共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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誰か文才くれ……


訣別

 俗にゴミ屋敷とよばれる家の住人が、なんらかの特異な精神疾患を抱えているという研究がなされるようになったのは、つい最近のことだ。

 今日ではホールディング障害またはディオゲネス症候群などと命名されたそれは、患者の従来の性格、家庭状況その他多くの要素により発症するが、特に幼少期から青年期に受けた心的外傷が大きな要因の一つだという。

 まだ新しい研究分野であり、様々に議論も続くが、日本国内のみならず、ゴミ屋敷は世界的に問題となっており、WHOなどの国際機関もこの病を認定するかの対象としているようだ。

 ニュースなどでよく報道されている、敷地外にまでゴミが侵食したような異常なケースにばかり目がいくものの、大量生産・大量消費の、物質にあふれた世界を生きるわれわれ現代人は、多かれ少なかれ皆何かのコレクターになりうる。本来の用途を超えて、必要以上に蒐集する行為は、度が過ぎれば、この障害の罹患者とみなすことも可能である。

 

 海外のとある報告によると、この病の疾患率は、軽度のものも含めれば、2%から5%程度であるという。こうした調査結果が示すように、決して珍しいものではない。

 一見して見た目には清潔で、何らの問題も無さそうな人物であっても、物を捨てられず、部屋の中がゴミで埋まっているという人は近年増えている。皮相的に「正常な」人間が、しばしば異常さを孕んでいることは、説明するまでもなく自明だろう。

 ここに二つの事例をとりあげる。

 

 ……ある幼い少女が、家族と行ったレストランで貰ったお子様ランチの旗を、全て揃えたらいいことがあるかもしれないと、箪笥の抽斗の中に入れて集めた。

 

 ……ある少女は、母親の不倫を機に、母親に対するそれまでの愛情や羨望、同一化したいという願望を、激しい憎悪に転換し、その面影を残すものを手当たり次第に破壊し(この少女の場合は、自分自身をもその対象としたようで、しばしば自傷行為を行なった)、自分と同じように打ち捨てられ、汚れた粗大ゴミを部屋に持ち込むといういわば代償行為を、「宝探し」と称して行った。

 

 前者は正常で可愛らしく、後者は常軌を逸したように思えるだろうが、これらの心の動きは同一ないし非常に近しいものとみなすこともできる。集めるという行為そのものに目的を付与し、それに価値を見出しているからである。

 

 治療法は確立されていない。大抵の場合複数の精神疾患を併発しており、また前述したように、患者が従来から何か大きな心の病、トラウマを抱えていることが多く、その根を除かない限りは、行為は繰り返されるからだ。

 重度の患者により蒐集されたものによって、衛生面、安全面上の問題があると判断されうる場合、公共の利益を害するとみられる場合、行政が不要な蒐集物を廃棄することで一時的な解決にはなるものの、個人の財産権は憲法でも保証された権利であり、ゴミと財産の明確な線引きは困難である。

 だが、医師や周囲の人々の助力を得つつ、患者が自ら心的外傷を克服することによって、根本解決になりうる。あらゆる心の病は畢竟、患者側が自らの意志をもって克服するしかないのかもしれない。

 

 

 

 

 

「礼奈、いったいどうしたんだ!?」

「あ、お父さんお帰りなさい。ちょっとお掃除しただけだよ」

 

 家に帰った父親の驚いた声に、普段通りの声音で返事をしたレナ。彼が驚いたのは無理もない。竜宮家から、昨日まであった「宝物」がすっかりなくなっていたからに他ならない。

 

「掃除って、だってお前……宝物だって言い張って、俺が捨てろって言っても、一向聞かなかったじゃないか」

「うーん、それはそうなんだけども。もう今の私には必要なくなったものだから」

「いや、捨ててくれるのはありがたいんだが」

「……今まで迷惑だったよね。ごめんなさい」

「いや、礼奈も色々あったからな、仕方ないさ」

 

 レナが「宝物」を捨てたのは、かつての竜宮レナとの、弱さとの訣別である。父はあれほど熱を上げていた間宮リナと訣別し、新たな一歩を踏み出そうとしている。今日もこうして、職を探してきている。ならば、今度はレナの番だった。

 それは期末試験の直前になって慌てて勉強を始める学生が、散らかった机の上を整理しだすのに似ている。本来ならば勉強に充てねばならぬその時間を、整理整頓に使うことは決して意義のないことではない。

 物を整理することで、心を整理する。部屋を掃除することで、心を掃除する。ゴミを処分したことで、レナは自分の魂も、なんだか浄化された気がした。それなのに、一抹の寂しさが心に去来するのはなぜだろうか。

 ……喪失の寂寞は、成長への寂寞である。即ちこの日、レナは一歩成長したのであった。

 

「今日は俺からも報告がある」

「え?」

「次の職を見つけてきた」

「え、もう見つけたの?」

「早い方がいいだろう。いや本当に運が良かったんだ」

 

 父はあの翌日から鹿骨市にある職業安定所に通いつめていたが、まさかこれ程すぐに見つかるとは、レナは露とも思っていなかった。

 母の補佐をしていたという父のデザイナーとしての腕前は、実のところレナには与り知らぬものだったが、彼の地道な貢献を評価してくれていた顧客がいたらしく、そこから方々に伝わっていったようだ。彼を望む会社があったらしい。

 もはや無駄になったと思っていたことが、巡り巡って有益になることもある。まさに人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し。

 未来への期待を膨らませ、子供のように目を輝かせる父を見ると、レナにはその姿が眩しくて、とても尊いものに映った。

 

 

 

 

 

「ねえ梨花ちゃん、そろそろみんなに話そうか」

「……大丈夫かしら?」

「やっぱり、躊躇する?」

「……」

 

 梨花とてこれまで、ただ手をこまねいてきたわけではない。数多の世界で、部活メンバーはもとより、周囲の大人の中でも信頼できる者に、雛見沢で起きる惨劇を伝えたこともあった。だがいずれも一笑に付されるか、冗談を言っているように見られて真剣に取り合ってはもらえないのが常だった。

 今度の世界。前回圭一が示した奇跡、今回レナという理解者を得た幸運、それらによって築かれた梨花の自信が、もし皆に話して信用されなかったらと思うと、容易に瓦解してしまいそうで怖かった。もしそうなったなら、自分はこの先彼らを仲間と、はっきりと胸を張って呼べるのだろうか。

 

 レナという存在を得たことが、梨花の仲間たちへの執着を、無自覚にも多少なり薄れさせてしまっているのは皮肉である。自分の総てを明け透けにして、心の奥底までを裸にできた、羽入以来の人物。互いを理会し、共鳴し合えた、何にも変え難い喜び。

 今回のレナは、特別なのかもしれないことは、梨花にはよくわかっていた。次のレナが未来の記憶を維持する保証など、どこにもない。だからどうしても、今の状態を長引かせようとしてしまう。前に進むことで、失われてゆく何物かを、果たして直視することができるだろうか。

 

 梨花にとっての最も恐れることは、この百年の業苦の旅路に、何らかの意味を探していたはずなのに、その実、歩みゆく道の果てにあるのは、徒なるものに過ぎないと確信してしまうことだ。

 もっともその瞬間の訪れを、梨花は決して知覚しえないのだが。なぜならそれは、梨花の精神の死と同義だろうから。

 永劫回帰に対して倦怠し、いっそ死を望みつつあるはずの少女は、それと同じくらい精神の死を恐れていた。肉体の死と精神の死が乖離する少女にとって、この二つの死の意味は、一方は既知で、一方は全くの未知である。未知に対する底知れぬ恐怖。人間にとって生の月日の長さと、死への恐怖は比例するものなのかもしれない。

 

「梨花ちゃん、怖いんだよね。みんなに信用してもらえないんじゃないかって」

「レナは、怖くないの?」

「……怖いよ」

「え?」

「怖くてしかたがないよ。でも、それと同じくらい、みんななら信じてくれるって期待があるの」

 

 いかなる期待も、不安と同居していないものは、期待とは呼びえない。期待は、不分明な未来に対する、底知れぬ不安と恐怖によって練磨されてゆく。初めから知りうる箱の中身に、一喜一憂する酔狂な者が果たして存在し得ようか?

 

「じゃあこうしよ?まず、祭りの日に富竹さんと鷹野さんを何者かが殺そうとしてるってことを言う。それだけならまだみんな信じてくれるかもしれないよ」

「……」

「二人で言おっか、一人なら不安でも、二人ならきっと大丈夫」

 

 それは何の根拠もない、およそ楽天的な、ありきたりの言葉だったのに、梨花の揺れる心に不思議と染み入って、不安は幾分和らいだ。梨花は一つ溜息をついて、

 

「私は百年を生きてきたっていうのに、だめね、あなたに諭されてばっかり」

「梨花ちゃんは百年を生きてきたわけじゃないよ、言ってみれば、百年間ずっと子供でいたんだよ。わたしにとってみたら梨花ちゃんはまだまだ子供だよ」

「……そうかもね。今回のレナは、随分年寄りくさいこと言うものね」

「年寄りはなくない?わたしはまだ……」

「三十余裕に超えてたら、私達子供からしたらもう年寄りよ」

「……」

「子供扱いするからよ」

 

 ……梨花ちゃんには敵わないなぁ、とレナはひとりごちた。

 

 

 

 

 チャイムが鳴り響き、授業が終わる。日常が終わる。

 レナが小さく目配せをして、梨花がそれに応えた。クラスメイトたちの喧騒も、二人には聞こえていなかった。

 魅音が部活を始める音頭をとる前に、機先を制してレナが口を開いた。

 

「みんな、ちょっと聞いて欲しい話があるんだけど」

 


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