共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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闇の絵巻

 古手梨花を見失ったとの報告を受けた鷹野は、当初はこの山狗の失態を叱責しつつも表情に焦りはなかった。しかし一刻してなおも好転せぬ状況に、徐々に苛立ちを隠せないようである。隊長の小此木に対してその無能を散々詰り、無線機に半ば罵声ともつかぬ指示を飛ばしていた。それというのも、つい先程野村から作戦の遅延を非難する連絡があったからだった。もっとも急に予定日を変更してきたのはそっちだろう、と鷹野は電話口で怒鳴り散らさぬように耐えるのに必死であり、その発散を隊員たちに向けているという面もある。

 

「小此木! 一刻も早くRを見つけ出しなさい! 外が明るむ前に!まだ間に合うのよ!」

「……はっ」

 

(焦っているな、お姫様)

 

 古手梨花が何かしら勘付いたという予兆はあった。しかし山狗を疑っている様子までは見えなかったのだが。

 

(それにしても)

 

 数名の隊員から連絡が途切れている。

 いずれも、例の公安の刑事を発見したとの報告を受けた後だ。あの青二才がいつのまにやら成長していたのか、彼らはあえなく返り討ちにあったと見ていいのだろう。

 

(使えない奴らだ)

 

 山狗は所詮工作部隊だ。それも6年もこのぬるま湯に浸かってきた。入隊時の艱難辛苦は今や遠い記憶の彼方にあるだろう。小此木にしてみれば山狗は軍隊とは名ばかりの、平和ボケした惰弱な素人集団である。先祖以来の土地を死守するために立ち上がった村民らの方が、まだしも戦闘に使えそうで笑えなかった。

 小此木は監視カメラ越しに見た赤坂を思い起こす。肉体もさる事ながら、顔つきが数年で変貌を遂げていた。あの精悍さと、鋭利な眼光。いずれも闘争の中に身を置いた者特有の気配が漂っていた。隊員らでは勝てないのも詮無いことかもしれない。小此木は不敵に笑みを湛えながら鷹野に言う。

 

「三佐、俺が出ますわ」

「……大丈夫なんでしょうね。あの公安の男に散々やられているんでしょう?」

「もちろん殺す自信はありますんね。許可さえ頂ければ……」

 

 ここで「勝つ」ではなく「殺す」と言う辺りが彼らしかった。小此木は根っからの軍人である。

 

 

 

 

 

 微かに後ろを振り向く。梨花と沙都子の姿はもう見えない。安心して視線を前に戻した。

 前方には作業着姿の男達が5名ほどいた。先ほどまで背中を見ていた相手が、突然反転してきたことで驚いているようだ。その一瞬の隙が命取りになるにも関わらず。

 赤坂が、裂帛の気合を込めて咆哮すると彼らはたじろいで、慌てて臨戦態勢に入るがもう遅い。

 瞬く間に1人の懐に入り、最短距離で拳を突き出す。正拳突き。空手において最も基本の技と言えるこの一撃で男の身体はたやすく沈んだ。赤坂は相手が倒れるのを確認するよりも速く動きだして回し蹴りを繰り出す。2人目も地面に伏した。それからは拍子抜けするほど呆気なかった。残りの3人も打ち倒す。

 こうして逆走を続けた赤坂は、同様の要領で隊員達を蹴散らしていく。彼らは未だ発泡許可が出ていないからか、数の有利はあれど徒手空拳で赤坂という徹甲弾に特攻せざるを得なかった。無論鋼鉄の肉体にいくらかの傷をつけることも叶わずに跳ね返されていく。

 さて、と一息つき梨花たちの元へ合流しようと踵を返した赤坂に声がかけられた。

 

「待ちな」

 

 振り向いた先にいたのは粗野な男だった。赤坂は警戒を強める。先ほど倒した男たちのように行儀良く戦ってはくれない相手だ。同時に、どこか既視感を覚えて困惑した。

 

(なんだ?)

 

 その疑問に応えたのは相手の男だった。

 

「へへ……覚えちゃいねえか? あん時も確か雨が降ってたか、こうして森ん中で殺り合った仲じゃねえか」

「……あの時?」

「肩に一発くれてやったろ? 殺すなって命令がなければ今頃てめえはあの世にいるはずだがよ」

「まさか……あの時の誘拐犯!?」

「あの時殺さんで正解だったわ。こいつらではどうにもならん、俺が殺してやる」

「……今度は逃しはしない」

「へへ……やってみろ!」

 

 小此木はインカムを外し、拳銃などの装備を遠くに放り投げた。防弾チョッキすら脱ぎ捨てて、身軽になった身体をアピールするかのように軽くその場でジャンプする。その様を赤坂は油断なく睥睨する。

 先手を仕掛けたのは小此木だった。赤坂の空手と比べ、小此木の喧嘩殺法は荒々しく、しかし故に正攻法の赤坂には効果があると思われた。

 だが赤坂もさるもの、そうした荒くれ者には慣れているようで、軽くあしらわれると、腹部に一撃を食らった。考えれば彼は公安でいくつも死線を潜り抜けてきたのだろう。錆びついた今の自分の技倆では、彼には勝てないと、一瞬の攻防だけで悟った小此木は賢明である。大きく後退し、傷んだ腹部をさすりつつ、皮肉げに笑みを浮かべている。

 

「へへっ……勝てんなぁ、てめぇにゃ勝てねえ」

「ならばどうする、降伏するか」

「誰がするかよ!」

 

 再び小此木は真正面から突撃してきたから、赤坂はわずかに違和感を覚えた。この狡知に長けた冷静な男が、先ほどの攻防で格闘では赤坂に通用しないと分かったはずだが……

 この一瞬の違和感を信じ、周囲への警戒を怠ったことが分水嶺を分けた。すなわち、赤坂は背後から右肩に銃撃を受けたのである。それは、先ほど小此木が拳銃を放り投げた方向からだった。隊員が1人、意識を回復したことを察知した小此木は、しかし武器を失っているために起き上がらないと判断し、投げてよこしたのである。小此木はどこまでも冷静だった。

 

(くっ!)

 

 肩の痛みで繰り出そうとした右拳を思うように動かせなかった。小此木はすでに拳を繰り出している。顔面に死が迫っているのが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 丑三つ時である。草木さえも深い眠りにつき、雛見沢に点在しているわずかな街灯の微光も今は遠く、視界一面には再び闇が飛び込んできた。光明は未だ見えない。

 とはいえ、今この時ばかりは彼らは半ば闇を愛しかけていた。闇と同化したことで、不安や恐怖を覚えるよりも、むしろ何も見えぬことが安心を生み出す。眠りにつく時のような闇が約束する穏やかな時間では、感情の振幅もほとんどない。もし光が射すならば、それは曙光かあるいは山狗が装備する暗視ゴーグルが増幅させた光だろう。

 細雨は山の樹々に茂る無数の葉脈を襲い、雨音が一層激しく響いてくる。風も樹々をいちいち大袈裟に煽りたてる。山道のそこかしこに散乱した、泥濘んだ落葉を踏みしだくたびに不快な足音がする。いずれにせよ、闇の安らぎの中で響くこうした音だけがそれを妨げる。全てを抱擁する闇に身を預けながらも、意識を保てていられるのはこの音の効果によるところが大きいだろう。

 視覚を奪われた闇の中で、ひときわ大きく反響する雑音は音楽的な諧和をそなえている。しかしそうした調和を乱す破滅的な音色が、複数人の足音であると気付くと、緊張感が高まってきた。足音は次第に大きくなり、高まる鼓動の旋律とともにこの場を侵食しつつある。こちらの居場所をわかっているようで、誰かがごくりと喉を鳴らした。

 ここにいたっては、彼らの安心を保証していた闇の効能は何らの意味もなさない。

 後方を振り向くと、足音の主人達の姿が、おぼろげながらようやく見えてきた。規模は数人ではない。十数人、あるいはそれ以上で、規則的に歩を進めている。隊列は決して崩さずに、こちらとの距離を徐々に徐々に、縮めてくる。それを見た圭一が、強張った表情を笑みに変えた。

 

「……っへへ」

 

 突然笑い声を上げた圭一に怪訝な表情を向けていたが、やがてその意を汲んだように、魅音と沙都子が軽口を返した。

 

「圭ちゃん笑ってるねえ」

「そりゃそうだろ、あいつら俺たちを舐めてやがるぜ」

「そうだね、私たち相手にあの人数でどうにかなると思ってるのかねぇ」

「ウズウズしてきますわ、いよいよ本気の罠を御披露目できますから」

「魅音、沙都子、ひょっとしてお前もこういう状況を望んでたんじゃないか?」

「圭一さんこそ」

「部長として部員に命ずる! あの不届き者どもを一網打尽にせよ!」

「おおー!」

 

 レナは会話に加わらずぼんやりと聞いていた。3人の表情はすでに覚悟が備わっている。彼らは死ぬだろう、その勇猛さゆえに。彼らは山狗を苦戦させるだろう、とはいえ多勢に無勢だ。結束は固いほど解けたとき脆くなる。1人が脱落すればなし崩し的に崩壊へと向かうだろう。しかし山狗という軍隊は1人が倒れても隊列を乱さない。十分な準備をしているならともかく、そうでない限り勝てる見込みなど万に一つもなかった。

 3人ともそんなことは分かっている、それでいて視線だけはレナに、梨花を逃せと雄弁に語りかけてくる。

 レナは頷いた。ちゃんと頷けているかどうかも覚束ない。なぜなら涙で視界が潤んでいるから。肩が震えているせいで、首の筋肉をちゃんと動かせているか判別がつかないから。でも3人には伝わっていた。彼らはつとめて明るく、

 

「何泣いてんだよ、レナ。我が部の誇る無敵のかわいいモードはどこにいったんだよ」

「そうだよレナ! まぁあいつらちゃっちゃと倒してそっち行くからさ、心配しないで」

「そんな状態でレナさんは、梨花を逃がすことができまして?」

 

 ここまできてようやく梨花にも状況が掴めてきた。彼らは自分たちが囮になるからそのうちに逃げろと言っているのだ。

 

「待って、みんな、待って!」

 

 悲痛な叫びだった。

 ようやく秘密を打ち明けられた。本当の意味で仲間と心を通わせた、初めての経験。今それが梨花の前から奪われようとしている。

 梨花は3人の表情を窺うが、少しも変わってはいない。死地に赴く騎士のように高邁な表情。いかなる説得も振り切って、死ぬために戦う表情。

 だがレナなら。

 自分より遥かに人生経験を積んだ今のレナなら「大人」として「子供」を諭すことはできるはずだ。何か言いくるめてしまえるはずだ。そんな淡い期待を込めてレナを見る。

 

「……」

 

 レナは無表情だった。無表情なのに、その眼からはとめどなく涙がつたい落ちている。

 そういえば、レナは大災害後泣けなくなったと言っていたなと、なんとなく梨花は思いだした。

 

「なぁレナ」

「圭一くん」

「それに梨花ちゃんも。俺たちはもしかしたら死ぬかもしれないけれど」

「……」

「また会える。絶対会えるさ、だから」

 

 だから、と圭一が続けようとしたが、それを待たずレナは言う。かつてと同じように。

 

「今度は普通に遊んで、普通に笑い合って、普通に恋をしよう。絶対に互いを疑わない。互いを絶対に信じ合う」

「! それは……」

 

 レナが前の世界で、圭一に語りかけた言葉。レナが如何なる想いで再度圭一にその言葉を紡いでいるのか、梨花にはわからない。

 

「何言ってんだレナ? 俺たちはお互いを疑いなんかしないし、信じ合ってるだろ?」

「……うん。何言ってるんだろうね、おかしいね」

 

 レナは笑みを浮かべていた。その眼にはもう涙はなかった。

 

「うわぁー、レナってばこの場面で、告白とかする?」

「レナさんったら大胆ですわ」

「え? 何がだ?」

「レナが圭ちゃんに恋をしよう、って」

 

 それを聞いて圭一の表情に赤みがさした。慌てて、

 

「なっ……そんなんじゃねえよ、なぁレナ?」

「レナは圭一くんとなら……」

「っておいー!」

 

 圭一をからかいながら、一同は笑い続ける。この時ばかりは梨花も笑った。笑いの後に涙がまたこみ上げてきた。その時だった。

 

「あ……」

 

 降りしきっていた雨が、止んだ。

 雨はもう、涙を隠してはくれない。だからそれが合図になった。

 

「行かなきゃな」

「じゃあレナ、梨花ちゃんは頼んだよ」

「梨花に何かあったら承知しませんことよ」

「うん、任せて」

 

 こうして、5人は2人と3人に分かれた。振り向いたら未練が生じると分かっていたから、決して振り向かないと決めた。

 対する山狗の隊員らはふた手に分かれた様子を正確に捕捉し、梨花が逃げた方向も分かっていた。焦ることはない。目の前に疾走してきた3人の蛮勇を讃えつつ、彼らを殺してから向かうのみ。すでに鷹野には梨花らが逃げた方角を報告し終えていた。雨が降り止んだおかげで暗視スコープ越しの視界も良好である。時間はかかったが、なんとか作戦は軌道修正できたようだ。ただ、仲間のために犠牲になることを受け容れた少年少女らに、ほんの少しだけ哀憐と憧憬を覚えた……

 

 

 

 

 

(どうしてなの……)

 

 うまくいっていると思っていた。

 もしかしたら、この迷路を抜け出せると期待した。現実は暗闇の中、レナと2人きり。息は上がり、足は鉛のように重い。ところどころついた擦り傷や切り傷が痛む。そうした一つ一つの絶望的な事実は、梨花の心も蝕んでいた。

 

(羽入! 羽入!)

 

 その名を呼ぶことに意味はない。もとより羽入はこの世界に干渉することはできない。ただ、一番辛いとき、彼女にも側にいてほしい。

 だが返事はない。そのことが梨花の弱った精神を逆撫でにした。やるせない思いをぶちまけていく。

 

「なんでなの! どうしていつもこうなるの!?」

「梨花ちゃん……」

「どうせこうなるなら、希望なんて見せなければいいのに! どうして期待させるの!? もう放っておいてよ!」

 

 走りながら喋るせいで、語気もしだいに荒くなる。自分の叫びによって、山狗に居場所を知らせているのかもしれない。しかしそれすらもどうでもよくなっていた。

 

「レナもレナよ! なんでさっきみんなを行かせたの!? あなたなら、大人なら、みんなを説得してみなさいよ!」

 

 その時である。レナは走りながらも、梨花に拳骨を落とした。一瞬梨花は痛みで視界がぐらついた。レナの一撃はそれほど重い。おそらく、加減など一切せずに殴ったのだろう。

 

「あなたは生きるの! 生きて記憶を繋ぎとめるの! それができるのは、あなた以外にいない!」

 

 その一言で、はっと我に返る。急速に頭が冷えていった。

 

「……そうね。ごめんなさい」

「ううん、気にしないで」

「鷹野こそが黒幕だった! 守ってくれていると思っていた山狗こそが敵だった! そして……ちゃんと伝えればみんな信じてくれた! そのことを忘れない! 私は絶対に忘れない!」

 

 梨花の魂の叫びに呼応しようと、レナが口を動かそうとしたその時だった。

 

「あらあら、それは困るわね」

 

 聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 パン、とこの場に似つかわしくないような小気味よい音が闇の中で響く。レナの眉間にはもう、銃弾が迫っていた。

 




うまくいかないのが人生。

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