始まった初の全国大会。しかし、勝てたのは初戦の茜が投げた1試合のみ。2回戦で3年の白根が打ち込まれ敗北を喫した。茜は一度しか立つことのできなかったマウンドに別れを告げ、学校へ戻った。次の日、引き継ぎの挨拶が先輩から後輩へ。キャプテンの北見は部に残る後輩へ少し充血した目をしっかり後輩へ向けて次のキャプテンを発表した。
引き継ぎが終わると写真を撮ったり、話をしたり一年に一度訪れる瞬間を噛み締める者もいた。しかし、すでにボールを手に取り投げたがっているものもいるのだった。
「おい、キャプテン」
「突然そう呼ぶなよ。慣れないんだからさ」
「自分がなるってわかってたくせに」
「そんなわけあるかよ」
茜は早速敦史をイジリ、退屈さを表した。
「投げたいんだろ?」
「当たり前よ」
「10だけな」
「やった!!」
エナメル質のクラブバッグから綺麗な黄色のグローブを出した茜は、柔軟をし始める。周りの部員たちは、こんな時までやるのかと呆れる者もいた。敦史はミットを手に取り茜との距離を18mとった。
「ほれ」
敦史はミットの面を茜に向けた。茜は向けられたミット目がけ球を投げた。
「座っていいよ」
キャッチボール姿だった敦史を座らせ、10球の投球練習にはいった。1球1球丁寧に投げ込む。鳴り響くミットの音は茜の集中力を高めた。しかし茜の球を受け続けている敦史にはいつもとの違いがすぐにわかった。
「8割でこないのか?」
「あー、うん」
いつもこういう時は8割の力で投げる茜だが、今日は5割程度の球威だ。まあそういうこともあるだろうと敦史は10球取った。
「終わるの早いなー」
「合宿あるから、そこで投げればいいじゃないか」
「あと1週間もあるじゃん!」
「みんなは1週間しかないと思ってるだろうに」
そう、次は夏休み期間に行われる合宿が待っていた。茜はたくさん投げられる喜びを感じられるために合宿を楽しみにしている。
「丁度これからオフなんだから合宿まではしっかり休めよ」
「はいはい、いつものね」
「お前な」
敦史がここまで茜に釘をさす理由は、茜のオーバーワークにあった。投げすぎで一度肘を痛くしていた。茜の強さを真に知る敦史だからこその注意なのだ。茜は毎度毎度この忠告に空返事を繰り返している。ことはそんなに簡単に行かないのである。
「まあとにかく合宿までダラダラしてればいいんでしょー」
「走り込みぐらいはしておけよ」
「ほいほーい」
負けた過去は10分しか振り返らない茜は次の合宿にすでに目が移っていた。
合宿までの1週間、家でボールを握りながらダラける茜。こんな選手中学生を代表するような投手だなんて誰が思うだろうか。
「母ちゃん、アイスー」
「自分で取りなさい」
「うぇー」
茜は小学生の頃からスポーツ万能、器用な性格だった。水泳、器械体操、ピアノと習い事もしていて休み時間は男子たちとサッカーをするくらいだった。野球に巡り合ったのは幼稚園児の頃、父親に連れられ行った『西武球場』で見た西武vs近鉄の一戦だった。その時園児ながらもホームランを放った中村紀洋のバット投げパフォーマンスに魅了されたのが今、野球をするに至ったきっかけであった。
茜は部活動として野球を行うべく、小学生の頃はキャッチボールの仕方を調べ、より良いキャッチボールをしコントロールを身につけた。その時に参考にしていたのがダイエーの和田毅。コントロール研究のために投手の映像をたくさん見ているうちに、投手への憧れも抱き始めた。家系上、女の子のわりには背が大きい方なため、投手もできると考えたのだ。
コントロールを極めた茜が進んだのが城戸中学。中高一貫校で、高校の野球部からは過去に1人だけ広島のチームにプロ入りした選手がいるような学校だ。中学の軟式野球部は大した強さではない。全国大会には出場経験なしで基本3回戦以内に敗北することが多い学校。そんなところなら投げられる可能性があると、決めるに至った。入部からは投手を希望するも3年生の体格に敵わず、1年次に基礎の下半身、指先の力を強化した。そこで出会った敦史と二人三脚で投手としての基盤を作り、3年生引退後の初戦で勝利投手になった。
茜が「舞姫」と呼ばれ注目されるようになったのは2年次の夏の大会の少し前、5月ごろに行った練習試合だった。投手としてエースを目指す茜を追いかける記者の早乙女マリがこの試合を見て、見出しにそう書いたのが始まり。島平中学との一戦、茜は次の大会の背番号1を狙うべくより良いピッチングを心がけ先発のマウンドにあがった。リードする敦史との息はぴったり。得意の縦に割れるカーブと真っ直ぐと軌道の変わらないチェンジアップをうまく使い、バットにボールを当てさせない。響くのはミットに突き刺さるボールの音ばかり。終わってみれば5回コールド勝ちの裏で1安打ピッチング。そして10もの三振を奪っていたのだ。この日は投球だけに収まらずコールドの10点中茜が得点に絡んだのは4点。打撃でも綺麗にバットを振り抜く姿に早乙女マリは心を奪われた。
それからテレビにも取り上げられたり一躍有名となった。しかし、そのどれもが美少女エースや、可愛い野球少女といった容姿に関することばかり。実力が知れ渡るのは少し先のことだ。
見事夏の大会の背番号1を手にした茜だったが、オーバーワークを気にした敦史が監督と立てた戦略が節目での茜の先発だった。というのも野手としても活躍する茜が毎試合先発投手をするのはオーバーワークにも程があると考えた敦史は初戦、決勝のみと茜の先発を限定した。これがいい方向に出たのか、作戦を伝えられた茜はエースナンバーを背負っているのにと怒りをボールにぶつけた。その怒りがいい方向にしか出なかった試合で舞姫の名が、実力と共に全国の野球好きに広まったのだ。
夏の区大会1回戦、正徳巣鴨中学。正徳巣鴨は水泳やバドミントンに力が入るもののあまり野球に力が入っていないため、城戸中学の1回戦突破は容易なものと考えられていた。そのため、先発の茜をさっさと下ろして1年生に場を経験させようと監督は考えていた。しかし交代が出来るような状況にならなかったのだ。茜は指先の器用さから変化球をたくさん覚えた。肘が悪くならないよう気にかけながら、他の男の子と球速で戦えないと判断した茜の勝負の仕方だった。ストレートを含め、実に6球種。多彩な変化球に加え針の穴を通すようなコントロールで打者をきりきり舞い。回終わりにベンチに戻ってくる茜はいつもと変わらない様子でスコアブックをよく見るまで捕手しか気づいてなかった。最終回を残し完全試合中だった。そしてそれだけでなく、18個の三振を奪っていた。ということは三振のみでアウトを重ねていたということだった。18者連続奪三振、緊張を隠せないのは投手ではなくリードする敦史だった。
「なに緊張してんの?」
茜の言葉にもこの時はうまく対応できずにいた。最終回、決め球を全て得意のチェンジアップで締め21者連続奪三振の完全試合を達成した。この試合を境に松原茜という選手が全国区で警戒されるようになった。