共生〜罪滅ぼし零れ話〜   作:たかお

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秒針

 縁側で夕涼みをしながら、梨花は自作のてるてる坊主を見つめていた。明日は晴れて欲しかった。

 母は天候に一喜一憂する梨花を、最期まで理解できなかった。驟雨に見舞われて、びしょ濡れになった身体を震わせながら、何が楽しいのか、上機嫌になっていた少女。晴天に辟易して、雨が降るようにとてるてる坊主を逆さまに吊るしながら、退屈そうな表情を浮かべる。一挙手一投足が、母には不気味なものに見えたのだろう。

 別に雨を欲しているわけではない。

 どんな雨も、少女の喉の渇きを満たしてくれはしない。気まぐれだけが、枯れゆく心を癒してくれた。やがて緩慢な死を迎えるにしても、退屈だけは嫌だった。

 けれども。明日だけは、晴れて欲しい。

 綿流しの日の天候は、比較的ランダムで、大雨の世界もあれば、晴天に恵まれる世界もある。梨花がこのてるてる坊主を、正しい用途に使ったのは初めてだった。

 

 てるてる坊主のルーツを辿ると、「坊主」の名を冠してはいるが、もともとは女の子であった。古の中国は北京の、ある六月のことである。突如として激しい雨におそわれた街は、甚大な被害を受けたという。

 そんな水漬く街並みを見て、深く嘆き悲しんだ晴姫という少女は、雨が止むように天に願い、祈りを捧げた。

 晴姫のもとに、天から声が聞こえてくる。

 

「東海龍王が、晴娘を太子の妃に所望している。これに応じなければ、北京を水没させようぞ」

 

 心優しい少女は、果たしてこの提案を受け入れた。一陣の風とともに、少女は忽ち天へと召され、街は、人々は救われた。雲間からは光が差し込み、雨水は大地へと還っていった。

 後年、人々は6月に雨が続くと、街の娘らに人型の切り紙を作らせて、門に飾るようになったという。切り紙を生業としたという晴姫を偲んでのことであった。

この話が日本に伝わり、今日のてるてる坊主に繋がったというのが、最も有力な説らしい。

 

 天候を操るのは、神の所業だ。人の身にはおこがましい。それでも、人々は、ある時は晴れを、ある時は雨を願って、さまざまに知恵を働かせてきた。

 神の火を開発し、月にまで到達した現代人は、いまだ天を領してはいない。人間は自然を征服した気でいながら、人間自体も自然物であることをしばしば忘れる。人間が真に自然を征服するのは、人間を征服したときである。

 

 

 

 

 

 切らした豆腐を一緒に買いに行こうと、梨花に声をかけようとして、沙都子は押し黙った。縁側にかけられた、少しくたびれた、一体のてるてる坊主。それを見つめる梨花の表情に、何かしらの、端倪すべからぬものを見た気がしたからである。

 こういう梨花を、沙都子は知っていた。

 

 梨花との邂逅がどんな形だったかは、遠い記憶の彼方で、もはや思い出すことはできない。いつしか、自然と仲良くなっていたのだろう。

 幼い二人は、お互いどこへ行くのにも、いつも一緒だった。うららかな春、だだ広い草原に二人で寝そべり、爽やかな風に吹かれながら、何するでもなく笑いあった。

海のない雛見沢では、盛夏は興宮にある公営プールへ毎年のように行った。秋深まる日々には、赤く彩られた山々の、なだらかな稜線を目指して、山道を探索した。歩き疲れて、梨花も沙都子も泣きじゃくって、大声をあげると、決まってやまびこが返ってきて、その間抜けな響きに二人して笑いあった。厳寒の冬は、雪かきに勤しむ村人らを尻目に、互いに雪を投げ合った。

 春夏秋冬を二人で楽しみ、また一年、一年と過ぎていった。月日が経つほど、二人の友情は強くなっていったのに、二人をとりまく環境は、比例して厳しいものになっていった。

 北条家と園崎家の対立。ダム賛成派と反対派の対立。

 いずれも大人の事情である。オヤシロさまの巫女である梨花と、村八分にされた北条家の娘である沙都子の間に、露骨なまでの差別がなされた。

 

 梨花と豆腐を買いに出たある日、沙都子には売ってくれなかった。そのくせ同伴した梨花が同じように買い求めたら、何事もなかったように応対する。沙都子が小銭を落とす。誰も拾わない。梨花が拾いだす。するとそれを合図に、村人たちは拾うのを手伝った。沙都子は、いつも惨めな気持ちになった……なぜ梨花だけが!

 

 梨花の挙措に、自分を慮るものを感ぜられればそれだけ、沙都子は梨花に対して複雑な感情を持つようになった。

 梨花は皆に愛されている。

 自分は誰からも嫌われている。

 聖人君子ではない沙都子は、梨花に対して黝い思いを抱くことはあった。それでも、あくる日、梨花と登校し、二人で会話を重ねるうち、そんな思いも吹き飛んでいった。どうして仲良くできるのだろうか?

 そこに明確な理由なんてない。沙都子は梨花だから親友になれた。梨花は沙都子だから親友になれたのだ。

 

 そんな梨花は、まだ何か大きなものを抱えている。何か大きなものに苦しんでいる。沙都子にはそれが、ありありとわかる。

その梨花の重しを軽くしたのが、レナだろうことも、沙都子には分かった。それが口惜しい。レナへの嫉妬心ではなくて、自分が不甲斐なくて、口惜しいのだ。

レナと梨花が今年の祟りのことを教室で話したとき。沙都子は魅音に追従したが、心境としては圭一寄りだった。今回のことに限らず、梨花は話してくれないのだ。予言のことだって、沙都子は一度だって聞かされたことはなかった。梨花は、大事なことを自分と共有していない。

 たまに心が折れそうになるけれども。それでも、悟史が返ってくるまでは……

 強く、ありたい。

 やっぱり一人でお豆腐を買いに行こうと、沙都子は思った。

 

 

 

 

 今年も、綿流しの日がやってくる。

 これ程待ち遠しく、しかしこれ程来ないで欲しい日もない。楽しいお祭りが終わると、必ず誰かが死んで、誰かが消えてゆく。去年もそうであった。

 魅音は、園崎家が自分たちの影響力を失わせないように、全ての元凶であると振る舞う姿勢を、内心快く思っていなかった。

 どれだけの人が、自分たちの見栄の為に、恐怖に打ち震えていることだろうか。去年失踪した、北条悟史も正にそうだった。

 魅音は、悟史に恋をしていた。

 当時は恋といえるほどの、明確な感情なのかはわからなかったけれど、後から振り返るとあの感覚は、いま圭一に対して抱くものと同じであった。

 悟史と圭一は、およそ性格も風采も違っているのに、何か芯の部分で相似していた。だが、そんな二人の決定的な違いは立場だった。

 村となんらのしがらみも持たない圭一に対して、村八分にされた家の子。魅音は悟史を憎からず思っているのに、悟史は気軽に接してくれる魅音に感謝しつつも、どこか抵抗もあったのか、無意識下で警戒心を抱いていた。

 悟史をなんとかしてあげたいと、魅音は思っていたのに。結果として、それは最悪の形となって現れる。春の陽だまりのように穏やかで、すべてを包み込むような優しい少年は、皆の前から姿を消した。

 後悔先に立たず。人心を収攬する技術に長けていても、肝心要では怯懦な魅音は、己の消極さをひどく憎んだが、それ以上に、詩音は自分を憎んだことだろう。

 悟史が失踪した後。激情した詩音から詰め寄られたあの瞬間。魅音は詩音の瞳に、詩音の、村への憎悪、お魎たち園崎家への憎悪、魅音への憎悪、沙都子への憎悪、そして失踪した悟史への憎悪、果ては、自分自身への憎悪……自らをとりまく全てのものに対する、限りのない憎悪を垣間見た。魅音はその目に耐えきれなくなった。目の前にいる、自分と良く似た、憎しみに身を焦がす少女は、ありえたかもしれないIFの自分の姿なのだ。

 あの日、鬼の刺青を入れた日……「詩音」は「魅音」とたわいもない理由で入れ替わったために、一生消えぬ証がこの背平に刻まれた。その日、詩音として生を受けた少女は、魅音として生きることとなった……

 園崎家の次期当主として、周りからは畏れられてばかりだが、その実魅音は怪死事件については知悉していなかった。だが、今年は少なくとも、標的となる者を事前に知っている。暗躍する連中の目的を、未然に防げるのだ。

 

 ……思考に耽っていた魅音は、ふと時計を見上げると、時刻は間も無く正子に近づいている。明日に備えて、そろそろ床に着かなければならない。

 

(これ以上、この村で勝手はさせない)

 

 

 

 

 

 前原圭一が村に引っ越してきたのは他でもなく、勉強のストレスからBB弾で小学生を失明寸前に追い込んだ例の事件がきっかけである。

 過去の罪業を置き去りにして、リスタートを切る。許されざる行いとは知りつつも、圭一は自分を変えたかった。

 村に来て、両親とも随分と話すようになった。以前は仲が悪い訳でもないのに、特段会話はなかった。これが都会の魔力なのかもしれない。家族同士の間にすら、見えない壁を創りだす人工的な魔術。

 だが、都市の雑踏と狂乱の混沌から遠く離れたこの地では、人間の心の距離はずいぶんと近い。都市の人々は、死への不安と、生の桎梏から逃れるかのように寄り集まっては密集するのに、田舎の疎らに定住する人々のほうが、かえって人間的に近しくあるのは、逆説的に、人間というものの本質を物語るように思われる。現代人は、肌と肌を重ねれば重ねるだけ、お互いに心は離れてゆくだろう。古代から連綿と続いてきた、愛し合う行為に潜む神秘の意義も、いまやすっかり喪失し、皮相的に結ばれる契約に堕された。契約は書面となり、心の軛となり、彼らの人生を縛り付けることだろう。

 ……その点でいえば、雛見沢という村は、この古代の神秘を僅かなり受け継ぎ、われわれが持て余す自由とは別の、真なる自由を保証しているようにも見えなくはない。

 

 ……そう、圭一は自由を得た。

 常に急かされ、進歩することを強制する街から解放され、ゆっくり歩くことの意義を知った。前だけしか見ずに、足早に歩いていては見えぬもの。太陽の変化、雲の変化、風の変化、蝉たちの鳴き声の変化。ふと足を止めると、昨日までは蕾だったものが、今日にははなさいでいるありきたりな神秘。水浅葱の夕空が、広大な田畑一面を美しく照らす。少年の頬に生える微かな産毛の一毛一毛が、秋の豊穣な稲穂のように黄金色に輝きだす。穏やかに流れる時間が作り出す瞬間瞬間の奇跡……

 

 このひと月ほどは間違いなく、彼の歴史の中でもっとも生命力が充溢した日々であった。初めて、生きていることを実感しているような気がした。以前は得られなかった仲間にも恵まれた。雛見沢がいっぺんに好きになった。

 村はお祭り一色で、初めて参加する圭一も楽しみにしている。だが、その祭りに水を指す「オヤシロさまの祟り」が今年も起きる。そして大災害が起きる。必ず防がなくてはならない。

 以前、あたりが漆黒に包まれる夜、見晴らしのよい古手神社の高台から俯瞰したあの景色を思い出す。あれほど広大に思えた雛見沢のかくも小さいこと。この小さな村に住む人々の命。家々の電灯の点々とした光、あれらの一つ一つに生命が宿っている。過去と今と未来が宿っている。

 ようやく見つけた居場所を、壊されるわけにはいかない。圭一の胸に熱いものがこみ上げて来る。この熱情を忘れてはならないと思えた。

 

 

 

 

 

 

 時計の針は進む。

 それぞれの想いを斟酌せずに。時間を誰にも平等に与えてゆく。

 秒針が、上を向く分針と完全な符合を見せた。

 かくして運命の日が、雛見沢に訪れる。

 ……符合したのは一瞬だけだった。秒針は止まらないでただ進み続ける。

 

 

 

 

 




次話は綿流し。

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