

「あそこの、T小学校の用務員のおやじが、急に辞めさせられたとか言ってたな。なんでもキチガイになったとかで」

 キチガイ、という言葉が野木島の直感を刺激した。取材の礼に新聞社の銘柄の入ったテレホンカード2枚を渡し、T小学校に直行する。新聞支社と連絡を取り、所持している教育公務員職員録より住所検索を頼み、菊野の自宅を探し出した。

 表札には菊野と息子夫婦との名前が併記された二世帯住宅である。応対に出た30代と覚しきの女性に新聞記者である素性を明かし、菊野への取材を申し込む。

「話をしてくれるかどうか、わかりませんよ」

 妙に余所余所しい様子の婦人に通された奥の間、菊野は踞るように座っていた。野木島の脳裏に「キチガイ」という言葉が過ぎる。

「先の小学校でのウサギが盗まれた事件に関してお聞きしたいのですが」

「またかい……。もう話す事なんてない、話したくもないよ」

 繰り返し聴取されたことがわかる。野木島は可能な限り誠意を持った態度で問いかけた。

「ご面倒でも、もう一度私にもお話しては頂けませんでしょうか」

 この時点で、野木島は菊野が決して精神疾患を患っていないことだけは確信していた。

「俺は学校に尽くしてきたつもりだった。俺は学校が好きだった。子どもたちも好きだった。先生たちも好きだった。だから毎日休まず出勤してきたんだ。

 それなのに解雇するとなったら半日だ。情けないよ、その上近所や息子夫婦にまでキチガイ扱いされて」

「犯人を見たのですね、それも信じられないような」

「警察に口止めされてるし、どうせあんたも信じちゃくれないんだろう」

 野木島は手応えを感じる。自分が真相に近付くまでもう一押しであると。

「警察権力による事件の隠蔽は許されざる行為です。是非とも真実をお知らせください。決して疑ったりしません。記者として、あなたの立場が悪くなるようなことはしないつもりです」

 菊野は虚ろな目で振り向く。

「なっとうだよ」

 

 事件を内々に処理出来るならば、それに越したことはない。県警は道路工事中による通行止めの看板を設置し、家畜盗難の中心地域にあたる場所への一般人の立ち入りを禁止した。安井によるなっとうの摂食行動分析により、なっとうの行動半径は燃料加工施設周辺の約半径2kmに収まっていることを推定する。特例措置として敷地内に立ち入り、仮説テントの中待機をしていた。山の端に日は沈み、秋の夜が更けていく。大きく膨らんだナップザックを抱え込んだ波崎がテントに入ると、無造作に置かれていた行動半径を示す地図を確認する。

「帰巣本能でしょうか」

 波崎の問いに安井は僅かに顔をしかめた。

「なっとうに帰巣本能か。信じ難いが、事実のようだ。奴らは単純な罠を見破る程の能力を有する。だからこそサンプルを手に入れ、更に詳しい行動パターンを調べたい。波崎君、液体窒素の準備をお願いします」

「少々お伺いしますが、教授は液体窒素を何にお使いされるつもりですか」

 赤いセロファンで明るさを抑えた懐中電灯が、物々しく重い靴音とともに近づいて来る。鼻をつくガソリン臭が漂う。

「長野署長、その装備は一体何ですか。それにこの臭いは」

「まずは教授からのお返事をお聞きしたい」

 傲慢不遜な物言いに、多少不愉快な思いを抱く。安井は機械的に応えた。

「目標発見の後、液体窒素でなっとうを凍結。筑波(研究学園都市)のP4(※実験室;バイオハザードを防ぐための、理研による最高レベル無菌施設)に移送し、詳細を分析する予定です」

「凍結、ですか。だが我々はその逆の装備を準備してしまいました」

 長野は彼の背後に立つ隊員の一人を呼び寄せ、手に持っていた銃器にも似た物を持ち上げる。

「県警秘蔵の火炎放射器です。このような事態に備え、購入していた装備がようやく役立てそうです」

「危険です。瞬時に全てを焼却できるとは思えません。それに高熱は奴らを活性化させるかもしれません」

 機械的な対応を続けること叶わず、安井の口調は上擦った。

「私達が相手にしようとしているのは、全く未知の物体、未知の生物です。ここに戻って来るなっとうを仮に焼却できたとして、貴重な資料を失うことになります。他にも放射線の影響を受けた物体が存在しているかもしれないのです。今はサンプルを手に入れることこそが先決です」

「危険ななっとうは早々に消滅させてしまった方がいいのです」

 説得に応じる気配はない。長野の様な人物にはありがちは態度だった。

「ボツリヌス菌の辛子レンコンや、貝毒のアオヤギの様に、安全性確認まで延々と実証実験をされたのでは、後々まで『みとなっとう』に対する悪感情がついてしまう。茨城県のイメージを損ない、県産品の出荷も滞り、産業にとって大打撃となる。だからこそ、ここで跡形もなく焼き払い、焼きなっとうにしてやりますよ」

 液体窒素の詰まったボンベを台車に積んだ波崎が安井の元に到着したが、途中からの遣り取りを聞いたのか、唇を噛み締め長野を睨む。波崎を制し、安井は警告した。

「科学者として、安全を保証できません」

「構いません。これは我々県民の意志です。

 おい、隊員は二人体制で探索部隊に随伴、トランシーバーで連絡を取りつつなっとう探索を開始しろ」

 指示を下した長野は安井に背を向ける。安井は、自分の意志を都合よく「県民」に置き換える長野の物言いに不信感を抱いた。

空には赤い月が地平を離れようとしていた。

 

「なっとうの粘液発見」

 午後十一時を回り報告が入る。あれから4時間、苦々しい気分のままで、安井は波崎を伴い現場に向かった。

 赤い懐中電灯の振られる下、地表をセラミック製のピンセットで掴み検証を行う。粘液は新しく、数十分前までそこになっとうが存在したことは確実であった。

「この一帯を焼き払え」

「無茶だ。もし飛び火でもしたら」

 安井の言葉が聞き届けられることもなく、火炎放射器の銃口が一斉に火を噴いた。一帯はセイタカアワダチソウだけが植生する原子力施設の汚染拡散に備えた緩衝地帯であり、一般への被害が広がる危険は少ない。それでも安井の不安は拭い切れない。

「発見しました」

 いた。

 草むらの中に身を潜めるように炎に赤くなっとうが浮かび上がる。

 約1㎡が底面の、高さは30㎝程のピラミット状を成し、頂点に近い部分がゆっくりと回転し、粘液の音だけが不気味に周囲に響いている。

「一粒残らず焼き尽くせ」

 数条の炎の帯がなっとう目掛けて伸びていく。たちまち火焔に包まれ、辺りには大豆の焼ける香ばしい香りが漂う。

 貴重な資料が燃えていく。落胆した安井は、呆然と炎を見つめていた。

「あっ」

 火炎放射器を構えていた隊員、高野信一(22歳)が短く叫んだ。

 気付けば触手を伸ばしたみとなっとうが、高野の顔面に貼り付いている。炭化に至らなかった内部のなっとうが雪崩を打って人の肉体に覆い被さって来た。

「放射止め、止め―!」

 長野が怒鳴り、炎の帯が切れる。メラメラとくすぶる草むらの中、人の形をしたなっとうの塊が渦を巻いてうごめいた。

 最初手足はもがいていたが、数分後には動きが止まる。厚底の作業靴が塊から盛り上がり、溶解した靴の皮が剥け、中から鬱血した足が一瞬現れるが、次にはなっとうの渦に呑まれ白骨化した。やがて骨をも喰らい尽くし、いつの間にか流れてきたベルトのバックルが、溶け残っていた靴の底に重なっていた。

 なっとうのさざめきは、静かに、しかし着実に人の肉体を取り込んでいく。

 酸化した火炎放射器の機材を残し、肉体は跡形もなく消え去っていた。長野がどれ程声を枯らして怒鳴ってみても、なっとうに近づく者はなく、塊は悠然と、闇の帳が降りた草むらに紛れていった。

「――熱で酵素が活性化され、凶暴性が増幅されたのです。やはり私が恐れていたことが――」

 安井の悲痛な呟きも、最後まで語られることはなかった。

 

 

「お前はいったい、東海村で一日何をして来たんだ」

 野木島の原稿を叩き付け、編集員が叫んだ。

「なっとうがウサギを喰った? 今日は4月1日じゃないんだぞ」

「私も嘘や冗談をまとめたわけではありません、これが真実なのです」

「お前気でも狂ったか。こんな原稿を構成に送ることなんか……」

 編集室のドアが勢いよく開き、一人の社員が飛び込んでくる。

「部長、県警が重大発表だそうです。まだ一般には極秘ですが、今夜には全マスコミを通じて発表されるそうです」

「いまそれどころじゃない、後にしろ」

「なっとうが豚を襲ったのです。その上、昨夜は警官まで喰ったそうです」

「!」

 茨城県警は安井の進言を受け入れ、正式に肉食なっとうの存在を認めた。住民に対する警戒呼びかけへと方針を転換したのだった。

「野木島の原稿をすぐに割り付けに回せ、素っ破抜きだ。やっぱりお前は目の付け所が違うな、さすがだな」

 野木島は苦笑した。

 

 翌日のH新聞の一面全面にわたって事件の概要が掲載された。

 白抜きタイトルには

『みとなっとうの逆襲』の文字が躍っていた。

 


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