みとなっとうの大逆襲   作:城元太

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⑬(最終話)

 千波湖。

『湖』とはいっても、水深も浅く沼に分類される湖沼である。水戸市街地の南側に広がり、湖畔には県民文化センターをはじめ、幾つもの娯楽施設が設置された市民の憩いの場になっている。日本三大名園の一つ、偕楽園に接するこの低湿地に向かい、強大な脅威が迫っていた。

 安井達の予測は的中していた。かんそういもはなっとうを包み込んだまま、千波湖畔に転がり込んできたのだ。転がる先に湖があるのを察知し、なっとうも猛烈な抵抗を開始する。紡錘形のチマキが酷く歪み、不規則な転回により湖畔の緑地が削られる。脱出を試み、包みの継ぎ目を狙い猛然と触手を差し込み続け、やがてなっとうはかんそういもの包囲を破り群体を放出させた。

 偶然であったか、策略であったかを確かめる術はない。包囲を破った群体の先には、謀ったかのように千波湖の水面が広がっていたのだった。

 しぶきを上げてなっとうが千波湖に飛び込んでいく。千波湖の水深では、なっとうの大群体が全て浸ったとしても、高波によって湖畔に被害が及ぶ程ではない。全体が水没するほどの水量もない。だが。

「なっとうが……溶けていく」

 波崎が呟く先、急激な勢いで溶解するなっとうの姿があった。

「原形質破壊がこれほど急激に進行するなんて」

 なっとうは水煙を上げ、湖底に沈殿していた藻類を纏い、激しい発熱反応を伴い溶解していた。

「あれは単に浸透圧によるものではない。見たまえ、粘液表面に白い固形物が付着している。千波湖の富栄養化によって湖底に蓄積された燐酸を還元した物質に違いない。

 これまでなっとうは無数の動物と石油を取り込んできた。蓄積された膨大な炭化水素によって、いわば巨大な燃料タンクと化している。沈殿した燐と接触し、水分によって破壊された細胞より流れ出た原形質が化学反応を起こし、アオコ(※千波湖で発生する藻。当時毎年夏には異臭を放っていた)を触媒として燃焼を始めたに違いない」

 晩秋の夕日が、住宅街の狭間に沈んでいく。

 薄暮を迎えた千波湖畔に、燐光を放つ巨体が蠢動する。その時、湖畔にあったかんそういもが活動を開始した。まるで炎を鎮火させるように、湖上で燃えるなっとうの群体に覆い被さったのだ。

「奴もまた、生態系が生み出した異常体だが、同時に生態系維持を担うホメオスタシスとして機能したのだろう。なっとうを葬ることこそが、かんそういもの使命だったんだ」

 燐光の中、かんそういもがなっとうの発熱反応に巻き込まれ、互いに発光しながら燃えていく。恰も、意識と思考を持つ生命の群れの最期を見届ける送り火であるかの如くに。

 湖畔に夜の帳が降りる頃、なっとうとかんそういもの姿は千波湖の湖底へと消えた。

 紅葉を迎えようとする偕楽園の梅林の狭間から、千波湖の燐光が零れる。

 引き抜かれた芸術館のシンボルタワーが墓標のように、千波湖の湖面にチタニウムの鈍い銀色の輝きを放っていた。

 

 

「あら、また売り切れ?」

「申し訳ありません。入荷分も先ほど売り切れたばかりでして」

「販売には個数制限してくれないと。また明日来るけど。宜しくお願いしますね」

 地元の小さな食品店から、40代後半と思える主婦が、不服そうな顔をしながら出て行った。

『みとなっとうの逆襲』という記事が掲載されて以来、食品としてのなっとうは一時的に姿を消した。なっとう差別と呼ばれる人権問題にまで発展した事件であったが、人々の食習慣は一朝一夕に変わることはなかった。

 一度は店頭から消え去ったなっとうだが、数日を経ずしてなっとうを買い求める消費者達が小売店に押し寄せる。彼らは口々になっとうの販売を求めたが、安全性確認の目的で返品してしまったため店側も対応できず、ただただ頭を下げるばかりであった。

 たちまちなっとうパニックが起こった。在庫を求め大量に買い溜めする者が続出し価格が高騰、プレミア価が付き、通常3パック100円程度の品が、最高値で1パック1000円を超える。なっとう生産の中心地である水戸が生産機能を停止したのが原因とされたが、実際は流通業者による価格吊り上げの謀略であったと言われる。2007年に発生したFテレビ「採掘!!あるある大辞典」によるなっとうダイエット捏造事件の「なっとうショック」を遥かに上回った狂乱価格により、水戸市の財政は大いに潤ったというのも、皮肉な現象であった。

 

「波崎君、そろそろ食事にしよう」

 安井はシャーレを置き白衣を脱いだ。

 彼らはなっとう事件の際、積極的に事態収拾のため尽力した実績により、茨城県からの強引とも言える程の勧誘によって、筑波のP4で研究業務を行っていた。

「たまには学食以外で食事をとるのもいいだろう」

「ありがとうございます」

「おいおい、まだごちそうするとは言っていないよ」

 二人は笑いながら研究棟を出た。

 

 波崎が運転する車が、郊外に向かって走り出す。

「あれ以降、なっとうとかんそういもについての報告はありましたか」

「いや、何もない。やはり二つとも、千波湖の湖底で消滅したのだろうな」

「いったい何だったのでしょう、あの生命体は」

「遂に生きたサンプルを回収することは出来なかったな。放射線漏洩に関係はあったのだろうが、結局分析はできなかったからね」

 車は3kmほど離れたファミリーレストラン“S・らーく”に到着した。

「久しぶりの外食だ。好きなものを頼みたまえ」

「では、遠慮無く」

「メニューをどうぞ」

 短めの制服のスカートをはいたウェイトレスが二人の前にメニューを置く。露出した大腿部に、波崎は思わず目を奪われるが、慌ててメニューに目をやった。

 安井は既に決めたらしく、メニューを閉じている。

(少し高価なものを頼んでも構わないんだよな)

 価格の高い順序でメニューを追っている内、波崎の目が一点に吸い寄せられた。

「先生、これは」

 安井も、波崎の指さす品を見て、露骨に眉をひそめた。

 

 そこに

『なっとう定食;水戸直産の純正大豆使用  3500円(税別 ※3%の消費税がかかります)』

 とあった。

 

「これが本当の『みとなっとうの大逆襲』だな」 

 

 二人は顔を見合わせた。

 

 




                 
                  結

 那珂湊市(現ひたちなか市)で水産加工業を営む磯崎篤志(35歳)は、水揚げされた鰯の中になぜか「たらこ」が紛れ込んでいることに気付いた。
「加工業者が間違えたのかな」
 磯崎は鰯の詰まった発泡スチロールの箱からたらこを拾い上げた。
 だが、たらこは不自然に磯崎の手を擦り抜け、グリストラップ(側溝)の中に落ちていった。
「たらこが動く……まさかね」
 磯崎はそれきり、動くたらこのことを忘れてしまった。

 再び茨城県を恐怖のドン底に陥れたこの事件の記述は、いずれ機会があれば記すこととしよう。


                      『みとなっとうの大逆襲』 終

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