みとなっとうの大逆襲   作:城元太

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 小学校の菊野の場合と異なり、二人の警官が同時に、しかも状況の一部始終を目撃していたということもあり、捜査本部では事件の本質がヒト相手でないということを認め、警備体制を根本から変更する必要に迫られた。

 マスコミに対しては、当然ながら厳重な箝口令が敷かれた。真実が報道されれば、どのようなパニックが発生するとも限らない。並行して、生物科学分野での分析も開始される。地元出身で当時関西のR大学で生物学の教鞭を執っていた安井繁樹教授(46歳)を招き、事件の顛末が語られた。最初は笑みを浮かべながら聞いていた安井も、目撃者である二人の巡査の証言が決して冗談や作り話ではないことを感じ取り、まずは現場へと足を運ぶことになった。

 安井は、粘膜が付着した土壌と金網をサンプルとして回収し、事件の発生した地点を一周した。発生現場周辺の写真を捜査本部とは別の角度で撮影し、手にしたボードの地図に次々とマークを描き入れる。

「次回は放射線検知器を準備しておいてください」

 視線の先にそびえていたのは、M社の管轄する原子炉燃料加工施設であった。

 

 肉食のなっとうの存在が確認された時点で必要となってくるのがサンプル回収である。だが神出鬼没な上、肉食である以上、迂闊に刺激するのは危険と想定される。従って古典的な方法ではあるが、囮の餌を使ってのなっとうの捕獲作戦が実施された。

 原理は一種のねずみ取り器である。一定の重さが床面に掛かると入り口が閉まり閉じ込めるという単純な装置で、なっとうが潜んでいそうな場所に十数基仕掛けられた。

 翌日、罠のほとんどは餌だけを奪われ、内部には粘液さえも付着していなかった。恐らくは先に豚を襲って窒息させたように、触手を使って餌を外部から絡め取ったに違いない。それでも一基だけ、なっとうの半粒が付着していた。

 貴重ななっとう大豆の半粒は、直ぐさま安井の研究室へと持ち込まれ、報告書作成まで三日が費やされる。それは生物学者としての安井の価値観を根本から覆したのだった。

 

「粘液の物質構成に、多量のアセチルコリンが含有されていました」

 報告書を手にした安井の言葉に、専門外である県警の聴講者達は一旦首をひねる。

「本来のなっとうならば、大豆を分解したアミノ酸のポリグルタミン酸である筈です。ですが、アセチルコリンとはシナプスの刺激伝達物質、つまり脳細胞のように互いに情報を共有する物質なのです」

 未だに事態を理解できない者達に、安井は説明を繰り返した。

「つまり、なっとうは脳細胞のように、何かを考え伝えることもできるということでしょうか?」

「そう理解して頂いて構わないと思います」

 資料の少なさによる、分析の歯切れの悪さに後ろめたさを感じつつも、安井は説明を続けた。

「専門的な用語が続くことをお許しください。

 驚くべき事には、サンプルとして回収したなっとうの半粒の中に“核”が存在していたのです。さしずめ、あのなっとう粒子一粒一粒が一個の細胞と考えられ、アメーバやゾウリムシなどの単細胞生物の捕食と同様に、直接細胞内に養分を取り込むことが可能と予想されるのです」

 より具体性を帯びてきた説明に、会場は次第にざわめきが起きていく。

「あのなっとうの粘液に含まれる酵素は両性であり、酸性・塩基性に関わらずおよそ全ての蛋白質を分解吸収できる同化作用を有しています。その酵素は気温の変化によって分泌を調節し、気候による摂取物質を変えることさえ可能とも考えられるのです」

 一人の若い警察官が、恐る恐る挙手をした。

「お話の内容全てを理解できているか不安なのですが……」

 資料に目を落とし、手にしたペンを気ぜわしく揺らす。

「するとなっとうは、気温の上がる日中は植物性の物質を摂取し、気温の下降する夜半から未明にかけては動物性の物質を摂取する、ということでしょうか。つまり雑食性のもの、と」

 無言で頷く安井の元に、助手であり研究員である波崎和夫(23歳)が資料の束を抱えて現れた。

「プロジェクター用の資料が到着しました。写真の現像に時間が掛かったため、漸く間にあいました。少々お待ち下さい」

 会議場の照明が落とされ、降ろされたスクリーンにセイタカアワダチソウと、僅かにススキの生えた光景が投影された。

「ご覧下さい。これは先日発見され、話題となったミステリー・サークルです。雑草が刈り取られ、形状は同芯円になっていますが、恐らくこれが、日中になっとうが摂取した植物の痕跡であると思われるのです。

 そしてその奥、フェンスの向こう側にM社の原子炉燃料加工施設が見えます。念のため放射線を計測したところ、通常の3倍から6倍の線量を計測し、部分的には20倍以上の放射線漏れを確認しました。

 これ以上多くを説明する必要はないでしょう。

 放射線が何らかの形で流出し、なっとうを変異させてしまったか、或いは全く別の生物を変異させ、あたかもなっとうのような姿にしてしまったのかもしれません。

 いずれにしても、今後このなっとうが人間を襲うとも限りません。これから県警はなっとう事件の真相と概要を発表し、被害者の出る前に事態に対処しなければなりません。但し、どのような対策を取るかは、まだ具体的には不明ですが」

 警告を発したものの、安井自身さえ未だ実感はなかった。

 やがて人類に対し大きな脅威が訪れることに。

 


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