共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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交叉

 先ほどまでとはうって変わって、平静を取り戻した「少女A」の、無数の引っ掻き傷がみとめられるか細く、仄白い両腕を、二人の警察官がやや荒々しくつかんでも、彼女が抵抗の姿勢を見せなかったから、彼らはようやく張りつめていた心身が弛緩して、つかんでいた力をわずかに撓めた。すると、つい数分前まで校舎を占拠し、爆弾を仕掛けた凶悪犯とは思えないほどしおらしくなった少女に、憐憫の情を覚えているのを二人は自覚した。こう見ると、まだ14歳という年齢相応の、幼さの残る顔立ちである。この少女が何を思ってこんな過ちを犯したのかは彼らには知る由もないが、少女のこれからを思うと暗澹たる気分になった。少女のもとに、同級生たちが駆け寄ってくる。

 

「レナ!」

 

 心配そうに、少女の名を呼びかけたのは、今しがた屋上で満月を背に、少女と干戈を交わした前原圭一だった。少年の顔を一瞥したレナの瞳に、わずかな揺らめきが認められたが、すぐにその目は夕凪いだ水面のようにおだやかになった。続けて、園崎魅音、北条沙都子ら、レナと仲がよかったクラスメイトがレナの名を呼ぶ。同じくいつも一緒にいた古手梨花は、輪から離れてひとり滂沱と涙を流している。その涙は、悲喜こもごもで、纏綿としていて、およそ余人のあずかり知らぬ想いがこめられているように見える。

 刹那のあいだ、仲間の一人一人と瞳を交わしたレナは、なにも言わずに背を向けると、そのままパトカーに乗り込んだ。何も語らなくても、心は繋がっている。レナにも、仲間たちにもそんな確信があった。だから不思議と別れは悲しくなくて、レナはいつか自らの罪を滅ぼしたときこそ、またその輪に入ろうと思った。

 パトカーの固いシートに坐り、少女はみずからの脆い決意が鈍らないうちに、目をとじて、綾なき暗闇にその身をまかせる。エンジンをふかした音がつんざき、勢いよくパトカーが発進した。幾らか空いた車窓の外からは風が強くふきつけてきたが、全き闇の中、走行音にまぎれてさっきまで鳴いていたひぐらしの声はもう聞こえなくなった。でも遠くから、仲間たちの呼ぶ声が聞こえた気がして、わずかに口元がゆるんだ。

 

 

 

 

 

 興宮警察署で拘留されたレナは、一夜あけると岐阜市の警察病院に護送され、圭一との格闘での負傷や、自傷行為の治療を受け、その翌日に精神鑑定を受けた。事件のいきさつを包み隠さず話すと、医師の目にわずかなとまどいと、あわれみ、そして畏れが浮かんでいたのを、レナは不思議におもった。茨城県に住んでいたときも、暴行事件をおこして精神科医の診断を受けたことがある。彼らの患者に向けるまなざしは、実験動物にたいするそれのようで、なんらの感情も読み取れないのを、経験則から知っていたから、医師の瞳に浮かんだたゆとうている色に、レナは戸惑った。

 しばらく話したあと、待合室に戻ってふと辺りを見回すと、本棚の横に全国紙から地方新聞が無造作に置いてあった。その一面に、見覚えのある字が踊っていた。

 

「雛見沢村」

 

 自分の事件の報道だろうか。未成年の学校占拠と爆破未遂はさぞインパクトのある事件だろう。そう思って手にとった新聞を開くが、信じがたい内容が書かれていて、レナの脳は思考を停止した。

 

「え……」

 

 声にならない悲鳴が口から零れて、レナの意識は反転した。

 

 

 

 

 

 授業の終わりを告げる鐘が鳴り、レナの意識は覚醒した。汗で額にへばりついた髪にやや不快感をおぼえて、それをかきわけると、茫洋としていた思考が徐々に戻ってくる。

 

(またあの時の夢か……)

 

 雛見沢が消えた日。レナは村から離れていたから自分だけは助かった。その自責の念にずっと苦しめられてきた。あの時の夢は、今でもたまに見る。

 

「どうしたんだ、レナ。授業中に寝てるなんて珍しいぞ」

「なんだかうなされていたみたいでしたわ」

「何か心配事?おじさんでよければ相談に乗るよ〜?」

 

 仲間たちが次々と心配そうに声をかけてくる。大災害後、雛見沢村の生存者だったレナにも心無い差別があり、また前科はつかずとも、青春時代を閉ざされた病室で過ごしたレナは、退院後も孤独だった。そんな経歴が、レナの顔に暗い影を落とし、ますます周囲と打ち解けることができなかった。だから、彼らの何らのおもねりも感じさせぬ誠実な友情が、ささくれたレナの心に染み入った。レナはわざと明るく繕って、

 

「はうー!なんでもないよー」

「心配してくれる梨花ちゃんも沙都子ちゃんも可愛いよー!お持ち帰りー!」

 

 などと言ったから、みんな安心したようすを見せた。

 

「レナはいつも元気だなぁ」

「そこがレナさんのいいところですわ」

「でもレナ、なんかあったらすぐに言ってね」

「おう、なんたって俺たち、仲間だろ!」

 

 この赤心を大事にしようと、レナは思った。この仲間たちを死なせてはならぬ。来る大災害まで、残された時間はあとわずか。いずれ皆に胸襟を開く時が来るだろう。

 そのとき、梨花と目が合った。冴え冴えとした双眸を、じっとレナに向けつづけている。しばらく視線を交わしたあと、レナは決意を込めた表情で梨花に呼びかけた。

 

「梨花ちゃん、放課後ちょっとだけ時間あるかな?かな?」

「……ありますのですよ、にぱー」

 

 

 

 

 

 

 梨花を呼び出した先は校舎裏。ここなら人けは少なく、落ち着いて話せると思ったからである。レナは何度か口を開こうとしては噤んでいる。そのようすを、梨花は一種超然として黙して見つめている。視線に耐えられなくなって、やがておずおずと、梨花ちゃん、とレナは呼びかけた。

 

「みー?なんですか?」

 

 梨花の返事が、平生のそれとまったく変わらない、あどけない口調だったから、レナは幾分気持ちを落ち着けることができた。

 

「じつはね、梨花ちゃんに聞きたいことがあったの。その……聞きづらいことだけれど」

 

 一呼吸置いてから、まくしたてるように、

 

「単刀直入に。綿流しのお祭りの日に毎年人が亡くなったり、いなくなっちゃったりするでしょ?梨花ちゃんはそのことについて、何か知ってることはないのかな?かな?」

「もちろん、梨花ちゃんのご両親も亡くなってるし、安直な質問だとは思う。でも、古手家の当主として、オヤシロさまの巫女として、知ってることがあるんじゃないかって思ったの。例えば……今年の綿流しのお祭り。誰か危ない人とかいないかな?」

 

 梨花はしばらくきょとんとしていたが、やがて考えこむ表情になった。どこからどう話そうか、論理を整理しているのだ。

 

「富竹と、鷹野。この2人だと思いますです」

「……!」

 

 それがあまりにも突然だったから、レナは咄嗟に言葉がでなかった。

 

「どうして、そう思うの、かな」

「もう決まっていることなのです」

「決まっていること……」

 

 富竹と鷹野が死ぬことは既定路線だと言うことか。ではなぜ梨花がそれを知っているのか。

 

「梨花ちゃんはどうしてそれを知ってるのかな」

「逆にレナに聞きます。レナは二人の名前を挙げられて驚いているようだけれど。その驚きはなぜそれを知っているのか、という類いのものにみえました。レナはなぜ、二人が死ぬと思っているのですか?」

 

 梨花の瞳は、かすかに揺れている。この問いにたいして、レナは誠実に応じようと思った。

 

「うん。思ってたよ。というより知っているの。信じてもらえないかもしれないけれど、私は過去に戻ってきてしまったみたいなの。だからこれから起こること、ある程度分かると思うんだ」

 

 レナは、こんなに突飛なことを、臆面もなく言ってのけた解放感と充足感で満たされた。だが、およそ現実感のないレナの科白を、梨花はこれ以上ないほど真剣に聞いているように見える。梨花の瞳がレナの瞳と交錯する。ついで小さな瞳はせいいっぱいに見開かれ、汗がしとどに流れ落ちる。その様は、梨花の驚きの深さを証するようだった。梨花はごくりと唾を飲み込むと、か細い喉を震わせながら、

 

「レナも……なのですか……?こんなこと、ありえないはずなのに……」

 

 と呟いた。

 

 

 

 

 

 梨花の告白は、レナをたいそう驚かせたが、それと同時に、自分と同じような境遇の人物が他にもいるという事実に、ひそやかな安寧を得られた。梨花もまた、この百年来いちどもなかった出会いに、前の世界の圭一の奇跡と同じ運命を感じた。この世界に混じり込んだ異物は、もうひとつの異物と邂逅し、交叉し、世界の色に塗りつぶされないようにとたがいに深く連帯した。ふたりが抱えていた孤独感はいまや完全に霧散し、固い結束が交わされた。

 もっともふたりの事件にたいする方針は、たがいの持つ情報の差異によって錯綜した。梨花が雛見沢大災害を知らなかったことは、レナにとって予想外だったが、考えてみれば、人生を繰り返す梨花は、自分の死んだ後雛見沢がどうなるかは知る由もなかったのである。自分になにかあれば大変なことになる、女王感染者だという自覚はあっても、まさか自らの死を契機に村人が全滅するというのは、想像の埒外であった。

 いっぽうのレナも、雛見沢村の奥深くに棲みついた禽獣の、その歯軋りと唸りを、その鋭利な牙と眼光を、いまや明瞭に知覚することができた。梨花の情報を整理すれば、この山狗、陸自の特殊部隊こそが黒幕と考えてまず間違いなかった。

 

「本当なのですか?本当に山狗たちが事件を?」

「梨花ちゃんは、山狗が自分を守っていると思っているようだけど、それは大きな思い違い。それは警護でもあるけど、同時に監視なんだよ」

「富竹さん、鷹野さん、そして入江先生までもがその連中と関係あったなんて……三人の死は、十中八九その連中となにかあったんだよ。それは派閥争いなのかもしれないし、蜥蜴の尻尾切りなのかもしれない、それはわからないけど」

「この辺鄙な村で、あんな大それたことをできる力をもった存在は、それこそ国、軍隊ぐらいなものだよ」

 

 あくまでも山狗を擁護しようと試みる梨花にたいし、冷静に、一つ一つ客観的な事実を提示してゆく。梨花はやがて反駁を諦め、会話の主導をレナがとることになった。

 

「山狗が関係しているかもしれないのはわかりました。でも、なぜ彼らがボクを殺める必要があるのですか。ボクが死ねば、たいへんなことになるって、彼らだって知ってるはずなのに……」

「梨花ちゃんを……殺す……ことが、あの雛見沢大災害を人為的におこす、そのためのトリガーだったとしたら……」

「つまりね、梨花ちゃんが死んだら、村人がみんなおかしくなっちゃうから、それを防ぐって名目で村ごと……」

「そんな……そんなことをして、誰に何の得が!?」

「村一つを丸ごと消滅させるなんて、実際にやったら、どんな理由があれ、その責任をとる人がでてくる……そういうことなんじゃないかな?」

 

 レナの冴え渡る推量に、梨花は二の句が継げなかった。これまで自分を傷つけるはずがないと思っていた根拠が、根底から揺らいだのだ。古手梨花という導火線に、悪意をもって火をつける者の存在を、梨花は認識できてしまった。

 

「山狗が黒幕だとしたら、何度運命に抗っても成就しなかったのも当然なのです。でも、彼らはとても強大な存在。警察にも関係者はいると思うので、頼ることはできないのです」

「ならば、わたしたちでなんとかする、しかないね」

「でもっ……」

「梨花ちゃん、梨花ちゃんにとっては例え死んだとしても次の雛見沢がまだあるかもしれない。でも、他の人は違うんだよ。わたしだって、死んだら終わりだと思う」

「……」

「梨花ちゃんは知らず知らずのうちに、自分の生命だけじゃなくて、雛見沢村に住むみんなの生命を軽んじてしまってるような気がする。厳しいようだけれどね」

「わたしね、大災害のあと、何が一番辛かったっていうと、その記憶を誰とも共有できなかったことなの。わたしだけが運良く生き残って、他の村人はみんな亡くなってしまった。地震とか、災害で多くの人が亡くなると普通、生き残った人たちの中でその記憶は生き続けるじゃない?そして被災者たちの姿を通して、日本中がその災害を忘れないように前を向いていく。だけどあの大災害は、わたしだけだったんだ。だから驚くほど風化は早かったよ。日本に住む、一億のうちの、たった二千人、それもほとんど外部と隔離された村人が死んでも、ほとんどの日本人には何の関係もないことなの」

「もしかしたら大災害は防げないかもしれないよ。たとえそうでも、一人でも多くの人に生き残ってほしい。そして、この村のことを覚えていて欲しい。だから、わたしは一人でも、山狗と戦うよ」

 

 梨花は今まで、自分が最もこの雛見沢村で苦しんでいる存在だと、どこか特別な存在だと驕っていたのかもしれない、と自らを戒めざるをえなかった。レナは、あれから25年の永き月日、たった一人、孤独に打ち震えていたのだ。いやレナだけでなく、大災害で死んでいった村人一人一人にそれぞれの人生があり、展望があり、無念があった。その当たり前な事実を強く噛みしめる。

 

「レナの言う通りだと思います」

「ボクは、いつからか少しでも上手くいかない世界だったら、そこで諦めてしまっていました。次の雛見沢でまた頑張ればいいと、皆を見捨ててしまっていたのかもしれません」

「梨花ちゃん……」

「ボクも再び、この運命に抗います」

「レナ、ありがとう。貴女のおかげで、自分のやるべきことがわかりました」

「わたしこそ梨花ちゃんに感謝してるよ。わたしが今まで、蛆虫とか、祟りだと捉えていたものに、雛見沢症候群っていう明確な解答をくれた。ああ、あの時のわたしの、ぐちゃぐちゃだったものに、はっきりとした輪郭を与えてくれた。だから、梨花ちゃんの話を信じられる、信じたいのかもしれないね」

 

 レナは梨花に、そっと手を差し出す。梨花がその果敢ない掌に触れる。レナは梨花の頼りなく小さな掌に触れる。ふたりは互いの存在を確かめるように強く握って、しばらくその手を離さなかった。




文章書くの難しい……

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