マウンドでは喜びを露わにしない投手が心から笑った瞬間だった。城戸中学を初の優勝に導いたエースは全神経を集中させて投球していたせいかフラフラで、弱々しいただの女の子のようだった。
話題性の高かった茜は、次の日の新聞の一面を飾った。
「『次代最強投手、パーフェクトで優勝!!』だってさ。」
「全部松原の記事だよ」
「なんだ名古谷、根に持ってるのか?」
「そういう訳じゃないよ」
敦史は新聞を高柳とともに眺めながらオフとなった遠征最終日を過ごしていた。
「あまり嬉しそうじゃないな」
高柳は敦史の思い詰めた顔を見て言った。
そのころ茜は自室で硬式野球のボールを触っていた。
今まで投げていたゴムのボールとは感触が違う。茜は強く握ったり、指で押して転がしたり舐めるように味わっていく。
「硬式か…」
程なくして、茜たちは東京へ帰ってきたのであった。
茜の高野連参加のニュースは学校中、日本、そして海外にも広まっていた。スポーツ界では注目されていたが、このニュースをきっかけに世の中が松原茜という名前を知ることとなった。
「新キャプテンは、和田だ。打線でも4番を打つことになると思うが、頑張って良い結果を残してくれ!」
ということで、引き継ぎを終えた3年生は顔出すものもいれば遊びまくる者もいた。
その中で茜は夏休みの終わりに涼介と共に大阪へと向かっていた。
「涼ちゃんと一緒なの嬉しいなー」
「俺で本当に良かったの?」
「涼ちゃんがいいの!」
マウンドから一時的に解放されている茜は愛するものといるこの時間を楽しんでいた。
そして、何故大阪へ向かっているのかというと始球式に呼ばれたのだ。今までに受けてきた取材で公言してきたファン球団のオリックスバファローズから依頼があった。
ホテルや交通費は全て球団持ちのようで、3人分用意してもらえた。蚊帳の外になっているが、今乗っている新幹線の3人座席には茜の兄の弘明も乗っている。3人で出かけることはあるが、旅行は初めてである。
「公共の場であんまりイチャイチャするなよ。恥ずかしいだろ」
「適度なスキンシップだからいいんですー」
そう言ってとなりに座る涼介の腕に抱きつく茜。弘明の言うことなんて聞こうとしない。
「にいちゃんの言うこと聞かなきゃ、あーちゃん」
涼介は弘明のことを『にいちゃん』と呼ぶ仲の良さ。
茜は反抗しつつも、この道中の新幹線では3人仲良くゲームの話で盛り上がった。
そして、試合開始の2時間前に球場入りした茜はNPBのボールを手に取りキャッチボールを始めた。相手はもちろん涼介だ。投げる感覚を確かめながら、手にボールが馴染んでいく。そんな気がしていた。
しかし今日の茜は、楽しさを交えながら投げているのが表情からわかる。
「どう?楽しい?」
「うん!すっごい楽しいよ!!」
最近はマウンドに立ち笑わずにボールを投げる姿しか見ていなかったからか、終始幸せそうに投球する様子に涼介を嬉しくなっていた。
白地に胸にバファローズのロゴが入ったホームユニフォーム姿は、バッチリ似合っている。いつか参入できると信じて、プロ野球の門を叩くための第一歩。
「あーちゃん、頑張って!」
「うん!一球だけだけどね」
満面の笑みで笑って答えた。ストレッチとキャッチボールをしていたらあっという間に出番だ。
裏口でスタンバイをする。国家が流れているのを扉越しに聴きながら、諸注意をうける。
「本日の試合の始球式を行っていただくのは、高校野球への参加を手中に収め、甲子園での更なる飛躍を期待される女性投手!東京からお越しの城戸中学3年生の松原茜さんです!!」
爆発するような歓声とともに茜はグラウンドへ現れた。身体に電撃が走るような感覚だ。今までにない感覚が茜を包み込む。
「こ、これが……、プロ野球の球場…」
今までに来たことがあった球場でも、入り方が違えば受ける衝撃は異なる。
しっかり帽子を取ってスタンドへ一礼した茜はオリジナルの名前入りのユニフォームでマウンドへ向かった。
真っさらな誰も踏み入れていない綺麗で整備されたマウンドに入るとつい癖で踏み込む先に後をつけそうになった茜は、慌てて足を止めた。
尊敬するこの日の先発の金子千尋に一礼をし、マウンドに立った。
「それではお願いします!!」
アナウンスに答えるように頭を下げると、茜は投球に入った。さっきのキャッチボールでしっかり手に馴染んだボールは完成されたフォームからキャッチャーの構えたところへ寸分狂わずまっすぐ向かった。
(バチーーン!)
必ずこの舞台に立ってやる。茜はここで起きた歓声は忘れない。
駆け足で最終話になりました。
最終話といっても中学生編の最後ということで、この話はまだまだ終わりません。
高校生編は、小説家になろうのサイトで掲載する予定になっています。
是非気になる方はいらっしゃってください