共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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 井戸の外にはどんな世界が?
 それは、知るために支払う苦労に見合うもの?
 
 井戸の外にはどんな世界が?
 それは、何度も墜落しても試すほどに魅力的?

 井戸の外にはどんな世界が?
 それを知ろうと努力して、落ちる痛みを楽しもう。

 その末に至った世界なら、そこはきっと素敵な世界。
 例えそこが井戸の底であったとしても。

 井戸の外へ出ようとする決意が、新しい世界への鍵。
 出られたって出られなくったって、
 きっと新しい世界へ至れる……



井戸

 熊谷から連絡が途切れたことで、にわかに危機感が募ってきた。普段ならばいざ知らず、最も警戒すべき綿流しの夜に、連絡を忘れたという可能性は低いだろう。彼らは何者かに襲撃され、連絡をとれない状況下にあるのかもしれない。

 大石はすぐさま無線で赤坂にこの事を伝えた。赤坂も同様の想定をしたようだった。

熊谷にはパトカーで2人を護送するよう指示を出していた。鷹野は興宮の住居まで、富竹が宿泊予約を入れているというホテルもそこからほど近い市街地の中心部である。まず問題は起きないはずだったが、見通しは甘かったということだ。

 熊谷から連絡が途切れて1時間ほどしてからだろうか、今度はパトロール中の署のパトカーから遺体を発見したという連絡があった。大石はすぐさま現地に向かう。嫌な予感はしていた。あたり一面暗闇に包まれた一本道の、路肩付近。そこに男性が倒れていた。すでに鑑識が遺体を撮影しているところで、フラッシュの光が闇を払う。

 

「富竹……ジロウ」

 

 大石は臍を噛んで悔しがった。オヤシロ様の巫女からのお告げで、富竹の死は前もって予言されていたことだったが、それを防げなかった。だが今は悔恨の念にかられている暇はない。

 遺体の状態は異常さをきわめていた。

 富竹の喉からは大量の出血がみとめられ、これが直接の死因とみてよさそうだった。両手の爪は赤く染まっている。喉の傷口はちょうど爪で引っ掻いたように細長い痕があったことから、富竹は自分で自分の喉を搔きむしって出血多量で死に至ったとみられる。にわかには考え難い状況だったが、このような症状を引き起こす風土病の存在を、つい先日知ったばかりである。

 遺体のすぐ脇には角材があった。富竹の遺体は、直接の死因こそ喉の傷だったが、いたるところに打撲痕が散見され、複数人から暴行を受けたと分かる。衣服にも多少の乱れがあることから、この角材を武器に何者かと争ったと推定された。

 

「大石さん、入江先生がお見えになりました」

「ああ先生、どうもどうも」

 

 入江もまた遺体が富竹であること、そして死因に動揺を隠せないようである。こうした錯乱状態に陥らせる薬物の存在についてあえて問い質してみても、彼はただ譫言のように、ありえない、を繰り返していて、もはや聞こえてはいなかった。入江から離れて、職員らにいくつか指示を出すと、一度車に戻った。深く倒したシートにもたれかかり、目を瞑ってひとつ息を吐いた。

 

 

 

 身元不明の死体が、隣県の山中で発見されたとの報告が、部下から入った。焼死体で、ドラム缶の中から見つかったのだという。歯型が一致するかの確認はこれからだが、古手梨花の予言とも合致するため、これが鷹野の遺体ということだろうか。

 そう考えた大石だったが、直後の報告でその認識を改めることとなった。

 

「そりゃあ本当ですか?」

「間違いないです」

「……なぁるほどなあ」

「……大石さん?」

 

 どうやら自分は、富竹の遺体が見つかったこともあって、古手梨花の予言を信用しすぎていたようだ。いや、今更彼女を疑いはしないが、予言も万能というわけではなさそうだった。天網恢々、疎にして漏らさずなどとはいうものの、意外とオヤシロ様も見落としているものだな、と大石は思った。逸る気持ちを抑えながら、赤坂に連絡をとる。

 

「……でねえ、うちのパトに通る車をチェックさせてたんですが、鷹野の車が通ったって言うんですよ。興宮方面へ通過していったんだとか。ちなみに富竹が見つかった道は、村から興宮に通ずる一本道です」

「まさか、鷹野が」

「おそらく。鷹野1人が乗っていたんだそうで。熊ちゃん達が鷹野らを護送しているはずなのに、彼らは行方不明になり、富竹は死体で発見された。御誂え向きに山中で身元不明の女性の焼死体だ」

「……その死体は鷹野だってことにしたいんでしょうね」

「例の山狗でしたか?その連中ならそういう工作できそうですなぁ」

「……そうですね」

「とにかく、鷹野三四を重要参考人として手配します。圧もかかるでしょうが、やってやれないことはありません」

「大石さん、それをするとあなたも危険になってきます。くれぐれも慎重に」

「梨花ちゃまによるならば、あと数日したら村が滅ぶそうじゃないですか。それに、おそらく熊ちゃん達は消されました。私だけが逃げるわけにはいかないんですよ」

 

 

 

 

 目下のところ、村民らは綿流しの日の祟りには怯えるが、おおむね平穏に暮らしているといえた。そんな彼らを「雛見沢大災害」から避難させるのは至難の業に思えた。しかし、園崎お魎の鶴の一声ならば、住民らも従うだろう。一同は数日前、園崎お魎に事情を説明し、また園崎組の助力を得ることに成功した。荒唐無稽なその話に当初難色を示していたが、前原圭一が啖呵を切ったことで、彼女の心境に何らかの変化を与えたようだった。

 

 かくして村民二千人の避難計画が議論されることになるが、これが難航する。山狗が力を発揮できぬ白昼に堂々と、不自然にならないように大義名分をかざして避難する必要性があるからだ。

 最終的には、鬼が淵死守同盟の再現をする、という方針になった。雛見沢のダム計画は中止はしているものの、廃止になったわけではない。その計画が再燃しているというデマを流し、それに怒ったお魎が、村民総出で抗議に行くという筋書きだった。無論これは一時凌ぎにしかならないが、山狗らの注意さえ引きつけられれば十分だ。戦力を固めた園崎組が一気呵成に診療所を急襲する! 山狗は戦闘部隊というわけではないというから、いかに自衛隊といえども、戦力は劣るだろう。数多くの抗争をくぐり抜けてきた園崎からすれば、不意をつけば攻略できない相手ではないとの自負があった。

しかし、事態は想定をはるかに上回るスピードで進行していた。

 

 

 

 

「三佐、野村さんからの電話です」

「ありがとう」

 

 隊員から受話器を受け取った鷹野は、一呼吸置いてから耳に当てた。この女の、人の心の根底をも見透かしたかのような声色は、何度聞いても慣れるものではない。

 

「鷹野です」

「三佐、すでに総理は苦渋の決断をしてくれましたわ。当初の想定よりは幾分早いですが、滅菌をお願いします」

「……ええ」

 

 滅菌作戦。

 女王感染者たる古手梨花の死後48時間以内に、症候群の感染者全員が急性発症し錯乱するという説が、症候群の発見者である高野一二三氏により提唱されているが、村民はみなこの症候群に感染しているため、言い換えれば村民全員が錯乱し、凶行に走るということである。これを防ぐ名目で、当地で任務につく山狗部隊によって、古手梨花に万一のことがあった場合、感染者全員を「処分」するという措置が図られる。作戦は、古手梨花を殺害し、この緊急マニュアルを引き起こし、これを政治利用するものだ。二千名の無辜の民を抹殺することは、この国ではいかなる理由があろうとも許されない。最終的には許可を出した政府の基盤も揺らぐだろう。

 当初の予定では、研究の終了に絶望した入江京介が、富竹・鷹野を殺害、次いで古手梨花を殺害したあと自らも自殺、という筋書きで、綿流しの日から数日後に作戦が行われる予定だった。しかし、公安の介入を嫌った野村の意向で、綿流しの翌日未明より作戦が開始されることになった。鷹野としてもこの変更を拒む必要はなく、むしろより祟りの神秘性が増すと思われた。

 

 いったんは小康状態になっていた雨は、日付が変わってから再び強さを増し始めている。この天気だから、ひぐらしの声も聞こえず、雨音だけが響きわたっていた。まもなく時刻は午前1時。作戦開始の時刻だった。

 

「三佐、予定時刻です。R宅には例の公安がいますが排除してよろしいですか」

「ええ、始めなさい」

「鳳1より全隊員に告ぐ。突入準備。公安は実力で排除せよ。ただし発砲は許可せず、テーサーを使用せよ」

 

 4人の作業服の男たちが、闇の中から音もなく姿を現し始めた。ぬかるんだ泥道も男たちを妨げることはない。むしろ強まった雨音は彼らの隠密行動に利するようでもある。あっというまに目的のプレハブ小屋の引き戸の前まで来ると、あらかじめ用意していた合鍵で開錠し、突入する。開錠音は気付かれた可能性もある。電撃的に制圧しなければならない。しかし、階段を恐るべき速度で上る彼らの耳に、二階から大きな物音が聞こえてきた。その音の正体を確認するより早く、

 

「勘付いたぞ、窓から飛び降りた!茂みへ逃走している!」

「制圧しろ!」

 

 怒号のように飛び交う無線機から状況を把握した4人は、すぐさま引き返して外へ出る。すると、確かに古手梨花らが逃走する姿がみとめられた。それを追おうと、走り出そうとした時、破裂音とともに白煙があたりに立ち込めた。一瞬ひるんだことで、梨花たちに逃げ出す時間を与えてしまった。

 

「あらあら、今のは沙都子ちゃんのトラップじゃないかしら。あの子からはよく聞かされていたのよ」

「……そんな子供騙しに引っかかりやがって。民家に逃げこまれるな!さっさと制圧しろ!」

 

 

 

 

 古手梨花はいま混乱の極致にあった。

 梨花がこれまで経験してきた数多の世界で、綿流しの夜から少なくとも2日後までは殺された記憶はなかった。綿流しが終わった夜にすぐ殺されるなんてことはなかったはずなのだ。

 

(それがなぜ?)

 

 無論、まったく警戒していなかったわけではない。しかし、まだこちらの反撃準備は整っているとは言い難かった。

 

「梨花ちゃん、当て所なく逃げても仕方ない。ひとまず園崎家に向かおう!」

「ええ!魅ぃの家の地下の隠し部屋なら安全なのです!」

 

 園崎家の隠し部屋には、多数の武器も備え付けられている。また、秘密の通路を通れば裏山に抜けることも可能だ。無論その存在を知るのは園崎家のごく一部に限られるため、山狗もすぐには追ってこられないだろう。

 

「それにしても、どうして今日なのっ」

「おそらくだけど、鷹野三四。彼女が黒幕だからだ」

「そ、そんな!だって鷹野は」

「確かに焼死体で発見されたよ」

「なら……!」

「ところが、大石さんによるとあの後鷹野が運転する車が確認されたんだそうだ。富竹さんも、護衛していたはずの警官らもいない」

「つまり鷹野さんが、富竹さんと警察の皆さんを殺したと、そういうことでして?」

「ああ。鷹野の死は偽装だ。そして我々から気をつけろと言われれば言われるほど警戒しただろうね、作戦が漏れているのではないかと」

「だから急いだと?」

「たぶんね」

 

 梨花にとってずっと山狗とは、自分を警護してくれる味方だった。レナによってその認識が覆されたものの、富竹と鷹野の2人は数多の世界で必ず殺されることから、無意識のうちに疑うことをしてこなかったのだ。

 もっとも、今は悔やむことよりもまず追っ手から逃れることに集中すべきだった。

 

 どれほど走っているかも分からなくなったとき、沙都子が躓いて転んでしまった。すぐに赤坂が彼女を拾い抱えて窮地を脱したが、追っ手との距離がだいぶ縮まってしまった。このぶんだと、いずれ追いつかれる。その際、2人を守りながら戦うよりは、彼らを撃退してから合流したほうがいいと赤坂は判断した。自分1人を相手にするなら発砲もあるだろうが、それを退ける自信もある。

 

「梨花ちゃん、沙都子ちゃん。2人は先に行って」

「そんな、赤坂も一緒に」

「大丈夫。彼らを撃退して園崎に向かうよ」

 

 赤坂の意志は固い。

 おそらく、説得も聞き入れないだろう。

 梨花と一緒でなくなれば、山狗に躊躇う必要はなくなる。あらゆる手段で、赤坂の命を奪おうとするだろう。

 

「大丈夫だ。また会おう、梨花ちゃん」

 

 そう言って微笑むと、赤坂は踵を返して山狗らへ向かっていった。それを見た梨花が彼を見捨てて逃げるのに躊躇するが、沙都子が懸命に諭した。赤坂さんの行動を無駄にしないためにも梨花は逃げるんですの、と。涙をこらえて、2人は闇の中をひたすら駆ける。一瞬だけ後ろを振り向くと、赤坂の姿は豆粒みたいに小さくなっていった。あれほど大きな背中が、こんなに小さく見えるとは。とめどない不安が渦を巻いて梨花を襲うが、赤坂の最後の微笑が脳裏に浮かんできて、ほんの少しだけ和らいだ。なぜなら梨花は、もはや信じることしかできないのだから。

 

 

 

 梨花と沙都子を見失ったか、追っ手の気配はなくなっていた。今や2人は走ることもままならず、鉛のように重くなった足を恨めしく思いながら前へと進める。何度か転んでできた擦り傷は、本来なら痛むはずだが、足の重さで感覚は麻痺したようだった。ぬかるんだ道は、走るのに適さない。靴下の中にまで泥水が染み込み、ただただ不快だった。それでも歩みを止めはしない。

 しかし、不運にもついに1人の隊員と遭遇してしまった。男は無線で場所を知らせたようだ。まさしく絶対絶命だった。

 男は下卑た笑みを浮かべながら、もう走る気力もない梨花に向かってゆっくりとその手を伸ばし……

 

 そこで意識を失った。

 

「大丈夫か、梨花ちゃん!沙都子!」

「み、みんなっ」

 

 

 

 

 部活メンバーと合流したことでかろうじて危機は乗り越えた。梨花はレナに、沙都子は圭一におぶわれ、魅音は周囲の警戒をしながら先導している。後方は梨花と沙都子が担当した。

 深夜の雛見沢村は、異常なまでにひと気がなかった。祟りを恐れてか、近頃は祭りの後は村人たちが出歩くことはなくなったためだ。

 5人は無言だった。赤坂については何か察したのか、圭一たちは聞いてくることもない。闇の中、しばらくそうして無言で歩みを進めていたが、園崎家まで到着し、ようやく5人は緊張から解放された。

 地下の秘密部屋に入り、重たいドアを閉めて施錠すると、先程まで以上の闇が5人を襲った。

 

「待って、今電気つけるから」

 

 魅音がそう言って何かスイッチを押すと、パッと明かりが灯った。薄暗い照明はそれでも皆の心も少しだけ明るくさせたが、疲労からか軽口を叩き合う余裕はなかった。薄暗がりの中、古びた豆電球から迸る光の放射がかえってこの場を静寂に包んでいる。もしこの光さえなければ、彼らは互いの存在を確認する作業、不安をおしこめるための無意味な会話を強いられていたことだろう。無言でいることこそが、互いへの信頼の証左である。

 この静寂な空間は、各々が思考を巡らすのに貢献し、冷静になる余地を与えた。危急のときこそ、滾る熱い精神と、氷のように冷徹な思考が等しく同居することを求められる。この均衡をとるのに一呼吸おいてから、一同は地下通路へと向かっていった。

 

 

 

 

「これを……」

「降りるんですわね……」

 

 園崎が拵えた抜け道は、この隠し井戸から裏山の古井戸につながっている。園崎家が代々死体を隠匿するのに使ったという曰くつきだからか、その深淵からは死者の怨念のような、不気味な気配が揺曳しているように思われた。魅音の話によれば、隠し通路へ繋がる横穴までも30mほど先にあるという。井戸に備えられた錆びた梯子から、もし足でも滑らせたら一巻の終わりである。

 先導役として魅音がまず梯子に手をかけ、順繰りに降りていく。殿は圭一が務めた。途中梨花が態勢を崩しかけたものの、10分近くかけてなんとか横穴へ辿り着くことができた。横穴を歩いていくと、冷たい風が頬を撫でてきた。外の世界へと近づいているのが分かった。しばらくして行き止まりになったと思ったが、よく見れば梯子がかかっていた。

 

「ここを登ると、裏山に出るよ」

 

 隊列は降りたときと同じように組んで上へと登ってゆく。散々走り、一息入れてから降りて今度は登って……とくに幼い2人には酷だったが、さりとてそうもいってはいられない。手探りでなにか光明を求めるかのように、ひたすら登ってゆく。長く険しいこの道程の先に再び苦難が待ち受けていようとも、ただ登りきると誓おう。井戸の外には、新しい世界が広がっているに違いないのだから。

 

 


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