グッド!ローニング   作:レスキュー係長

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⑧その言葉が言えない

夏の終わりといえども未だに暑さは健在でじりじりと照り続ける太陽に殺意が湧いてくるほどだ。

 

「着いた!鎌倉だよ!鎌倉!」

 

「ちょっと由比ヶ浜さん。あんまりくっつかないで欲しいのだけれど……暑いわ。」

 

「うわ…マジか。人多過ぎ…」

 

JR鎌倉駅は夏休み最終日とあってか、観光客であふれかえり、ひとまず鶴岡八幡宮へ人の流れが作られている。ここまで都心から比較的アクセスしやすい観光地も少ないことも考えればここまでの人を多さも納得できる。

 

 

 

 

 

明日、皆でどこかに出掛けたい。

 

そう彼女が口にしたのは八月三十日のことであった。既に予備校の夏期講習を終え由比ヶ浜は九月からレギュラーの授業が始まり、雪乃と八幡も九月からはそれそれのサークルの夏合宿が始まってしまうため最後の思い出作りとして由比ヶ浜が提案したのだ。だが、八幡の反応は薄い。

 

 

「おいおい、仮にも浪人生だろうが。九月からは過去問の研究も始まる。そんな時間はない。」

 

「あらいいじゃない。人間息抜きは必要よ。大体貴方、七月に花火大会へ由比ヶ浜さんを連れ回したじゃない。同じことでしょ。」

 

「いや、あれはたった数時間のイベントだからね。旅となると…」

 

 

意外にも乗る気を見せた雪乃は八幡の発言をなかったことにし、おもむろにバックからタブレット端末を開く。

 

 

「そうね……由比ヶ浜さんはどこに行きたいのかしら。」

 

「う~ん。あまりにも近すぎるのもなんかな……鎌倉とかどう?」

 

「いや、遠いだろ。片道一時間四十分はかかるぞ。袖ケ浦で十分だろ。」

 

「鎌倉ならプチ日帰り旅行として成立するわね。明日の九時に駅集合でどうかしら。良いわね、比企谷君。」

 

 

ここまで来て八幡は口を挟むのを止めた。今の雪乃の状態から察するに意見が聴き入れてもらえはしない。そう感じたからだ。だから仕方なしに首を縦に振る。降参だと言わんばかりだった。

 

 

 

 

 

「ゆきのん、とりあえず八幡宮行こうよ。」

 

「別に行くのはいいのだけれど、この人混みだと…」

 

「あ、そうだよね。ゆきのん、人混み苦手だもんね‥‥じゃあ、銭洗弁財天に行こうよ。いいよねヒッキー!」

 

 

黒いノースリーブにプリーツスカートといつもより大人っぽい結衣。ふんわりと被る麦わら帽子が夏っぽさを演出する。しかし、八幡は結衣の顔を直視できなかった。それは今日だけのことではない。あの日、琴美から突然のキスされてからずっと彼女の顔を見ることが出来ていない。

 

罪悪感。それがここ最近八幡が結衣と会うたびに心をもやもやさせる原因だ。琴美に不意打ちとはいえ唇を重ねた。別に結衣とは付き合ってはいないとはいえ、彼と同じ世界を見たいと必死に努力している彼女を酷く裏切っているようで胸が痛くなるのだ。今や結衣の自分に対して向けてくる好意も、笑顔も、八幡を苦しめている。

 

そんなことを察してか結衣の勢いも落ち着いていく。

 

 

「ヒッキー…やっぱりあんまり乗る気じゃなかったよね。ゴメン。変に誘っちゃって。」

 

「いや、違う。俺は…」

 

「由比ヶ浜さん。この男はどんなイベントでもいつだって乗る気じゃないのだから気にすることはないわ。さあ、行きましょう。」

 

 

=================

 

 

銭洗弁天のすぐ近く、くずきりが美味しいと評判の甘味処では雪乃が宇治金時のカキ氷を、結衣はあんみつ、八幡はくずきりを注文し先ほど見てきた銭洗弁天の話に花を咲かせていた。

 

 

「てか、くずきりが美味いって言ってるのになんであんみつなんて頼むんだよ。」

 

「いいじゃん別に。美味しそーだったんだもん。それより弁天面白かったね!あんな洞窟の奥にあるなんて思わなかったよ!」

 

「そうね。みんな必死に小銭を洗っている姿はなんだか不思議な光景だったわ。」

 

「その中に混じって持ってる小銭全部洗ってた雪ノ下さんがそれをいいますか‥‥」

 

 

失礼します、と店員から注文の品が次々と置かれる。どれも涼しげで一口口に入れれば、程よい甘さが少し疲れた彼らに癒しを届ける。

 

 

 

「由比ヶ浜さん、次はどこにいきましょうか。」

 

 

カキ氷を半分ほど掘り進めている雪乃が口を開く。

 

 

「う〜ん。大仏見にいくのでもいいけど、人混みが凄そうだし‥‥」

 

「そんなこと気にしなくてもいいわ。私なら大丈夫よ。」

 

「ダメだよ。私が無理言ってるんだもん‥‥」

 

 

この日帰り旅行は自分のワガママから出来ていると結衣は自認していた。本来ならこんなことをやっている暇もないと言われるかもしれない。それでもこの旅には彼女なりの意味があるのだ。楽しい、まるで大学生のような経験をすることで自分を奮い立たせるためでもあるし、自分につきっきりで見てくれた二人に対しての感謝の気持ちでもある。

 

 

「旅の主催者は貴女よ。私たちはそれに従うわ。たった一日の自由な時間なんだから楽しんで。」

 

「‥‥そっか。ありがとう。じゃあ海を見に行こうよ!近くに由比ヶ浜海岸があるでしょ。自分の苗字だし、興味あるんだ!」

 

 

はしゃぐ結衣はまるで向日葵のように微笑む。ちょっとお花摘みにいってくるね、と席を外すと二人が気まずく残る。店に下げられた風鈴の音が数回鳴った後、口を開いたのは雪乃だった。

 

 

「で、貴方はどうして由比ヶ浜さんを避け続けているのかしら。」

 

 

いい加減食べ進めてきた宇治金時のカキ氷も外気温で少しずつ溶け始めるが雪乃は焦る様子もなく、ただ八幡を追求する。

 

 

「‥‥なんのことだか全くわからん。いつ俺があいつを避けた。ちゃんと毎日教えてるし、それはお前も知ってるだろうが。」

 

「自覚がないのね。コミケから帰ってから貴方は一度だって由比ヶ浜さんの顔を見て話してないわ。知らなかった?由比ヶ浜さん、そのことを気にしるのよ。〝私が巻き込んだから嫌われたのかも知れない〟って。」

 

「‥‥それは違う。断じて嫌ってなんてない。」

 

 

語気が思わず強くなってゆく。違う、彼女は何も悪くない。きっと一番の悪者は、自分なのだから。

 

 

「‥‥彼女がこれを提案したのは貴方に楽しんで欲しいという面もあると思うわ。自分のせいで貴重な一年生の夏を潰してしまった、そう責任を彼女なりに感じているのよ。全く、自分勝手よね。あの子が勝手にそう解釈してるだけなのに。でもそれは、彼女の‥‥優しさでもあるのよ。」

 

 

確かに自分勝手だ。全ては自分中心の解釈で進められている。雪乃の話の通りなら実に押し付けがましいとも言えるだろう。だが、同時に彼女の持つ最大の武器〝優しさ〟を兼ね備えているのだ。人一倍他人の空気を読み続けていたからこそ成せることであり、そんな嫌な面やいい面全てひっくるめて由比ヶ浜結衣である。

 

黙りこくる八幡に雪乃が語りかける。その言葉には棘はなく、諭すようだった。

 

 

「比企谷君。コミケの一件で何があったのかを今聞いたら私自身どう出るかわからないから聞きはしないわ。ただ、走り続けている由比ヶ浜さんを今は見捨てるような真似はしないで。結論は全て終わってからにして。」

 

 

今結論を出され、それが望まない結果なら間違いなく彼女は立ち直れない。雪乃はそんな彼女の姿を見たくはなかった。

 

 

 

「‥‥当然だ。約束だからな。」

 

 

絞り出した声は思っていたよりもずっと低く、響いてゆく。まるで自分自身に言い聞かせているようだ。

 

 

「その言葉、信じていいのよね。」

 

「‥‥ああ。」

 

 

ふと、二人の目線が合う。八幡は目線を外さなかった。外せば何が終わってしまう気がしたのだ。今まで築き上げてきた信頼の砂の城が波に流されていく、心のどこかで一番恐れているそれはどうしても阻止したかった。

 

 

 

先に目線を外したのは雪乃からだった。目の前に既に溶けかかったカキ氷を掬い、熱くなった自分を冷やす。

 

 

「まあ、いいわ。ただ貴方が万が一裏切るようなことがあれば、私は由比ヶ浜さんの味方をする。いいわね。それから、貴方も、その、私でよければ相談には乗るわ。それも覚えておいて。」

 

「‥‥おう。覚えておく。」

 

 

柄にでもないことを言ったからか雪乃は顔を真っ赤にして一心不乱に残りのカキ氷にスプーンを突き刺す。

 

 

結衣が帰って来る頃にはすっかり空になった器と頭を抱える雪乃の姿があった。

 

 

=================

 

 

 

由比ヶ浜海水浴場には夏の終わりを惜しむ様々な人々の姿があった。

 

 

水着でいちゃいちゃするカップル。まだ小さい子供と共に砂遊びをする親子。すぐそこの海の家で買ったのだろうか、焼きそば片手に男だけで騒ぐアホなグループ。皆思い思いに刹那を楽しみ、思い出という宝箱にその記憶を閉じ込める。次にその箱を開くのはいつなんだろうか。それは誰にもわからない。

 

 

「うわ〜!海だ!ねえねえ、ゆきのんたちも早くおいでよ!」

 

 

一足早く砂浜へ降り立った結衣は履いていた靴を脱ぎ、裸足で歩く。砂浜は陽の光に当てられ熱くなっているはずだがそんなことはおかまいなしに辺りを散策する結衣を少し離れた道路と砂浜を繋ぐ階段で腰を下ろし、その様子を見守る。

 

 

「比企谷君、私少し飲み物でも買って来るわ。」

 

 

海の家にでも行くのだろう。白いワンピースがユルリと目の前でなびく。

 

 

「一人だとあれだろ。俺も行く。」

 

 

腰をあげる八幡を雪乃は制する。

 

 

「別に一人でも大丈夫よ。すぐそこの海の家に行くだけだもの。それより由比ヶ浜さんとちゃんと話してあげて。いいわね。貴方にしかできないことなんだから。」

 

 

そう言い残し、雪乃はそっと行ってしまう。八幡は階段を降り、熱い太陽の元で舞う結衣のもとへゆっくりと向かう。

 

 

 

 

「ヒッキー!見て見て!ビー玉がここら辺に落ちてるの。なんでかわからないけど。」

 

 

結衣が指で示した先にはキラキラと光るビー玉が確かに砂浜に散らばっていた。だが散らばっているのはそれだけではない。

 

 

彼女が近づいて行くキラキラと輝く一帯の正体に八幡は気がつく。

 

 

「由比ヶ浜!」

 

 

結衣の手を強く引っ張る。その反動で彼女の体は八幡の胸の中へ吸い込まれていく。結衣が八幡に抱かれているような形になったことに気がついたのはすぐの事だった。

 

 

「っ!ヒッキー‥‥急にどうしたの。」

 

「う‥‥アホか、お前。よく見てみろ。ビー玉の周りにあるのガラスの破片だ。怪我する所だったんだぞ。もう少し周りに注意しろよな。」

 

 

ビー玉の周りにあるガラスの破片は所々元々に原型を留めており、察するにラムネの瓶のようである。

 

 

「‥‥ごめん、ヒッキー。それとありがと。見ててくれて。ホントに‥‥」

 

 

結衣はそのまま八幡の胸の中から離れない。彼は手の置き所に困っていた。恋人であるならば背中に手を置く所なのだろうが、あいにく今はそんな関係でない。かといって、突き放すようなことはできない。

 

 

やや混乱にしている彼に彼の胸に耳を当てている結衣は話し始める。心臓の鼓動が早くなる。

 

 

「今日はゴメンね。付き合わせちゃって。分かってたんだ。ヒッキーがあんまり乗る気じゃないこと。ヒッキーは優しいからそんなことは言わなかったけど。」

 

「‥‥そんなことはねえよ。まあ、なんというか、こういうのはしたことなかったから、貴重な時間だった。まだ時間はある。まだ八幡宮も行ってないだろ。あ、それに江ノ島も行ってないよな。」

 

 

事実だ。この三人で旅をするなんて想像していなかったが、思いのほか充実した時間だったのだ。いつの間にか終わって欲しくないと思う自分がいる。

 

しかし、結衣は首を振る。もう旅は終わりだとそう伝えているようだった。

 

 

「私はさ、ずるいんだ。一人になるのが怖いの。二人は進んでいるのに私だけ置いてきぼりで底のない沼で足踏みしてるだけで全然進めなくて。だからこうして前へ進んでいる二人を捕まえて、すがって生きている。どうしようもなく、ズルくて、弱くていやになっちゃう。そんな自分が、本当に、嫌い。」

 

 

彼女の顔は八幡からは見えない。しかし、なぜだろうか。一瞬彼には結衣の泣いた姿が頭に浮かんだ。

 

 

「今日だって、自己満足のためなんだよ。時間を奪ってしまったその償い。でもそれも結局償う方法がわからなくって、二人のことを考えずにこんな感じになっちゃった。」

 

 

八幡は分かっているはずだった。今の彼女への一番の特効薬を。

〝待ってるから〟

きっとその一言で彼女の心は幾分か楽になるだろう。しかし、何度も喉まで出かかっても引っ込んでしまう。まるで寄せては返す波のようだ。

 

待つなんてできない。人は日々、時の流れと共に生きている。それは世界の理。何人たりとも逃れることはできないのだ。それでも待っていてあげたい。せめて、彼女がドス黒い沼から解放されるまでは。それは矛盾ではあるが、今の八幡の気持ちだ。

 

 

「私、二人が行っても頑張るから。頑張って追いついてみせる。だから、今はこのままで居させて‥‥‥」

 

 

 

穏やかな波音が聞こえる。彼女から押し殺した鳴き声はまるで包み込むように波音に溶け込んでいく。

 

 

海は優しく、偉大だ。何もできず、ただ胸を貸している八幡は素直にそう思っていた。


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