共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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短めの挿話です。
作者は天翔記よりも創造が好きです。


天翔

 まだ夜気はひんやりとしていて、冷たい風は容赦なく彼女の頬を吹きつける。寒々とした心には、このくらいの風がちょうどいい。せっかく氷のように固く閉ざしたその心を、たやすく溶かしてはしまわぬように……

 今日はとくに月が綺麗な夜だ。こんな夜だから、少しもの思いに耽ってしまう。もう戻れぬ日々。それは、亡き祖父との穏やかな時間か、それとも、こんな自分を支えてくれた、いつも朗らかで、かけらの邪念のない、あの実直な彼とのたわいもない逢瀬なのか。

 

(いや、そもそも……)

 

 両親が事故で亡くなる前の、世界の裏側など何も知らずに、洋々と広がり続くこの海の果てまでも、辿り着けると信じていたあの頃。デパートのレストランで手に入れた、お子様ランチの旗を一つ一つ眺めては、世界を旅する、無邪気な夢想をしていられた、幼き日々。自分が本当に戻りたいのは、陽の光を浴びても平気でいられた、田無美代子なのかもしれなかった。

 強大な力を得たのと引き換えに、自分のなかのどこかがおかしくなって、歯車は噛み合わなくなってしまった。何かを得るためには、何かを失ってゆく。小さな両手でつかんだものが大きければ大きいほど、指のあいだからこぼれ落ちていくものも多くなる。大事なものは、いつも失ってから気づくものだという。彼女にとっての故小泉翁もまた、そのひとつだった。

 

(小泉のおじいちゃん……)

 

 ずっと、心のどこかで蟠りがあった。どれだけ支援してもらっても、彼に心を開くことはなかった。祖父と昵懇の仲で、祖父の偉大な研究を皆に認めさせると言ったのに、蓋を開けてみたら、だれもがあの論文を愚弄し、祖父を嘲弄し、縋る自分を罵倒して、打擲して、薄ら笑いを浮かべて去っていった。

 そんな嵐の後。失意の祖父に対する慰めは、彼の最後の矜持を砕き、少女は初めて祖父から叱責を受けた。それは、祖父と少女だけの世界が、崩壊した瞬間だった。期待を持たせられた分、それが裏切られた時の失意は大きくて、小泉を恨んだものだ。

 けれども、小泉は高野の生前に、力になってやれなかったことを終生悔やみ、三四に対しては徹頭徹尾味方になってくれた。

 いつも会うたびに、開口一番、詫びを入れる小泉。三四はいつしか、それを当たり前のものとして受けとめてきたが、祖父の死後、天涯孤独になった彼女にとって、彼との日々は、存外に心地よいものだった。

 そんな彼の死は、またしても三四に孤独を強いた。雛見沢症候群の研究が着々と進み、いつか偉大な祖父の名を残すという、その矢先のことだった。

 突如、東京での入江機関の旗色は悪くなり、一時は研究の即時停止を要求されたほどであった。入江の説得もあり、かろうじて平和的、人道的研究に限って3年の猶予が与えられたが、三四にとって何らの気休めにもならなかった。3年経ったら、この研究は完全に抹消され、人々の記憶に残ることもなく、一切が闇に沈む。三四は祖父を神にするつもりが、祖父の存在を消し去ってしまった。祖父を、本当の意味で殺したのは、他ならぬ自分なのだ!

 

 深い悔恨。苦悩。絶望。生きる意味をも失った三四の前に、悪魔が手を差しのべた。悪魔の甘言は心地よくて、聞いてはならぬのに、三四は気づけば先を促してしまっていた。それを見た、あの悪魔の笑み! 自分が利用されるだけだと知りながらも、一縷の望みにかけてその魔手をとった三四を見下したときのあの哄笑! あの蔑視!

 ……何を聞いたのかも分からなくなって、覚束ぬ足取りで雛見沢まで戻った彼女は、まるで一匹の雛鳥のよう。決して孵化せぬままに、やがて郭公によって、巣から叩き落とされてしまうだろう。それでも、後戻りはできない。後戻りなど、できはしない!

 その日から、地に墜ちた雛は再び大空を目指した。我こそは、誇り高き鳥類の王者! 鷹は決して下を向かず、ただ上を向くのみ。祖父の届かなかった遥かな高みに、祖父を連れてゆく。この天翔を妨げるものは、たとい神であろうと、この爪の餌食となろう。オヤシロ様などという、祟ることもできぬ無力な神は死ぬ。祟りは、他ならぬ自分が起こすのだ。自分こそが神になる!

 

 

 

 

 

 思考が戻ってくる。

 滾る血潮が戻ってゆく。

 首元に手をあてて、いつもの冷静さを取り戻していく。

 少々、長居しすぎたようだ。冷え切った肌が青ずんでいる。漆黒の外套を纏い、闇と同化したように見える彼女に向かって、迷彩服を着た一人の男性が声をかける。

 

「鷹野三佐、こちらにおられましたか」

「あら、ごめんなさいね。ちょっと夜風にあたりたくてね?」

「はあ……」

「それより、何か?」

「はっ。Rがここ最近、頻繁に外出しているようで。同居している北条沙都子を伴わずに、夕方から夜にかけて、旧ダム工事現場跡地を訪れているようです」

「あらあら。するとそれはどういうことかしら?」

「はっ。何者かと密通している可能性があります。念のためにご報告致しました」

「人目を忍んでそんな場所でねえ。大石さんとかかしら?古手梨花は、何かに感づいたのかしら」

「いえ、そのようなことはないはずですが……」

「まあいいわ。監視を続けなさい。この土壇場で、あの廃棄されたゴミに躓いて頭打って死にました、じゃあ意味がないもの」

「かしこまいりました」

 

 古手梨花は、両親とは異なり、一貫して機関には協力的だった。だから、外部の人間ではもっとも事情に精通しているうちの一人だろう。そんな彼女が、定期的に誰かと密会している可能性があるという。杞憂ではあろうが……

 今は終末作戦執行のための、最後の詰めの段階だ。何か一つのイレギュラーも許されない。山狗の連中も、いくらプロといっても人間である限り、やはり過敏になっているのだろう。三四はそう考えてその場を後にしたが、心の片隅に、何か引っかかるものを感じたのだった……

 月は、太陽と対になる存在。夜の世界の支配者。日が沈み、闇に染まったこの世界を、妖しく照らし続ける。

 夜はまだ、続いていく。

 




【悲報】たかのん、富竹への言及はたったの三行のみ。

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