外はすっかり夜の帳が下りていた。圭一、レナ、魅音、3人は神社の石段を下りながら帰路につく。祭りの設営はだいぶ進んでいるようだった。このぶんなら、当日はつつがなく催されることだろう。
赤坂は、梨花らを護衛するためにしばらく同居するのだという。なぜだか梨花は顔を赤らめながら猛然と反対していたが、彼女の命に代えられるものはない。多数決であえなく梨花の意見は退けられた。
大石とは先ほど別れた。彼は、本当に信頼できる者に鷹野と富竹を護衛させる気らしく、一足先に署に戻っていった。
やがて魅音とも別れ、帰る方向が同じ圭一とレナの二人きりになった。
嵐の前の静けさともいうべき静寂さが、雛見沢を包んでいる。この数日よくすだいていたひぐらしの声も聞こえてはこない。二人も言葉少なで、足取りもゆったりしている。
「なぁ、レナ」
「なに、圭一くん」
「お前さ、なんていうかちょっと変わったことないか?」
「え?」
圭一の言葉に、レナは意表を突かれたような素振りをみせる。
「ううん、でも変わったように見える?」
「ああ、なんだか雰囲気が変わったような気がする。はうーとか、お持ち帰りーとか、そういうの言わなくなったからさ」
「……そうかな?かな?」
「いまさらそんな口調になっても遅いぞ」
「あはは、そうだね」
レナは自分では、14歳を演じきれていると思っていたが、いつも一緒にいる圭一には容易に見抜かれていたらしい。このぶんだと、何も言わぬ魅音や沙都子もそうなのだろう。
今は、圭一と二人きりだ。
彼を意識しだしたのは、いつからだったろうか。もはや思い出せぬほど昔のことだ。底抜けに明るく、騒々しく、時に頼りになる存在。前の世界では被害妄想に囚われながらも、彼のことだけは信じられた。
羨望があったのかもしれない。圭一の明るさ、それは当時のレナのように、内々の鬱屈した感情を誤魔化すための、見せかけの明るさではない。雛見沢での日々を、心の底から楽しんでいるからこそ溢れる笑顔。その笑顔が、レナにはあまりに眩しくて……
そして、校舎の屋上で、満月の下で干戈を交わしたあの夜……
圭一の金属バットと、レナの鉈が、同時にぶつかり、金属音は心地よく響もして、激しく火花が散る。宇宙人も、寄生虫も、雛見沢で蠢く陰謀も、なにもかもがどうでもよくなって、レナは楽しくなった。レナはあの瞬間、久方ぶりに屈託なく笑えた気がした。圭一も同じように笑っていた。彼の笑顔は、今まで以上にレナを魅し、眼交のレナを写すその瞳の、燃えるような色に吸い込まれて、しばらく眼を離せなかった。
彼の一撃は、どれも重かった。彼の一撃は、どれも美しかった……
全力で戦った。レナも圭一も、しだいに疲労の色が濃くなって、得物を握る力も緩みはじめる。やがて最後の時が訪れる。果たして、勝者であるはずのレナは泣いていた。敗者であるはずの圭一は小さく笑みを湛えていた。圭一は、試合には負けたが、勝負には勝ったのだった、レナの虚妄を打ち破るための、彼自身の戦いに。
圭一はレナを優しく抱擁して、仲間を信じるという、当たり前で、とても大事なことを教えてくれた。何事も、他者の力を借りずに独力で成功することはない。人々は今日も誰かを支えながら、あるいは支えられながら生きてゆく。圭一は身命を賭してそのことを教えてくれた。
あの瞬間、レナの圭一に対する寄る辺ない、淡い思いは確かな恋心に昇華された……
「でもさ、今のレナの方が自然な気がするな」
「本当?」
「ああ、だからこれからは無理して明るく取り繕わなくていいぞ」
「……うん」
「あれ、富竹さんと鷹野さんじゃないか?」
「え?」
レナの家が近づき、二人きりの時間が終わりを告げるかというところで、圭一は富竹と鷹野が、なにやら話しながら歩いているのを見つけた。富竹は愛用の自転車を両手で押しながら、鷹野の歩幅に合わせている。やがて二人もこちらに気づいたようで、
「やあ、圭一くん。それにレナちゃんも。こんな時間に二人で帰るなんて、最近の子どもは進んでいるなぁ」
「そんなんじゃないですよ、富竹さん」
「おや、そうかい?彼女の方は、満更でもないようだけど」
「あはは……富竹さんの方こそ、鷹野さんとデートですか?」
「あ、いやこれは……」
「そうよ、レナちゃん。ジロウさんったら強引でね。こんな時間からじゃ撮影なんてできっこないわ」
「いや、まいったなぁ」
和やかに会話が進む。二人を見ていると本当にお互いを信頼しているようで、レナも圭一も、こんな二人がもうすぐ殺されてしまうなんて考えたくはなかった。
「あの、お二人ともちょっと真面目なお話があるんですが……」
「おや、なんだい圭一くん、改まって」
「実は……今度の綿流しのことなんです」
「あら、前原くんは最近引っ越してきたばかりだから初めてよね?都会の子はあまり楽しめないかもしれないけれど」
「いや、お祭りのことじゃなくて、綿流しの日に、いわゆるオヤシロさまの祟りってヤツが起きるじゃないですか」
圭一が「祟り」の言葉を口にすると、二人ともさっと顔色を変えた。富竹はいくぶん真剣な口調で、
「……一部の村人たちが、綿流しの日に何年か続けて起こった事件を関連づけてそう呼んでいるのは間違いないよ。でも、個別の事件に関連性はないし、客観的に見ると、偶然の事件なんだよ」
「いえ、今年の祟りのことなんです」
「……どういうことかしら?」
「えっと、今年の祟りの対象が、その……」
流石に当人らを目の前にして、二人が祟りにあうと言うのは、圭一をしても憚られたようだったが、レナがその言葉を引き継いだ。
「今年の祟りの対象が、富竹さんと鷹野さんになるという噂があるんです」
「僕たちが!?嫌だなあ、レナちゃん、冗談にしては面白くないよ?」
「……」
レナの言葉に大仰に反応した富竹とは異なり、鷹野はなんの反応も示さない。
「あくまでも噂なんですが……ただ、お二人にはどうか身の安全を考えて頂きたくて。祟りが今年も起きない保証はどこにもないですから……」
「そうです!それに、そういう噂を真に受けて本当に実行する奴がいるかもしれないでしょ?」
「うーん。まっ、一応気をつけておくよ」
二人の熱情に絆されて、多少の譲歩をみせた富竹だが、やはり本気で信じてはくれないのだろう。子どもが何を言っても、彼ら大人は笑いながら受け流す。むしろ不快感を見せぬあたり、彼は出来た大人なのだろう。
だが、鷹野はやはり表情を変えない。
ふいに、彼女が口を開く。
「……その情報、誰から聞いたの?」
「えっと、それは……」
「それが分からないんです。私たちも偶然聞こえただけなので。誰かがそんな会話をしていたんです」
「……そう」
富竹と違い、思った以上に真面目に考えてくれている。もしかしたら、彼女は信用してくれるかもしれない。そして彼女の言うことならば、富竹も受け止めるだろう。少しだけ道が開けてきた気がした。しかし、鷹野は二人になんの脈絡もない問いを投げかけてきた。
「ねえ、二人とも。オヤシロさまの存在って、信じる?」
興宮地区にある小此木造園は、表向きはなんの変哲もない小さな造園会社だが、実際は山狗によるダミーカンパニーだった。無論、通常の造園業務も営んでいるし、これは立派な建設業にあたるため建設大臣への許可申請も済ませてある。もっとも、例の大臣孫誘拐事件とは無関係であるし、要件を満たす以上建設大臣はこの申請を無下にできない。しかしこの会社で数年も地元住民と交わるうち、彼らは立派にこの地方に溶け込んでいた。潜入工作で大事なことは、平時においてはその対象に貢献することだ。小さいながらも確かな技術をもとに、人々に恩恵を与え、信頼を重ねている。雛見沢分校の造園業も委託されているが、言うまでもなく古手梨花の監視と護衛も兼ねているだろう。
営業時間もとうに過ぎていたが、電話が鳴り出した。緊急用の電話だった。小此木は静かに受話器を取る。
「鷹野よ」
「こんな夜更けにどうされました、鷹野三佐」
「……作戦が漏れているということはない?」
「はい?」
小此木はこの質問に対して、若干の苛立ちを込めて返答する。なぜなら、潜入工作を得意とする山狗が慎重に慎重を重ねているのだ。彼女の問いは、山狗を信用していないと言っているのに等しい。
「三佐、日にちが近づいて不安になるのもわかりますが、なんも心配はいりません。万事我々にお任せを」
「……私と富竹が綿流しの日に祟りにあうという噂が流れていても?」
「……どういうことですか?」
「どうもこうも、近所の子どもから伝えられたことよ。どれだけ噂になっているか知らないけれど……」
「……わかりました。大至急調べます」
「ええ、大至急よ。……そういえばさっき調べさせた大石と一緒にいた男、何者かしら」
「それについては判明しました。どうも公安の者のようでして。例の大臣孫の誘拐事件のときに潜入した公安の男と同一人物ではないかと。自分ともう一名は、その男と対峙しましたから顔は覚えています。裏付けはまだですが間違いはないでしょう。赤坂衛。あの若さで当時警部でしたから、キャリア組です。今は警視でしょう」
「……その公安に作戦が漏れていないという保証は?」
「……あり得ないとは言えません」
「なら大至急調べなさい!もうすぐ綿流しなのよ!余計な横槍を入れられるわけにはいかないわ」
「はい、承知しました」
鷹野からの電話が途切れると、小此木は作業服姿の男たちを睥睨しつつ、
「把握したな?公安が一匹潜りこんでいるようだ。中央の公安の動きを注視しろ。あとは赤坂以外に本当にネズミがいないかもう一回洗え!」
彼らへの指示を一通り終えると、小此木はまた電話をかけはじめた。自分とこの相手に繋がりがあることは、鷹野には言えないだろう。所詮は保険のための連絡手段だったが……
「……作戦の修正が必要だな」
受話器を耳にあてながら呟く。しばらくしてから電話が繋がった。