決勝進出を決め、一夜が明けた。思いがけず、オフになってしまった城戸中の部員たちは各々、好きなように過ごしていた。
雨の中、ランニングをする者。球場のベンチを借りて素振りをする者。宿舎で筋トレに励む者。そんな中、茜、敦史、そして監督、顧問の4人は同じ部屋にいた。
「それはつまり、どう言う意味で…?」
顧問の今先生が4人の前に座る1人の男に問う。
「次の試合の結果次第では、松原茜さんを硬式野球部の公式戦へ出す許可が下りるかもしれないということですよ!」
高校野球連盟、高野連の人だ。決勝戦を控えた城戸中の宿舎へ、報告をしに来たようだ。上層部へ訴え続け、決勝戦の結果次第では初の女子投手による硬式野球部公式戦出場を容認してもらえたようだった。
「硬式野球部か…」
ここで終わると思っていた野球人生。まだ終わらない可能性が出てきた。
「それは、プロを目指せるんですか?」
敦史が聞く。おそらく茜も気になっているところだろう。
「まだNPBとの交渉を続けているところだよ。しかし、投球内容や、NPBが欲しいと思えない人材ならどうだろうね」
色々な可能性が見えてくる中、茜は冷静だった。取り乱したりせず、一つ一つ理解を深めていく。
「とりあえず、決勝で勝たなきゃいけないんだよね」
「それはそうだな」
硬式野球へ転向するリスクを考える敦史だが、昨年のWBC2009では優勝したものの人気が下がり始めている日本野球界を救おうと必死な役員の推しを無視できない。
「君なら、硬式野球にいっても活躍できる!せっかくチャンスが出来たんだ。いくべきだよ!」
しかし、茜はないか悩んでいる様子。それを汲み取ったのは、監督だった。
「松原、」
「はい」
心なしか弱い返事。
「チームのために、投げようと思っていたんだろ?私利私欲のためではなく、チームの」
頷く茜。
「このチームが好きだから、みんなとの大切な試合を私のために使うことはできないなーって」
いいことを言っているような茜に対し、敦史が直球を投げ込む。
「でも、お前がすごい投球を見せれば、チームも勝つと思うんだが」
それに対し茜は、
「んー、それもそうなんだけど、望むモチベーションというか、試合に対して向き合えなくなっちゃうというか…」
気持ちを大切にしたい思いは敦史には伝わっている。このチームで戦うことへの思いは人一倍強い茜に、かける言葉を探していた。すると監督が口を開く。
「勝ってから、硬式野球のことは考えればいい。今、お前は何をしにここまで来たんだ?」
「監督…」
「このチームで優勝するために来たんだろ?それを達してから悩め。」
監督が叱るように諭すと、茜に明るい表情が戻ってきた。
「そうだよね…。そう!勝ってから考えればいっか!」
あっけらかんとした、アホな茜が戻ってきた様子で敦史も自然と口角が上がった。
「が、頑張ってください!」
役員も言葉を送る。
話が終わると、敦史はランニングへと出た。茜は部屋に戻り、ストレッチを始める。
茜が開脚前屈をしながら、今日の週刊ベースボールを読んでいると携帯が鳴った。相手は涼介だ。涼介の名前が表示されてから、いつものスピーカーモードで電話を受けた。
「もしもし?」
「おっと!」
少し音量が大きかったようだ。
「雨で中止って聞いたから、電話してしまった。ごめんね」
「全然!!あたしも涼ちゃんの声聞きたかったところだよ」
他愛もない話が始まり、決勝前日の高揚し続ける気持ちを落ち着かせていく。
「あのね、涼ちゃん。言わなきゃいけないことがあってね」
「ど、どうしたの!?」
しばらく話してから、茜が切り出した。涼介は少し動揺。会っていないこの4日程で何かあったのではないだろうか。よくも悪くも回りすぎてしまう頭を使い、色々なことを考えた。
「誰かに、何かされた?そ、それとも俺の至らないところとか…」
「なに言ってるの?そんなことじゃないよ」
「じゃあ…?」
焦る涼介をよそに、茜は電話越しに笑いながら言う。
「甲子園、出られるかもって」
「えっ!!」
役員の話を涼介にし、硬式野球部で男子に混じりプレーできるようになったことを伝えた。茜もわかっていたことだが、涼介は自分のことのように喜んだ。
「歴史を変えたんだ!すごいことだよ!」
「そうなんだけどね…」
すこし元気が無さげというか、悩んでるような声色。
「どうしたの?あーちゃんの実力なら通用すると思うけど?」
誰にも見られてないところでそっと顔を赤らめた茜は、
「練習大変だから…」
「それは、今も大変でしょ?」
「そ、そうじゃなくて!!」
そう言って、少し間があった。めでたい事だと祝う涼介は茜の気持ちに気付いていない。
「だからぁ…」
恥ずかしさを押し殺すため、柔軟に集中しながら言う。
「普通の彼女と違って、また会う回数減っちゃうから…。もっと、もっと会いたいの…」
「そのことね。俺もそれは辛いよ?でもね、」
電話越しだが、そばに涼介がいる気がする。
「あーちゃんが夢を追いかけて、頑張ってる姿も好きだから。我慢できるよ」
「涼ちゃん…」
「だから、会う時はね。ハードにしたいね。」
何か意味深な表現に、茜は柔軟をやめてスピーカーを切る。
「うん…。いいよ」
誰も聞いていないというのにとても小さな声で返事をすると、
「ごめんね、長くなっちゃったね!ストレッチ中だったんじゃない?」
すぐに切り替えた。
「あ、う、うん!そうそう!」
「じゃあ、明日頑張ってね」
「うん。それじゃあ…」
(ぷつり)
通話が終わると茜は携帯をギュッと握りしめて、試合を完全勝利することを決意する。誰よりも頑張れる『頑張って』を聞けたから。それから茜は、柔軟に加えシャドーピッチングやボールを握って変化球の確認をした。
しばらくして、敦史に呼ばれ明日の配球について綿密に打ち合わせをした。
そして、茜は心身ともに万全な状態で決勝の日を迎えた。
野球ができるほどにパラパラと降る雨。湿ったグラウンド。完璧とは言えない状況の中、静岡代表との決勝戦が始まる。