合宿後の最初の練習、茜の姿はグラウンドになかった。深くは誰も詮索しなかった。きっと試合の時のことだろう。みんなそう自分たちに言い聞かせながら、いつもより少し静かなグラウンドで練習を始めた。
「名古谷、なにか聞いてるのか?」
「なにも」
心配する西村。対して茜の話になると気不味くなる敦史。
「いいから練習続けるぞ、西村」
「お、おう」
そして練習開始の1時間前、教室にて…。
「あれ?茜、部活はー?」
「え、あっ、今日はちょっと用事が…」
(ガンっ)
茜の机が動く。
「痛っ!、」
「だ、大丈夫!?」
「う、うん…」
話しかけたのは茜の親友であり、敦史の彼女である美優だ。
「帰るなら一緒に帰ろうよ」
「うん」
隠れるようにグラウンドの横を通り過ぎ、なんとか校門を出た茜。
「そんなに気不味いの?」
「え!?な、なにが!?」
「野球部」
「あー、ほら、監督には言ってるけどさー…」
「夏休みも合宿後、出てないって敦史言ってたよ?」
「…」
敦史から報告をもらっている美優にテキトーなことは言えない。なにかいい理由を探さなくては。そう考え込む茜だが、美優には色々筒抜けだった。
「なにで喧嘩したか知らないけどさー、なんか妬けるよねー」
「え?」
「だって、ウチの彼氏なのに、茜のことばっかり!」
「ご、ごめん…」
すこしふてくされて見せた美優だったが、流石に元気のない茜にはやりがいがない。
「んで、辞めるの?」
美優は話を変えた。
「辞めない…つもり」
なかなか目を合わせようとしない茜にしびれを切らし、帰り道人が見ている中で、ガッと茜の肩を掴んでちょっと大きめの声で言う。
「あのさ!!」
「み、美優!?」
「なんか、ウチは頭いいわけじゃないけどさ!」
「…」
「もちろんさっき言ったみたいに妬けちゃうことあるけどさ!親友としてさ、悩みとかあるなら言ってほしい!」
自分の思いを丸ごと茜にぶつけた美優。
「美優…」
「敦史に言えなくても、ウチには言えるかもって思ってさ。嫌じゃなければって感じだけど…」
(あぁ、そうか。周りが涼ちゃんしか見えてなかったんだ。)
「ごめん、美優。もう少し、待って…。」
「茜…」
「でも、ちゃんと言うから!絶対!」
表情もいつものお気楽な茜よりも真面目だ。まあ許してやるか…。
「わかった。約束だからね!」
「うん!」
美優と約束をした茜。
時は合宿後の涼介との会話。
「休部してどうするの?」
「気不味くなってるならさ、コソ練しようよ。ランニングとインナーを鍛えるんだよ」
「そんなの許してもらえないよ…」
「言ってみなきゃわかんないよ!」
という涼介の提案の元、気不味さとコソ練をしたいがために監督に申し出た。
「というわけで…」
「ちゃんと練習するんだな?」
「はい」
「じゃあこれをやる」
そう言って監督が茜に差し出したのは強度が3タイプあるゴムチューブだ。
「肘を鍛えるのにはもってこいだ。毎日100回くらいやっておけ。強度は少しずつ上げるんだぞ、一気に上げるなよ」
難なく許しを得られた。
「止めないんですか?」
「ここでお前を部に置いていても成長がないと思ったからだな。その代わり、」
「?」
「エースナンバーは剥奪だ。当然だが、打順もだ。」
わかっていたことだが、宣告されるとまた違う角度で刺さってくる。しかし、こんなことでへこたれていられない。部員と敦史と離れることで、自分と向き合い、新たな発見をするのだ!
「承知の上です!」
こうして、茜の個人練習が始まった。
朝、学校を出る前にランニング。授業中には先生にバレない程度にチューブを使ったインナーを鍛える練習。ここまでするともはやコソ練ではないが…。
毎日毎日欠かさずに、死ぬほど頑張った。最初は1キロから始めたランニングも始めてから3ヶ月が経つ頃には10キロに距離が伸びていた。たまに涼介とするキャッチボールでは前よりも肘の調子が上がってきていることを実感した。一週につき1度だけにしていたキャッチボールも調子が上がっていることを確認すると回数、球数を増やしていった。
一方、茜を欠いて出場となってしまった秋の新人戦では、夏に東京を制覇したチームとは思えないほどの打線の崩壊で7回で打った安打は2本。背番号1を背負い先発した青木も3回途中6失点と炎上し、まさかの1回戦敗退となった。
そして、敦史や野球部のみんなと茜が話をしたくなって2度目の大会が始まろうとしていた。
引退となった3年生も参加できる、私学大会。今日は背番号が発表された。優先されたのは自主参加した3年生だ。そして、
「最後、20番は…。ここにいないが、空けておく」
1年生にもしやと、笑みが溢れるものもいた。2年生もやれやれと思うものしかいなかった。
「名古谷、ちゃんと接しろよ」
高柳が夏の試合での喧嘩を振り返る。
「ちゃんとした球を投げればいいんだよ。それだけ」
こんなに澄ましているが、茜の近況をよく美優から聞いているくらい心配している。気になってしょうがないのだった。
しかし…、、
「おい、20番のやつはどうしたんだよ」
試合当日、開始時間になっても茜の姿はグラウンドになかった。3年生たちも茜の怠惰っぷりにため息。敦史のイライラが高まる。
「敦史!!」
茜の現状を伝えにきたのは、試合観戦に来ていた美優だ。
「茜の乗ってる電車、人身事故で6つ手前の駅で止まってるって!」
「運が悪いやつだな…」
「あ!」
茜から美優に電話だ。
「え!!まじで!?わ、わかった…」
茜のことを監督に伝えに行った敦史に、電話で話したことを知らせる美優。
「は?走る?本気なのか、あいつ」
タクシーなどを拾えばいいものの、走ってくるようだ。
「監督…、どうします?」
「好きにさせろ。来たらその時の状況によって決める」
その頃、
「走るの!?」
「涼ちゃんはゆっくり来て!わかんないけど、走ったほうが早い気がする!」
止まった電車を降りて走る準備をする茜。
「タクシーで…」
「先行くね!」
提案しようとしたのもつかの間、行ってしまった。
「まあいっか、あーちゃん楽しそうだったし」
そう、久々の野球に心が踊っている茜を涼介にとめられるわけなかった。
試合は3年生の元エース白根を先発にスタートしていた。序盤は難なく進むも、白根のノミの心臓っぷりが爆発。ランナーを背負った時には必ず失点をする有様。なんとか5回までつなげた。
そして、6回裏の相手中学の攻撃。敦史の戦略虚しく、ノーアウト二三塁。今日3度目のタイムをかけマウンドへ向かう。
「さすがに交代っすよ、白根先輩」
「い、いやだ!」
「ったく、ピッチャーという生き物は…」
夏のデジャブ。先輩を優先したせいで、青木の出場登録枠がたりなかった。和田も下げてしまった。となると…。
「遅れました!!」
息を荒げながら、登場したヒーロー。いや、ヒロイン。
「はぁはぁ」
「ユニフォームは」
監督がそう聞くと、着ていた赤ジャージを突然脱ぎ出す淫乱っぷり…、ではなく。
「着てきてます!」
「西村!キャッチボールしてやれ」
監督の「キャッチボールしてやれ」は登板させるぞ、という合図でもある。懐かしの感じについニヤける。さっきの淫乱っぽさで固まる1年生たちだが、すぐに応援をすることを思い出し、
「茜先輩、頑張ってください!!」
そして、監督から敦史への支持は、次のバッターまで戦ってろとのこと。諦め続投するもセカンド強襲の内野安打で満塁。ゲームのような展開になってきた。
「松原、西村出るぞ」
この場面で選手交代。センターに西村。そして、
「ただいま」
「いつも通りいく。いけるんだろ?」
マウンドへ上がった茜へいつも通りの対応。すると、もちろんのドヤ顔で言う。
「あたしを誰だと思ってんの?」
久々の台詞につい敦史の口角が上がる。そして、敦史がミットを茜の方へ差し出す。それに反応して茜もグローブでそれを叩く。そして何も言わずにお互い持ち場についた。