良いとは口が裂けても言えないグラウンドコンディションの中、11時になったところでゲームが始まった。
ベンチ前に敦史を先頭に一列で並ぶ。審判の掛け声で一斉に集まった20人の球児は、真剣な眼差しで相手と睨み合う。
「お互いに、礼!!」
審判が合図をし、互いのチームが頭を下げる。審判団にもそれぞれ挨拶をすると、後攻めの城戸中は守備についた。
今日も変わらないお決まりのスタメンで挑む城戸中。先発の茜は湿ったマウンドにしっかり、自分の踏み込む足場を作る。
「茜先輩!!頑張れ!!」
「松原、楽にな!!」
ベンチからの声援を受ける中、7球の投球練習をする。敦史の構えるミットに70%の力でコントロール良く投げ込む。7球終えると、敦史は茜の元へと向かった。
「総仕上げだ。変化球は全種類投げるぞ」
「かかってこいや!」
「よし。サイン間違えんなよ」
「誰が間違えるか!」
茜の気持ちを確認したところで、敦史はホームへ戻った。
茜が投げる予定の変化球は、次の8種類だ。
①ストレート
②スライダー
③スローカーブ
④チェンジアップ
⑤シンカー
⑥ツーシーム
⑦カットボール
⑧縦スライダー
この変化球を500通りを越える配球パターンで投げ込む。リードを考えるのは敦史。そして茜は精密機械のようなコントロールで投げ込むだけ。
プレイボールの合図だ。
「プレイボール!」
それと同時に静岡代表ベンチから、打者への応援の声が爆発した。
「「押せーーーーー」」
しかし投球動作に入った茜の耳には、雑音は右から左へ通り過ぎるどころか、バリアでも張られているかのように届くことはない。
左足を引いてからノーワインドアップでモーションに入る。リリースポイントの分かりづらいフォームから投げ込まれた初球は、ストレートだ。
「ストライク!」
外角いっぱいのストレート。茜のファーストストライクで最も投げられているコース。そんなデータがあるにも関わらず、なかなか手が出ないのは、先頭打者だからという理由だけではない。
それから変化球を余すことなく見せていき、初回を三者連続三振で終えた。
「あんなに変化球見せちゃっていいの?」
ベンチに戻った茜は敦史に問いかけた。
「これだけ見せておけば、2回からどの球に絞ればいいかわからなくなるだろう」
「そっか。まあ、あたしはサイン見て投げるだけだけどねー」
そう言うと茜は、ヘルメットを手に取りネクストバッターサークル付近で相手の投球を見ている西村の元へ向かった。
「いけそう?」
茜の大雑把な質問に対し、西村は
「わかんね」
「まあ、なるようになるよねー」
「そうそう。いつも通りにな」
決勝にも関わらず、やけに楽観的だが打席に立った時に、先頭打者から威圧感が静岡代表の投手に襲いかかった。
西村が外角低めを得意としていることは、データとして取れているため、静岡代表の攻めは内角。
球数を稼ぐように見逃し、見逃しを2回続けてカウントは2ストライク。
「強気だこと」
西村はボソッと呟くと、いつも長く持っていたグリップを短く持ち替えた。すると静岡バッテリーは当然のように外への配球。逃げ行くスライダーで空振り三振を奪った。
「悪い、ボール球ぽかった」
打席から戻ってきた西村はそう詫びた。
「あのスライダーが見られただけで、おっけー」
茜に焦りはない。
(ガギッッ…)
内に入ってくるスライダーだ。
初球から積極的に振ったバットの根元に当たると、重苦しい音とともにボールは二塁手のグローブへと吸い込まれた。
「やっちまった」
可愛らしく、ぺろっと舌を出して笑って見せた茜を強烈に睨む敦史。そんな敦史を見て颯爽とベンチへ戻る茜。
「ったく…」
しかし、昨日の硬式野球の話を受け少し心配していたが、いつもの茜であることを再確認できた敦史はいつもより集中して打席に入れた。
2球ボールが続いた3球目、内角に突き刺さるストレートを珍しく引っ張ってみせた。
「おぉ!走れ、敦史!!」
ベンチからキャッチボールをしにグラウンドへ出てきた茜が声援を送る。
左中間を裂いた打球で快速飛ばし、3塁を奪った。その姿に燃え上がらない4番打者はいない。先輩の作ったチャンスを見事モノにしたのは、和田だ。
城戸打線を研究している静岡バッテリーは、ここまでの3人への配球として得意コースの逆をついている。大会打率は先頭の3人に劣りながらも、4割に近い数字を誇る4番打者は、得意コースとは逆の外に意識を入れると初球だった。
(カキーーーン)
強引に引っ張った打球はライト線ギリギリ、奥深くへ飛んでいった。連続三塁打を決めた城戸中は全試合での先制点を決めた。
和田に続きたいと力んだ5番の高柳はショートフライに倒れた。
マウンドへ向かう茜は自ら和田のファーストミットをランナーとして戻ってきた和田に持って行った。和田がヘルメットを控えの選手に渡すと、茜はミットを渡し
「ナイスバッティング」
そう言って和田の坊主頭を撫でた。
「あ、ありがとうございます」
その姿を見たベンチにいる2年生は闘志を爆発させながら声援をおくる。
「ずるいぞ、和田!!!」
「俺と代われ!!!」
果たしてこれは声援なのだろうか…。
茜は和田に言葉を伝え終えるとマウンドへ。投球練習を終え、2回の投球に入る。
打撃でのミスは投球で取り返す。茜はその一心でマウンドへ立った。変化球は全てみせた。逃げ場はもうない。
(ふぅーーー)
息を大きく吐いて、投球動作にはいった。2回は緩急。スローカーブとツーシーム、ストレートを使い分けて挑んでいく。特にシュート方向に鋭くキレるツーシームが冴え渡る。
「ストライク、バッターアウト!」
この回はツーシームでの見逃し三振2つ、スローカーブを使った空振り三振に切ってわずか9球でベンチへと下がった。
「ナイスピッチング!」
ベンチで茜の投球を凝視していた青木が飲料を持って、茜を出迎えた。
「まだ2回だからね。5回に近付いたら準備しておきなさいよ」
「うっす!」
いたずらに完投しないと宣言するように青木へ言葉を送った。チームプレイを心がける言葉に敦史も選手を鼓舞する。
「追加点あげるぞ!」
「「しゃーーーあ!!」」
と気合を入れたものの、6番の加藤兄弟の兄、壮からはじまるこの回はアッサリ3人で終わってしまった。
(びちゃっ)
マウンドへ新しい土が送られる。振り続ける雨の中、積もり積もって濡れてきたマウンドは投球できる様子ではなかった。各ポジションにも土は送られ、ようやく3回が始まる。
新しく踏み場を作り投球練習を終えた茜は敦史とのサインの交換をする。
「次の回は大きな変化球には頼らないぞ」
敦史から茜にそう指示が飛ぶ。凡打を狙う配球のようだ。内角に投げ込まれるストレート、カットボール、ツーシームの球威に手を出す静岡代表のバットはことごとく抑えられた。ぬかるみの残るグラウンドで、ピッチャーゴロ、サードライナーで簡単に2アウトを取ってみせた。
「バッター、球見ていけーー!」
静岡ベンチから声援が飛ぶなか、左打席にはいった9番打者は、初球からセーフティバントの構えだ。
(びちゃっ)
三塁線に落とされた球は転がらず止まった。
「ま、間に合わない!!」
三塁手の清水は一歩目が遅れた。すると、一瞬の出来事に清水も何が起きたかわかっていなかった。
「アウトォォ!!」
一塁審判の声だ。清水の目の前には泥だらけになって打球を処理した敦史がいた。
「よっしゃぁぁ!!」
吠えた敦史にバックも歓声とともに、ベンチに帰ってきた。
「名古谷よくやった!!」
「さすがっす、先輩!!」
その盛り上がりの輪には茜も加わっていた。
「あんがとね」
そう言ってグローブを外した左手を差し出す茜。
「あそこは捕手の守備範囲だからな」
そう言ってこちらもグローブを外した左手で茜にハイタッチで応えた。
「そういうのってグローブでやるんじゃないの?」
2人の姿を見て、打席に入る準備が終わった菅野が茜に尋ねた。するとこれでもかという嫌そうな顔で
「嫌よ。だってあたしのグローブに泥つくじゃない」
実に女の子らしい答えに城戸ベンチは笑いに包まれた。
途絶えないムードで3回裏の攻撃に入る。