「まもなく、名古屋ー、名古屋です」
東海道新幹線の、柔らかなシートに凭れながら、降りる駅を報せる、間延びしたアナウンスとともに、赤坂の目は覚めた。何か夢を見ていた気がしたが、あいにくと覚えていない。夢とはたいていそんなものである。
乗車口が開き、せわしなく人々が電車から降りてゆく。行き交う無数の群衆。皆顔を合わせることもなく、表情も歩き方も服装も、似たり寄ったりで、無個性であることが個性であるとでも主張したげである。赤坂もまた、そんな彼らの中の一人であった。
赤坂が村を訪れるのに、深い理由はない。
ただ、毎年この時期の妻の命日から、なんとなく逃げ出したかったのかもしれなかった。仕事が忙しければ、全てを忘れて仕事に没頭できる。だがあいにく、つい先日に大きな事件を解決したばかりで、働き詰めの赤坂を見計らって、上司が休暇を勧めてきた。有給休暇もなかなか消化する機会はなく、申し出をありがたく受けたが、本音のところ、この時期に東京で一人では心は休まらなかっただろう。
赤坂は北陸地方のとある有名な温泉街へと静養へ行く道中に、懐かしくも忌まわしき、あの村を訪れようとしている。何が自分を駆り立てるのかは、赤坂にも分からなかったが、なぜだか、いてもたってもいられなかった。
名古屋駅から電車を乗り継いで、三時間ほど経ち、いよいよ目的地である興宮駅が近づいてきた。車窓に目をやると、都会の景色とは全く異なる、見渡す限りの大自然が広がっていたが、それに感嘆する余裕はあまりなかった。
大都市の中心部を走る電車と異なり、このあたりは駅と駅の区間が広いため、体感時間は余計に長く感じられる。ローカル線のくたびれた電車内はいまだ空調が完備されておらず、照りつけてくる陽射しが余計に暑さを助長している。滴り落ちる汗を幾度となく拭きながらの長旅は、体力には自信のある赤坂をしても疲労させた。
電車は興宮の二つ前の駅に、数分の間停車していた。すると、人の疎らで静かな車内に、ひぐらしの鳴き声がよく聞こえてくる。それは否応なしに夏の訪れを予感させるものだった。彼らの声は、赤坂の耳には自分を歓迎しているようにも聞こえた。
(そういえば、以前ここに来たときも、この蝉の鳴き声が聞こえていたな)
……興宮の改札を出てすぐ、5年前と変わらぬ風采を保つ大石が赤坂に気づいて、声をかけてきた。
「おおーい、赤坂さーん。こちらですよー」
「大石さん、お久しぶりです」
「いやぁー、見ないうちに立派になっちゃって。顔もすっかり精悍になりましたなぁ」
「そういう大石さんは、変わっていないですね。一目でわかりましたよ」
「いやぁー、私も定年間際で、そろそろ身体に変調をきたすころなんですがね、ありがたいことにまだ健康そのものです」
ここ数年、赤坂と大石のやりとりは、年賀状を交わすのみとなっていたが、かの建設大臣の孫の誘拐事件の際に、共に死線をくぐり抜けた者として、年月を経ても互いの信頼関係は失われていなかった。今回赤坂から連絡を受けた大石は、懐かしい顔を一目見ようとこうして真っ先に迎えに来たのである。
久々の再会で、二人は羽目を外して遊び倒した。麻雀はあいも変わらず赤坂の独壇場で、密かに腕を磨いていた大石は、またしても人生の先輩としての面目を失ったが、それならばと女や酒の席に赤坂を引っ張るも、これまた既に青さを乗り越えていた赤坂が、存外に胆力を見せたことは、大石を喜ばせた。いつだって、青年の成長ほど見ていて嬉しいものはない。それが共に闘った仲間ならば、喜びもひとしおである。
「……今年で5年目ですか?」
「ええ。妻の実家の方とは、当初こそ連絡は密にとっていましたが、最近は……向こうも私を見るのが辛いようで」
「それは……なんとも」
赤坂の妻、赤坂雪絵は、彼が雛見沢に訪れている間に事故死してしまった。当初は殺人も視野に入れたが、調べるほどに事故死以外の結論を導くことはできなかった。もうすぐ彼女から、新たな生命が産み出されるという、その矢先のことで、赤坂の落胆は甚だしかった。あの時、梨花の警告を聞いていれば……赤坂は何度もそう思わずにはいられなかった。
雪絵が事故死した当日、赤坂は誘拐犯との激戦を終えて、疲れた身体を慰めようと、妻に電話をかけようとした。ところが、診療所内の電話、そして村に二つしかない公衆電話、そのいずれの受話器のコードも、不自然に切断されていた。犯人は梨花であった。
「なっはっは。偶然でしょ。古手梨花のイタズラが、折悪く赤坂さんの不幸と重なった。そういうことでは?」
「……大石さんは以前私に、古手梨花はオヤシロさまの生まれ変わりだとか言っていましたよね」
「ああ、あれですか。まぁ村の老人らによると、知らないはずのことを知っていたり、未来を予言したりと。眉唾ですがね」
「予言……?」
「赤坂さん?」
「……」
はっとしたまま口を噤む赤坂のようすを、怪訝に思った大石が声をかけるが、聞こえていないようである。それというのも、彼はある記憶を、思い起こしていたからであった。
「……平和が?この村に?」
「これから毎年、血生臭いことが起きるのに?」
「私ね、あと何年かすると、殺されるの」
「多分、決まっていることなの」
「それを私も、知りたいの」
「これを伝えても、何も変わらないかもしれないけど」
「……私は、幸せに生きたい。望みはそれだけ」
「大好きな友人たちに囲まれて、楽しく日々を過ごしたい」
「……それだけなの、それ以上の何も望んでいないの」
「……死にたくない」
……死にたくないーー
「そうです!予言です!」
「あ、赤坂さん?」
突然大声を上げた赤坂に驚く大石だが、赤坂はそんな彼に気づくことなく、
「どうして私は忘れていたんだ!あの少女は確かに言った!自分は殺される、死にたくないと!なぜ今の今まで……!」
「……赤坂さん。落ち着いて下さい。そりゃいったい何の話です?」
大石の眼光は鋭く変わっていた。赤坂は我に返り、幾分冷静さを取り戻す。
「大石さん、いくつかお聞きしたいことがあります。あの、私と雀荘で麻雀を一緒に打った、あの……現場監督。彼がバラバラの遺体になって発見されたということは?」
「……ええ、たしかに。あれは赤坂さんが来た翌年でしたかねぇ」
「では、その翌年、ええと、サトコさんという方のご両親が、転落死……」
「ああ、北条夫妻ですね。沙都子さんはその娘さんです。しかし赤坂さん、よくご存知ですなぁ、娘さんの名前まで」
「ではその翌年、古手梨花の両親が亡くなり、さらに翌年、先ほどの沙都子さんの叔母が亡くなっているとか……」
「……赤坂さん、それをどこで知ったんです?古手夫妻はともかく、北条家の叔母については秘匿がかかっているはず」
「そしてその翌年……」
「……なっはっは。そりゃ今年ですよ、赤坂さん。酔ってます?」
「古手梨花が、殺される」
「……」
大石はしばらくの間絶句していたが、放心しつつある赤坂に対して、真剣な眼差しを向けた。
「少し、詳しい話を聞かせて下さい」
空は赤く染まり始め、疎らな家々にも電灯の明かりが灯り出していた。梨花たち五人は帰り道を、なるべくゆっくりと歩いてゆく。彼らの表情には、それぞれに何らかの強い意志が見て取れた。オヤシロさまの祟りを防ぐという使命は、彼らを興奮させるに足るものであったらしい。やや不謹慎ながらも、部活の延長としてこの状況を捉えている節があったが、それこそ恐れを知らぬ少年少女たちの美徳でもある。
……結局、富竹と鷹野の死を回避する有効な手立ては浮かばず、警官に護衛してもらうか、自分たちが護衛するかの二択ということになった。もっとも納得はいっておらず、こうして帰路につきながらも各々思考を続けていた。
そんな彼らの元に、一人の男性が声をかける。
「おやぁ、皆さんお揃いで。遅い帰りですなぁ、もう日が暮れますよ」
「大石っ……」
「大石さん……」
部活メンバーの表情に緊張が走る。
大石は、彼らにとって最もよく知る警官だ。幼少より敵視していた魅音などは、良くも悪くもその性質を熟知していた。また、過去もよく知っていた。
……この男は、要するに親しい人物の死の謎を説明できる何かを欲しているのだ。目下のところ、園崎家が裏で手ぐすねを引いているという脚本が、彼の復讐にとって最も都合がよいから、そう信じているにすぎない。まもなく定年を迎える大石に残された時間はなく、仮令どれほど眉唾な話でも、鵜呑みにしかねない危うさがあったが、それはつまり、富竹と鷹野の死を伝える場合、ひとまず信用してくれそうな人物でもあった。
だが、あいにくと大石一人というわけではないようである。
彼らの視線は、大石の後ろにいた人物に向けられた。精悍な容貌で、年の頃なら20代後半といったところだろうか。柔和な表情を浮かべているが、がっしりとした体格とその姿勢は、何らかの武術を習得しているように思われた。この村では見かけない、田舎の匂いのしない洗練された男性。はたして梨花は、その人物を知っていた。
「赤坂……赤坂なのですか?」
「久しぶりだね、梨花ちゃん」
梨花は、感極まったように、揺れる瞳で赤坂を見上げていた。赤坂は小さな梨花を見下ろさないようにしゃがむと、その頭を撫でて、
「君の予言を思い出したんだ。辛かったね、梨花ちゃん」
「……っ」
その言葉に、耐えていた梨花の涙腺が決壊した。年齢相応の子供のように、泣きじゃくる梨花を、皆は不思議に思いながら見つめている。わけてもレナは、赤坂を知っていた。
(この人、大石さんと一緒にいた……)
自分に証言を求めてきた大石と行動を共にしていたということは、彼もまた、雛見沢大災害の解決を希う一人なのだろう。赤坂の瞳を見つめてみたが、誠実そうな外見同様に、裏表があるようには見えなかった。梨花の態度からすると、以前交流があったのだろうか。
そこではたと、レナは思い直す。
梨花は、徐々に過去に戻れる時間が短くなってきている、とこぼしていた。ならば、もしかすると赤坂との再会は、彼女にとっては数十年ぶりくらいのものなのかもしれない。梨花と赤坂の温度差は、ここにあるのだろう。
梨花がこれほど、衷心から感情を表にあらわすのは稀だった。そんな彼女が信用する赤坂も、ひとまず信用してもよさそうである。
いっぽう、事情をあずかり知らぬ圭一、魅音、沙都子の3人は、「予言」という言葉に疑問を呈する。
「あの、赤坂さん、でよろしいんでしょうか、予言っていったい何のことです?」
「失礼だけど、君は?」
「前原圭一と言います。この雛見沢に最近引っ越して来ました。でも、梨花ちゃんは俺の、俺たちの友人です」
圭一の発言につられるように、魅音と沙都子も、赤坂に質していく。赤坂が、彼らに伝えてもいいものかと思案していると、掌に小さくも、暖かな体温を感じた。梨花であった。
赤坂の手をきゅっと握って、彼を見上げている。その透き通るような眼差しは、どこか既視感があったが、不安の色も見てとれた。
もう一度、彼らを見る。皆、梨花のことを心配しているのだろう。梨花もまた、彼らを信頼しているのだろう。
梨花は、予言のことを伝えて、彼らの信用を失うことを恐れている。だが、決してごまかしを許さぬだろう視線に、真摯に応えようと思った。
梨花の手を強く握り返す。少女は驚いて見上げてきた。赤坂は無言だったが、視線だけが雄弁に語っていた。
(なにも心配しなくていい)
やがて梨花は、小さく首を縦に振った。
・地元出したかっただけ
・どうみても事案