みとなっとうの大逆襲   作:城元太

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 茨城県のほぼ中央に位置する県庁所在地、水戸市周辺を巻き込んで発生したあの事件より、既に四半世紀が経過した。
 JCOによる臨界事故、東日本大震災に伴う福島第二原発による放射能汚染、そして大洗の高速増殖炉「常陽」作業員の大量被曝事故などの陰に隠れ、あの事件に関する記録と記憶は、人々の間から風化しつつある。関東地方の北端に位置し、県南部と比べ首都圏との情報の齟齬が発生しやすい茨城という地域性によって、人々はまるであの事件を封印してしまったかのように。
 だからこそ、敢えてここに記す。
 水戸市を中心にして発生した、あの事件。あの惨劇の顛末を。





 日本の食材で、外国人、特に欧米系の人々にとってなかなか馴染めない物はある。

 例えば干物の生臭さ、蛸の不気味さなどが挙げられる。

 各国の食文化について、他国から指摘される所以はないが、その中でも特に嫌われがちな食品に「なっとう」がある。「つとなっとう」「ひきわりなっとう」「いとひきなっとう」などの種類があるが、独特な臭いと粘り気が、好き嫌いを分ける大きな要因になっていることは否めまい。

 しかし関東圏、特に茨城県内での支持者は圧倒的であり、三度の食事になっとうを手放せない県民も多々いるはずである。

 なっとうの発祥地について充分な調査が及ぶところではないが、恐らく古代に大豆を保管した際、それを包んでいた藁に付着していた細菌によって大豆が発酵し、結果として保存食としてのなっとうが出来上がったのであろう。

 日本国内でなっとうの主要生産地といえば、大部分が「みと」と答えるのではないだろうか。

 水戸でのなっとうの起源は意外に新しい。明治期1890年に常磐線の開通を見込んだ笹沼清左衛門という人物が東北よりなっとう職人を招き大量生産し、水戸の名産品と称して駅のホームや駅前で売り出したのが最初という浅い歴史しかない。

「みとなっとう」は、近年外国産の大豆を使用するようになったと言われるが、依然として「なっとう」は「みと」と連想されるであろう。県内の観光施設には土産物コーナーに必ずなっとうの包みがぶら下がり、それを買い込み故郷への帰途につく者も多い。紛れもなく、水戸はなっとうの中心地なのである。

 

 1991年秋。茨城の山間部に、直径5m余りの青い傘が無数に花開いていた。

 クリスト・アンブレラ・プロジェクト。

 県北部の日立市、常陸太田市、里見村(現常陸太田市に合併)にまたがって合計1340本の巨大な傘を開かせるという現代アート企画である。日米同時開催のイベントで、同時期にカリフォルニア州の渓谷に1760本の黄色い傘が設置されるという大規模プロジェクトであった。

 水田、渓流を問わず、無数に開いた青い傘は、自然豊かな茨城県北部の中に出現した非日常であった。同企画は数週間という限られた開催期間ということもあり、全国各地から多数の観光客を呼び寄せる。当時開通間もない常磐高速道を利用すると、開催地に向かうには一旦水戸を経由し日立市~常陸太田市を抜ける国道345号線を北上することになる。そして観光客の一部には、クリスト・アンブレラ展を利用し帰郷する茨城県出身者も多く存在した。

 国道6号線、通称水戸街道より僅かに北の地点、厳重なフェンスが延々と続く人気のない場所に、白いセダンタイプの乗用車が停まっていた。

 夫婦らしき若い男女が激しく言い争っている。女性は車内から穢れた物のように藁苞(わらづと)をつまみ、露骨に顔をしかめていた。

 手にしていたのはなっとうであった。

 現在は食品に関する技術革新によりなっとうの臭いは緩和され、関西圏でもなっとうの消費量は伸び続けている。だが当時、まだアンモニア臭は強く、個人差によって受け入れがたい悪臭と取られる場合もあった。

 夫婦の状況はどうやら、クリスト・アンブレラ展を観光したあと、土産物として購入したなっとうの臭いに閉口した妻が、夫にそれを捨てることを迫っていたようであった。

 男性は、水戸の特産品であるみとなっとうを廃棄するのに躊躇していたが、激しく抗議する女性の剣幕に圧されつつあった。

 会話の詳細はわからないが、どうやら「なっとうと私とどっちを選ぶの」という趣旨の発言であったらしい。セダンのドアを開け、一人でフェンス沿いを歩き出した女性に、やむなく男性は車内のみとなっとうをフェンスの基部にある側溝に置き去った。

 誰にも食される事のないみとなっとうの藁苞は、セイタカアワダチソウのなびくフェンスで区切られた広大な敷地の前に寂しく残された。

 フェンスの奥に、幾何学的で無機質な白い建造物の群れが連なる。

 みとなっとうが置き去られたのは、那珂町(現 那珂市)と東海村にまたがる原子力施設立地帯、後に臨界事故を引き起こす、某原子力燃料加工工場の敷地裏側であったのだ。

 

 一週間後に異常が現れた。

 隣接する陸田で農業を営んでいる田辺十郎(当時66歳;敬称略 以降、年齢は特に断りの無い限り当時のものとする)は、みとなっとうの藁苞から、なっとうがこぼれ出しているのを目にした。不思議なことに、藁は黒ずんで汚れているのに、なっとうは瑞々しく糸をひいて側溝に流れ出ているのである。包みを持ち上げると、なっとうは中身ごとまとまってポトンと落ちた。

「もったいねえな、まだ喰えたろうに」

 田辺はひとり呟いた。

 数時間の農作業を行い、昼過ぎにもとの場所に戻ってきた時、首をかしげた。包みの真下に落ちたなっとうが無くなっている。烏か野良犬かが食べたかと思っていると、2m程離れた側溝に、先程のなっとうが落ちていた。

「変だな。なっとうが動いたか……そんな馬鹿な」

 午後の農作業に掛かり、数時間を経過した後確認すると、なっとうは包のある場所から更に1m程離れていた。

 田辺は気にも留めず「このなっとうは動くんだな」と思っただけだった。

 作業を終え、帰りぎわに再度確認したとき息を呑んだ。包みからなっとうのある場所まで、明らかにそれが移動したためにできたと思われる、カタツムリの粘液にも似た跡が側溝に残されていたのである。

 なっとうの先端部にバッタがとまっていたのだが、よく見るととまっているのではなく、粘液によって捕らえられているかのようであった。やがてバッタの周囲からなっとうが包み込むように伸びあがり、アメーバの捕食行動の如く呑み込んだ。一部始終を見ていた田辺は背筋に冷たい感覚が奔り、なっとうを放置し一目散に家路へついた。

 翌日、家人と共に確認に訪れた時には、なっとうの姿は消えていた。

 

 動くなっとうが発見されたからと言って、話題になるはずもない。第一発見者である田辺が、マスコミその他に一切連絡をしなかったからだ。

 常識で考えれば在り得ない事実であり、例え事実であったとして、狂人扱いされるのを恐れたからでもある。

 しかし、これが大事件の序章になろうとは、神ならぬ彼にとっては予想もつかなかった。

 


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