共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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お魎に萌えるだけの話。




 魅音に請じ入れられて、園崎家の敷地に入る。彼女の親友たるレナは当然、この家には何度も足を運んだものだ。とはいえ、これだけ広大な敷地だから、門まで辿り着くのにもひと苦労。魅ぃちゃんはいつも、登下校でこの道を歩いて疲れないのだろうか、などと場違いな思考で、レナは自分の緊張を直視せぬようにと努めた。

 ようやく部屋に辿り着くと、魅音はお茶を入れて来ると言ってその場をあとにしたため、レナはひとり残された。湿気と暑さで汗がへばりついた服に、扇風機から流れる生ぬるい風を受けて、ぼんやりと涼んでいるレナの姿をみとめた一人の老婆が、しわがれた声で語りかけてきた。

 

「おぉおぉ、レナちゃん、来とったんかい。ゆっくりして行きん」

「あ、おばあちゃん」

 

 園崎お魎。この雛見沢村で、誰もが畏れ、こうべを垂れる存在。歳をとってもなお、その眼光は鋭く、見るものを縮み上がらせる。だがレナは、この老婆が本当はとても優しい人だと知っていた。常に村の行く末を案じ、毎年起こる連続怪死事件に胸を痛めている。ましてや、自分の発言ひとつで、「気を利かせた」「憂慮した」何者かによって事件が起きていると思っている彼女だ。誰よりも、この村の現状に心を痛めているにちがいない。

 村に住む子どもたちは、たいてい興宮の小学校に通学している。これは、雛見沢分校が正式な教育機関として認可されておらず、行政側としてはあくまでもなんらかのやむを得ぬ事情をもつ児童に限って登校を認めている、という建前があるためである。そして一旦この村から出て、不便なこの村にわざわざ戻ろうとする者はごく少数で(雛見沢症候群による帰巣本能は、過度なストレスなどの内的要因のない限りは、今日ではさしたる影響を与えないようだ)、将来的には村の高齢化は拍車がかかることだろう。だから、分校に通う子どもたちを、この老婆は格別に愛情を持って接しているつもりなのだ。無論、それが分かるのは家族か、はたまたレナのような、勘の鋭い者くらいだろうが……

 

「ほらほら、婆っちゃははやく出てった出てった」

「なんじゃ魅音。わしの分の茶はないのか」

「ないない。お茶代もただじゃないんだよ」

 

 お茶を運んできた魅音に締め出されるお魎。そのようすを見つめていたレナは目を細めて、

 

「やっぱり仲がいいんだね」

「うーん、まぁそうかもね。婆っちゃがどう思ってるかは知らないけどさ」

「おばあちゃんは絶対、魅ぃちゃんのこと大切に思っているよ」

「あんたってときどき、恥ずかしいこと臆面なく言ってのけるね……それに、婆っちゃのことをおばあちゃんなんて呼び方できるのは、雛見沢狭しといえどもレナくらいのもんだよ」

「広し、でしょ?レナにとってみたら雛見沢はじゅうぶん広いよ。というか、お婆ちゃん優しい人だもの。レナにはわかるよ」

「それ聞いたら婆っちゃは喜ぶね〜」

 

 素直になれぬ祖母の性格は、魅音にも無事受け継がれているようである。しばらく世間話を続けてから、レナは本題に入った。魅音の表情が徐々に厳しいものに変わっていくのが分かった。

 

「レナのお父さんがねー……」

「そうなの。貯金も湯水のように引き出していって、その女の人に貢いでいるみたいで。でも、あの人……母と離婚してから男手一つでレナを育ててくれたお父さんに対して、これまで強く言えなくて……昨日ようやくそのことをお話したんだけども」

 

 そう、結局レナは父を説得することはかなわなかった。父はリナに隷属していて、その眼には、彼女の行為ひとつひとつが総て好意的に写るのだ。曇ったその両目は、レナがみずからの再婚を受け容れられぬから、駄々をこねているように写ったわけだ。レナも、この時点では容易に説得しきれるとは思わなかったが、実の娘の言葉より、赤の他人である女の言葉を優先されたようで、多少の不快をもって父に接してしまった。途中から説得というより論戦になったのは、自省すべきなのだろう。人間はときに、理性よりも感情が上回る。それは、鷹野のスクラップ帳に惑わされたレナにとって、痛いほどわかることだったから。それがたとえ、雛見沢症候群によって疑心暗鬼に陥っていたのだとしても。

 

「なるほどねえ〜……うーん、とりあえず本家の方でも話を通してみるよ。その間宮って女が美人局をしているなら、ほかにも悪事の証拠があってもおかしくないからね」

「ありがと、魅ぃちゃん……」

「ちょっ……レナ……なにも泣かなくても……」

「え?」

 

 魅音の不意をうった言葉に、レナは反射的に目尻に指をあてて、自分の目から、涙が零れているのを確かめた。レナの視界はぼやけて、眼前の魅音の顔がゆがんでみえた。涙。涙だ!

 もはや泣き疲れて、渇ききったはずの瞳から零れる涙。それが一滴、一滴と零れ落ちるたびに、屋上での圭一のことばをひとつひとつと思い出していき、いったん意識してしまうと、あとはとめどなく零れ落ちた。

 突然嗚咽を漏らし始めたレナの背中を、優しく撫でながらも、魅音はレナの涙に見入っていた。零れ落ちた少女の涙は、まるで濾過された純水のように、完全に純粋で、どこまでも透き通っていた。その空知らぬ雨が七つの海に降り注いだならば、この世の総ての不幸を溶解して、あまねく生命を照らしゆくのだろう。この世でもっとも純粋なもの、産まれたばかりの嬰児が、たゆたい、守られてきた母の海から顔を出して、初めて世界の色を知ったときに流すあの涙のように、透明で、それでいて見る者の心の芯にまで染み込んでゆくような、純真無垢な涙。

 魅音はレナの涙を眺めつつも、彼女にそんな感情を抱かせたレナの父親を恨んだ。だが、魅音は気づけない。レナの涙は、魅音の言葉にあったから。相談することができたから。こんなに簡単に、協力してくれたから。仲間に相談するという、誰でも思いつくとても簡単なこと。みずからの矮小さをみとめ、他者に協力を求めること。たったそれだけで、灰色だった世界は色づき、たがいの色を讃えあう。世界じゅうの人たちが、みんな自分の弱さを曝け出して、誰かに相談することを厭わなければ、みずからの矜持をも抛つことができれば、大地に染み込んだ血の量は、いまより少なくなりえたのだろうか?

 

「ごめんね魅ぃちゃん。突然泣き出しちゃって。レナって、思ったよりも子供だったみたい」

「レナは子供だよ、おじさんに比べたらね」

「魅ぃちゃんがおじさんなら、レナはおばさんだよ」

「はいはい。でも最終的には、レナの家庭のことだからね。レナが解決するんだよ。私が手伝うのはほんのちょっとだけ。あとはレナにかかってる」

「わかってる。ありがと」

「じゃ、また明日学校でね」

「うん!またね!」

 

 レナの口調からは、もういつもの快活さが戻っているように見えた。本当にレナは、自分に話しただけで、気持ちが楽になったのだろう。そう思うと、やはり親友冥利につきる。魅音はレナから全幅の信頼を寄せられていることに高揚し、必ずレナの力になると誓った。肝心なところで能動的に動けぬ魅音。仲間からの救いの声に、手をさしのべてあげることができなかった。そんな少女もまた、数多の世界で日々成長しているようだ。

 さて、レナが帰ったのち、魅音はお魎に顛末を話したところ、お魎はおまえに任せる、と言ったきり口を噤んだ。相談されたのは魅音なのだから、魅音がやりなさい、といったところだろうか。つまり魅音が親友のために、園崎家を動かしても、お魎は黙認するということ。魅音は無言で頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

「お父さん」

「なんだ礼奈?」

「昨日のお話なんだけど」

「……」

 

 魅音に相談してから2日後の夜。レナは食卓の沈黙を破って口を開くが、リナの勤務する風俗店、「ブルーマーメイド」での彼女との逢瀬で、せっかく機嫌が戻ったのに、また蒸し返されるのが癪に障るのか、彼はとりあわずに自室へ戻ろうとする。

 別に彼とて、レナを嫌っているわけではなく、むしろ大事な一人娘なのだ。相応に愛している。あの女について行かずに、娘に自慢できることなど何ひとつないこの駄目な父親を、レナは変わらず慕ってくれる。離婚の傷心を癒せたのは、間違いなくレナのおかげだった。だが同時に、間宮リナも自分を求めてくれた。娘からの家族としての無条件の愛に比べて、赤の他人であるリナが自分を見いだしたことは、彼の男としてのちっぽけな矜持を再生し、レナに対しておざなりの対応をしてしまう。レナにはそんな父の複雑な心境がわかっていた。

 

「昨日はごめんなさい」

「……」

「あれじゃあ、私がただリナさんを罵倒しただけに聞こえるよね」

「……」

「だから今回は、証拠を示そうと思って」

「証拠?」

「うん、証拠」

 

 間宮リナが、北条鉄平という無頼とともに、興宮方面で狼藉をはたらいている証拠など、園崎家にとってみれば容易に見つけられた。また、調査の過程でリナが園崎家への上納金に手を出そうと目論んでいたことも詳らかになった。もっとも、その杜撰な計画は、竜宮家という打ち出の小槌を見つけてから中止になったようだが。

 園崎家としても、このような俗物にいつまでも大きな顔をさせていられないのだろうし、この2人と同じように、虎の威を借る狐たちへの見せしめもあるのだろう。驚くほど早く悪事の証拠をかき集めてくれた。友人の危機をも家の利になるように仕向ける魅音の当主としての器量は、やはり卓抜していると言えたが、レナとしては、魅音の無償の好意にただ感謝するばかりである。

 

「お父さんだってほんとはおかしいってわかってたんじゃない?そんなに都合よく女の人がよってくるはずないって。でも見ないふりをしてたんだよね?」

「それは……」

「リナさんが出入りし始めたとき、違和感はあったはずなのに、私もそれを見ないようにしてたんだ。娘の私がお父さんにどこか遠慮してたから。あのとき、浮気相手の男を知ってるって言ったときのお父さんの泣きそうな表情、ずっと憶えてたから。お父さんに幸せになってほしいって思ってたから」

「礼奈……」

「でも、やっぱりわたしたち、家族なんだよ。2人しかいない、家族なんだ。お互いにもっと話し合えば分かり合えるんだよ」

「そうだな……お父さんは、離婚してから、お前に全然お父さんらしいこと、してこなかったもんな」

「わたしは、そんなことちっともつらくないよ。お父さんが前向きになってくれれば、それだけでいいの。だから……」

「だから?」

「通帳と、印鑑は没収ね」

「ええ!?」

「働かなくても、慰謝料もらってお金はあるから、堕落しちゃうんだよ。わたしはそういうの、よくないと思う」

「真面目に働いて、もう一回ゼロからやりなおすの。それで、お父さんを本当に好いてくれる人を見つける。これが当面の竜宮家の課題です」

「うーん、やりにくくなっちゃったなぁ。誰に似たんだ?」

「お母さん、かな?」

「……」

「いつか、許せる時がくるかもしれないね。わたしも、お父さんも」

「……そうだな」

 

 いつか母を許せる日。

 齢を重ねたレナには、母の気持ちも少しはわかるようになった気がする。人は誰かに、寄りかからずにはいられない。人間社会は、そうして形作られているのだ。母もまた、他人には見えないところで、絶え間ないプレッシャーと格闘していたのだろう。父ひとりに寄りかかったならば、たやすく共倒れてしまうような、大きな圧力と。小さい頃はあれほど強く見えた母は、じつは脆くて弱い、ひとりの人間だった。母だけではない。父もレナも、みんな小さくて弱い。母もいつか、その罪を滅ぼす日がくるのだろう。

 

 

 

 

 

 

「ありがと、魅ぃちゃんのおかげだよ」

「そんなことないって。最終的には、レナの説得が通ったんだよ。で、これからどうすんの?」

「今はレナが通帳と印鑑と管理してて、あと銀行の口座も変えたよ。お父さんの就職がうまくいくまで、当分このままのつもり」

「ははっ、話を聞くともうそれは、どっちが親でどっちが子かわかんないねぇ!」

「ほんとだよ、だいたい家に居ても家事を手伝ってくれるわけでもないんだよ?それなのに味には注文つけてくるから」

「レナの料理が美味しい理由がわかった気がするよ」

「あはは。それでね、お父さんったら……」

 

 レナからの報告を聞いて、魅音は一つ安堵の息をもらす。彼女は普段より饒舌で、随分と長電話となってしまったが、十分な収穫と言えるだろう。

 

「魅音!もう電話は終わったのか?」

「うん。婆っちゃ、レナの件、無事解決したみたいよ」

「そうかい、レナちゃんもほんによかったなぁ」

「そのレナから、おばあちゃんにもありがとうって伝えて、ってさ」

「わしはなんもしとらん」

「そう?婆っちゃがそういうならそれでいいけどさ」

 

 魅音は何気なくお魎に目をやると、しわくちゃの目元が、濡れそぼっているように見えた。そして、その両の瞳が、蛍光灯の明かりを反射して光っているのが見えた。視線に気づいたか、表情ひとつ変えずに老婆は欠伸をひとつして誤魔化してみせたが、魅音が口元に笑みをたたえたため、不機嫌そうな顔つきに変わった。これがいわゆる鬼の目にも涙というやつだろうか。そんなお魎から目を逸らして視線を上げると、窓にうつった夜の月は、薄雲に隠れてなんだか縹渺としていた。今日はずいぶん珍しいものが見られたから、明日は雨でも降るのだろう。

 

 

 

 

 

 

「そう……間宮リナの件は無事解決したのね」

「うん。梨花ちゃんのおかげでもあるよ、ありがと」

「……圭一は親類の葬式に行かなかったし、例の人形を渡す日は、もう過ぎているから、残るは、綿流し」

「富竹さんと鷹野さん……」

「レナによれば山狗に殺されるわけだけど……どうする?二人に予め警告する?」

「でもそれだと、私達の正気を疑った二人によって、山狗に情報がもたらされたらアウトだよ。いかに信用してもらうか、だね」

 

 ……この時点で、まだレナは鷹野を疑いえない。東京の関係者だと知っても、富竹と同様に彼女が祟りの犠牲者であるという方に意識が向いてしまうから。そして梨花にとっても、幾多の世界で観測した鷹野は、民俗学的な趣味があるだけの研究者にしか見えなかった。もっともそれは鷹野にとって、完全な擬態ではなく、彼女という人物を構成するある一面なのだが。

 鷹野はやがて知るだろう。窮鼠がときに、猫をも噛むように、2人の少女は、地べたを這いながらも、そのちいさな牙を鋭利に研いでいる。その牙が天翔る鷹に届くかは、まだ分からなかった。




うーんこの父親

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