共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」

 サン=テグジュペリ「人間の土地」




番外
冬の陽


 日曜日はいつも、朝早くから雛見沢村で唯一の診療所へ出掛けるのが習慣になっていた。都会と違って人間同士の距離は甚だ近く、情報はすぐに村中に広まるため、園崎詩音の診療所通いは皆が知っていたが、村を牛耳る園崎家で微妙な立場にある少女に面と向かって問い質す者はいない。園崎本家はかつては伝統に則って詩音を敬遠していたが、前原圭一が新しい風を村に持ち込んだことで、そうした前時代的な考え方は一掃された。以前なら、詩音が日の出るうちから大手を振って村を歩くことなど、考えられぬことだった。

 

 その日はたいそう雪が降る朝で、窓の外を見やると、朝の凍てつく風が枯木を吹き飛ばすかのように強くて、余計に寒さを感じさせた。テレビのスイッチを入れる。画面の向こうに映る東京の晴れ渡った青空がうらめしい。向こうは今週は気圧も安定していて、晴れの日がしばらく続くらしい。冬場はほぼ白一色に染まるこの地方からすれば同じ日本ではなく、どこか外国のように感じられる。彼らのほんの微かな雪が降るだけで、爆弾テロでも起きたかのように騒ぎ立てる様は、見ていて滑稽だった。

 

 ーー雪は、あまり好きじゃない。

 

 詩音は太陽に焦がれた。近づく物総てを焼き尽くすエネルギーを内包しているのに、遥か遠くにいるとかえって生命力を与えてくれる。朝の太陽の光は眩しくてあたたかく包み込んでくれる。陰という陰を無量の光が塗り潰していく。日陰を歩いて生きてきた少女がずっと手に入れたかったものはそれだった。

 雪の降る日、太陽は雲間に覆われてその姿を見せてくれない。かわりに空から注ぐ無数の白は、地に落ちるとやがて溶けて色を失ってしまう。それはあまりに冷たくて、心まで凍らせてしまいそうだった。

 

 積雪には慣れているから、少しくらいなら単車で村まで走ろうと思ったが、思ったより視界は悪い。この様子では危険そうだったためお付きの葛西に車を出して貰った。彼は詩音に従順で、幼い時分から勝手知ったる仲だからかついつい頼りがちだ。

 

「葛西、すみません。せっかくの日曜日に私に付き合ってもらっちゃって」

「その御言葉は先週も聞きましたよ」

「あれー、そういうこと言います?葛西も私と一緒で嬉しいでしょ?」

「もちろん、詩音さんの運転手を勤めることは光栄なことです」

「固いなぁー。葛西は固い!」

 

 けらけらと、少女が無邪気にからかう相手は園崎組きっての武闘派。そんな彼も詩音を前にしては表情を緩める。だが、バックミラー越しに見える少女の表情がいまいち冴えないのを、葛西の眼光は見落とさない。

 

「北条悟史君は、最近どうです?」

「……まぁー。お変わりないです。悟史君は穏やかに、すやすや眠ってます。……その顔が本当に可愛くて!いつまでも見ていられます」

「……そうですか」

「おっ、葛西。嫉妬ですか?可愛いところありますね〜」

 

 葛西はそれには答えない。詩音、入江、赤坂とともに、彼も診療所を強襲し、富竹を奪還することに成功したが、その際に固くベッドに括り付けられた少年を見ていた。園崎本家には忠実だが、心情的に詩音寄りな彼はその姿にひどく胸が締め付けられるのを感じた。詩音には普通の恋愛をすることにさえ、障害が多すぎたから。

 それでも、自制して彼の帰りを一途に待ち続ける詩音を葛西は立派に思う。彼からの伝言を実直に守り、甲斐甲斐しく北条沙都子の面倒を見ている。悟史への愛情を、沙都子に仮託している向きはあるが、少なくとも自分の愛情を歪めて、沙都子に憎悪を向けないのはひとえに彼女の心の強さ故である。詩音の強さが、いつの日か悟史を闇の底から救い上げることはほとんど確実に思われた。

 

「あーもう、葛西ってば、からかい甲斐がなさすぎです。そんなんだから母さんに振られちゃうんですー」

 

 ……痛いところをついてくる。いつ知ったのかはわからないが、詩音は葛西の泣き所を正しく知悉している。詩音は頬を膨らませて黙り込むと、目を閉じてすぐに寝入った。人前では心労は見せないが、彼女の鬱積は相当のものだろう。葛西は眠り姫を起こさぬように、スピードを落とそうとアクセルを少し緩めた。車は雪の積もる畦道に、清冽な轍を刻みつけながら前進を続けていった……

 

 

 

 

 

 

「それでは、私は本家の方に寄って行きますから、帰る頃になったらそちらに連絡して下さい」

「はいはーい、母さんと仲良くね」

 

 今日は茜がお魎の元に遊びに来ているらしい。眠る前に有耶無耶になっていた葛西への弄りを続けるが、彼はまたしても無言を貫き、黒塗りの車へ乗り込むと、早々に走り去っていった。葛西の車が完全に見えなくなるまで見送ってから、詩音は診療所に入った。

 

 日曜日は休診日のため、診療所には人けがない。たまに学校帰り、平日に訪れるとスタッフたちも詩音の姿を覚えていて、一瞥するなり入江を呼びに行ってくれる。事情をあずかり知らぬ彼らは詩音の目的を微妙に誤解しているようだが、入江に対する感謝の念も強いため、特に訂正していない。悟史の入院を知る者はスタッフの中でも極一部のため、詩音の診療所通いを理由づけるのにはむしろ都合がよかった。だが今日は診療所に居るのは入江だけだから、詩音も擬態は必要なかった。

 

「詩音さん、お待たせしました」

「はろろーん、監督。私に会えなくて寂しくなかったです?」

「そうですね、1週間あなたの元気な姿を見られないと、やはり彼も寂しいのでしょう。詩音さんが来てくれることでこちらも助かります」

 

 2人はそれ以上社交儀礼を交わさず、特に何を話すでもなく歩き進めた。休診日のためか所内はほとんど消灯していて、午前中だが太陽が見えない天気のため夜のように薄暗い。そうして一般患者が訪れない奥の方まで進んでいくと、傍目にはそれと判別し難いところに階段が続いているのが分かる。その階段を降りていき、1分ほど歩くと、巨大で無骨な鉄扉の前に辿り着いた。

 

 入江は扉の横に設置された機械に慣れた手つきで数字を打ち込み、指先をかざした。いわゆる指紋認証というやつで、この時代にしては最新鋭の設備だった。パスワードと併せて2つとも正常に識別されたことで、地下区画への秘密の入口は開かれる。中はセキュリティルームのようで、壁一面にテレビ画面のようなものがいくつも設置されていた。監視カメラの画像だった。

 

 ……これらはいずれもかつての山狗が利用していた施設だった。山狗の権限は剥奪され、入江機関自体もアルファベットプロジェクトから新しい幹部たちに移管されたが、彼らも研究を即時中止はさせることができなかった。これは、東京にうまく掛け合ってくれた富竹の尽力が大きいだろう。富竹は鷹野と山狗の不明瞭な資金の流れを不審に思い、その調査を行なったことで、自身も一時山狗に拘束されたが脱走に成功、番犬部隊を雛見沢村に派遣させて一連の事件を解決してみせたいわば立役者だった。彼は調書で、入江が如何に研究者として人道的かつ熱心で、のみならず診療所の所長として村から信頼を寄せられているかを語り、入江が以後も安心して研究を続けられるよう最大限に便宜を図ってくれたのだ。

 結果、東京は入江二佐に監督者の責任として一部俸給の返上と一階級降格という処分を与えたが、所長の座は据え置きとなった。余談だが、入江が二佐から三佐となったことで、富竹の口から「二佐」もとい「リサ」が聞けなくなってしまい、入江は密かに残念に思っていた。

 

 かくして、入江は雛見沢症候群の研究を続けている。そしてその強い原動力になっているのが、今彼の後ろについてきている少女と、北条沙都子の元に、必ず彼を返してみせる、という決意だった。

 地下区画は24時間、休みなく電気がついているから随分と明るい。この診療所に限っては地上よりも地下の方が明るいという矛盾。それは入江にとって、これから向かう彼、北条悟史という光が、自分の道筋を照らしてくれているように感じられた。

 

 

 

 その部屋に足を踏み入れると、ひときわ明るい光が迎えてくれた。一面に張られたガラス窓が電灯の光をあちこち反射しているせいだろうが、詩音はその光は悟史だと信じた。病室に入る。ベッドの上で悟史は穏やかに眠っている。横には大きなぬいぐるみが鎮座してある。悟史が妹のために買ったものだ。詩音は悟史の手を握って口を開く。

 

「悟史くん、おはようございます」

 

(おはよう、詩音)

 

「聞いてください、沙都子ったらまた私が作ったお弁当のブロッコリーを残したんですよ。あの子の野菜嫌いをなんとかしなきゃいけません。何かいい案ありませんかー?」

 

(あはは、沙都子は野菜嫌いだからなぁ。ところでブロッコリーって何色だったっけ……?)

 

「もー!この兄妹は!緑に決まってます!白はカリフラワー!いい加減に覚えてください」

 

(むぅ……)

 

「そ、そんな不意打ちしても駄目です!」

 

(……)

 

「聞いてます?悟史くん。あれ、寝ちゃったなぁ。もう」

 

 そう言って詩音は悟史に語りかけるのをやめた。傍目から見ていても詩音が1人で話しているだけだったが、北条悟史の治療には、実際こうした詩音の呼びかけが一定の効果をもたらしていることを入江は知っている。彼女が悟史に語りかけた日と、そうでない日の脳波を比較すると、明らかな変化が認められたからだ。人間の身体というものは、どれほど医学が進歩しても不思議なもので、結局のところ心という、極めて抽象的なものに左右される。病は気からという昔からの諺。今日の医療を鑑みても、大半の病気の原因はストレスによるものだ。人間の思考を司る、脳。すべて人間は脳から与えられる電気的信号によって思考や感情を可能にする。しかし人間の心という、脳を、医学を超越した何かの存在を、入江は信じるようになった。

 

 詩音が脳内で悟史との会話を作り上げていることは容易に見てとれる。もしかしたら、詩音には自身の妄想が肥大化していて、本当に悟史の声が聞こえているのかもしれない。しかし入江はこの頃、こういう場面を見てもそれをすぐに危険だと断ずるのをやめるようになった。

 

 雛見沢症候群は確かに被害妄想を生み出す。

 村で生まれた詩音も、体内に寄生虫を飼っているだろうから、潜在的な患者である。

 しかし、寄生虫は何も雛見沢症候群だけじゃない。そして我々の身体には今この瞬間も、ありとあらゆる菌が体内に生きている。それら微細な菌は、人間に悪さをするものもあるが、大半は無害なものだ。ある側面において有害であっても、実は別の働きをしているためにそれがなければむしろ健康を害する、ということもある。雛見沢症候群も、悠久の時を経て、すっかり住民たちの体内に安住して、もはや住民の一部になりつつある。寄生虫を殲滅することが、かえって住民たちにとって芳しくない結果をもたらすことも考えられたのだ。

 

 そのため、このころ入江は雛見沢症候群の撲滅よりも、寄生虫との共生により重きを置くようになった。勿論、悟史のような末期患者を救うためにこの先も研究を続けるつもりだが、なにしろ世の中には1か0、白か黒かで決められないことがあまりに多い。寄生虫を撲滅するかしないかではなく、彼らと共生する。

 実際のところ、この寄生虫によって、村にもたらされたものもあるだろう。例えば、村の結束。他のコミュニティではまず見られないほどの団結力は、間接的に寄生虫がもたらしたものと言えた。帰巣性だって、解釈次第では悪いことじゃない。これからの日本は地方の過疎化が進み、人口の半数が65歳以上の住民になる自治体も、21世紀には珍しくなくなるだろうと、朝のテレビで専門家たちが警鐘を鳴らしているのを入江は見た。だがこの雛見沢村では、今目の前にいる詩音、悟史。そして前原圭一、竜宮レナ、園崎魅音、北条沙都子、古手梨花。それ以外にも、次の世代を担う子どもたちが、元気に過ごしている。彼らは皆この村を愛し、この村を守りゆくことだろう。

 

「詩音さん、そろそろ時間です」

 

 名残惜しいが、悟史と詩音をずっとそのままにしておくわけにはいかない。悟史は曲がりなりにもL5発症者であり、本来ならこうして至近距離で身体に触れることも避けるべき。そのために厳重に拘束されているわけだが、万が一ということもある。

 

「……おや?」

 

 返答しない詩音を怪訝に思い、近寄ると詩音は小さく寝息をたてていた。陽だまりのように穏やかな表情で、それはすぐそばで眠る悟史にあまりに相似していた。

 

(やれやれ)

 

 本当なら、無理にでも引き剥がすべきなのだろう。これ以上は危険だと言って。しかし入江は黙って彼らを見守った。自分でもなぜそうしたのかはわからない。ベッドの横には入江と同じように、巨大なぬいぐるみが優しい表情で2人を見つめていた。

 

 

 

 

 

 診療所を出ると雪は止んでいた。30分ほど前に葛西に電話を入れたから、もうそろそろ迎えが来る頃だった。案の定、黒塗りの高級車がその威容を表した。詩音は軽く礼を述べて助手席に座る。車は来た道とは反対に坂を降っていく。

 

「今日は、いつもより少し時間がかかりましたね」

「いやー、悟史くんの近くでウトウトしちゃいまして。いつの間にか寝ちゃってました」

「行きの車内でも寝てましたが。睡眠不足ですか?」

「うんにゃ。普通だと思う」

 

 実際のところ、悟史の側にいると、詩音はよく眠気に誘われた。それは別に悪い意味ではなく、彼がぽかぽかと暖かく、春の陽気に包まれているように気持ちよくて、ついつい目を細めてしまうのだ。いつもは入江が起こしてくれるのだが、今日に限ってはなぜかそのままにしておいたという。

 詩音にとって、悟史はいつも太陽だった。太陽は太陽でも、全く弱くて頼りなくて、そのおかげで近づきすぎても火傷することはなかった。そのくせ光ばかりは眩しいほど強烈で、詩音の陰をものともしない。始めあまりの眩しさに、路地裏から大通りへと去っていく彼を直視するのに困難を要したほどだった。

 葛西の車は道路間の段差によって揺れた。舗装道路に変わったから、興宮はもうすぐだった。

 詩音が育った町。悟史と出会った町。

 

 自分は本当は魅音のはずなのに、どうして詩音なんだろうかと、未だに思う。

 そう思う時、いつも彼との思い出が浮かんできた。それは、大石に追い詰められた悟史を救おうと、詩音が詩音だと名乗った日。

 騙していたことを謝る詩音に、悟史はまるでなんでもないことのように朗らかに笑うと、詩音に言った。

 

「初めまして、じゃないんだよね?」

「え、と……はい。そうなります」

「そっか。しおんってどう書くの?」

「詩を詠むの詩に、音で詩音です」

「詩音……うん」

「うん?」

「いい名前だね」

 

 ……それは、生まれて初めて、詩音が詩音として認められた瞬間だった。悟史には何の阿諛もなく、ただただ純粋に、そう思ったから彼は口にした。それがどれほど詩音の心を救ったか、悟史には分かるまい。

 

 車はいつの間にかもう興宮を走っていた。大通りには光が差している。晴れ間が見え始めているのだ。眩い、溢れんばかりの光が地表に降り注ぎ、雪を溶かし出している。詩音はその眩しさと暖かさで、家もほど近いのに、このままだときっとまた眠ってしまいそうだと思った。

 




 クリスマスに短編として投稿しようとして間に合わなかったので、とりあえずこっちに載せます。
 本編とは何の関係もないです。

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