共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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時系列シャッフル的な。


赤坂

 赤坂の後輩に興宮まで送ってもらった大石と赤坂は、予約した旅館の部屋で、四半世紀越しに訪れた雛見沢村について議論していたが、長きに渡り自衛隊によって封鎖されていたこともあって、当然何かの証拠が残されていることもなかったためか、口調にも勢いが見られない。二人の表情には若干の失望も見られたが、たとえ何も見つからなくとも、あの村に行けば、何かが変わるという確証なき予感が、空振りに終わったからと見えなくもない。

 会話は怪死事件と大災害の疑問点をつぶさにあげつらう大石と、それに質問を投げかける赤坂の、何度繰り返したかわからない不毛なやりとりに終始していた。するうち、大石の分の酒が尽きて、それと同時に彼の口も閉ざされた。これを見計らって赤坂は、彼らが敢えて避けていただろう話題を口にする。

 

「大石さん、竜宮礼奈の話、どう思います?」

「うーむ、彼女が知っていることで、真新しい情報はないようですなぁ、古手梨花のことを除いて、ですが」

「古手梨花が、滅ぶ世界と口にしたこと……彼女は大災害を予期していたのか……?」

「しかしそうなると、あなたへの予言で大災害のことを伝えなかった理屈が通らない」

「そうですね……」

 

 梨花はかつて、村を訪れた赤坂に救いを求めて、これから起きる惨劇を予言してみせた。しかし、その予言の中に、大災害は含まれていなかったのである。このことから、古手梨花は大災害を知らなかったのではないか、という推測が成り立つ。だがこれも、赤坂が初めて予言のことを大石に語った日の結論と、たいした逕庭はないように思われた。

 

 赤坂も大石も、しばらく互いに沈黙が続いた。酒ばかりで食事がおざなりになっていたが、今は二人とも無言で箸を進めている。やがて大石はぽつりとこぼすように、

 

「……赤坂さん、雛見沢連続怪死事件のこと、雛見沢大災害のこと。あとはあなたに託したいと思います」

「大石さん、何を」

「私はもう永くない……医者に言われずとも分かってます。それに、最近頭が働かない。認知症だそうで。いやはや……」

「大石さん……」

 

 大石が検査入院の予定を先延ばしにしたのは聞いていたが、そこまで身体が悪いようには見えなかったから、赤坂は驚きを感じた。

 

「私はね、赤坂さん、あなたからあんな話を聞かなければ、もう雛見沢に関わらずに生きてこうと思っていたんですよ。なんといってもあんな大災害では捜査のしようがない。君子危うきに近寄らずが、本来の私のモットーでしてね、ええ。おやっさんのことは確かに悔しいですが、世の中どうにもならんこともある、そう思って無理にでもやり過ごそうと思ってたんです」

 

 大石の口から、弱音ともとれる言葉が溢れる。現役時代を知る同僚らが聞けば、その変容に戸惑いを覚えることだろう。

 

「それが、あなたの熱意……古手梨花に救いを求められたのに、それを見過ごしてしまったことへの悔恨……その若い、大きな感情に揺さぶられて、私ももう一度、事件の真相を暴いてやろうと思ったんです。いわばあなたが端緒なんですよ」

「私が……」

「赤坂さん、私は、あの事件を捜査するのに、何のバイアスもない、あなたのような外の人間がふさわしいと思っています。現に私はずっと園崎家を疑っていましたが……どうにもこうにも。竜宮礼奈の話を信用するかぎりは、少なくとも園崎魅音は何の関係もないんでしょうなぁ」

「……」

「刑事を辞めてから20年余りになります。私自身の県警への影響力はすでに無いに等しい。昔みたいな無茶も、もうできないんですよ。対して赤坂さんは警視庁公安部の警視正であらせられる。あなたがお一人で調べられた方が効率はいいでしょう」

「大石さんは、それで納得するんですか?諦めてしまえるんですか?」

「諦めるために、雛見沢に来たんです。長期封鎖が解除されて、ようやく訪れることができたあの村でも、何も手がかりを得ることができないのならば、それまでだろうと」

「……」

「事実、たいしたものは得られなかった。竜宮礼奈の証言も、状況を好転させるものにはならなかった」

 

 捜査は完全に行き詰まっていた。共著した本にも、藁にもすがる思いで情報提供を呼びかけたが、有力なものは届いてこない。もはやこの状況を「捜査」と呼んでいいのかさえ、わからなくなっていた。狭霧広がる霊峰で遭難して、方角を示すものはあいにく持ち合わせていない。帰り道は、自らの勘に頼る他にない。加えてこの霧は、時間の経過とともにいよいよ濃さを増していく。今はかろうじておぼろげにでも見えている何物かも、そのうち見ることができなくなるだろう。そういう状況であった。

 雛見沢大災害は、時の魔力に染められて、「事件」から、「歴史」になりつつあった。事件は刑事の領分だが、歴史は歴史家の領分である。今はまだあやふやなこの境目が、やがて明確になったときこそ、雛見沢大災害が真に迷宮入りする日であろう。

 

 それでも、諦めていいわけではない。ここで諦めたら、今までの捜査はなんだったのか。ただ死して安らかに眠っている村を、捜査の名目で再び好奇の視線に曝してしまっただけではないのか。

 赤坂はもう一度大石を見る。大石は、俯き加減に食事を続けながら、まだ喋り続けている。

 小さくなったなと、赤坂は思った。在りし日のこの男は、こんなに小さくはなかった。恰幅のいい体格と、経験に裏打ちされた絶対の自信、絶対の存在感。いまや老いた大石のなかから、かつてあったそれらは、すっかり消えてなくなってしまっていた。

 そんな大石を見る赤坂の目には、寂寥と、ほんの小さな恐れが同居していた。赤坂は、自分の将来を、眼交にやどる老人に、無意識のうちに重ねていたのかもしれなかった。

 しばらく考えているうち、まだ続いていた大石の話に相槌を打っていなかったことに気づいたが、大石は赤坂の挙措に目をやっていないようだった。誰に話をしているのでもないのかもしれなかった。赤坂は再び耳を傾けはじめた。

 

「今の私でも影響力を持っていると言えるのは、この鹿骨の市議会議員さんくらいなもんです」

「議員?失礼ですがどんな関わりが?」

「彼は昔の後輩なんですよ。ああ、そういえば竜宮礼奈の事件の際も、一緒にいたなぁ」

「その議員さんにお話を聞くことは?」

「どうかなぁ、多忙でしょうし。ちょいと連絡してみましょうか」

 

 

 

 

 

 一般に地方議員といえば、自治体に様々な影響力を有する、いわゆる権力者である。とは言え、しょせん人口2万ぽっちの片田舎では、最も権力らしきものがある存在にすぎない。仕事のイロハを叩き込まれた、厳しくも憧れた元上司から、久々に会って話をしたいと言われたら、断れないようであった。

 

「大石さん、ご無沙汰です」

 

 赤坂は、大石に平身低頭する議員を見て、大石の歴史を垣間見た気がした。

 

「金田くん、久々ですなぁ〜。紹介しますよ、彼が東京は警視庁公安部からはるばるお越しくださった、赤坂さんです」

「赤坂です、お見知り置きを」

「これはどうも、市議会議員なんてやらせていただいている、金田と申します。大石さんは、私が警察官だったころの大先輩でして」

「私も、大石さんとは組ませていただきましたよ、大変でしたでしょう、彼の勘と経験に基づく捜査は、なかなか逸脱していますから」

「わかります、一見して合理的には見えないのに、気がついたら正しい道を選んでいる、そんな感じでしたから、ついていくのに必死でしたよ。それにしても警視庁の方と組むなんて、大石さん何やったんですか?」

「まあまあ、積もる話は一杯やりながらで!ってお二人さん、随分相性良さそうですね〜」

 

 

「それにしても、お二人は雛見沢に行かれたんですね」

「ええ、つい先日封鎖が解かれたので、都合のいい日を合わせて、名古屋で落ち合ってここまで来たんですよ」

「私は北海道で悠々自適な隠居生活ですが、赤坂さんはそうもいかない」

「私は、先日大きな仕事を終えまして、溜まっていた有給消化も兼ねて来ています。半端に地位が上がると、実戦から離れる寂しさもありますが、こういう時だけは便利です」

「私も刑事としての下積み時代が懐かしいです。いや都会の議員はそれこそ山のように仕事があるんでしょうが……」

 

 かつては武闘派で鳴らした赤坂の鋼の肉体も、年を重ね、細胞の死とともに衰えが見えはじめていた。管理職となり、直接前戦に赴かなくなってから久しく、それは赤坂に安全を保証したが、その代償として、常に心のどこかがズキズキと疼くようになっていた。梨花を救えなかった嘆き、怒りを仕事にぶつけることができなくなり、裡に秘める虚無は広がりを見せていた。大石だけではなく、人は皆老いてゆく。赤坂は、この金田と名乗った中年の議員も、自分と同じだけの虚無が巣食っているのだろうかと思った。

 しばらくして本題に入った。

 

 

「竜宮礼奈……例の少女Aですか」

「ええ。私は、彼女が起こした事件の際に居合わせていませんでしたから。籠城事件での彼女のこと、何か気づいたことがあったらと。もう随分昔のことで、無茶を言っているのは承知しているんですが」

「確かに印象深い事件でしたが、数日後にもっと衝撃的出来事がありましたから。これは言わずもがなですが」

「……」

「竜宮礼奈を連行して、パトカーで彼女の隣に座りましたが、彼女はとても落ち着いていまして。とてもあんな事件を起こす子に見えなかったんですよ」

「……落ち着いていたんですか。大石さんの話だと、随分派手にやった印象だったんですが。すぐに落ち着けるものなんでしょうか」

「まぁ……私も籠城事件の細部まではもう覚えていないんですがね、赤坂さん。ただ、彼女はどこまでも冷徹に、周到に狂っていた。そんな印象です」

「矛盾していますね」

「ええ、矛盾していました」

 竜宮礼奈の犯行は、大石から見ても極めて計画的なものだった。中学生の少女が考えを振り絞って、時限式タイマーだのを持ち出したのと同じ口で、村人は宇宙人に支配されているなどという妄想を、大真面目に語っていたのだ。ただ狂っている、と断じるだけでは足りないような、そんな名状しがたい雰囲気を、少女は醸し出していた。

 幸い事件は軽症者数名を出すのみにとどまったが、前原圭一があの場にいなかったらと思うと、大石はぞっとしたものだ。もっとも、せっかく助けられた彼らは皆、数日後には還らぬ人となるわけだが……

 

「……それにしても、彼女は今も無事生きていたんですね。大災害で村人が全滅してしまって、彼女のあの友人たちも皆亡くなってしまったんでしょうが。なんとなく、彼女も彼らに殉じて……という雰囲気がありました」

「それは、どういう?」

「いえ、赤坂さん。つまり、それだけ彼女とその友人たちは、何か深い縁で結ばれているような、そんな気がしたんですよ。赤の他人の目から見てもね」

 

(深い縁か……)

 

 竜宮礼奈が、古手梨花とも親しかったことは、大石から聞いて赤坂も知るところだ。そういえば、梨花の予言も友人に言及していたなと赤坂は思い起こした。

 

「大好きな友人たちに囲まれて、楽しく日々を過ごしたい……それだけなの。それ以上の何も望んでいないの」

「梨花ちゃん……」

「死にたくない……」

 

 大好きな友人たち。竜宮礼奈も、梨花の言う友人たちに当てはまるのだろう。

 

(梨花ちゃんは、竜宮礼奈の妄想を、どんな顔をして聞いていたのだろうか? 私に予言を伝えたときに見せた、何かに耐えるような、あの氷のように無機質な表情だろうか。それとも、初めて会ったときのような、あの天使のように無垢な表情だろうか?)

 

 

 

 

「ふう……」

 

 大石と金田はすでに酔い潰れて眠ってしまった。あまり酒を飲む気になれなかった赤坂だけが起きていて、二人が風邪を引かぬようにと毛布をかけてやった。

 あの日もこんな感じだったなと、赤坂は思った。梨花の発したSOSに、手遅れになってから気づいたあの日。赤坂は、あれほどの熱量を持っていたのに。待ち望んでいた封鎖解除で、雛見沢村に足を踏み入れてたにもかかわらず、今は当時ほどの心のざわめきはない。

 どうしてだろうか、と赤坂は自問する。

 今も昔も、この事件を解決したい気持ちは変わらない。それなのになぜ……

 

(いや……わかっているじゃないか)

 

 赤坂は疲れたのだ。日々の激務の寸暇を縫って、妻の死、怪死事件、大災害を調べ続けても、いっこうに解決の緒をつかめない。そんな状況が5年、10年、20年と続き、精も根も尽き果ててしまった。

 いや、もっと言えば飽きたのだ。大石とは違い、赤坂にはまだ残りの人生が待っている。結局何の成果も残せぬだろう仕事に、打ち込み続けることはできない。

 それでも、そんな自分を誰が責めることができようか。自分は精一杯やったのだ!

 梨花の予言をさして重視せず、大石らに伝えることもせずに、妻の死という悲しみに酔い続けて、少女が差し伸ばした救いの手に、まったく気付かずに終末を迎えた。その罪滅ぼしを、今日までしてきたのだ!

 

(……醜いな)

 

 かつての自分はこうではなかったのに。

 考えが悪い方に向かって行く。するとそれを拭おうと、つい都合のいい空想をしてしまう。あの予言を思い出して、事件から、大災害から梨花を救いに行く。そんな都合のいい展開。

 

(馬鹿げている)

 

 自分も少し酔いすぎているのかもしれないなと、赤坂は思った。

 

 


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